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22.04.21
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6年経った南阿蘇 『学生村』に新たな風


2016年に発生した熊本地震から6年が経ちました。地震の被害が大きかった南阿蘇村では、新阿蘇大橋の開通、豊肥本線の復旧など南阿蘇鉄道を除いては地震前に近いインフラが整備され、また地震後再建できていなかった事業者も復旧し、日常を取り戻しつつあります。

そして南阿蘇村の中でも、この春、かつての賑わいをほんの少し取り戻し地元の方が期待を寄せている場所があります。それが東海大学阿蘇キャンパスがあった「黒川地区」です。黒川地区には当時、56の下宿やアパートに800名ほどの学生が住んでいましたが地震で90%以上が全壊。3名の学生と住民1名が犠牲となりました。そして農学部のキャンパスも大きな被害をうけたため、地震後、通称「学生村」と呼ばれていたこのエリアから学生の姿は消えてしまいました。しかし6年が経ったこの春、南阿蘇村に新たな専門学校が誕生し、かつての『学生村』に学生が戻ってきたのです。

今週のHand in Handは、東海大学農学部卒業生で昨年から、村の「地域おこし協力隊」として村の復興に尽力している市村孝広さんに南阿蘇村・黒川地区をご案内いただきます。



南阿蘇村にある、旧東海大学阿蘇キャンパス。今は「震災遺構」として一般の方も見学できるようになっています。

―――これは活断層ですか?

「東海大学の阿蘇キャンパスの真下を通っている布田川断層が動いて、それが地表に現れた地震断層です。このキャンパスを貫いて全長1キロにも及びました。
こうやって東海大学が震災遺構として残っているのは、こうして活断層が間近に見られるのと、活断層が真下を通ったということがわかる建物が日本では数少ないからです。」



―――校舎が3棟に分かれているように見えますが、本当はつながっていたのですか?

「地震前まではYの字に繋がっていた校舎を、震災遺構として保存するために三分割して強度を保っています。僕も去年の2月に帰ってきてこの景色を見た時に、涙が出ましたし、自分たちが育った東海大学農学部というのはもうこの世にないんだなと実感しました。」


―――階段がむき出しになっていますね

「もう入ることは二度とできないし、外から見ることしかできません。」

―――校舎を背にすると阿蘇の外輪山が見えて良い景色。いいキャンパスライフを送られたんだろうなと想像できます。

「4年間過ごしてみて、これほど良い大学はなかったなと思うし、昨日のように過ごした4年間は8年経っていますが鮮明に覚えています。」


崩落した阿蘇大橋を渡ってすぐのところが、東海大学阿蘇キャンパスがあった黒川地区です。6年前、このキャンパスには1000人が通い、そのうちおよそ800人が黒川地区で暮らしていました。

「大学から坂を下ってきたところ。今は太陽光パネルが置いてあるところが、僕が大学生活を送っていたアパートがあった場所です。この辺りには56のアパートがあって800人が住んでいました。僕も大阪から右も左もわからないままやってきて、大家さん達はその時のお父さん・お母さん。先輩たちは兄貴、姉貴。後輩は弟、妹のような。みんな本当の家族のような存在で、人生の中の宝物となっています。

自分は震災当時ここにはいなく就職して秋田にいたのですが、自分が住んでいたアパートは一階が圧し潰されて、二階建てが一階建てになっていて。3名の学生と1名の住民さんがこの黒川地区では亡くなられました。56戸あったアパートで今残っているのは13戸。ぼくもその1つに去年から住んでいます。」

―――学生さんがいなくなって住民の方は寂しい思いをされていますよね。

「今年の4月から新しい専門学校が南阿蘇に出来て。村出身の学校長が南阿蘇の黒川地域にまた学生を戻したいという想いで南阿蘇に専門学校を作って、その学生が14名、この4月から住んでいます。また現役の東海大学生が遊びに来てくれるし、新しい専門学生が住んでくれる。新しい風が吹いているなと思います。6年経った南阿蘇はすごく明るくて地域住民の方も元気で活気があって、学生がきてくれる明るいところだよということを忘れないでほしいです。」

4月6日、南阿蘇村にIT技術や観光、国際ビジネスを学ぶ新しい専門学校、『イデアITカレッジ阿蘇』が誕生し、第1期生、33名が入学しました。その学生たちがかつての学生村で暮らしはじめているとのこと。あの地震から6年の春に、新しい芽吹きのような明るい話題です。


震災から5年間の後悔を取り戻すかのように、村のため、黒川地区の未来のために尽力しているのが、東海大学農学部の卒業生 市村孝広さん31歳です。

「出身は大阪です。高校卒業後に南阿蘇の東海大学に2013年まで4年間いました。就職して北海道と東北に行って、2021年2月にまた南阿蘇に地域おこし協力隊として戻ってきました。でも本当はもっと早く戻ってきたかったんです。地震があって、東海大学農学部も運営されなくなって当時住んでいたアパートもなくなって学生も居なくなって、そして学生3名と住民1名が亡くなったというのを知った時、たまたま自分は生かされたんだなと思って。3年ずれていたらもしかしたら自分も命がなかったかもしれない。そうしたら、大人になったボクたちが次は村や東海大学に恩返しができないかなと思って。でも結局弱虫で何も行動が伴わない口だけの男が、5年間ただ秋田で過ごしていました。そして30歳の時に前の妻が、そういう気持ちだったら南阿蘇に帰った方が良いのでは、と背中を押してくれました。それがきっかけです。」

―――実際に帰ってきてどうですか?

「帰ってきて1年ちょっとになりますが、落ち込むことも多いです。未だに5年前に帰って、一番大変な時にすぐに駆けつけていればよかったなと、情けなく思うこともあります。でも、1つ心に決めていることがあって、それは、「後悔しないようにしよう」と。それは5年間もう大きな後悔をしているのでこの先は後悔したくないのと、前の会社や妻に影響を及ぼして、人生の大きな舵取りを無理やりしてしまったので、せめて胸を張って後悔せずに仕事しろと言われると思うので、出来ることを精一杯毎日やっているところです。」

―――市村さんの話しを聞くと、今だから出来ることがあるんだよ、という気がします。

「僕も、5年前に来ていたら良かったと住民さんに話したら「違うよ、今のタイミングだから良いんじゃない」と言われたこともあるので、それぞれのタイミングかなと今は思います。」

―――これから南阿蘇に来たいと思っている方に、市村さんの一押しは?

「南阿蘇は、温泉、キャンプ場、あか牛。何より日常を忘れてこの自然の中で過ごしてもらうのが一番。ぜひこのラジオを聞いている方は、南阿蘇へ来て、私を探してください。」


市村孝広さん。土曜日は、南阿蘇村「震災伝承館 轍(わだち)」にいらっしゃるのでぜひ探して声をかけてみてください。




南阿蘇村「震災伝承館 轍」

来週は、熊本地震から5年半かけて再オープンした、家族でもてなす小さなホテル「野ばらINN」のレポートをお送りします。

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