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22.05.19
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漁師町・気仙沼で漁網をアップサイクル〜加藤広大さんの挑戦


今回のテーマは、「漁師町・気仙沼で漁網をアップサイクル〜加藤広大さんの挑戦」。

震災後に宮城県気仙沼市に移住、現在、「amu(アム)」という会社を立ち上げ、廃棄される“漁網”を使って、ビジネスを生み出そうとしている25歳、加藤広大さんにフォーカスしました。

加藤さんは、ボランティアとして気仙沼を訪れたのをきっかけに縁が続き、2019年に移住。地域のためになる事業を模索したのち、ついに辿り着いたのが、この“漁網をアップサイクル”するというビジネスです。

気仙沼の基幹産業である漁業。そのうち、たとえば遠洋マグロ漁で使われる漁網は、1回の漁で100〜500kgほど。漁で摩耗した漁網は、従来、埋め立てや焼却といった方法で処理されていますが、廃棄料の高さなどから、浜に放置されたり海に投棄されたりする例も少なくないといいます。海に投棄された漁網は「ゴーストネット」と呼ばれ、クジラ、イルカなどの海洋生物の命を奪うなど、世界中で環境問題となっています。また漂着ゴミとなった魚網が自然分解するために要する時間はなんと推定600年(!)。そんな漁網を資源として生まれ変わらせようというのが「amu」のプロダクトです。


加藤さんが移住を選んだ気仙沼市は、震災前も現在も、漁業が基幹産業の“漁師町”。震災後は、海の玄関口である内湾地区を中心に新しい街並みが整備され、お洒落で魅力あふれるエリアに生まれかわっています。そして以前番組でご紹介した移住者の一人で、気仙沼に一般社団法人「まるオフィス」を立ち上げ、若い移住者のハブとなっている加藤拓馬さんをはじめ、若い世代の活躍が目覚ましいのも気仙沼の特徴です。じつは加藤広大さんもそんな加藤拓馬さんの仲間のお一人でもあります。

神奈川県小田原市出身の加藤広大さん。まずは気仙沼と関わることになった経緯から、伺いました。

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「きっかけは、大学の授業で『ボランティア論』を受けていたんですが、その先生が夏休み前に“気仙沼で、こういうプログラムがあるから、参加しないか?”というチラシを見せてくれて、それに引っかかって来ました。いわゆる一般的な学生というか、“被災地を一回見ておきたい”という気持ちで。来てみたら瓦礫はなくて更地の状態で、ここからどうしていこうか、家をどう作っていこうか、というフェーズだったのをよく覚えています。ボランティアとしては『ワークキャンプ』というものをやっていたんですが、唐桑半島で学生10人くらいが10日間、空き家に共同生活をしながら、割とガテン系というか唐桑の地元住民の方と移住者の方が『唐桑丸』という街づくりサークルがあって、それのホームと言われる、みんなが溜まってくるプレハブ小屋みたいなのがあるんですが、そこにウッドデッキを作るプログラムで、10日間滞在しながら穴を掘って基礎を作ってというプログラムを実施しました。それこそワークキャンプという手法と気仙沼という土地、唐桑半島にどんどんハマっていって、夏休みは企画されたものに参加する側で行ったんですが、春休みからは自分が企画する側に回って、どういうものがこれから唐桑のためになるだろうということを自分なりに考えて、唐桑半島に実践しに行くという、ずっとそういう学生生活を送っていました。」


2015年にボランティアで初めて気仙沼へ。以後、学生時代は、年100日以上を気仙沼で過ごしていたという加藤広大さん。ボランティアがきっかけで地域との縁がつながったとはいえ、移住まで決意させたのは、いったい何が理由だったんでしょうか。

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「私自身が、大学3年の冬に大学を中退して、その時にインターンをしていた会社にそのまま入社をしました。3年間くらい猛烈に働いていました。サイバーエージェントという会社に行き、AbemaTVで番組を作ったりとか、営業とか、そういうことをやっていましたね。で、本当に偶然なんですが、部署が変わって、今まで自分なりに満足するくらいの裁量権を頂いて番組を作らせてもらったりとかをしていたんですが、なかなかそういう動きが少なくなりそうだなと感じたときに、どうしようかな?と考える期間が3か月くらいあって、その間に“久しく気仙沼に行っていないな”と思って、久しぶりに気仙沼に行ったんですね。学生の頃はずっと通って、1年間で100日以上気仙沼にいるような生活を送っていたんですが、もちろんメンバーも変わっていますしハード面もソフト面も3年経ってものすごく変わっている。そのスピード感もすごく早いと感じた滞在で、その時に、気仙沼に学生の頃から関わって、なんなら事業を起こしたいとずっと学生の頃から思っていて、じゃあそれはいつのタイミングなんだろう?と思ったときに、久しぶりに気仙沼に来たタイミングで、ここに乗り遅れたら、たぶん自分はこのまま東京で働いていくのかもしれない、気仙沼に行って新しい挑戦をする岐路な気がして。改めてこっちでチャレンジする選択肢が入ってきた感じですね。

