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22.10.29
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双葉町で生まれる唯一無二のタオル、『ダキシメテフタバ』浅野撚糸レポート


今回のテーマは、「双葉町で生まれる唯一無二のタオル、『ダキシメテフタバ』浅野撚糸レポート」。福島県双葉町に新工場「浅野撚糸双葉スーパーゼロミル」を建設した繊維会社、「浅野撚糸」の取り組みについてお伝えしました。


【今回のダイジェスト動画はこちら】
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双葉町で生まれる唯一無二のタオル

福島第一原発が立地する双葉町は、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の影響により、全住民の避難が続いた町。今年8月末に「特定復興再生拠点区域」の避難指示が解除となり、ついに住民の帰還が始まりました。そんな双葉町で復興の先がけとして整備された「中野地区復興産業拠点」に、新工場「浅野撚糸双葉スーパーゼロミル」を建設し、進出した繊維会社が「浅野撚糸」。新工場は来春グランドオープン予定です。“働く場所”としてはもちろん、この工場から生まれる商品、双葉町と浅野撚糸が共同開発した「ダキシメテフタバ」は、町を代表する製品として期待を集めています。

浅野撚糸は岐阜県に本社を構える1967年創業の繊維会社。現代表の浅野雅己さんは教職(体育の先生)に就くことを目指し福島大学へ進学。卒業後、小・中で4年間教鞭をとり、27歳の時に家業を継がれました。しかし当時は安価な外国製品に押されて日本の繊維業界は厳しい状況。「浅野撚糸」も廃業の危機に直面するほどの状況だったといいます。

そこで取り組んだのが、ほかには無い独自の技術、独自の製品を生み出すこと。5年の歳月をかけて、“魔法の撚糸”と呼ばれる「SUPER ZERO」を開発。この素材を織り込んだタオル「エアーかおる」は大ヒット商品となり、会社はV字回復を実現しました。

そんな浅野撚糸が双葉町と共同開発したタオル「ダキシメテフタバ」は、浅野撚糸の技術を結集した“唯一無二”と言われる肌触りが特徴で、また売り上げの一部が双葉町のために活用される、という商品でもあります。

双葉町への工場の進出、その背景にある思いを、浅野撚糸株式会社代表、浅野雅己さんに伺いました。

◆◆

高橋)今回、双葉町に工場を作ろうと思ったのは、大学時代、福島で過ごしたことがきっかけになっていたりするんですか?

浅野)それで来るような甘いプロジェクトではないのですが、でも福島大学を出ていなかったら福島に来なかったかな。いちばんの理由は、2011年3月11日を私は岐阜で迎えました。その後、あぁ・・・と思ったけれども、情けない話、一度も福島に行けてなかった。行ったら1週間、10日、1か月、そこまでできないし、そういう自分に対する自責の念というのをずっと抱えていました。

高橋)そんな中での工場進出、すごい決断ですよね。工場めちゃめちゃ大きいじゃないですか。

浅野)12市町村ある中、候補地となる場所を全部回りました。でもここだけは町長も出てこられました。ここに来たときは、黒い袋(フレコンバッグ)がズラ〜っと並んでいて、町長が“ここだけじゃなく、町を見て欲しい”と。駅の近くを案内してくれました。その時はほとんど(建物が)壊されていなかった。私と家内と息子と一緒に行ったんですが、(人が住まず放置された家々を見て)なんとも言えない、涙が出てきますよ。あの表現って難しくて、「ダキシメテフタバ」というブランド名はそこから来たんですが、我々が抱きしめに行く、そういうレベルじゃなく、こういう環境であっても、この町はもう一度起きてくるんだという、お前らも頑張れよ! みたいな。なにか抱きしめられているような、町長をはじめ皆さんがすごく元気だったの。夢も語ったし。だから家族で、家内と息子とそして入院していた父親と相談して、家族全員で“やろう!”ということになりました。

高橋)それこそ双葉からの発信、浅野さんが作られている「ダキシメテフタバ」を多くの方に知ってもらうのって、めちゃくちゃ大事ですね。

浅野)我々は同情だけで来ていません。今まで本当に潰れそうになってきたので。ただ我々は撚糸屋です。この福島の工場は、双葉「SUPER ZERO」という糸を持っています。これは我々が特許を持っている世界で誰もマネができない“糸を膨らます技術”なんです。だからもちろんここは世界中から注目される、我々は「SUPER ZERO」を世界に売っていこう! この糸を双葉から世界に発信して、我々が成長することによって、この双葉も成長するだろうと。三方よしですよね。同情だけできていたら3年しか持たない。しっかりと儲けてしっかりと会社を大きくしよう! という、経営者としての野心も・・・皆さん失敗すると言うけども、私は成功を確信してここへ来ています。

高橋)この工場で「ダキシメテフタバ」を製造される?

