photo
21.11.04
ツイッター
LINEでシェアするボタン

宮城県東松島市の防災エデュテイメント施設、「KIBOTCHA」からの便り


全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、

「宮城県東松島市の防災エデュテイメント施設、「KIBOTCHA」からの便り」


宮城県東松島市に誕生して3年余、旧野蒜小学校の校舎を使った、防災を学ぶ室内テーマパーク「KIBOTCHA」。東日本大震災の当時、自治体の指定避難所でもあった野蒜小学校ですが、約3メートルの津波が校舎を襲い、多くの命を救った反面、30人近くの地域住民が犠牲となりました。学校はその後、閉校となり、遺された校舎をどうするか、長く検討が続いていましたが、2018年春に、この「KIBOTCHA」に生まれ変わりました。

1階はレストラン、物産店、大浴場など。2階は防災資料館、体感で学ぶ室内パーク、シアター室など。3階は約70床の宿泊フロアとなっていて、非常時には300人規模の一時避難所の機能も担う施設となっています。そして校庭には「竹あかり」のオブジェが置かれ、体育館のあった場所では、現在、巨大なサンドアートが制作中。その奥の敷地も、新たにBBQやグランピング、収穫体験ができる農場に整備され、取材に訪れた日もたくさんの来場者でにぎわっていました。

この「KIBOTCHA」を手掛ける、「貴凛庁株式会社」の顧問、井出方明さんにお話を伺いました。じつは井出さん、元航空自衛官で、ブルーインパルスの編隊長も務めた方です。

◆◆

「KIBOTCHA」は、元野蒜小学校があった場所です。この野蒜小学校も3.11の時に被災しまして、クリーム色とブラウンに色分けしていますが、丁度その境目のところまで、津波がきたと言われております。ですから1階部分の場所については車が突っ込んだり瓦礫が入ったりして、今はリニューアルしていますが、我々が工事に入った時はフレームが曲がったりという状態でした。この野蒜小学校、卒業生や地元の方々から“遺していただきたい”という要望があったものの、市としては、運営したりできなくて、一般公募が行われ、弊社が手を挙げまして、県内には同じように被災した小学校、震災遺構として遺ったりしておりますけれども、ここはあえてそれを改修しまして、多少、(津波の)爪痕などは記憶として残しながら、“この被災した場所から防災教育を発信しましょう”という形で、リニューアルしている建物でございます。名前につきましても、「希望」と「防災」と「未来=フューチャー」、それを合わせまして、「KIBOTCHA」という名前を付けさせて頂きました。

元々、弊社の代表を含めて、自衛隊出身の人間が、東北の被災地にボランティアとして入っていたんですが、期間も長引いてくると、ボランティアだけでは活動は困難ということで、会社を立ち上げまして、基本的には、震災復興、特に福島辺りの除染のお手伝いなどを中心に活動をしていました。その後、次は何をしようかと考えている時に、偶然知ったのが、旧野蒜小学校の跡地利用ということで、それじゃあ!ということで、手を挙げさせて頂きました。

その前も色んな形でこの周辺を色んな業者が事業をやろうとして入っていたんですが、なかなか結実しなかったというのが実情であったと伺っております。そういう中で、また東京からどっかの業者がきて、野蒜小学校を・・・という形で、最初は周りの方々も遠巻きに見ていた点もあったという気がしています。ただしそこのところで、色んなイベントを行う時に、自分たちだけではなくて、住民の皆さまや地元の企業と手を携えながら活動していく過程において、段々と地域に溶け込むことが出来たと思っております。

こちらの場所、たくさんの命が助かった場所でありますけれども、また、それと同時にお亡くなりになられた方もおります。そうしますと、どうしてもそういう記憶から、この場所に足を向けることができない、という方々もおられましたけれども、鎮魂や復興、それから祈りというようなことをテーマにイベントをやって、人が集まってきて頂くことによって、“やっと、この場所に来ることが出来ました”という声も聞こえて来て、そういう時、やっていた努力が報われてきているなと感じました。


遺構としての面を残しながら、災禍を伝え、学び、一方で地域の魅力を発信していく拠点でもある。震災後の野蒜小学校をどうしていくか、なかなか決まらない中で、ようやくたどり着いたのが、この「KIBOTCHA」です。

