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22.06.09
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大熊の梨を千葉で復活させる〜22歳・果樹農家5代目の挑戦


今回のテーマは、「大熊の梨を千葉で復活させる〜22歳・果樹農家5代目の挑戦」。

舞台は千葉県北東部にある香取市。千葉県といえばあの「二十世紀梨」の生まれ故郷。全国有数の梨どころとして知られていますが、その千葉県に家族で移り住み、生まれ育ったふるさとの梨を復活させようと奮闘している若き果樹農家、関本元樹さんの物語です。

福島県大熊町出身。まだ大学を卒業したばかりの元樹さんは、亡くなったお父さんの跡を継ぎ、「フルーツガーデン関本」という果樹園の5代目として、いま毎日畑に足を運び、師匠である祖父のもとで梨づくりを学んでいる最中です。目指しているのは、福島第一原発事故で失われてしまった大熊の梨を復活させること。

関本家は、明治45年(大正元年)に創業した100年以上続く梨農家です。大熊町でいち早く梨づくりを始め、大熊に梨づくりを根付かせたいわば“パイオニアのような存在”だったといいます。

しかし2011年の震災と東京電力福島第一原発の事故により、原発が立地する大熊町はほぼ全域が「帰還困難区域」となり、全住民が住む家、生業を奪われてしまいました。関本さん一家も果樹園を手放し避難生活を送ることに。

ただ元樹さんの父・信行さんは、それで梨づくりをあきらめる方ではありませんでした。

◆◆

元樹)2年間会津に避難していたんですが、父母は農家で仕事がなく落ち着かない状態でした。父は“果樹をやりたい”という気持ちがどうしても抑えきれず、しかし大熊の原発の状況を考えると、とても帰れるのを待つという選択肢はない。違う場所で一からやりなおすしかないということで、父母は避難生活をしていた2年間で全国の梨畑を歩き回って、それで縁あって父の大学の後輩がここ(千葉県)の農園の法人の方で貸してくれるということになったんです。気候が似てないと栽培方法も違ってくるんですが、そういう条件もここが良かったので、この土地を選んで、家も少し離れた場所に買って今に至ります。千葉は日本一の梨の大産地。レベルの高い千葉で自分の実力を試すという意味でも千葉県というのは大きかったと思います。

高橋)関本家は代々の梨農家なんですか?

元樹)僕が5代目、祖父が3代目。初代が梨農家をはじめて、祖父の代からキウイを導入。父が代表の時は、梨、キウイ、洋梨もやっていました。父が梨、祖父がキウイ、加工と販売が母と祖母という家族経営だったんですが、こっち(千葉県)に来てからは、父一人で梨とキウイをやっていました。避難してから10年間くらいは祖父は畑に出ていなかったんですが、父が亡くなった年にキウイの収穫を頼まれて何年かぶりに畑に出たので、今はすごく楽しそうにしてますね。


避難先の会津から千葉県香取市に移住し梨づくりを再開、大熊の梨の復活を目指していた4代目の信行さんは、2017年に病に倒れ、永眠。元樹さんは父の死をきっかけに、5代目として農園を継ぐことを決意。移住後、農業から離れていた3代目の祖父・好一さんを師匠に、「大熊の梨・復活」を目指すことになりました。

◆◆

元樹)こっちに来たのが2012年の冬で、父が亡くなったのが2017年8月。だいたい5年くらい過ごしたんですが、父は技術者なので新しく覚えることがない。教科書がぜんぶ埋まっている状態だったので、こっちの畑でけっこうな改革を行なっていました。病気だらけの畑をマイナスからゼロに戻すところからスタートして、かなり良い状態で僕にバトンパスしてくれたので、いまは父のすごさを畑に行くたびに感じています。やっぱり農業である程度一人前になっていないと荒れた土地をまたゼロに戻すことはできないと思うんですが、僕みたいにまだ素人だとゼロからのスタートならいくらでも学びながら木とともに成長できる。ただ僕が高校卒業する年に父が亡くなったので、もしそこで大学に行かずに就農したとしても、父ほどの技術者でも苦労した畑を素人の僕がやっても上手くは行かない、だから“一度全部切って苗木を植えてからのスタートでいいよ”と祖父が言ってくれたんです。それで4年間大学で勉強して、そのあと新しい苗木を植えてゼロから木と一緒にスタートすることになりました。

高橋)おじいさんが元樹さんに大学進学を進めた理由は?

