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23.01.21
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サッカーの聖地、そして復興のシンボル、『Jヴィレッジ』の今


今回のテーマは、「サッカーの聖地、そして復興のシンボル、『Jヴィレッジ』の今」。

福島県楢葉町と広野町にまたがるサッカーのナショナルトレーニングセンター、「Jヴィレッジ」でのレポートをお伝えしました。


【今回のダイジェスト動画はこちら】
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サッカーの聖地、「Jヴィレッジ」の今

昨年末のサッカーW杯、グループリーグでドイツとスペインを破り、決勝トーナメントに進出した日本代表に歓喜された方も多かったのではないでしょうか。そんな男女の日本代表も合宿を行ってきたサッカーの聖地が、1997年に日本初のサッカーナショナルトレーニングセンターとして誕生した「Jヴィレッジ」です。

東京ドーム約10個分の広大な敷地には、天然芝と人工芝、10面以上のピッチ面があり、そのほか全天候型の練習場、フィットネスジム、ホテルや会議室も完備。サッカーだけでなく幅広い利用が可能な施設です。サッカーの日本代表が合宿を行う“日本サッカーの聖地”としても知られ、震災前は年間50万人の人々が訪れていたといいます。広大な敷地に広がる芝生の青々とした風景は地域の自慢でもありました。

しかし2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発事故により、ここが収束拠点となったため、休業を余儀なくされ、その後2019年春、震災から8年を経て全面再開しました。

事故直後、ピッチには砂利やアスファルトが敷き詰められ、駐車場やヘリポート、資材置き場に変貌。元の風景に戻ることは、当時誰も思い描かなかったのではないでしょうか。そんなJヴィレッジの震災からここまでの歩みを、溝口文博さんに伺いました。

◆◆

高橋)溝口さん、現在、肩書としてはJヴィレッジの“取締役”ですが、震災当時はここが拠点のなでしこリーグ「マリーゼ」の幹部だったとか?

溝口)そうです。その時はチームの部長で、フロントや経理をやっていました。当時2011年は、なでしこで優勝した時のメンバーで言うと、丸山桂里奈さんとか鮫島彩さんとか、そういった選手たちと一緒にやっていました。

高橋)2011年の震災。突然ホームに帰って来られない状況になったと思うのですが。

溝口)震災の2日前から宮崎でキャンプをしていまして、宮崎で地震を知りました。津波が来たという事と、選手たちは東京電力の社員でもあったので寮が双葉町にあって、そこにも戻れない。なので選手たちを実家とかに戻す作業を宮崎でしていました。なにしろグラウンドが使えない状態だったので練習も出来ない、試合も出来ないだろうということで、選手たちが活躍できる場所を探そうと、移籍先探しなどに奔走してました。

高橋)Jヴィレッジに戻って来られたのはいつ頃?

溝口)私は3月17日にこちらに戻ってきて、それから備蓄食料といったものの仕分け作業をやっていました。

高橋)このすごくキレイなフィールド、その時はぜんぜん違うものでした?

溝口)そうですね。消防車、装甲車、警察の車両とかが道路や敷地内に沢山停まっていましたね。

高橋)当時は先がなかなか見えない状況だったのかなと思うんですが、そんな中でも、“このJヴィレッジは、再び活動するんだ、復興するんだ、再興するんだ”という思いは、秘めていらっしゃいましたか?

溝口)そうですね。やはり今までサッカー選手たちをはじめ、ここに魅力を感じて来てくれる人たちがいたので、そういう人たちのためにも、やはり再開したいという気持ちはありました。

高橋)実際に再開されたのは?

溝口)2018年7月に一部再開、そして2019年4月に全面再開しました。

高橋)再開したときのお気持ちはどうでしたか?

溝口)2019年の全面再開の日はJヴィレッジの駅も開業して、当日のイベントにはおそらく2万人近い方が参加してくれて、もう嬉しいという気持ちしかなかったですね。

高橋)以前のJヴィレッジを私は見たことがないのですが、以前と比べて良くなった!というところもあるんですよね?

溝口)そうですね。まずこの(私たちがいる)全天候型練習場は、震災後に新しく建てられた建物で、もうひとつは117室のホテル棟です。震災前よりもグレードアップしたJヴィレッジになっていると思いますし、あとグラウンドの芝生も若干種類を替えたりして、より喜ばれるような施設に生まれ変わったと思っています。

高橋)震災後、福島は風評という課題もありました。これに対してJヴィレッジとしてはどのような対策をしていたんですか?