訪れるとまず校庭に置かれた竹のオブジェが目に入りますが、さらに施設の概要について、お話を伺いました。

◆◆

まず竹あかり(竹あかりイルミネーション)というものをやらせて頂いております。こちら牡蠣の養殖に使われる牡蠣棚、大体4年くらいで、交換の時期になります。そうなると大量の竹が余ってきてしまう。その竹は本来であれば、牡蠣の養殖業者さんがお金を払って産業廃棄物として捨ててしまう。ですからそこに、“竹あかり”をマッチングして生まれ変わらせると。ただ“竹あかり”自体も外で灯しておくと、段々風化してまいります。そうしましたら今度は竹炭にして、奥にありますバーベキュー場で使って頂いたり、細かくなったものは、その奥にお子さんたちも収穫して頂けるような農園を作っておりますので、土壌改良のために使って、そこで育った作物をまた皆さんで収穫して食べて頂くと。今で言うSDGsを実践させて頂いていることになります。ちなみにこの竹は、2019年の3月、最初に日本にTOKYO2020オリンピックの聖火が到着したのが、この東松島市の松島基地でございましたので、その前夜に、“お迎えする”ということで、1113本の竹あかりを点させて頂きました。この東松島市で死者・行方不明者合わせた数だけ、竹あかりでお迎えしたということです。

野蒜小学校は3階建ての建物になっておりますので、1階はコミュニティのフロアということで、日帰りでも入れる入浴施設、それから皆さんがご利用できるレストランなどで構成されております。2階は、基本的には防災教育を体験できる施設。3階は、宿泊施設のフロアとなっております。新型コロナ前までは、よく首都圏から教育旅行ということで、防災教育をやりながら宿泊をして頂いたりしていました。












昨年からスタートした「なないろの芸術祭」は、地元の食・自然・文化、そういったモノを7つ集めて行うイベントで、昨年は、“竹あかりの審美会”という形で、竹あかりを作る人たちが全国から集まり、腕を競い合いました。今年も(サンドアーティスト)保坂俊彦さんらによるサンドアート、竹あかり、音楽演奏や、地元のモノを使ったレストランといったものを併せて開催する予定だったのですが、やはり今年はコロナの関係でそれが開催できなくなって、“次に繋げる”ということで、今年は「江ノ浜青空レストラン」という形で開催させて頂きました。

本来であれば今年は全国からサンドアーティストを集めて行う予定だったんですが、開催できなくなりましたので、かわりに、そのために集めた砂をサンドアーティストの保坂さん一人に使って頂き、巨大なものを一体作って頂いています。


校庭には竹あかりのオブジェが置かれ、そして体育館のあった場所には、世界的なコンテストでの優勝経験もあるサンドアーティスト・保坂俊彦さんが巨大なサンドアートを制作中。写真はまだ制作途中のものですが、今月には完成予定です。

さらに矢本駅や野蒜海岸など、市内の各所にはすでにサンドアートが点在していて、東松島市は、「KIBOTCHA」と保坂さんの協力によって、“サンドアートの町・東松島”としての顔をつくりつつあります。その面においての重要なコンテンツの一つが「なないろの芸術祭」ですが、今年はコロナで中止。かわりに行なわれたのが、トレッキングと食を合わせたイベント、「青空レストラン」です。

奥松島の美しい景色が広がる宮戸島の江ノ浜をトレッキングして、浜辺に置かれたテーブルで、牡蠣や地元の食材を使ったお料理を味わうというもの(ただしこの日は強風のため、山の裾に場所を移して食事しました)。手つかずの浜だった江ノ浜は新たに公園に整備され、ツリーハウスや木に吊るされたブランコ、収穫体験ができるサツマイモやトマトの畑など、宮戸島の新しいスポットとなっています。









もともと持つ地域の魅力に加えて、新たな要素をどんどん増やしているのが今の東松島。それを推進しているのが「KIBOTCHA」です。その「KIBOTCHA」では、11月の「親子での防災教育」など、教育旅行のプログラムも数々実施。学校単位での利用も受け付けています。冬場は探し当てた人に地物の牡蠣がプレゼントされる「宝探し」なども実施されるということ。

KIBOTCHA

番組スタッフも私的に訪れるほど、東松島は、奥松島の景色と海が美しく、牡蠣や海苔など海の幸も最高、運が良ければブルーインパルスの訓練に遭遇することもあります。新たな魅力であるサンドアートも市内各所に有って、鑑賞でめぐる楽しみも増えました。ぜひ足を運んで頂けたらと思います。





来週の「Hand in Hand」では、そんな東松島をアートの町に変えていったキーマンの一人、世界的サンドアーティストで、今は東松島に移住して創作を続ける、保坂俊彦さんのインタビューをお届けします。来週もぜひ聴いてください。

プレゼントの応募 感想・応援はコチラから

オンエアレポート

もっと見る
Top