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THE ONE 音楽界の偉人を毎週1人ピックアップ。アーティストの持つ世界をみつめます

2011年7月31日(日)
MIGHTY CROWN
「THINK ABOUT ME」
MACCHO from OZROSAURUS & PUSHIM
THINK ABOUT ME / MACCHO from OZROSAURUS & PUSHIM
『夏しか日本にいないから、そこで一発イベントやろうよという、軽いノリ。深い意味も、デカくしようという気もなかったんですけど。』今から16年前の1995年の夏、横浜レゲエ祭の前身である「YOKOHAMA REGGAE BASH」は、こんな軽いノリで始まりました。そもそも彼らが知り合ったのは、山下公園。スケボー仲間が、その帰りにライブハウスに行くようになり、「ダンスホールレゲエ」という音楽に遭遇。先輩たちをマネして、自分たちもやってみようと結成したのがマイティークラウンでした。結成当時からのメンバーであるMASTA SIMON(マスタサイモン)さんはすでにその頃、ロサンゼルスで生活をしており、他のメンバーたちも、それぞれ海外で生活するようになり、彼らが一堂に会せる夏に、自分たち主催のレゲエ・イベントを企画しよう・・・。それがYOKOHAMA REGEAE BASHだったのです。
『オレらは、監督もする、プロデュースも、主演も脚本も、ディレクターもする。ロゴから看板の色、どこに広告をうつかまでやる。それがオレらの昔からのスタイル』
MASTA SIMONさんが語るように、マイティークラウンのイベントは、1回目から全て、メンバーとその仲間たちの手で、作り上げてきました。フライヤーのデザインにはじまり、宣伝、チケットの販売、セキュリティ、受付、バーカウンターの仕切りにいたるまで徹底していて、そのクオリティも高かったと言います。「スゴいヤツらがいる…。」その噂は横浜のアンダーグランドに伝わり、1回目の集客は150人。当時、レゲエ・イベントと言えば、30人から50人の規模が普通だったといいますから、これは大成功と言ってよい数でした。日本では、まだ、日本人によるレゲエが市民権を得ていなかった時代。『絶対、いつか分からせてやる』そんな思いがモチベーションになっていたのです。初回の開催を無事に終え、手応えを感じた彼らは、毎年の開催を決意します。2年目、3年目と、少しずつ規模を広げ、4年目には2日間の開催。イベントの名前も『横浜レゲエ祭』に変更し、のべ1300人を動員しました。『日本人にレゲエの良さをわかってもらうのに、英語やジャマイカの言葉だとインパクトがない』そんな理由から、この頃のマイティークラウンはMCに日本語を取り入れ、日本人による日本語のダンスホールレゲエを全面に押し出し、認知度を高めようと躍起でした。それと並行するように、翌年には、NYで行われた、サウンド・クラッシュと呼ばれるレゲエバトルの世界大会に出場し、見事、優勝!世界のフィールドでも認められるダンスホールレゲエを披露し、勢いを加速させていきました。
「SUPERSTAR」
FIRE BALL
SUPERSTAR / FIRE BALL
1995年からスタートした、彼ら主催のイベント「横浜レゲエ祭」。このイベントは、年を追うごとに規模を広げ、2000年には、2日間で4000人を動員するまでに拡大します。2002年には、会場にムンムンとした熱気が充満して、ライターに火がつかないぐらい空気が薄かったといいます。当然、この頃には、次は野外で、、、そんな気持ちが出来上がっていました。そうして迎えた、2003年。横浜レゲエ祭は、初めて、野外ステージでの開催を果たします。場所は八景島の特設ステージ。1万人を動員する規模でした。はじめは150人しか集まらなかったイベントに、果たして1万人も来るだろうか?不安は常にあったと言います。通常、レゲエのライブは、時間になっても観客がなかなか集まらないものと言われていますが、この日は、朝7時から3000人近くが集まり、駅から行列ができる盛況ぶり。ライブ中は、1万人が一斉にタオルを回し、ステージ上から見たその景色は、まるで観客を覆うタオルの天井の様だったそうです。『野外になって、人の力をより感じるようになった。子供も来られるようになって、主催者としての責任も感じ始めた。』そう語るMASTA SIMONさん。ところが、この「主催者としての責任」が、レゲエを多くの人に広めたいという気持ちと相まって、翌年、物議をかもすことになるのです。
2004年の横浜レゲエ祭は、横浜港の特設ステージで行われ、前年の倍となる2万人を動員。横浜ランドマークや観覧車が見える絶好のロケーションで、彼らが披露したのは、多くの人にわかりやすいサウンドでした。2万人のうち、半分はクラブに出入りしない人であると予測し、そういう人たちにこそ、ダンスホールレゲエを広めたいという思いからです。しかし、そうした選曲が、一部のコアなファンには不満だったのです。“同じ曲ばかりかけやがって“、 “あいつら見失ってんじゃないの?”ファンから厳しい言葉が、浴びせかけられました。分かっていたこととはいえ、この出来事がきっかけとなり、彼らは、横浜レゲエ祭とは別に、コアなファンも満足するイベントをもう1つスタートさせることになります。こうした地道な活動で、ファンを着実に増やしていったマイティークラウン。2006年にはついに、3万人が収容できる、横浜スタジアムで開催することとなりました。『アンダーグランドでやってきた人間が、スタジアムでできるなんて…』マイティークラウン、結成15年目の快挙でした。
「RESPECT」
MIGHTY CROWN FAMILY
RESPECT / MIGHTY CROWN FAMILY
『目指すのは、もう人数じゃなくて“質”だと思う。人数を求めていったら、理想がついて来れなくなるから』
そういう思いで、2006年から続けていた横浜スタジアムでのレゲエ祭を、4年目にして終わらせたマイティークラウン。去年は、第2章を赤レンガパークでスタートさせました。しかし今年は、彼らが結成20周年となる記念すべき年。やはり、あの規模を味わいたいと、再び横浜スタジアムに返り咲きます。今年のテーマは『RESPECT』
『リスペクトがなかったら、ここまでこられなかった。これまで関わってきた、全ての人にリスペクト。』
マイティークラウンは、こうした気持ちをサウンドにして表現するからこそ、サポートする人が跡を絶たず、横浜レゲエ祭を成功に導いて、日本におけるダンスホールレゲエの地位を確立させることができたのではないでしょうか?
今夜は、マイティークラウンをピックアップしました。

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