就職面に関しては、振り返ってみると少し不安だったのかなと思うんですけど、でもやっぱり思っていたのは、今までのキャリアという自分自身が築いてきた轍を完全に途切らさせて別のレールにいたかというと、そうではないと思っていて、やっぱり今までの経験があったから気仙沼でできるチャレンジも変わってくるだろうし、そのつもりはさらさらないですけど仮に大コケして、もうこれはダメだとなったとしても、自分自身で今までやってきたことをちゃんとストーリー立てて喋れて、“今こういう状態にある”っていうことを、しっかりと語ることができるのであれば、重要なのは、決断をして、いま気仙沼にいるというこの時をしっかりと生きるというか、一生懸命に今をちゃんと生きている、胸を張れる状態であることが重要だということでした。」


“今を生きる”、“胸を張って生きている”、という気持ちを優先した加藤さんは、就職した会社を3年で辞めて、2019年に気仙沼へ移住。「地域おこし協力隊」のメンバーとして働きながら、自分が成すべきことを模索するうち、“廃棄される漁網をアップサイクルする”という、今の事業に行きつきます。

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「きっかけ自体は、友達とご飯を食べながら、こういうことをしたら面白いんじゃないか、というものではあるんですけども、やっぱり漁業は気仙沼に切っても切り離せないもの基幹産業でぶっとく幹としてあって、そこを支える企業がたくさんある。その構図がそもそも気仙沼だなぁと思うし、つまり、一人勝ちをしないというか、誰かが勝ったら気仙沼全体がグッと底上げされるという感覚がすごく好きで、共同体感というか。であれば基幹産業の漁業に連なる誰にもパイを取り合わない何かがあるんじゃないか?と思ったときに、いわゆる美味しい海産物を、動脈と静脈で例えるなら、美味しい海産物は動脈で、その動脈の量が多ければ多いほど、それによって生み出された廃棄物だったりとか、いわゆる静脈の部分も多いのでは?と思って、漁網というゴミとして捉えられていたものを再定義をし資源としてとらえて、また誰かの手に届くような、魂をもう一度吹き込むようなのがあれば、ものすごくステキなものができるんじゃないかと思ったのが、最初ですね。もともと、産業廃棄物として、キロ何十円か払っていたところに関していうと、二束三文ではあるんですが、一応、買取という形で回収させて頂いています。世界的には取り組み始めている企業さんがポツポツと出てきてはいるんですが、国内でいうと、いまリサイクル会社さんとパートナーを組ませてもらって、資源化してもらっているんですけど、そこの会社さんが2年前に初めて漁網をリサイクルできるプレスリリースを出されて、国内の中では基本的にゼロ。1社しかない。それほどまだまだな領域ということだと思いますね。実質いまはマグロ、遠洋延縄漁で使っているナイロンテグスというものに焦点を当てて資源化を行っていこうと考えています。ナイロン製のもの100%のプロダクト、例えばリュックだったりポーチ、あとはアウター、ダウンみたいなものもナイロン製の物が多いですし、ジャケットやTシャツも作れるかと思いますし、将来的にはそういうプロダクトのバリエーションも増やしていけるかなと思っていて、夏に漁網を使ったリュックから作りながら、遠洋マグロ船の漁師さんにインタビューさせてもらいながら10か月という長旅をどう快適にすごすかということに、ヒントを得まして、機能的かつデザイン性も担保されたトラベルポーチ、長旅に持って行ってもらえるような相棒みたいなところで、いまプロダクト開発をしている最中なんですけど、その回収する街ごとで協力をして頂ける方々と一緒に、ここで回収した漁網をこういう形に生まれ変わらせたら素敵だよねとその街の方々と一緒に考えていきながら、ブランド展開していけたらと思っています。」




(漁具のナイロンテグスをペレットに加工し、そこから繊維にするという工程)
(試作品のジャケット)
「いや〜気仙沼、ほんと最高ですね〜(笑)僕の興味関心が自分で事業をやってみたいということですけど、そこに対して面白がってくれるイケてる大人が本当にたくさんいらっしゃる。やっぱり挑戦がしやすい街というとすごく平たくなっちゃうんですが、でも、ドンと背中を押してくれる力強さというのには、毎日助けられていますね。そういう先輩方がたくさんいらっしゃるというのは、本当に励みです。」

(イケてる先輩のひとり、気仙沼みしおね横丁「プリズム」のマスターと)
地域の“イケてる先輩たち”に後押しされ、加藤さんの「amu(アム)」。漁網をアップサイクルした試作品のジャケットが完成し、今後は丈夫で機能的なポーチやリュックの製作を進めていくということ。そのほか、普通のリュックだけじゃなく、気仙沼の食材を使った缶詰などが入った、“気仙沼の魅力が詰まった防災リュック”を、夏に販売すべく準備を進めているとか。

加藤広大さんのFacebookページ

ちなみに「amu(アム)」というネーミングの意味は、「編む」から来ているという事です。地域に古くからあるものの、その可能性に気づいていないものを、編集・編纂・編成して魅力を引き出す、そんな思いが込められています。

現在クラウドファンディングも実施中です。ぜひ若い力のチャレンジを応援してください。

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