浅野)ここは「糸」を製造します。いちばん力を入れているのは、売り場であったり、「キーズカフェ」というカフェも入ります。コンサートとか色んなことをやりたい。それをできるようにします。それから日本中の中小零細企業は苦しんでいる。我々のように下請けで潰れそうになってね。でも新しい糸を開発したり、自分でブランドを作ったり、社会に貢献したり、世界に打って出ることは、ウチみたいな撚糸業という斜陽中の斜陽でもやれるんだ! ということを見に来て頂きたい。ここは地元の方から10人雇用できたし、岐阜からも高校卒業の子、7人くらい来てくれるかな。15人くらいが10代、もしくは20歳そこそこの子で経営します。考えられないですね、ここ出身であることすら隠している人も多いというのに。それでもここの周りの高校生たちは入ってくれるんだもの。みんな最初にウチに対して“ありがとうございます”と。ここへ来て頂いてありがとうございますという事ですね。それから、“一緒に復興させてください”というのが2番目の理由。世界中の人達がここを見に来て、若い子たちが堂々と仕事をやっているその姿を見て、やっぱり日本人ってすごいな〜と、そこを見て頂きたい。同時にウチの技術も感性も世界に発信していきたいなと思っています。


力強く工場進出への思いを語って下さった「浅野撚糸」浅野雅己代表。新工場を建てた双葉町は、まだ多くのエリアが帰還困難区域となっていますが、特定復興再生拠点区域のうち、まず常磐線の全線再開に合わせ、双葉駅周辺の避難指示が2020年春に先行解除。「東日本大震災・原子力災害伝承館」などが開業し、そして今年8月末、双葉駅周辺の約555ヘクタールも解除となって、2011年3月の事故以降、県内で唯一全町避難が続いていた状況が解消、11年ぶりに町内での居住が可能となりました。

浅野撚糸をはじめ、復興産業拠点への企業の進出も進み、今後さらに復興の歩みが加速していく状況となっていますが、そんな双葉町のこれからについて、8月に業務を開始したばかりという真新しい町役場で、伊澤史朗町長にお話を伺いました。

◆◆

高橋)双葉町の真新しい庁舎に伺っていますが、町の復興にとって、新しい庁舎が業務スタートしたというのは大きな一歩ですよね。

伊澤)そうですね、JR常磐線の双葉駅のすぐ東側に役場庁舎があることは、町民の皆さん、全国各地から来られる人の利便性は上がっていると思います。

高橋)特定復興再生拠点区域。いくつかのゾーンに分けて復興を進めているのが双葉町ですが、その計画を教えて頂けますか?

伊澤)「双葉町復興まちづくり計画」、第一次、第二次、そして今回第三次の策定をしてくのですが、第二次の構想で、町のゾーニング、中心拠点はどういうゾーニングをするか、人が住んで生業はどうするか、新しい産業をどうするか、農業再生はどうするか、といったゾーニング分けをしているんですが、それが決まってそこに必ず入れるというわけではない。ある程度ゾーニングというのは変わってきます。特に復興産業拠点ということで、中野地区で企業誘致をしたんですが、今21件24社の立地協定、締結しています。そのうちすでに13の企業が操業していて、こんな田舎のドへんぴなところに企業の皆さんが来て頂いて、しかも今でも双葉に進出したいという企業の皆さんがあって、申し訳ないんですが満杯状況になっているんです。

高橋)そんな満杯になる状況について、伊澤町長は予想されていました?

伊澤)全然予想できなかったです。ただ我々は企業にきて頂くのに、いわゆる底地、土地は全部借地なんですが、ものすごい安い料金で提供しています。あとは国の企業立地補助金、これは最高で4分の3、補助が出ています。簡単に言うと1000万のものが250万で作れるということですから。それだけのメリットは出すと。やはり仕事がなかったら戻ってきても生活ができないと。雇用をしっかりしたものにしようということでやらせて頂いたら、いま申し上げたように24社が立地をしていただくということで、雇用の部分ではかなり充足されるのではないかとしています。

高橋)今回取材をした、町と浅野撚糸が共同開発した「ダキシメテフタバ」。これについてはいかがですか?

