photo
21.08.19
ツイッター
LINEでシェアするボタン

福島、いわきの期待を胸に・・・パラリンピック視覚障がい者柔道・半谷静香選手


全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、


「福島、いわきの期待を胸に・・・パラリンピック視覚障がい者柔道・半谷静香選手」


「私にとって今回3度目のパラリンピックになる東京大会なんですが、気持ちとしてはロンドンでは7位、リオでは5位ということで今回の大会は確実にメダルを取りに行こうという意気込みで練習をしています。新型コロナウイルスの感染症が流行っている中、練習状況がなかなか整わない中でのこういう時間はすごく不安な部分もありますが、できることを着実にこなしてきたこの1年余りの期間は、私にとっての大きな成長の機会になっていますので、すべてのものが無駄ではなかった、コロナだから強くなれた、そんなコメントが出来るように日々を大切に過ごしているところです。」


こう語るのは、東京2020パラリンピック競技大会に出場する、視覚障がい者柔道 女子48キロ級の半谷静香選手(トヨタループス所属)。福島県いわき市出身の半谷選手に、大会を前にした今の心境、視覚障がい者柔道の魅力、そして故郷いわきへの想いを聞きました。

半谷選手は1988年生まれの33歳。生まれた時から視覚に障害があり、そもそもは、「スポーツが苦手!体育の授業が嫌い!」という子どもだったのだそうです。とくに球技。“ドッジボールなんて痛いばかりで”とお話しされていましたが、そんな彼女が、ロンドンパラリンピック7位、リオパラリンピック5位、そして3度目のパラリンピックでメダルを狙う選手になるまでの歩みについて、まずは伺いました。


「まず中学1年生の部活動で始めました。2つ上の兄が柔道部に所属していることから兄の影響で始めたんですけど、“運動音痴のお兄ちゃんが出来るなら私にもできるだろう”という安易な気持ちで始めたんですけど、それまで運動の経験がほとんどなかったので毎日の練習が辛いし痛いし苦しいし、いつでもやめてやろうって思っていながら、中学高校と6年間続けたわけなんですけど、そんな中で大学1年生の時に、1つ上の先輩から“視覚障がい者柔道があるけどやってみるか”とお誘いを受けて、組んでから始める柔道に出会ったんです。今までは見えなくて、組み手、襟や袖を取り合う動作ができなくて悔しい思いをしていたのが、組んでから始まることによってようやく“工夫する柔道”に出会えたというのが、柔道家として強くなっていきたいというスタートラインに立った出会いでした。

―――でもそこからパラリンピックの選手として成長する、そこを目指すまで頑張ろうと思った何かきっかけがあったんですか?

厳密に言うと全国大会であっという間に優勝しちゃって、その後2010年に出た世界大会1回戦目で5秒で負けるんですけど、“上には上がいるんだ”というのを知れたことで、のめり込んでいきたいと思ったのが第一です。あと北京パラリンピックに内定していたのに3ヶ月前に内定取り消しになってしまって落ち込んだ後に、“なんで障害者スポーツをやりたいと思ったんだろう”と考えて、“この舞台に勝てるのもよくも悪くも目が悪かったからだ、だったらこの世界で1番を目指してみよう”って思ったのが、やっぱり世界一に挑戦しようと思ったきっかけです。その後大学4年生の時に東日本大震災が起きて、就職活動もうまくいってなかった中で、どうしようという時に、バルセロナ五輪銀メダリストの小川直也先生から“うちで柔道をしてみないか”と声をかけてもらえたことで、気持ちを切り替えてトップを目指すようになりました。やっぱり身近に世界一を目指して、“でも俺は1番になれなかったんだ、1番を目指すなら圧倒的な1番を目指せ”って言ってくれる小川先生の存在があったことで、世界一というものが私にとって目指したいものに変わっていきました。」


東日本大震災のあと、バルセロナオリンピック柔道銀メダリストで格闘家としても活躍された柔道家、小川直也さんとの出会いが、世界一を目指すきっかけになったということ。こうして半谷選手は、「一番」を目指して再び柔道に打ち込み、そして見事、2012年ロンドンパラリンピックの代表を勝ち取ったのですが、震災翌年のパラリンピック・・・当時の想いはどんなものだったのでしょうか。


