photo
25.01.17
ツイッター
LINEでシェアするボタン

阪神・淡路大震災から30年を経た神戸の町並みから復興まちづくりを考える


2025年1月17日。阪神・淡路大震災から今日でまる30年です。あの災害の教訓と課題を都市防災の専門家のインタビューを通じて考えます。

最大震度7、死者6434人、住宅被害およそ64万棟。未曾有の被害となったあの震災は私たちの災害との向き合い方を大きく変える契機となりました。例えば「減災 /災害を防ぐのではなく減らす」という言葉。そして「災害ボランティア」が定着するきっかけも95年・阪神淡路でした。

一方。震災から30年を経た神戸の町並みは、災害への備えの次の段階、「復興への備え」を考えるきっかけにもなると言います。

専修大学 ネットワーク情報学部 佐藤慶一教授に伺いました。


佐藤)阪神淡路大震災については、長田地区の大規模な再開発事業、各所の区画整理事業、都市計画の事業がたくさんありました。私も大規模だった長田の再開発を何度か見に行きましたが、1階2階の商店スペースでかなり空きが多く、人が戻っていない状況です。こういった都市開発型の復興がその地域に与える影響は大きいと思っています。

東京も火災で環七、環八沿いエリアに大きな被害が出ると予測されており、そのエリアは戦後から続く古い商店街や住宅が多いエリア。そこが被害を受けた時に、長田と同じく開発型で大きなビルを建てる復興をするか、あるいは、元々あった暮らしと同じような町を復元するか、2つ方法があります。神戸でも、長田のような再開発型だけでなく、地域で話し合い“修復型”で、安全を確保するための整備は最低限にとどめ、同じ街並みを再現した地域があります。そういう阪神淡路に学び、地域みんなで話し合って、どういう町にしていくか、進めていければ良いんだと思います。

―――どちらが良い悪いではない、地域にフィットしたものをその地域の人たちが考えるということが重要ということですね。まちづくりというと、すごく大きいものに感じて、自治体がやってくれるイメージがあるけど、私たちが参加するという意味ではどういったことができるんでしょうか?

佐藤)やはり普段の関係性の延長だと思います。マンションの集まりや地域のお祭り、そういうものに顔を出したり、何か問題があったら話し合う。この関係性がなく、いきなりまちづくりの話はできない。以前、岩手県の釜石で調査した時に、一世帯を除いて全員が帰ってきた村があるんです。花露辺(けろべ)というところですが、そこは漁村で皆が知り合いでした。東日本大震災の翌日には住民が町をどうするか話し合い、「津波でやられたから一旦は避難するが、絶対にみんな戻って来る」と約束して、その後防潮堤整備や復興事業の話に対して、このままやっていたら戻ってこれない、ということで防潮堤の整備撤回を要求、復興公営住宅だけ高台に立ててくれと要求して、津波で流された土地は宅地にしないと決断して、本当に4年後に皆が帰村したんです。これは本当に地域の力だと思うんです。ちょっと特殊な例かもしれませんが、顔が見える関係、みんなでどうするか話せる関係にどれだけ近づけるか。できている場所は神戸でも東北でもあるので、不可能なことではないと思います。

そういう繋がりで日常生活も楽しく豊かになっていくし、いざという時にも備えにも繋がっていく。あまり大きく考えず、繋がりとか友達とかを大切にしていければいいのではないかと思います。




特別番組のお知らせです。
TOKYO FMとKiss FM KOBEでは都市防災について考える特別番組
「BATON from KOBE ~阪神淡路大震災から30年。あの日の教訓とメッセージ~」を1月19日(日)よる7時から放送します。

佐藤教授のインタビューのほか、Kiss FM KOBEに残る、当時の放送音声などを通じて、
あの日の教訓から何を学び、次に繋げばよいのか考えます。
ご案内はユージさん、TOKYO FM 手島アナウンサー、Kiss FM KOBE ターザン山下さんです。

詳しくはコチラをご覧ください

プレゼントの応募 感想・応援はコチラから
オンエアレポート一覧へ戻る