溝口)我々はここに住んで地元で採れたものを食べて生活をしているので、まずはJヴィレッジに来て頂いたお客さんに、地元の県産品を食べて頂くことで風評払拭を。あと交流人口の拡大という事も、“福島復興のシンボル”ということで担わせて頂いているので、大きなサッカー大会やいろんなスポーツ団体の招致、教育旅行といったところを、ハブとなって呼べるよう、営業活動とかを継続しながら、それを今もやっているところです。


2011年、原発事故後のJヴィレッジ(Jヴィレッジ提供)






現在のJヴィレッジ(Jヴィレッジ提供)







溝口)駅から近くて、ここまで来て頂くとグラウンドまで歩いていけますし、フィットネスセンター、ジムだったりプール、体育館もございます。「ナショナルトレーニングセンター」ということで、一般の人は泊まれない、アスリートしか使えないと思われている方が多いんですけど、そうではなく普通のビジネスホテルみたいなホテル棟もございますし会議室もございますので、色んなカテゴリの方に使って頂ければと思います。

高橋)ランチもありますよね! オススメというか推しを教えてもらえます?

溝口)地元、いわきから取り寄せた魚介類を使った“潮目丼”や、伊達鶏をつかった“パイ包みのシチュー”とか。ぜひぜひご賞味頂ければなと。

高橋)そう、海も近いですもんね。

溝口)サーファーの隠れたスポットにもなっているんです。我々のプランにも“サーファー宿泊プラン”みたいなのもありますので、ぜひぜひ!




高橋)そして先月、「Jヴィレッジ」をメイン会場に「Jヴィレッジハーフマラソン」が開催されました。県内外から約1600名のランナーがエントリー、広野町と楢葉町を巡るコースを駆け抜けました。地域に根付く“復興マラソン”である「Jヴィレッジハーフマラソン」。今回で3回目の開催ということで、どんな感慨がありますか?

溝口)昨年が2年ぶりの開催で今回が2年連続の開催。新型コロナでリアルなマラソン大会が少ないなかで喜びの声が多かったですね。やっぱりリアルはいいなぁ〜と。



◎横浜から参加した男性
「知り合いの方が富岡でワインのブドウの製造をしていまして、そのボランティアで参加していて、今日大会があると聞いて来ました。前半下りだったのですが、ラスト1キロ登りがめちゃくちゃきつかったです。横浜と違って空気がキレイで美味しかったです。海もめちゃくちゃキレイで、夜がもう海と月の光が凄いキレイで、感動しました。横浜にはない景色なので良かったです。」

◎富岡町に移住した夫婦
「富岡町から来ました。神奈川から8月に移住してきました。4年前からボランティアで通っていたんですが、この町がいいなと思って思い切って移住しました。Jヴィレッジのマラソンはタフで厳しいコースでした。アップダウンが。。。浜風もありますしね。でも走り終わったあとの楢葉のお芋とか豚汁とかホッとしました。おもてなしが最高ですよね。」


そんな声も聞かれた「Jヴィレッジハーフマラソン」。小雨交じりで寒風が吹く厳しいコンディションながら、走り終えたランナーの皆さんは晴れやかな表情をされていました。

復興のシンボルとしてJヴィレッジが描く“これから”について、溝口さんの思いとは。

◆◆

溝口)双葉郡8ケ町村すべてのハブにJヴィレッジがなって、ここを訪れた方にそんな8ケ町村の素晴らしさとかをPRして、Jヴィレッジだけじゃなく、そこに足を運んで頂けるような発信もしないといけないと思いますし、あと2024年からインターハイのサッカーがJヴィレッジで固定開催されますので、全国から選手や父兄の方がいらっしゃいます。そこで強い発信といいますか、福島の復興シンボルとして交流人口の拡大をやっていき、風評払拭、それをより発信できるような運営していきたいと思っています。



【プレゼントのお知らせ】今回は高橋万里恵がJヴィレッジの売店でチョイスした、サッカー日本代表・サムライブルーのグッズ詰合せを、3名様にプレゼントします。

巾着袋として使える体操服バッグに、筆記用具各種と、サムライブルーの缶に入った“サッカー日本代表プリントクッキー”も入れてお届けします。



ご希望の方は、まず動画をご覧になってキーワードをチェックしてください。

動画の中で、Jヴィレッジの溝口文博さんに、“Jヴィレッジのポリシーは?”という質問をしていますが、その答えがキーワードです。

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