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THE ONE 音楽界の偉人を毎週1人ピックアップ。アーティストの持つ世界をみつめます

2011年8月14日(日)
久保田利伸
「Missing」
久保田利伸
Missing / 久保田利伸
今年は久保田さんにとって、デビュー25周年となる記念すべき年。これまでの人生で「自分に影響を与えて来たもの」をテーマにしたアルバムもリリースしたばかりです。その、タイトルは『Gold Skool』。あえて日本語にするなら、どこまでもぶれない『久保田流のスタイル』。あのファンキーな久保田さんのスタイルは、どんな流れの中で出来上がってきたのでしょうか?
『アフリカの音楽は、人間の声だけで、ここまでやれるということを教えてくれた。』
1962年、静岡県に生まれた久保田さん。歌との出会いは、3、4才の頃、家族で行った熱海旅行で、ちびっ子のど自慢に出演したことでした。そのイベントで見事グランプリを獲得したのが、シャイなハートに火がついた最初のポイント。5才の頃には、町の盆踊り大会で、やぐらに登り、太鼓を叩く、お祭り少年となりました。
中学時代は、ラジオから流れる、スティービー・ワンダーやスタイリスティクスの音楽に夢中でしたが、当時、久保田さんを魅了したのは、それだけではありませんでした。NHKで再放送されていたアメリカの音楽番組『ソウル・トレイン』。この番組を毎週欠かさず見ては、黒人ミュージシャンのダンスをマネする日々。体育祭のアトラクションで披露したところ、『そんなに腰を動かす必要はない』と、先生に叱られたこともあったそうです。そんな久保田さんが、はじめて曲を作ったのは、高校生の時。タイトルは『ジャマイカに帰ろう』。当時、大好きだったテレビ番組『野生の王国』を見ていると、アフリカの風景や野生動物の姿に体が反応し当時聴いていたボブ・マーレーの音楽とミックスされて出来上がったのだそうです。アフリカの大地のリズムと、レゲエの融合。
実際、久保田さんの曲づくりは、リズムからスタートし、ノリの良い曲も、スローなバラードも、まずリズムをカラダの中に取り込みそれからベースを加え、最後にメロディや歌詞を加えていくことが多いんだそうです。
「Dance If You Want It」
久保田利伸
Dance If You Want It / 久保田利伸
早くからアフリカのリズムに興味を持った久保田さんが、はじめてアフリカへ行った時、こんなエピソードがありました。マサイ族の村に行き、踊りを見せて欲しいとお願いしたところ、はじめは、二人ほどだった女性たちが、徐々に増え、最終的には30人ほどによるコール&レスポンスがはじまったのです。楽器もなにもないところで、踊りと声だけによる精神の交流。久保田さんも一緒に腰をくねらせ、声を出すこと30分。この時、本場アフリカの音に触れた久保田さんは、品種改良されていない動物や植物だけが持つ、原種の強さと同じものを感じ、声の持つ力にも目覚めたのです。しかし久保田さんは、こうも言っています。『どうして黒人音楽にハマったの?って1万人ぐらいから質問されたけど、答えはわからない。いまだにわからない。』何かひとつのモノに、徹底的にハマる。そのことに明確な理由を求めるなんて、野暮なのかもしれませんが、久保田さんの日本人離れしたリズム感や、ファンキーでソウルフルな音楽は、こうした体験が積み重なって、出来上がったものなのです。
音楽にのめり込み、中学時代からバンド活動をはじめていた久保田さん。大学ではロックバンドを結成し、サザンオールスターズやシャネルズらも出場していた学生コンテスト『EastWest』に出場し、ベスト・ヴォーカリストを受賞し注目を集めました。しかし、久保田さんの業界デビューは、シンガーではなく、作曲家。田原俊彦さんや、小泉今日子さん、岩崎宏美さんといった、当時、最前線で活躍していたアーティストに、曲を提供するところからのスタートでした。そんな久保田さんの歌手デビューには、今でも伝説として伝わる、あるテープの存在を抜きにして語ることはできません。そのテープとは…『すごいぞ!テープ』。まるで冗談のようなタイトルですが、実はこれは、久保田さんが、デビュー前に自ら作った『デモテープ』。そのクオリティの高さに業界関係者が驚き、噂が噂を呼び、手にしていない人は、その到着を待ち望んだというテープです。デモテープが持ち込まれることなど日常茶飯事な世界で、こうした現象が起こるアーティストは珍しく、このデモテープは、その後、ダビングにつぐダビングで、広まって行ったと言います。
「Winds」
久保田利伸
Winds / 久保田利伸
『すごいぞ!テープ』におさめられていたのは、田原俊彦さんに提供した曲や、『流星のサドル』などで、メドレー形式でおさめられたそれは、すでに久保田さんの色に染まっていたといいます。このデモテープの存在と、さらに、久保田さんのデビューを後押ししたもの、それは、『マイケル・ジャクソン』の存在でした。久保田さんがデビューする前は、R&Bと言っても、歌謡曲としてアレンジされたものが多く、日本の音楽シーンには、まだまだ定着していないもの。特に歌謡曲やフォークソング、ニューミュージックしか聴いてこなかった世代には、なかなか理解されず、デモテープを聴いてもらうこともできませんでした。ところが、1982年。マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』が、空前のヒットを記録し、ブラックミュージックを、よりポップに昇華させたマイケルの音楽が、R&Bに興味を持たなかった世代の心を開き、久保田さんの音楽にも興味を示させたのです。『マイケル・ジャクソンは、過去、現在、すべてのシンガーの中で、一番感謝しなければならない人です。ボクが好きな音楽、やりたい音楽を、マイケルが世界規模で発信してくれた』ある雑誌のインタビューでこう語っている久保田さん。しかし、久保田さんの音楽は、マイケルのモノマネではありません。『ポップ感があって、ブラックの脂っこさ全面じゃないけれども、ブラック好きの人が聴いてもうれしい部分と、両方を入れるのが、ボクの音楽スタイルであり、ボクの技術。』そう、これこそ、『Gold Skool』『久保田流のスタイル』なのではないでしょうか?
1993年からニューヨークに住み、日本だけでなく、アメリカでも活動をスタートさせた久保田さん。2010年には、改めて日本に拠点を移し25周年の活動を始動させています。『ニューヨークの生活で一番教わったのは、裸になっていく自分もカッコ悪くないってこと。ニューヨークでは、自分が本来持っているものが露骨に出るだけなんですよ。』そう語る久保田さん。新しいアルバム『Gold Skool』には、そんな久保田さんの裸の姿がつまっています。今夜は、久保田利伸さんをピックアップしました。

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