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22.03.03
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「変わらずずっと続けたい」 女川のボランティアダイバー 髙橋正祥さん


「女川の海は岩肌がピンク色で色鮮やか 生き物も面白い生き物が多くて、味がある海。潜れば潜るほど面白くなってハマる人も多いんです。」

幼い頃から遊んでいたという地元の海を案内してくれたのは、女川のダイビングショップ「High Bridge」代表の髙橋正祥さんです。石巻や女川の海の魅力を案内する一方、2011年からボランティアダイバーとして、海の中で行方不明者の捜索活動にあたっています。

今回のHand in Handは、震災から11年が経った女川の海の中はどうなっているのか。また捜索活動を続ける髙橋さんの思いを伺っていきます。


2015年、女川町駅前商店街「シーパルピア女川」にショップをオープンさせた「High Bridge」。代表の髙橋正祥さん、通称「マサ」さんに震災当時のことを伺いました。

「生まれは仙台です。震災の時は神奈川のダイビングショップで勤めていたんですけど、父の実家が石巻で、親戚の安否確認が取れずにその叔父を探しに石巻へ戻ってきました。それから3か月して、ダイビングで何かできないかということで2011年6月から行方不明の捜索活動を仲間たちと一緒にはじめたというのがきっかけですね。」

―――当時の捜索活動は大変でしたか?

「今からだと考えられない。海の中に家がそのまま沈んでいたり車が何十台も積み重なっている光景を見た時は言葉が出ないというか。昔遊んでいた海がそうなってしまったことがショックで。僕も子供が3人いるんですが、その子供たちが地元で遊べる海を戻したいという気持ちもありましたし、亡くなっている方を見つけたい、という気持ちも未だにありますし。その活動は継続的に続けていかなきゃいけないというのはあります。震災後に全国からボランティアダイバーが来たときに宮城出身の方がほとんどいなかったんですよね。だったら自分がプロダイバー育成したいなというのもあってはじめました。」

震災直後は海外から来たボランティアダイバーも多くいましたが、いずれは帰ってしまうので、地元で長く継続できるダイバーを育てたいという想いもあってショップをはじめたということです。


震災からもうすぐ11年となりますが、海の中の変化についても聞きました。

「女川・石巻で年間300日以上潜っていますが、瓦礫にホヤがいたりと生き物が住みついたり、5年前はイセエビなんていなかったのに20~30cmのイセエビが居ついたり。僕らが瓦礫撤去したところはキレイな海が戻ってきていますね。」

―――すごく綺麗な写真が飾ってありますね

「女川って結構海の中が地味なイメージ、美味しい海産物の牡蠣やウニしかいないイメージだと思いますが、実は岩肌がピンク色で、海綿といってスポンジみたいな黄色くて色鮮やかなんです。生き物も面白い生き物が多くて、タナゴが群れていたり、ダンゴウオという不思議な一年魚がいて、ホヤの上に付くとオレンジになって、ピンクの岩に付くとピンクになるみたいに色を変えるんです。そういうダンゴウオが一年中見れる海はなかなかないんですね。東北の海は四季がはっきりしているので面白い。最初は、寒いから行きたくないとみんないうんだけど、来るとみんなハマって、味がある海、噛めば噛むほど美味しくなるみたいな感じで潜れば潜るほど面白くなってハマる人は多いですね。せっかく女川の街を探索したら今度は海の中も探索してもらえたらと思いますね」

ダンゴウオ(High Bridge提供)


髙橋正祥さんが月に一度の捜索活動で一緒に潜っているのは、行方不明の妻を探す高松康雄さん(65歳)です。高松さんは、髙橋さんの指導で潜水士の資格を取り一緒に海中での捜索をするようになりました。

「捜索活動は月一回、ずっと変わらずやっています。最初の頃は雄勝や北上(大川小の近く)でやっていましたが、その後に高松さんの依頼を受けて、女川の捜索がはじまりました。」

―――活動される中で遺族の元に帰された方もいらっしゃいますか?

「います。そこは泣いて喜ばれて。
未だに車とか8台9台見つけて、車検証があれば身分確認したりとかやっています。そこから行方不明の方に繋がるというのは年々厳しくなっているのは事実ですけど、やっぱりやらないと見つからないので。地道にやり続けることが大事だなというのはずっとやってて思いますね。あと水深30~40Mの深場まで潜っているので、下に居られる時間も10分~15分しかないんです。なので月一で探せる範囲というのは限られてきます。でも10年潜り続けてきて、ここに瓦礫溜まって、ここには全くない、というのがここ3年前ぐらいにやっとわかってきて。ご遺族の方から「ここで亡くなった」という場所にはやっぱり瓦礫が多い。渦巻いて何十トンの瓦礫が沈んでいるところはあるので、そういう目星ついてきているので、そういうところを重点的に探しています。ずっと月一でやってきて見えてくるものもあるんだなと。継続は大事。自衛隊が使っているソナーの会社がボランティアで来ていろいろ調べたりもしたが、結局自分たちの目で見て探すのが一番確実。潜れる範囲でダイバーが潜って探すのが一番。予算も寄付で細々やっているので、無理なく、長く続ける形でやりましょうと高松さんとも話しています。」

―――月一回の活動で、燃料費もかかる。今後の活動に対して気持ちの変化はありましたか?

「10年経つ時に「いつまで続けるの?」という声をいろいろ聞いたけど、自分はずっと継続しようかなと。高松さんたちが続けたいと言っているんだったら、仲間が続けたいと言っているんで僕はずっと付き合っていこうかなと思っているので、気持ちの変化はないですしそこは変わらないですね。」

―――高松さんたちとの活動を通して、それ以外の方を帰すことができるかもしれない。それは待っている方にとってはハイブリッジの活動があることで、あきらめに繋がらないというか、待ってていいんだって気持ちになれるのかもしれないですね

「そうですね、僕たちぐらい続けてもいいのかなとも思ってて。最初は潜る方周りにたくさんいたけど今はほとんどいないのが現状で。うちぐらいは続けていいのかなと。ずっと続けることで見えてくることは絶対にあるので。僕と高松さんは変わらず続けていきましょうと話しているので。」


取材した日の朝も潜ってきたという髙橋さん。水温7℃。「普通に冷たいですよ」と笑顔で答えていましたが、海での捜索活動について、「変わらずずっと続けたい」「継続が大事」「やり続けないと見つからない」 何度もそう語っている姿には熱いものを感じました。奥様を探している高松さんも髙橋さんのような「仲間」の存在はとても心強いのではないでしょうか。

そして次回のHand in Handは、髙橋さんとバディを組んで一緒に潜っている高松康雄さんのインタビューをお届けします。

宮城ダイビングサービス ハイブリッジ

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