photo
21.04.01
ツイッター
LINEでシェアするボタン

東松島の番頭から別府温泉の番頭へ さようなら!ではなく、いってらっしゃい!


『東松島の番頭から別府温泉の番頭へ さようなら!ではなく、いってらっしゃい!』

◆◆

「Hand in Hand」。今日フォーカスするのは、宮城県東松島市に移住して9年半。この春この町を離れた、太田将司さんの声です。

太田さんは震災前まで、都内のインテリアショップに勤めていましたが、震災を機に会社を辞めて東松島に「1年住む」ということだけを決めて移住してきたと言います。その後、食べ物付きの情報誌「東松島食べる通信」の編集長を経てアンテナショップの番頭に。そんな太田さんから「実はこの春、東松島を離れることになりました」と連絡があった2月。番組は太田さんに会いに東松島へと向かいました。


太田さんがまず案内してくれたのは、東松島へ移住した当初よく通っていたという、小さな港でした。

◆◆

「最初に来た海がここです。今は全然景色が違うけど。大曲浜という海苔漁師の部落。小さな民家がたくさん並んでいるようなところで、今は危険水域で住めないところになっちゃいましたけどね。海苔うどんっていうのにこっちへ来て1週間くらいで出会って、なんで海苔なの?って話からこの浜の海苔は皇室へ献上しているとか聞いて。それで気になって会ったのが相澤太という海苔漁師。その日から1週間ぐらい船に乗せてもらって。チノパンで。12月に。めちゃめちゃ寒かったですよ。その時はまだ瓦礫撤去でしたけど漁師が20人くらいいて、船も流されて使えるの3隻ぐらいで。海賊みたいに「みんなで行くぞ!瓦礫撤去するぞ!」みたいにチームワーク良くて。それが楽しくて。当然あんな目にあった海だけど漁師たちはまた海の上で仕事してるし、この人たちの気持ちって何なんだろう?って思って、次の日次の日も乗って。そしたら漁師たちも「この人何者だ?」「毎日毎日何しに来てるの?」って言われて、「住みに来た」「何かできればと思ってる」みたいな話してたら、いつの間にか東松島のいろんなことやっていたという感じですね。」

太田さんはその後、漁師たちの「サポーターズクラブ」を立ち上げて、そこで集まったお金で倉庫を直したり、漁師さんたちが集うプレハブも建てることができたということです。


太田さんが「僕の大好きな人を紹介したい」と向かったのは、矢本駅からすぐのちゃんこ屋さん。ご主人は元力士で、引退後に地元に戻ってちゃんこ屋さんを開いたという大森宣勝さんです。

太田さん「先ほど海で話した、海苔うどんの発症の地、ちゃんこ屋「ちゃんこ萩乃井」の大森宣勝さんです。」

―――先ほどから大森さんのこと「じいじ、じいじ」って呼んでいますけど(笑)

大森さん「そうなんです、いつも私のことを年寄り扱いするんです。まーでも実際今年76になります。太田さんはここ東松島に来て、漁師や農家さんがいかに良くなるかというアドバイスを的確にしてくれる。それで助けられた人はいっぱいいるんじゃないかな。太田さんが教えてくれたのは、1+1が4にも8にもなっちゃうということ。いつもじいじとバカにするけど、本当に私は尊敬している。それだけに太田くんが東松島に留まってくれたら最高なんだけど、、、東松島を去るということになっちゃって本当に残念です。離したくない。例えば牡蠣でも海苔でも漁師さんというのは自分だけだったんです。震災で全てを無くしたけど、一人の漁師さんとまた別の漁師さんを合わせて、2じゃなくて4にも8にもしてくれた。確かに自分たちにもエンジンは持っているつもりなんだけど、そのエンジンを無駄な使い方をしていた。それを120%発揮できるエンジンにしてくれた、そのようにみんな思っているんじゃないかな。」

宮城県東松島市に移住して9年半。この春この地を離れようと思ったのには、きっかけがありました。

◆◆

太田さん「ぼくはずっと東京で仕事をしていて食べたいものはいつでも食べられていたんです。でもこっちへ来て、ぼく牡蠣が嫌いだったんですけどこっちで食べた牡蠣がすごくうまくて。また食べたいなと思っても旬じゃなければ食えない。あれだけ漁師たちが半年間やってるのに旬はたった1〜2週間なんだと、それを知ることで、すごく豊かさを知って、不便な方が贅沢だと感じて。その時ご当地グルメが流行っていたけど、そのグルメって本当に地元の人は愛しながら食べてるの?とかいろいろ見てきて。だったらこの4万人が日常的に350日ぐらい買ってくれたらこの町の人たちはすごくヘルシーに生きていけるんじゃないかと思って東松島食べる通信というのを使って地元の人にリマインドしたかったんです。とはいえ自分のためにやったことが結果人のためになっていた。
でもそれも5年ぐらい続けていたが今はやめて。なぜかというと、ここ3〜4年は自分のためじゃなくて人のためにやる仕事が増えたなと思って、だったらもう1回地元の人に戻した方がいいのかなと。僕はいなくていいのかなと。だからそれぞれがちょっとずつ作り上げていってもらったらうれしいなと思います。ぼくはわがままなのでやっぱり自分のために生きていきたいので、それが結果、みんなにまた違うことで何かできたらいいなと思います。」


こうして、東松島を離れることを決心した太田さん。4月1日から新天地で新しい業務に励んでいます。

◆◆

太田さん「4月からは別府で湯治宿やります。番頭します。たまたま僕がいく「柳屋」さんはプライベートでも泊まっていたところで、そのオーナーが番頭探していると、任せるねと言われたのでわかりましたと。毎日温泉入れるなと思って(笑) 僕は今仕事する時代じゃないなと思っていて、価値は多様化していくと思っているので、あと温泉経営なんてやったことがないから楽しいじゃないですか。だからやってみようかなと。」

大森さん「やっぱり太田さんにさようならを言いたくない。太田くんには先々東松島に戻ってきてほしい。そういう想いで、『太田将司くん、行ってらっしゃい!』 そんなふうに言いたいと思っています。」


大森さんはじめ東松島の皆さん、本当に太田さんが大好きなのが伝わってきました。これからの東松島は若い世代に託して新天地で新たなスタートをきった太田将司さん、次のお仕事も頑張ってください!


大森宣勝さんのお店「ちゃんこ萩乃井」
「のりうどん」はネット通販もしています
http://haginoi.com/?page_id=8

プレゼントの応募 感想・応援はコチラから

オンエアレポート

もっと見る
Top