Every Sunday 12:30-12:55 JFN 38stations
2011年4月3日(日)
泉谷しげる
「春のからっ風」
泉谷しげる with LOSER
1971年にデビューし、今年で歌手生活40周年。
地震で被害を受けた奥尻島を救うためにはじめたチャリティ活動は、日本を救う活動へと広がり、私も参加させて頂いた、宮崎の口蹄疫のチャリティーライブ、そして今回の東日本大震災では、ライブをネットで配信して募金を呼びかけるなど、その行動力には頭がさがるばかりです。
戦争の傷跡が残る1948年、青森県に生まれ、東京の目黒で育った泉谷さん。幼い頃は、季節が変わるたびに体調を崩し、家の中に引きこもりがちな引っ込み思案な少年でした。絵を描くことが好きで、将来の夢は漫画家。「鉄腕アトム」や「あしたのジョー」をむさぼるように読み、漫画の世界に入り込んでいたそうです。中学あがるにつれ、徐々に社交的になった泉谷さんは、いつしかエレキに夢中な少年へ。高校は1週間で退学し、アルバイト先の人とバンドを組んで、仕事とバンドにあけくれるようになります。泉谷さんが青春時代を過ごした1960年代は、政治集会や討論会などが、あちこちで開かれていた時代。そうした集会に出かけては道端で歌い、夜通し騒いでいたそうです。しかし、そんな毎日でも、音楽を仕事にしようとは全く考えていませんでした。目標はあくまで漫画家。時には、アニメの下請けの仕事をして、漫画家への道を模索していました。ところが、そんな泉谷さんの人生が、大きく変わる出来事がったのです。それは、RCサクセションとの出会いでした。『音楽であって、音楽以上の勢いを感じた』
これはRCサクセションのライブを初めてみた時の感想。渋谷にあるライブハウスで演奏するRCサクセションは、アコースティック・ギターを使っているのにも関わらず、凄まじいロック。しかも、観客に対して、悪態をついて怒らせるというマイクパフォーマンス。泉谷さんは、「こんな身近に、こんなスゴイものがあるのに、オレはいったい何をやっているんだろう・・・」と、自分自身に腹が立ってしかたがなかったといいます。この出会いで開眼した泉谷さんは「この人たちと親しくなりたい!」という思いで、ライブハウスに通い詰め、最終的には、ライブハウスのオーディションを受けて、同じ舞台に立つようになります。彼らのイベントのタイトルは「奇人変人大会」。こんなタイトルがついてしまうぐらい、RCサクセションも泉谷さんも、独特の光を放っていたのでしょう。当然のごとく、人気はあっという間に広がり、泉谷さんはその半年後、レコード会社にスカウトされデビュー。一気に知名度を上げていきます。そして、観客に毒づくライブにも注目が集まり、“説教するアーティスト”という、泉谷さんの原型が出来上がっていったのです。
「すべて時代のせいにして」
泉谷しげる with LOSER
『現場に行っても邪魔になるだけ。そう考えた瞬間、オレの頭がすべてを逆算した』
1993年、北海道南西沖地震で、壊滅的被害を受けた奥尻島のニュースを見て、泉谷さんが考えたこと。それは、ひとりで行う募金活動、「フォークゲリラ」でした。場所は、東京23区内。被災地に行っても邪魔になるだけ。大ホールで義援コンサートを開くには、お金も時間もない。それなら、ひとりで旅費のかからない23区内で募金活動をすれば、集まったお金をすべて寄付することができるはず。泉谷さんはこんな風に逆算しました。奥尻島とは、縁もゆかりもなし。それでも、何かせずにはいられない。こうして、泉谷さんのチャリティー活動はスタートしたのです。はじめは12ヶ所ほどで行うつもりだったフォークゲリラも、評判が評判をよび、最終的には37ヶ所で敢行。忌野清志郎さんや、桑田佳祐さん、小田和正さんなどにも協力してもらい、札幌の厚生年金会館で、大々的な義援コンサートも行いました。真夏に行われたフォークゲリラは、熱波が泉谷さんの体力を奪い、足が痙攣して歩けなくなったこともあったそうです。「売名行為じゃないのか」と言われることもありました。そんな時も、泉谷さんは「そうだ売名行為!一日一偽善!」と泉谷節で吠え続け、結果として1700万円ものお金を集め、すべてを奥尻島へ寄付したのです。そして、泉谷さんにとって、これは終わりではなく始まりでした。札幌のコンサートで、清志郎さんが『でも、なんで奥尻島だけなんだ?』と言ったことがきっかけで、泉谷さんはその後、雲仙普賢岳、阪神・淡路大震災、宮崎の口蹄疫、そして今回の東日本大震災と、災害に苦しむ地域を音楽の力で支援し続けています。『教祖になりたいわけじゃないし、キャラを考えている場合でもない。ただ、音楽は励ましなんだという思いだけ』泉谷さんは後に、自分の気持ちをこう分析しています。救援フォークゲリラでは、「お前ら、募金しろ!」と乱暴に言い放つ泉谷さん。その言葉が、どの人にも不快感を与えず、温かい募金を誘うのは、泉谷さん自身の気持ちが、みんなに伝わっているからのでしょう。
「春夏秋冬」
泉谷しげる
スタッフからも「チャリティー男=チャリ男」と言われ、すっかり救援活動をするアーティストというイメージが定着している泉谷さんですが、活動する上で、心掛けていることがあります。それは、自分自身が災害の見物人にならないこと。そして、自分が英雄のように扱われないこと。救援活動が取材され、メディアで報じられれば、どうしても英雄のように映し出されてしまうものですが、あくまでも自分は「運び屋」、みんなの大切なお金と気持ちを運ぶ、運び屋なんだとおっしゃっています。先日の救援ライブの記者会見では、「いつまで、続けますか?」と聞かれ、「一生です」とおどけて答えておりましたが62歳になった今も、その信念は変わっていません。「オレは、自分自身を使い果たして死んでいく」という泉谷さん。その活動は、これからも広がって、災害を受けた人達、そしてそれを支援しようとする人たちとの交流を、より深いものへと繋げてくれることでしょう。
今夜は、泉谷しげるさんをピックアップしました。
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