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24.03.01
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「必ず僕らは復活します!」輪島塗を能登復興のシンボルに 田谷漆器店


今回取材したのは、能登半島地震で最大震度7の揺れで大きな被害をうけた石川県輪島市。創業200年という「輪島塗」の老舗、田谷漆器店の代表 田谷昂大さんです。

田谷漆器店は、市内にある事務所や倉庫、工房が地震で倒壊。2月にオープン予定だった新しいギャラリーが朝市の火事により焼失しました。


「1日は、実家がここからすぐそばなんですが、そこでおせち料理を食べようとしている時に揺れ始めて、横揺れなのに波打っている感じがあって、地面からドンと突き上げられるような感じがあって。家が崩れてきたので、これはもうたぶん死ぬと本当に思いましたね。
そこから大津波警報が来たので、本当は靴を履きたかったんだけど玄関が全然ダメだったのでみんなで靴下のまま、ガラスだらけで結構危なかったんですけど、足を切るよりも津波のほうが大変だろうということで高台へ避難しました。

あとは母方の祖母が一人で住んでいたので見に行ったんですが、一階がぺしゃんこで、声を掛けたら輪島塗の座卓の高さ30センチのスキマに体を入れて、怪我をしていなかったんです。救助を待つことにしましたが消防が朝市の大火事でほとんど出払っていて「火を消してからじゃないと救出に行けない」ということで、朝市の近くに見に行ったら、自分が作っていたギャラリーが燃えていて。それから自衛隊が入ってくるのを待って、翌日の朝10時になんとか祖母を救出できました。
それから会社の状況を確認しに事務所と倉庫の建物と工場を見に行ったら、悲惨な状態だったんですが、それ以上に輪島市内全体が壊滅的で、自分たちの建物が無くなったことよりも、輪島全体が被害を受けていて、ここに人は住めない、輪島塗をまた作るのは無理だと、輪島市内を見たときの方が落胆しました。
そこから、僕らはやっぱり輪島塗メーカーとしてもう一度戻って来なきゃいけない、メーカーとして必ず復活したい、さらに僕らは輪島塗の復興を通して能登半島の復興に貢献したい、と思ったので、その日の夕方にホームページやインスタグラムで「必ず僕らは復活します、再建へ向けて今から進みます」というコメントを出して、自分で自分の首を絞めることになってしまったんですけど、言ってしまったからにはやるしかないので、そこで僕は気持ちが切り替わったかなと思います。」


国の重要無形文化財でもある輪島塗は、作業工程がいくつもあり、各工程ごとに職人さんがいる「分業制」。その職人さんたちを束ね、漆器の企画から製造・販売までを取りまとめるプロデューサー的存在の田谷漆器店 10代目、田谷さんは現在32歳。ご自身のような若い世代が、再生へ向けて動き出すことが必要だと考えています。

「僕は本当に幸いだったのが、田谷漆器店自体が金沢にレストランとギャラリーが1店舗あってそれが残ったことと、自分の家も金沢だったので被害を受けていない、という不幸中の幸いでした。僕は自分の拠点が金沢にあるからこそ、会社の拠点である輪島に通うことができると思っています。輪島に住宅も事業所もある人のことを想うと本当に胸が痛い。
僕がホームページやインスタグラムで1月2日に復興しますと言ったのにはもう一つ意味があって、僕らが一番若い塗師屋なので、ここは若さで、勢いで進む、一番最初に手を挙げることが大事だと思って。一歩目を踏み出す漆器屋でいたいとずっと思っていたので、今回も最初の一歩を、一番最初に踏み出した。ほかの人も「なんだ、あそこやるんだ。じゃあ僕らも」という感じになってくれるといいなと思って。
田谷漆器店として一番最初にやりたいことは、まだ情報は全くないが、輪島市内の人が住めるような建物が残っていれば、そこに仮の工場を移して、そこをお借りして生産機能だけでも再開したいと思っています。あとは生き残った漆器も全国各地、世界中に届けることをしていくことで、少しずつ、本当に小さな一歩からの積み重ねだと思うんだけど、復興へ向けて進んでいきたいと思います。」

田谷漆器店では先日、倒壊した工房に重機が入り中から生産途中だった漆器など回収できたそうで、その多くは無事だったそうです。この地震の被害を免れた輪島塗を返礼品としてお届けするクラウドファンディングを実施中。「できるだけ多くの漆器店に仕事が行きわたるように」と、他の漆器店の輪島塗も返礼品として含まるとのことです。

一方、まだ避難生活が続く職人さんも多く、そのため生産再開ができないところもあります。長い息の長い支援が必要です。

来週も、田谷漆器店が目指す輪島塗再生への取り組み、お伝えします。

田谷漆器店によるクラウドファンディング
 

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