伊澤)きっかけは中部経産局。ウチの町に応援に来てくれているんです。その職員が“浅野撚糸さんが福島県に工場を作る”と。これは“絶対ウチに来て欲しいな”と。その時に福島県内の自治体で5つの自治体が浅野撚糸の工場誘致で、いわゆる“取り合い”ということになっていて、ウチの町にも浅野撚糸の社長や役員の人たちが現地視察ということで来て頂いたんです。これは私自身が現地を案内させて頂きました。“5つの自治体の中で首長が案内したことはなかった”と浅野社長にも言われましたが、我々はけっきょく後発の町でいちばん最後に手を挙げて逆転サヨナラを狙うわけですから、自らやるということと、いかに浅野撚糸に来て欲しいか、我々の想いを伝えることに徹すると。当時の副町長が岐阜の浅野撚糸まで行ってお願いをした時の感触を聞いたら、はじめは5つ自治体のうち、“ウチは3番手くらい”だと。じゃあどうやって1番手に上げるか。我々の取組としては、まず私が行って現地で熱く説明をする。この双葉の被災状況を、隠さず、これだけ大変なんだと逆に見てもらったと。夜も一緒に飲みながら胸襟を開いて話をしたら、じつは浅野社長がプロレスが大好きだと。私も大学時代、「週刊ゴング」を毎週買っているくらい大好きで、年代が近いもんですから当時のプロレスをものすごく知っているんです。プロレスの話で一日にして旧知の知人みたいになったというのは一つ効果があったと思います。社員の人達も“双葉は一番厳しいところ”だと。“一番厳しいところだからこそ、我々は福島の復興に応援をしたいという想いでやるんだから、ココでしょ!”という話でまとまったらしいんです。あとで浅野社長に、“ウチは5つの自治体の中で3番手だったんですか?”と正直に聞きましたら、“伊澤町長、申し訳ないけど、3番手からかなりかけ離れていた4番手だった”と言われまして。えらい世界だったなと今でも笑い話で、逆転サヨナラ満塁ホームランみたいな感じだったんです。

高橋)そんな浅野社長の会社が作られる「ダキシメテフタバ」。さっきマフラータオルを頂いたんですが肌触りがよく、だから“大好きな吸水タオルが双葉という町で作っているんだ!”と知って、双葉に入る方もいるかもしれないですよね。

伊澤)結構、認知されてきていますね。町としても来て頂いたプレゼントに使って頂くということで取り組んでいます。


高橋)双葉町、今後、こんな町にしていきたい! というのはありますか?

伊澤)駅の西側に、町民たちのため町で23ヘクタールの用地を取得したんです。まだ80%が帰還困難区域で戻れないエリアになっているんですが、その人たちも戻って住めるエリア、災害公営住宅だったり、再生賃貸住宅であったりをまず建てると。住みやすい環境を整備しましょうということで、低層階、太陽光も入れて、自分でエネルギーを再生させることと、再生エネルギーでモビリティなどもシェアして使ってもらえる構想を、いま作っています。いちばんは双葉駅の西側を降りた瞬間に、“この町、他の町と違っていい町だな”という印象を持ってもらえるような景観をつくる。車社会ですけれどもあえて歩行者優先の町並みをつくろうと、西側は無電柱化しました。東側はそれとは真逆の活発な、ビジネスだったり動きのあるような町というイメージで作っていけたら、ちょっと双葉って面白いんじゃない? と関心を持って、ここにきたらチャンスがあるんじゃないかという町になれば、必ず元の町以上に魅力あふれる町になるんじゃないかと思っています。



「双葉町で生まれる唯一無二のタオル、『ダキシメテフタバ』浅野撚糸レポート」。

肌触りと吸水性に優れた「ダキシメテフタバ」。小さな町なのに甲子園に3回出場している町のシンボル「双葉高校」のカラーの深緑(フタバグリーン)、町の花・桜のピンク(フタバサクラ)、福島県で唯一快水浴場百選に選ばれている双葉の海のブルー(フタバマリーン)等、カラーはさまざま。バスタオル、フェイスタオル、マフラータオルなどラインナップも豊富に用意されています。エアーかおるダイレクトから購入できます。


【プレゼントのお知らせ】
今日はもちろんこの浅野撚糸「ダキシメテフタバ」のシリーズから、マフラータオル、「フタバグリーン」、「フタバサクラ」、「フタバマリーン」の3色をセットにして、3名様にプレゼントします。唯一無二の肌触りと魔法の吸水性をぜひ試してみてください。

ご希望の方は、まず動画をご覧になってキーワードをチェックしてください。動画の中で、浅野撚糸代表、浅野さんに、“ものづくりでいちばん大切にしていることは?”という質問をしていますが、その答えがキーワードです。キーワードを書いて、メールフォームからご応募ください。

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