「当時は実家の家族もいわきから避難をしていたり、親戚もみんな避難生活をする中で、ロンドンパラリンピックに向けて頑張れ!という応援の声を頂いていたので、そういう辛い中でのいわきの人からの「がんばれ」の声は、私にとってすごい励みになった一方で、やっぱりみんなに元気になってほしい、金メダルで励ましたいという気持ちがどんどん湧いたというのはありました。ロンドンに関しては、結果からいうとやっぱり雰囲気に飲まれてしまったなというのがまず反省点ではあったんですけど、初めて、“こんなにもたくさんの人に応援してもらって舞台に立てることってすごいことなんだな”っていうことを感じました。たくさんの人が私たち私の試合を見てくれていて、ロンドンに家族も応援に来てくれたので、外国の会場で日本の「がんばれー」の声・・・お父さんの声が聞こえてきて、“私の柔道って誰かのためになっているのかもしれない”、そんな風に思ったのがロンドンでした。それから4年たって、リオ。私はロシアのドーピング問題で2週間前に出場が内定しました、繰り上げ出場ということで。この一瞬一瞬、試合に戦えること、挑めることに感謝しながら戦ったわけなんですけど、試合を終えて思った事は、“悔しい”という思いよりも、“世界トップとの差はそんなにないんじゃないか”という、ある意味自信につながった大会になりました。もう少し早く攻めていればという後悔は残ったんですけど、でももうちょっとで勝てた、悔しいけどやっぱり自信になった、次の東京大会ではトップを目指せるかもしれない、そんな自信になった大会でした。

―――そんなに遠くないぞ、という手ごたえを持っての今度の東京大会、楽しみですね。

そうですね。もちろん2017年、18年のワールドカップで銅メダルを続けて獲得したりだとか、オープン大会で優勝を経験してきて、自分でも勝てるんだと着実に自信をつけてきたので、東京大会に向けて勢いをつけてきたかなと感じています。

―――大会が1年伸びたことで東日本大震災から10年の年と重なることになりました。この10年はどうでしたか?

この10年間は、私自身は地元を離れて競技生活にうち込んでいたんですけれども、実家に帰るたびに故郷の景色が変わっていたり、もちろん東日本大震災もありましたけれども、台風19号の被害で実家は床上1.5メートルの浸水被害を受けていましたので、10年の中で私が知っている故郷は変わっていった上に、帰るたびに私の視力がどんどんなくなっていったので、変わっていく街並みも見えなくなっていくというのはすごく辛かったなというのと、帰るたびに地元の方が「頑張っているね、いつも元気もらうよ」という言葉が私には嬉しくて、みんなの方が頑張っているのにという気持ちがあるので、勝って元気を届けたいという気持ちがあります。これ、いつも言うか言わないか迷うんですけど、震災や台風の被災をした人って、みんなが大変で、自分だけが大変とは言いにくい環境だと思うんですね。それが私自身・・・目が悪くて大変なんだと言いたいんだけども言えないという、孤独な気持ちがちょっと似ているんじゃないかなといつも思っていて。きっと辛いけど何か良いニュースがあればきっと元気になれるんじゃないか、だから頑張ろうというふうに思ってきました」


パラリンピックで行われる視覚障がい者の柔道は、基本的に「体重別」で試合が行われます。競技の特性上、障害の程度を表すB1、B2、B3という3つのクラスがありますが、あくまでも体重別で区分けされた相手と戦うというルールになっています。半谷選手は、最も障害の程度が重い「B1」ということで、柔道でより強くなるためには、苦労することも多かったといいます。障害と向き合いながら、「一番」をめざす。そのために半谷選手は、こんなふうに努力を重ねてきたと話します。


