千葉・館山の老舗宿 防災キャンプ場として再出発!
今回の舞台は千葉県館山市の漁師町、富崎地区の布良(めら)。房総半島のほぼ南端にあり、目の前には太平洋という、人口およそ350人の静かでのどかな港町です。
この町で2019年の台風15号の被害から再生を果たした象徴的な場所が「富崎館」です。もともとは明治から続く老舗の民宿なんですが、19年の台風で建物がたいへんな被害を受け解体を余儀なくされ、その後実に3年をかけて新たな業種にチャレンジ。民宿の跡地を活用して、“防災機能もあるキャンプ場”として生まれ変わりました。
お話を伺ったのは、6代目、社長の八代健正さんと看板娘の美歩さんです。
―――めちゃめちゃ良いロケーションですね!
健正さん「いま海が見えているんですけど、もともとここはお風呂のあった場所で、浴槽の中から夕日が見えるみたいな、だから浴槽の中でお話ししているみたいな位置ですね。この上に昔は「富士」と言うお部屋があって。富士山が見えるお部屋だったんです。なので、このキャンプサイトの名前は「富士」にしました。お隣のサイトは「大島」で、宿だった時は「大島」と言う一番広いお部屋で、この沖に見える伊豆大島が見える部屋だったんです。だから、“お外で寝る富崎館”を再生したと言う感じですかね。」
―――2019年の台風の被害はいかがでした?
健正さん「屋根は残ってはいたんですけど、瓦の半分以上が吹き飛ばされちゃって、外壁も穴が開いて窓も割れた状態だったので、基本的には建物全体が水浸し。1階から2階まで全部、床もびしょびしょ状態でしたね。その時、休業をしている状態だったので、富崎館をいつか復活させようとは思っていたんですけど、これは無理だろうなと思ったんですね。その時に、娘がまだ岐阜県の方でずっと空手の修行したりしていたんですけど、娘から「これで終わりだね」とメッセージがきたのをいまだに覚えていて。それぐらい再生は無理な状況でした。これは諦めるしかないのかなと、その時は思いました。」
―――再建は無理と思った気持ちに変化があったのですか?
健正さん「地域の方たちから「どうするんだ?」とお声をいただいて。「富崎館が、この布良にあることは大事だ」と地域の方々から言われて、再建の方法を考えてみようかなと思ったんですよね。古い歴史のある商いだったので、地域の人たちが「宴会やんべぇよ」と言って富崎館を使ってくださるとか、昔は結婚式を富崎館でやったと言う人もいて。なんだかんだ使っていただいていた。もう一つは、館山市の中でも人口減少が一番激しい地域で、自分たちの住んでいる場所、故郷、生まれた場所が消えていくんじゃないかという恐怖感の中にいるんだと思うんですよね。そういう意味では、富崎の商売がまたひとつ消えていくことは不安材料のひとつだったんだろうなと思いましたね。」
―――美歩さんの存在も大きかったですか?
健正さん「正直、旅館としての再建は資金的にも厳しいと思って、何かの形でやろうとは思ったんですけど、それが明確に、食堂とキャンプ場をやるという形を描けたのは、「美歩もいっしょにやろうかな〜」と言い出したのがきっかけでした。2人だったらやれるかもな、というところから計画をリアルに作れたという」
美歩さん「やることをいろいろ悩みながら、こっちに帰ってきたんですけど、お父さんがやると言うから、一緒にやってみようかなと、面白そうだなと。あと勢いで一緒にはじめちゃいました。食堂は面白そうですし、自分も飲食店の経験が多いので、キャンプ場は実はキャンプに行ったこともないし、やろうと思ったこともないので、ほお〜と思ったんですけど、出来上がって見たら、素敵じゃん!と思っています。」
千葉県館山市 布良の老舗宿を、昨年キャンプ場「富崎館」として再生させた6代目健正さんと、娘の美歩さん。このキャンプ場というアイデアは、「布良に宿泊してもらえるところを残したかった。建物が使えないのなら、外で寝てもらうキャンプで良いんじゃないか」と発想したもの。また、2019年に経験した大きな災害を教訓にしたものでもあるのです。
―――このキャンプ場は、防災機能としても活用したいとか。
健正さん「この地域の8割の屋根が破損して、その多くが雨漏りし続けたんです。雨漏りを早く止めなくちゃいけないというのがひとつと、雨漏りの中で生活している人を何とかしてあげたいという思いがあって、じゃあ仮設住宅を・・・と思ったんですが、仮設住宅をどこに作るんだとなると、公的用地はいろいろな事情があって用意できない。じゃあ自分の家なら良いじゃんと言うことで、普段商売としてキャンプ場をやりつつ、いざという時はテントをそのまま貸し出して寝ていただく機能を持てば良いじゃないかというのがひとつの発想ではあったんです。そもそもキャンプってある意味、仮設住宅の代わりになるんじゃないかなと思っていて。まだ規模が小さいので、少しでも安心を提供できればと思っています。」
健正さんの隣には真っ白な愛犬・ハチノスケ。そして美歩さんの膝の上ではもう一匹、新たに家族になったばかりの小さなワンちゃんがすやすや眠っていました。
―――美歩さんは8年 布良を離れて戻ってきて、この布良の良いところに気づくこともありました?
