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THE ONE 音楽界の偉人を毎週1人ピックアップ。アーティストの持つ世界をみつめます

2011年2月27日(日)
小澤征爾
「ワルツ「美しく青きドナウ」op.314 (J.シュトラウス2世)」
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,小澤征爾
ワルツ「美しく青きドナウ」op.314  (J.シュトラウス2世) / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,小澤征爾
『僕は実に幸運でした。何事もツイていたんです。』
これまでの人生を振り返って、小澤さんは、こんな風に語ったことがあります。
小澤さんは、ヨーロッパに渡ってから、わずか2年半の間に権威ある賞を受賞し、カラヤンやバーンスタインなど、巨匠と言われるマエストロから学ぶことができました。しかし、それは、“単にラッキーだったから” だけなのでしょうか?
1935年、満州で生まれた小沢征爾さん。小学生の頃から音楽の教育を受け、指揮者になるという夢を抱いた少年でした。23歳の時。まだ日本に新幹線もなかった時代、小澤さんは、指揮者を目指して東京から神戸へ、神戸からフランスのマルセイユへ渡ります。乗り込んだのは貨物船。知人の計らいで入手したスクーターと、身の回りの物、そしてギターだけを持った2ヶ月ほどの船旅でした。マルセイユに到着して、目指したのは花の都パリ。スクーターの車体に日の丸をつけて、ギターを背負った東洋人はとても目立ち、人々から声をかけられることも多かったと言います。パリに着いてからは、昼間はスクーターで街を走り回り、夜は音楽会を聴いてまわる日々。ただ“指揮者になる”という思いだけでパリに来た小澤さんには、どうやって勉強したらいいのか、計画もアイディアもまったくありませんでした。とても無謀な挑戦のように見えますが、小澤さんには、不思議と不安はなかったと言います。そんなある日、知人から国際指揮者コンクールが行われると聞き、さっそく応募することを決めます。日本を出てから半年近くたっていて、ちょうど指揮をしたくて、しかたがない頃。ところが・・・フランス語が苦手だったため、知人の力を借りて提出書類を整えたものの、途中、手続きに不備があり、提出期限までに間に合わなかったのです。応募できなければ、当然、コンクールには出場できません。普通なら、ここで気落ちして、諦めてしまうところでしょう。しかし、ここから、小澤さんの無謀ともいえる快進撃がはじまります!まず、日本大使館へ行き、なんとかならないものかと相談。しかし、ここでは、どうにも埒があかないと思った小澤さんは、今度は、縁もゆかりもないアメリカ大使館へ行き、直談判するのです。信じられないことですが、この訴えが聞き届けられ、小澤さんは国際コンクールに出場。しかも、はじめて出場したこのコンクールで、見事、優勝してしまったのです!この時、アメリカ大使館で対応してくれた女性に、小澤さんは、「あなたはいい指揮者か?悪い指揮者か?」と聞かれ、こう返したそうです。『自分はいい指揮者になるだろう。』当時を振り返って「幸運だった」と語っている小澤さん。その幸運も、諦めない強い気持ちと、行動力がなければ、引き寄せられないもの。この行動力こそ、『世界のオザワ』の根幹をなすものと言えます。
「弦楽セレナード ハ長調 作品48 第1楽章 (チャイコフスキー)」
サイトウ・キネン・オーケストラ,小澤征爾
弦楽セレナード ハ長調 作品48 第1楽章 (チャイコフスキー) / サイトウ・キネン・オーケストラ,小澤征爾
「僕のこれからの仕事は、後継者を残すことです。」そう語る小澤さん。
実際に、小澤さんはアカデミーや音楽塾を設立して、若者に“音楽する”ことを教えています。もともとは、教えることより、教わることが好きで、音楽だけでなく、スポーツなども、レッスンを受けて上達することに快感を覚えるタイプだったそうです。
しかし、恩師に頼まれて、しかたなく教えるようになると、これが面白くてたまりません。生徒が伸びると、次に興味がわいて辞められなくなってしまったんだそうです。
そんな小澤さんが、憂いていること…それは、いまの日本の中に二つのクラシックが存在すること。長年、世界を舞台に活躍されてきた小澤さんには、世界のクラシックと、日本の団体が演奏するクラシックには、違いがあるように感じられるようです。これは、日本の企業などにも感じることで、グローバルと言いながらも、日本には日本のやり方がある…と言うようなこと。『今、僕が怖れているのは、日本でしか通用しないのは当たり前のことだけど、それを誤魔化して“グローバルだ”と言っていることです。僕は、若い子がそれに気づいて、自分で解決していかなければいけないと思っています。』だからこそ、国や企業、団体などではなく、人間が大切。日本に生まれた“自分”という根っこの部分と、後から得た知識とが積み重なって、今の自分があるということを理解することが、世界で活躍する上で力になるとおっしゃっています。
小澤さんは、自らの挑戦を、「東洋人が西洋音楽を、どこまで理解できるのかという実験」と称しています。後継者を育てることは、その実験が点から線になって、未来へ繋がっていくこと。今年、76歳をむかえる小澤征爾さんの実験は、まだまだ続いていきそうです。
「交響曲 第1番ハ短調 作品68 第1楽章 (ブラームス)」
小澤征爾
交響曲 第1番ハ短調 作品68 第1楽章 (ブラームス) / 小澤征爾
クラシックを職業にしている方は、重い荷物は持たず、繊細な手をしているもの・・・。一般的にそんなイメージがつきまとっていますが、小澤さんが指揮棒を持つ手は、思いのほかゴツゴツしていて、節の太さなどに、驚かされます。これは、夢中になって指揮棒を振っていると、楽譜を置く台に手をぶつけてしまうから。指揮者のカラダは、スポーツ選手のようにリスクを背負っているということが、その指からもわかるのです。
去年、食道がんを患い、しばらく入院した小澤さん。一度は復帰したものの、現在は、持病の腰痛が悪化し、静養中です。今月予定されていた演奏会も中止になってしまいましたが、何事もあきらめない小澤さんのこと。きっと、またすぐに私たちの前に元気な姿を現して、演奏会や後継者の育成に、忙しくされることでしょう。そんな姿を、私たちも心から願っています。
今夜は、小澤征爾さんをピックアップしました。

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