「私は2019年にB2からB1にクラスが1つ重くなったんですけど、目の病気が進行して見えにくさが増した1番重いクラスに変わった。やはりスポーツは“見て学ぶ、真似して学ぶ”ことが多いので、真似ができない中で技を上達させるだったり、動きを改善させるということがすごく難しくて、みんなができるのになんで自分はできないんだろうって、やはりそういう葛藤はいつも、そして今もあって。それをどう乗り越えるか、今はそれを課題にしています。どう乗り越えてきたかというと、私は自分の課題だとか動きを「言語化」することにこだわっています。見えないことで乗り越えることが難しい事は、きっと運動が苦手な人だったり、柔道を始めたばかりの人にとっても役に立つことが多いだろう、いつか私が悩んだ事は誰かの役に立つかもしれない、そう思って。そして自分がクリアできたことに関しても言語化して、いつか誰かの役に立つかもしれない、そして自分が勝ったときにはそれが1つの成功例になるわけなので、強くなった自分だったり、それが誰かの役に立つかもしれないという期待を込めて、悔しい気持ちとやりたいという気持ち、強くなりたいという気持ちと葛藤しながら、日々を過ごしています」


柔道に限らず、あらゆるスポーツに於いて、トップに立つアスリートは「言語化」する能力にも優れていると言われます。半谷選手も自分を極めていく過程の中で、この「言語化」に辿り着いた、ということ。

こうして半谷選手は、さまざまな葛藤と向き合い、ひとつずつ乗り越えながら、今日まで自分の技を磨き続けてきました。そんな半谷選手の得意技、「背負い投げ」についても伺いました。


「視覚障がい者柔道の場合は最初から組んでいる以上、技に入るのが結構難しいんですね、相手が防御している中で入っていくので。そんな中で私が得意とするのは、相手が攻撃をするために前に来たタイミングで、合わせて、引きながら、隙間を狙って入る・・・なんていうんですかね、相手の力に合わせてタイミングで入る背負い投げが得意です。ちょっと説明がへたくそなんですけど(笑)

―――でも柔ちゃんを見てた世代としては、相手の力を利用してというところが、勝手に素人ですが漫画で浮かんできました・・・

これまでは私は防御の力がちょっと弱かったので攻め続ける柔道スタイルをとってきたんですけど、この1年間、コロナがあったおかげで、防御する力もついてきたというところもあって、今までは弾丸のように攻め続けてきたのが、相手の様子を見ながら攻めたりということを今は練習していて、以前よりも考える柔道ができているかなと思っています。

―――試合中って外から見ていると白熱しているなと思うんですけれども、選手本人としては結構頭はクールな状態なんですか?

私は意外と、長時間の試合で勝つことが多くて、後半は気持ちで戦っていることが多いので、クールか?というとそうじゃないですけど、前半はやはりどうやって相手の技に反応するとか、自分のポジションは合っているのかということを考えているとは思います。視覚障がい者柔道は独特なんですけれども、組んだ状態から始まるので開始2秒とか3秒で一本勝ち、一本負けということもあり得るし、試合終了2秒前1秒前で逆転勝ち逆転負けもあり得る競技なので、最初から最後まで気が抜けない、選手としては気が気ではない、力も必要ですし集中力が必要な競技です」


「柔道は『心技体』と言われますが、心技体ともに上がってきていると思います。本番では私らしい柔道、攻めの柔道を見せて自分の技で勝利を勝ち取る、金メダルをとってみんなに良いニュースを届けられるように頑張りたいと思います。

―――楽しみです。そこで念願を果たしたあかつきには何をしたいですか?

私は48キロ級ということで、毎回減量が激しい、今ももう減量に入っていて、大好きなチョコレートが食べられていないので、おなかいっぱいチョコレートが食べたいです」


最後は女の子らしい本音も語ってくれた半谷選手。東京パラリンピック、柔道は8月27日(金)から日本武道館で行われます。

「Hand in Hand」、今回は、「福島、いわきの期待を胸に・・・パラリンピック視覚障がい者柔道・半谷静香選手」でした。


来週は、福島県の「若き移住者」にスポットを当てる、シリーズ「福島フロンティアーズ」。福島の砂浜で乗馬体験ができるという画期的なベンチャーを起業した若き移住者についてお届けします。ぜひ来週も聴いてください。

プレゼントの応募 感想・応援はコチラから

オンエアレポート

もっと見る
Top