
気仙沼を「日本一漁師を大切にする町」に!

宮城県気仙沼で“漁師たちの応援団”として活動する根岸えまさんは、実は東京生まれ東京育ち。大学在学中に東日本大震災のボランティアで気仙沼を訪ねたのが縁で、卒業後気仙沼に移住しました。えまさんを惹きつけたのは、気仙沼の“かっこいい漁師たち”の姿。一般社団法人歓迎プロデュースを設立して、漁師のための銭湯や食堂の開店、漁師カレンダーの作成など、漁師の「癒しと活力」を生む活動を精力的に行っています。


「歓迎プロデュースの3人で「漁師さんを大切にする町にしたい」という思いが一番根本にあって。震災で“町の宝は人だな”さらに“町の宝は漁師さんだよね”ということになり、“漁師さんを大事にしよう!”という機運が高まった。震災をきっかけに気づいた、ともいえると思います。
そんな中、漁師さんたちが足を延ばして入れる銭湯がなくなってしまうということで、港の近くに銭湯を復活させようと「鶴亀の湯/鶴亀食堂」を立ち上げました。また、遠洋マグロ船が一年の航海に出るときに市民も船送りに参加できるように、カラフルな旗を作って、岸壁で「いってらっしゃ〜い!」と見送りをしようと、みんなで「出船送り」をやったり。
うれしかったのは、一年間船に乗ってマグロを獲りに行く漁師さんが、「あの景色を俺は一年間思い出し続けながら、頑張れるんだ」と言ってくれたこと。それを聞いて泣きそうになりました。だからこそ、一番にぎやかに笑顔で送りだして、漁師さんたちを元気付けたいという思いがあります。その後わたしも結婚して、夫が遠洋マグロ船の船長をやっているので、夫のことも「出船送り」で見送るんですが、家族として見送るというのは淋しい思いもありますね。でも、海に向かっていく夫の姿はなんともいえないかっこよさがあるので、頑張ってほしいと思っています。」
長期間の航海に出るマグロ船をみんなで見送る「出船送り」は、従来は漁師の家族が行なうパーソナルな儀式でしたが、日本人漁師の減少や少子化で、見送りの人数も徐々に少なくなっていました。そこでえまさんたちは、町の住民みんなで見送る「出船送り」にしようと大漁旗を製作。観光客の方も参加することができるようになりました。



そして、えまさんがいま力を入れているのが、漁師の担い手を育成するプロジェクトです。
「漁師さんの困りごとを解決することをわたしの命題としています。漁業の後継者がいない、このままじゃ30年後気仙沼で魚をとるものがいなくなるぞ、という話を漁師さんに聞いたときに、こんなにかっこいい仕事なのになんで若い人に伝わってないんだろうと思って。わたしができることはなんだろうと考えたときに、漁業の求人情報をちゃんと整えて、若い人たちがいいなと思うような見せ方をすることができるかなと考えて。そこで、気仙沼市と一緒に、漁師と漁師になりたい人をマッチングする事業を始めました。漁師は「職人の仕事」という感じで、「見て覚えろ」とか、雇用契約書もなく口約束で「魚がいっぱいとれたら、このくらいのボーナスな」みたいな部分があって。そういったことをきちんと書面で決めたり、定期的な休みを定めるなど、どうしたら若い人が働きやすい環境を作れるかということを考えて、整理するということをやってきました。その活動が6年目になりますが、通算20人くらい、定着していまも浜で頑張っているのは12〜3人が若手の漁師として頑張っています。」

「その活動の一環として、11月21日(金)から23日(日)まで、若手の漁師たちを連れて、東京に行くことに。東中野のSUNDAY JAM's CLUBという飲食店で、実際に漁師のみんながとってきた魚をお寿司とか漁師飯として食べられる。それに附随して、東中野の「さかなや港丸」では、気仙沼の若手漁師のトークショーを行います。若手漁師6人が漁師のリアルだったり、漁師たちの暮らしだったりを話してもらいます。漁師になりたい人はもちろん、海が好き、魚が好きという方も、ぜひ来てくれたらうれしいです!全員が推しメンだけど、ひとり宮崎出身の24歳の女の子の漁師がいるのですが、女ひとりで男たちの中で頑張っていて、ぜひ会いに来てもらえたらうれしいです。」

“漁師になりたい”“海の仕事に興味がある”という方はぜひ「トリトンプロジェクト」をチェックしてください。気仙沼「鶴亀の湯・鶴亀食堂」の情報はこちらから。東京でのイベントは11月21日〜23日の三日間です。漁師たちの応援団、根岸えまさんの奮闘はこれからも続きます♪

