
伝統を守り繋ぎたい!能登に響く太鼓の音「輪島市名舟町の御陣乗太鼓」

2024年1月1日に発生した能登半島地震から2年。石川県輪島市名舟町の御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)は地域に伝わる伝統芸能で、石川県の無形文化財にも指定されています。保存会の代表、槌谷博之さんに伺いました。

「御陣乗太鼓はおよそ450年前に上杉謙信がこの町に攻めて来たときに、面をかぶって太鼓を打ち鳴らして、謙信を追い払い、名舟の平和を守ったというのが起源。7月31日と8月1日に神様に向かって奉納打ちをする、というのが習わしになっています。
面をかぶったら集中して、面の魂が乗り移る、という感じになるんですよ。上杉謙信を追い払うつもりで、歯を食いしばって、思い切り叩いていますね。観ている人を怖がらせるような、魂を揺さぶるような太鼓を叩きなさいと、小さいころから教わってきているので。実際に泣き出す人もいますし。本来は上杉謙信の軍勢が寝静まっているときに、かがり火をたいて、太鼓を打ち鳴らしながら攻めていったという、そういう習わしなんで、夜に叩く太鼓なんですよ。
6人一組で演技しながら太鼓を打ち鳴らします。一番メインの面は「夜叉面」といって、名舟町の男の怒りを表しています。他に「男幽霊」「女幽霊」「達磨面」「爺面」の5つの面があります。面は全部、代々名舟の先祖が彫ったものなんです。古いものだと400年前から受け継がれている面もあります」

上杉謙信の軍勢を追い払ったというだけあって、面も太鼓も迫力満点。名舟町で生まれた男子は子どものころから太鼓の打ち方を学び、高校を卒業するころには立派な太鼓打ちに成長します。
けれども、能登半島地震で名舟町を含む南志見地区は壊滅的な被害を受けて、道路も寸断され、地域は一時孤立状態に。全住民を対象とした集団避難が行なわれました。さらに2024年9月には南志見地区を奥能登豪雨が襲います。震災と豪雨災害の影響で、太鼓の継承と町の再建がいま大きな危機に直面しています。

「震災前は太鼓の打ち手が18人位いたけれど、震災で輪島市から出て行った人もいて、いまは14人ですね。奉納太鼓を捧げる神社は完全に倒壊し、海中にあった神社の鳥居もつぶれて、その目の前にあった家も土砂崩れで3人の方が亡くなってしまいました。名舟町に以前65軒あった家のうち、いまも残っているのは15軒ほどです。
御陣乗太鼓の後継者も、小中高校生十数名が全員金沢のほうに転校してしまって、いま現在後継者と呼べる人はゼロ。「御陣乗太鼓は名舟町で生まれた男しか叩けない」という掟(おきて)があるので、そこをどうするかなんですけど。
太鼓をどうするかというよりは、この町自体をどうするか、というのが問題。名舟町を含む南志見地区では家が軒並みつぶれてしまったし、2024年9月の豪雨災害でも川沿いの家が全部流されてなくなりましたから。跡形もなく流されていったような感じですから。絶望を感じたというか、本当に生きている気がしなかったです。
わたし自身の自宅は先々月公費解体をして、いまは更地になっています。申請をして仮設住宅を借りたんですけど、両親二人と妻と大人4人で四畳半二間では生活のしようがない。例えばタンスやテレビなんて置けないんですよ。
でも私なんかは全然ましなほうで、親戚に大工がいたので契約して家を建てる予定ではあるんですが、地元の大工さんも仕事が追いつかない状態。地元の大工に頼んだら5年先とか6年先とかです。だからみんな金沢のハウスメーカーに建ててもらうんですけど、金沢のハウスメーカーは通いで能登まで入ってくるので、めちゃくちゃ高くなるんです。(地元の大工が建てるのに比べて)倍くらいになってしまう。復興住宅もどうなるかわからない状態で、みんな不安だと思いますよ」

能登半島地震から丸2年。地域によっては少しずつ復興が進む一方で、名舟町を含む南志見地区では、住宅再建や町の再生の見通しが立たないのが現状です。そんな中でも、槌谷さんたちは御陣乗太鼓の伝統を守り、次の世代に繋いでいこうとしています。「演奏を聞きたい!」という依頼も全国から寄せられていて、2026年も東京や富山で公演が予定されています。詳しくは御陣乗太鼓保存会のサイトにある公演案内をチェックしてください!
<能登のおまけ情報>

昨年「Hand in Hand」でご紹介した「能登エールアートプロジェクト」。松任谷由実、ユーミンさんの歌とあなたのアートで能登を元気づけよう!という取り組みです。呼びかけに対し、2,301枚のエールアートはがきが寄せられました。現在、のと鉄道 普通列車内/のと鉄道 穴水駅待合室/ワイプラザ輪島 休憩所/のと里山空港「NOTOMORI」/能登食祭市場 モントレーホールで展示されています。展示は2026年3月31日まで。ぜひご覧ください♪