好一)まだ高校生だったもんですから、無理に農業をやっても楽しくできない。社会勉強だけでもしてきてくださいと。それから考えてやれば、自分の判断でできると思って、4年間はいろんな職業を見聞きして判断してくれと言ったわけです。産業大学だったもんですからいろんな職業を見聞きして、簿記もきちんと習って、経費や儲けもひと目見て分かるようになった。それだけでも非常に良かったと思います。

高橋)助言があってよかったですね。

元樹)本当に良かったと思います。亡くなったときは母も相当まいっていたので、息子としてできることは畑を継ぐことかなと感じていましたが、その大変さは祖父や祖母が一番わかっているので、新しい業界に飛び込む18歳の若造への農業者としての意見だったので、何も疑わず僕は信じました。


(父と母、そして幼き日に祖父の膝に抱かれる元樹さん)
元樹)僕は小さい頃から畑に行くのが大好き、梨も大好きだったので、父をかっこいいとは思っていましたが、いつか自分が梨農家やる、という想像をしたことはありませんでした。そのストーリーを書き換えられたというか“選択を早められた”という感じです。“いつかなるのかな”というのが18歳の時に選択を迫られた。大学入った時は“4年後は就農する”という気持ちは決まっていたが、本気でその気持ちが強くなったのは20歳くらいの時です。祖父にいろいろ教えてもらい始めたのがちょうどその時で。楽しそうに教えてくれるし僕にもわかりやすく工夫して教えてくれました。最初に農業の辛さを感じていたらこの先もずっと大変だと思ってしまうんでしょうが、祖父は最初に“楽しさ”を教えてくれたので、おかげで楽しくやれているので、本当に師匠がこの人で良かったと思います。


元樹さんが師匠である祖父と取り組む、「フルーツガーデン関本」の梨づくり。果樹園にも案内して頂きましたが、下草・雑草をあえて残していて、これが良い土壌を作るのだそうです。これは関本家に代々受け継がれてきたやり方なんだと教えてくれました。

そんな先祖代々のやり方で生まれる関本家の梨は、震災前は地元の大熊でも評判で、楽しみにしている人が大勢いたといいます。

◆◆

元樹)とにかく甘いと言ったらありきたりな表現ですが、母が言うには「切るたびに包丁に水が滴るくらいみずみずしい」。糖度は普通に高い方ですが、それも栽培者である自分たちが胸を張って言えるくらいだったので、“町でナンバーワンだぞ”という自信を持って、日々取り組んでいたんだと思います。なにしろ大熊町で梨を始めたのが祖父の祖父の初代。パイオニアであるし、キウイを導入したのも祖父。そういう率先して地域農業を盛り上げる人のことを「篤農家」というんですが、関本家はそういう存在だった。大熊町民に特産品はなにか聞けばみんな“梨とキウイ”と言われるくらい胸張って言える質だったので、僕も避難してほかのところでは梨を食べなかったです。ぜんぜん違くて。

高橋)じゃ、いま育てている梨、収穫が楽しみですね。まずおじいちゃんが納得するか・・・

元樹)じいちゃんは孫が作っているという嬉しさで泣きながら食べると思います(笑)。でも父が納得するかどうか。今年は数個できるので、出来たら真っ先に大熊のお墓に持っていくのは決めています。自分より先に食べさせたいので。

高橋)どう評価してくれますかね?

元樹)今年実を採る木を植えたのは父なので、美味しくなかったら自分のせいだよって言います(笑)


(元樹さんの植えた苗木と、父が植えた木に付いた梨の実)
元樹)いちばん思っているのは、父のようになりたい。小さい頃から農家になるというプレッシャーはぼく感じたことはなくて、父の背中を見て育って、今に至っています。背中を見せていたら同じ道に来るんだということを、僕が一番知っているので、そういうパパになりたいなと思っています。で、そのことがいちばん嬉しいのがこの人(祖父)で、“自分の息子が、その息子に夢を見させるような男で嬉しい”とよく言っています。

高橋)お孫さんと一緒に畑に出られる喜びというのは、どんなものですか?

好一)自分のやってきたことが間違ってなかったと思って、大変嬉しい。梨は量は少ないですが、息子が植えた木が何本かあって、5個か10個なっている。それを眺めるだけでも、孫を眺めているみたいな気持ちです。

元樹)ちょきちょきしながら考えているんですが、僕が育てているというより“お父さんが植えた木を代理で育てている”と捉えています。なのでかなり感慨深いですね。形見に命が宿っているというのはすごく良いことだな、木たちも喜んでいるだろうなって思います。


亡くなった4代目・信行さんが植えた30本の梨の木の一部は、9年の年月を経て、今年初めて実をつけます。桃栗3年柿8年、梨の馬鹿18年というように、まだ本来は木を太らせるために実は付けさせないのですが、じつは父が植えた梨、品種が何か不明ということで、その確認のために実を付けさせるのだそうです。この夏初めてとれる梨は、まず大熊にある信行さんのお墓に持っていくということ。一方で元樹さんが去年植えた120本の苗木も今スクスクと育っています。

大熊には震災前50軒の梨農家があったといいますが、避難先で果樹園を再開したのは関本家だけ。“大熊の梨をもう一度食べたい”と願う大熊町民・元町民の方々からも激励の声が届いているという事です。

今はキウイを育て出荷しながら、近い将来の梨の収穫へ向けて歩む「フルーツガーデン関本」。5代目の挑戦を、天国から、4代目・信行さんが目を細めて見つめていることでしょう。

「Hand in Hand」、「大熊の梨を千葉で復活させる〜22歳・果樹農家5代目の挑戦」でした。

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