美歩さん「何もないのが良いなと思います。岐阜に住んでいるときは忙しくて慌ただしく、犬を膝に乗せてぽけっとしようと思った事はなかったです。ここにいると、まだ事業が軌道に乗っていないから余裕は無いけど、勤めて良いお給料もらっている時より、自分の幸福度が高いと思います。準備の段階から結構自分たちで手をかけて、つぎはぎだらけの食堂だと思っているんですけど、つぎはぎだらけの食堂で、準備段階からお父さんとハチノスケと3人で力合わせて準備して、看板の犬も1匹増えてとっても幸せだなーと。おばあちゃんも最近手伝ってくれます。最後の女将のおばあちゃん。」
―――地元の方の喜びの反応はいかがですか?
健正さん「皆さん、応援してくださいますね。「頑張れよ」「どうだ、商売、成り立ってか」と声かけてくれますね。あと金土は夜の営業もしているんですけど、地元の人が飲みに来てくれたりしてありがたいなと思いますね。」
―――我々もランチをいただきましたが地魚フライやアジのなめろうが本当に美味しくて!
健正さん「娘と、ここだけはぶらさないでいようと決めているのが、地魚を使うこと。南房総でとれた魚だけを使うということで、そういう意味でお刺身をお勧めしています。今週末は、7種類の刺身を使って、アジ、ワラサ、イサキ、スズキ、クロダイ、メジナ、ヒラメで7種類の刺盛り作っていたんですけど、早々になくなってしまって。」
―――健正さんにとって布良の魅力は?
健正さん「誰にでも合う富崎地区、布良ではないと思うんです。ここが好きと言う人が深く愛せる要素があるというか、ある意味凄く偏った地域だと思うんですよね。海がすごいきれいなんだけど、風も強いし、暮らしているとすごく感じるのは島にいるみたいと思うんですよ。風の流れとか。湿気も強いし。離島にいるみたいな気持ちになる。だから僕はすごく自由を感じるというか。昔は一本釣りの布良、歩いて5分の相浜はみんなでやる網の漁。布良は一人一人が自由勝手にやる、協調性がない中級者なのかもしれないですね。それが、すごく魅力だと思います。みんなが自由に生きているというか、過干渉がない。移住先としては住みやすいんじゃないかなと思います。
―――これから春以降、キャンプ場のアピールポイントお願いします!
健正さん「山のぽつんとしたキャンプ場と違い、この地域の生活を感じることもできるマニアックなキャンプ場だと思います。目の前に太平洋が広がっていて、夕日が沈む。私たち親子が営む食堂がすぐそこにあるので、キャンプ疲れしたら、食堂で生ビールも飲めると言う手軽さがあります。キャンプに来てまで生ビールを飲まなくてもいいじゃないかと言う向きもあるかもしれないが(笑)、そこが富崎館と言うことで楽しんでいただければ嬉しいと思います。」
千葉・館山の老舗宿 食堂と防災キャンプ場として再出発した「富崎館」。
詳しくは富崎館のHPをご覧ください。
来週の「Hand in Hand」は、毎月11日、月命日として福島でキャンドルナイトを開催しているキャンドルジュンさんの活動をレポートします。