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23.03.11
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「絶望の場所であり、命を学んだ場所」 生徒に伝えたい想い


「私は走り出した。
高校の下に老人ホームがある。そこで助けを求めている人たちがいる。
しかしその老人ホームの中は想像を絶するものだった・・・」

12年前、800人以上が犠牲となった宮城県南三陸町。当時高校1年生で、高台にある志津川高校 野球部の部活動中に被災した首藤大知さんは、高校のすぐ下にある老人ホームに第一波が押し寄せた直後、部活動の仲間と共に救命活動に走ったと話します。

その後、首藤さんは大学卒業後、教師になり、現在は石巻市の中学校で生徒たちに自分の体験を話し、命の大切さや防災について教えています。子供たちの命を守る立場となった今、当時の行動について聞いてみると、「後悔はない。でも正解だとは思っていないです。」と話してくださいました。


石巻市立蛇田中学校。卒業式を間近に控えた3年6組の生徒たちは、「自分だったらどう行動するか」 そう考えながら先生の声に耳を傾けます。

「南三陸町はすごく被害が大きくて、町が水の下に入っていく様子をずっと高台にある学校から見ていました。志津川高校の下に老人ホームがあって、その老人ホームが避難所になってたんです。避難場所になっていたにも関わらず津波がきてしまったんです。だからたくさんの方が逃げてきたんだけど流されてしまった人がたくさんいました。だから避難場所だからって安全ではないってことを覚えておいて欲しいと思います。

その時、第一波がきたけど、今できることって何だろう? 助けられる命があるかもしれない、って考えて、先生たちに相談せず、サッカー部や野球部の中で、行きたい、行こうよって、第二波が来るまでの間だったら何とかできるんじゃないかって自分たちで話し合って行きました。誰か生きているかもしれないと突っ込んでいきました。だから息している人も息してない人も、生きてるか死んでるか判断できないから全部運びました。死んでるかもしれないけど全部運んだ。だからすごく悲しい想いをした場所でもあるけど、生きている意味って何だろうとすごく考えた場所だなと。絶望の場所であり、命を学んだ場所でもあります。
それをふまえて、【あなたが、震災時に一番大切にしたいことは何ですか】
そして、【震災が起きるまでに、できることは何ですか】 これを考えてみてください。」


【あなたが、震災時に一番大切にしたいことは何ですか?】
そう問いかけられた生徒たちは、「何があっても諦めない気持ち」「助け合うこと」「守れる命を守る」など、悩みながらそれぞれの想いを言葉にしていました。

第一波では、津波が町をのみこんでいく様子や、逃げ遅れた人を高台にある校庭からただただ眺めているだけだったと話す首藤先生。その後の行動について詳しく伺いました。

―――生徒だけで老人ホームに降りていって、まず最初に目にした光景覚えていますか?

「まず足の膝上まで水につかった状態で建物の中は真っ暗で、うめき声しか聞こえない状況でした。その声がする方向へ向かっていく形で。私が最初に見つけたのはベッドとベッドの間に挟まって、泡をふいて死んでしまっている方でした。その方の下にうめき声をあげている人がいて、その方を助けたいと思ったんですがベッドが3つ重なっていたので私一人ではどうすることもできなくて、こっちに人がいますと伝えて、次の人を探して、乗せられる人は畳に乗せて運んで救助活動していたのは覚えています。」

―――津波を見て恐怖だなと思うより、自分たちが行かないと、という気持ちの方が大きかった?

「高校生だからこそ気持ちが幼いというか、恐怖心より、自分が今助けられる人がいるならやらなきゃという。もしかしたら命の危険もあったと思いますがそこは全然考えていなくて。行きたいという思いの方が強かったと思います。その後当時の先生と話す機会があって、もし先生たちが知っていたらそんな危険な場所には行かせなかったと話していて。逆にいえばギリギリのところでたまたま生き残っただけかもしれません。自分たちが。」

―――そのあと第二波もきたわけですよね

「自分たちの中で、第二波が来るタイミングで呼びかけをしようと、津波を見る人と運ぶ人と役割をなんとなく作っておいて。「第二波が来るぞ」って声を聞いて、「すみません」と運んでいる人を置き去りにして自分たちが逃げたことだけは覚えています。」

危険を顧みずに津波が直撃した老人ホームに駆け込み人命救助を行った生徒たちが、津波に巻き込まれることはありませんでした。

当時を振り返り、「絶望の場所であり、命を学んだ場所でもある」と語る首藤先生。いま生徒たちに伝えたい想いとは。


「小学生の時から教師になりたいとは漠然と思っていたんですが、震災を通して勉強よりも大事なことがあるんじゃないかと、最終的に『命の大切さを教える教師を目指したい』と思うようになったのは震災のおかげだと思います。」

―――例えば津波だったら、アナウンサーとしては、警報がなくなるまで絶対に安全な場所にいてくださいというのが正解。でも首藤さんの行動によって助かった方がいると聞くと、何が大事なのかすごく難しいなと思いました。どういう教育をするのが子供たちにとって大事だと思いますか。

「難しいですね。私としてはやはり、自分を犠牲にしてまでやるのは間違っていると思うという話はします。ただ、余裕が欲しいんです、いつでも。少しでも余裕が生まれてくれたらいいと思っているので、そのために考えてほしいです。最終的には子供たちが自分で判断できるようになるのが我々が求めている教育なんじゃないかなと思うんです。子供たち自身が悩んだ結果選んだ道ならそれは間違ってないんじゃないかと思うので、だからこそ私が助けに行った話はきれい事にしてほしくないし、私のとった行動が正解だとは全く思ってないので、子供たち自身にもそこは考えてほしい。悩んで欲しいです。」

―――先生がもし、今同じような状況になったら、第二波の間に助けられるかもしれないとなったら今ならどうしますか?

「もちろん状況にもよりますが、私個人としては行きたいですね。やっぱり助けられる人がいるのであれば。逆にいえば私も震災の時亡くなっていたかもしれない命なので。12年間も長生きできたと考えれば、ここで助けられる命があればすごく良いことなんじゃないかなと思います。私の分で誰かが長生きできるのであれば。それくらい命っていつ亡くなるかわからないし、子供たちにも明日死ぬかもしれないよって話はよくします。だからこそ今日、今という時間をどう対応するかってすごく大事だと思うよって。今日後悔するなら今日やった方がいいんじゃないかって話はよくします。なので私は、行くと思います。」

―――後悔していないんですね、当時のことを

「後悔はしていないです。後悔はしていないけど正解だとは思っていないです。」

生徒たちの声です。

「先生も勇気があるなと。第二波がきたら自分の命が危ないのに老人の方々を助けるその意識がすごいと思った。(自分だったらどう行動する?)先生のようにできるかわからないけどでも助けに行きたいです」

「自分は想像すると行きたくなくなるかもしれないけど、その状況で判断して自分も行けたら助けに行きたいなと思いました。」

「先生の起こした行動を聞いて、自分だったら怖くて動けないと思いました。ただ震災が起きた時に自分がしなきゃいけない行動は頭の中にあるので、それを実践していきたいなと思います。」

あの日から12年。蛇田中学校3年6組の生徒たちは当時3歳で震災を覚えている生徒もいれば、記憶にあまりないという生徒もいました。だからこそリアルな体験談を語り、「もし自分ならその時何ができるか」を想像して考える、その問いかけを習慣にしているので、生徒たちも考える練習が出来ていると感じた今回の取材でした。
首藤先生が語る「余裕がほしい」。そのために今からできることは何ですか?

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