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26.03.06
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南三陸町長を勇退された佐藤仁さんに聞く、震災後15年


東日本大震災から15年。今回お話を伺ったのは、南三陸町の前町長・佐藤仁さん。

2002年に志津川町長に就任。2005年、志津川町と歌津町の合併を主導し、新たに誕生した南三陸町の初代町長に就任した佐藤さんは、主たる生業であった漁業に加え、観光にも力を入れるなど、町の賑わいづくりに尽力されていました。その最中におきたのが東日本大震災。

南三陸町は高さ16mを超える高さの津波に襲われ、佐藤さんは防災対策庁舎の屋上で濁流に巻き込まれながらも一命をとりとめました。

その後、復興の陣頭指揮を取ってきた佐藤さんは、去年11月、町を次の世代へ託し、町長を退任されました。退任に至る経緯、後進に託す思いとは・・・

◆◆

「全て流されました。町並みのほとんどは海抜20メートル以下で、津波が到達したところはすべて流されてしまいました。831人の方々が犠牲、行方不明。本当に未曽有の大災害。そこから立ち上がるというのは本当に大変な思いでしたし、私たちもそうですが、町民の皆さんも本当に耐え忍んだ震災後だったと思います。

町は10メートルかさ上げ。“二度と津波で命を失わない町をつくる”というのが、復興計画の一丁目一番地。12年かかりましたけれども、3年前にハード事業はすべて終わりましたので、ここが引き際だなという思いで、辞めさせてもらうことにしました。

防災庁舎では43人が亡くなり、助かったのは私を含めて11人。そういう意味では、命は拾った状況でした。あの夜、全身ずぶ濡れでみんなで話したことがあります。“生き残った我々が町を再建しろということだ。生き残ったんだから町を再建しなきゃならないな”と。私の原点はそこ。いろいろな批判も受けましたし、さまざまなことがありましたが、前を向いて走り抜いてくることができたのは、あの原点を忘れなかったからだと思います。

正直に言うと4年前にも退任しようかという思いは有りました。ただ当時はまだ防災庁舎の問題が残っていました。これは自分の代で決着しなければならない。解体しろという意見、保存すべきだという意見が遺族の中でも真っ二つ。一時期、県が20年間の県有化、その後に町に返すので、どうするか考えてという条件での県有化になったが、この問題を次の首長に先送りするのは本意ではないと私は思っていた。“生き残った私だからこそ、決着する責任がある”、ずっとそう思っていました。なので2年前、県に行って、町有化にするので返してほしいと話をしました。

私が防災庁舎についてずっと言ってきたのは、町長という立場ではなく、佐藤仁個人として“保存すべきだと思う”ということ。

1960年、私が小学校3年生のときにもチリ地震津波がありました。大きな被害が出て41人の方が犠牲になりました。しかしそのときの震災遺構は何も残っていませんでした。チリ津波は6メートル。私はそれが最大だと思っていた。南三陸町になってからも、防災計画は[津波の高さ6メートル]でずっとやってきた。ところが東日本大震災では、防災庁舎のところに16メートルの津波が来ている。この地域は、紛れもなく津波の歴史の上にあります。この先も必ず津波は来る。今回より大きい津波が来る可能性も否定できない。未来の命を守るためには、想定していなかった津波が実際に起きたという事実を、未来の子どもたちに見て分かってもらいたい。それが未来の命を守ることだと私はずっと思ってきました。そして今回は保存という形になりました。

転機になったのは公園(南三陸町震災復興祈念公園)が完成したときです。当時“解体すべきだ”と言っていたご遺族の方々が、率先して自ら雑草を取ったり花を植えたりする活動を始めてくれました。また息子さんを亡くされた方が、かつて強く解体を求めていたにもかかわらず、公園で、“息子に会える場所はここしかなくなった”と語っておられました。時間というものは人の気持ちをこうも変えるのかと。その後、解体を求めていた代表の方々に“保存します”とお話ししたとき、“町長もいろいろ苦渋の決断で来たのだろう。あの場所で命を繋いだあなたが決めたこと。とやかく言うつもりはない”と容認してもらい、翌月、保存するという記者会見を行いました。」


最後まで住民に防災無線で避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった職員の遠藤未希さんで知られることとなった防災対策庁舎。43人が亡くなり、助かった11人の1人であったのが佐藤元町長です。現在は震災遺構として保存され、一帯は「南三陸町震災復興祈念公園」として整備。ここでなにが起きたのかを静かに伝えています。

南三陸は、嵩上げや川の位置まで変えたほどの大規模な整備で、かつての面影は無く、新たな街に生まれ変わっています。かつての町並みを忘れないために、カーナビを当時のまま、取り替えていない人もいるということでした。

佐藤元町長は、退任の翌日には町の東日本大震災伝承館、「南三陸311メモリアル」の特別顧問に就任。“町長時代より忙しい”というほど休み無くお仕事を続けていらっしゃいます。防災プログラムの案内も“ご指名があれば私がご案内します”とのこと。

南三陸町東日本大震災伝承館「南三陸311メモリアル」

余談ですが、南三陸町は美味しい海産物の宝庫。取材時はちょうどアワビの季節でもあり、志津川湾のアワビを食べずしては帰れない!ということで、インタビューのあと、南三陸さんさん商店街の「弁慶鮨」へ。佐藤元町長もご一緒頂きました。そこで頂いた「三陸貝づくし丼」がこちらです。


そのほか「志のや」や「ちょこっと」、鮮魚の「ロイヤルフィッシュ」など、番組がこれまで取材したおススメしたい店は数多ありますが、ぜひ春夏秋冬それぞれに魅力いっぱいの南三陸町へ、足を運んで頂けたらと思います。

「LOVE & HOPE」時代を含め南三陸町へは何度も足を運び、復興の一部始終を見てきました。その復興をリーダーとして率いた今回の佐藤元町長へのインタビューはじつに多岐に及び、放送ではそのほんの一部分しかお届け出来ませんでしたが、ざっくり整理しただけのロングバージョンも下記よりお聴き頂けますので、どうぞお時間があれば耳を傾けてください。

[南三陸町元町長佐藤仁さんインタビュー]

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