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村上RADIO~ジャズが不得意な人のためのジャズ・ヴォーカル特集~

村上RADIO~ジャズが不得意な人のためのジャズ・ヴォーカル特集~

こんばんは、村上春樹です。村上RADIO、もう二月なんですね。困ったもんです。まあ、べつに困ることもないんだけど。
今夜は、ジャズがいまいち不得意な人のためのジャズ・ヴォーカル特集です。意欲的というか、なかなか大胆な企画ですよね。さて、うまく行くでしょうか。ジャズはむずかしい、敷居が高い、と思っておられる方も世の中には多いかもしれません。たしかに、なかにはちょっと取っつきにくいものもありますけど、いったん慣れると意外に親しみやすく、また奥の深いものです。だまされたと思って、ちょっと耳を傾けてみてください。今夜はできるだけ楽しい、親しめるジャズ・ヴォーカルをかけようと思います。だましませんから、ご安心ください。
I Could Write A Book
Arthur Prysock
Arthur Prysock / Count Basie
Verve Records
最初に、僕が昔から愛好してる音楽を聴いてください。このレコードは、高校時代に買って以来、本当によく聴いていました。黒人歌手アーサー・プライソックが、カウント・ベイシー楽団をバックに歌う「I Could Write A Book」。“僕は文章を書くのは得意じゃないけれど、君についてなら、1冊の本だって書けちゃうよ”という歌です。
それくらい彼女のことをよく知っているわけですね。ロジャーズ&ハートの名曲です。これは、歌も素晴らしいんだけど、ここでとくに聴いてもらいたいのは、カウント・ベイシーのピアノと、フレディ・グリーンのナマのリズム・ギターの絡みです。こんな素敵な音が出せるのは、世界中探しても、この2人組しかいません。心地よくレイドバックしていて、しかもがっつりスイングしています。しびれます。高校生のときもしびれたけど、今でもまだ、ちゃんとしびれます。
(これはモノラルのほうだね、こっちがステレオで……2枚あると面倒だね)
僕はこのレコード、ステレオとモノラル、両方持っているんですけど、今日は高校時代に買ったステレオ盤でかけます。
(えーと、33回転のスタートで、何曲目だっけ。「I Could Write A Book」……あ、ちょっと待って……3曲目ですね。)
高校時代に聴いていて、店をやり始めてからもずっと聴いてて、それで、これだけまだきれいに聴けるのはすごいですよね。ジャケットはずいぶん傷んでいるけどね。レコードに押してあるスタンプはうちの店のマークで、僕が書いたんだと思う。そのスタンプをゴム判にして押してたんです。
でも、僕は思うんだけど、1人の女性について1冊の本を書くことはできても、その内容がどれくらい真実かというのは、ちょっと疑わしいところがありますよね。男女関係って、理解も大事だけど、誤解もほとんど同じくらい大事ですから。そうですよね、猫山さん?(にゃー)、羊谷さんはいかがでしょう?(めぇー)
Go Away Little Boy
LaVerne Butler
A Foolish Thing To Do
MAXJAZZ
次は南部ルイジアナ州出身の女性歌手ラヴァーン・バトラーが歌う、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンが書いたヒットソング、「Go Away Little Girl」のジャズ・ヴァージョンです。ここでは女性が歌うので、「Go Away Little Boy」になります。ラヴァーン・バトラーは、コーラス・グループ、ランバート、ヘンドリックス&ロスのジョン・ヘンドリックスに見いだされて、プロ歌手になった人です。
とっても自然な感覚で、わざとらしくなくすっと歌っているところに好感が持てます。最近はヨーロッパ出身の歌手がずいぶん多くなったけど、こういう、ふとしたナチュラルな感覚って、やはり本場というか、ソウルフードを食べて育った人にしか出せないものがあります。このヴァージョンね、僕はけっこう気に入っています。2000年の吹き込みです。
Monk's New Tune
Michael Franks
Dragonfly Summer
Reprise Records
次はマイケル・フランクスです。マイケル・フランクスは、かなり「脱力系」の歌い方をする歌手で、チェト・ベイカーを思わせるところがあります。彼の場合、歌うのはほとんどオリジナル曲なんだけど、同じような脱力タイプが多くて。長く聴いていると、ときどき眠くなったりします。でもこの「Monk's New Tune」は、ジャズ・フレイバーがピリッとあふれていて、僕の好みです。
主人公は夢の中で、ジャズ・ミュージシャンたちが集まってセロニアス・モンクの新曲を演奏しているところに居合わせるんです。モンクは、もうずっと前に亡くなっていますから、新曲なんてあるわけないんだけど、それでも夢の中ではちゃんと存在して、それがなんとも素敵な曲なんです。たとえ夢の話だとしても心がそそられますよね。
それではモンクの新曲なるものを聴いてください。マイケル・フランクスが歌います。ピアノのラッセル・フェランテをはじめとする、イエロージャケッツの腕利きのメンバーがバックをつとめています。1992年の録音です。
I've Never Been in Love Before
Lorez Alexandria
Alexandria The Great
Impulse!
次は、ロレツ・アレキサンドリア。ロレツ・アレキサンドリアは2001年に72歳で亡くなりました。とても歌のうまい人なんだけど、日本ではどうしてか過小評価されているみたいです。黒人女性歌手は歳をとると、どことなく脂ぎった歌い方になるんだけど、この人はそういうところがなくてよかった。1981年に来日したとき、銀座のジャズクラブに聴きに行きました。ピアニストがジャック・ウィルソンで、この組み合わせは最高に素敵でした。洒落ていて、ホットで、奥が深くて、まさに大人のジャズでした。僕はジャック・ウィルソンのファンだったので、彼のレコードを何枚か持っていってサインしてもらったんだけど、ロレツ・アレクサンドリアのレコードを持ってくるのをなぜか忘れたんです。
すると、それを見ていたロレツの顔がだんだん不機嫌になっていって、「おお、これはまずい」と思い、家に電話して彼女のレコードを5~6枚届けてもらいました。そして、それにサインしてもらい、それでやっと彼女も機嫌を直して、なんとか無事に、ご機嫌にステージを終えることができました。よかったです。
それが1981年4月のことです。このレコード・ジャケットには日付け入りの彼女のサインがあります。ロレツ・アレクサンドリアが「I've Never Been in Love Before」を歌います。「あなたの他に愛した人はいない」。1964年の録音、ウィントン・ケリーの自由自在なピアノ伴奏が素敵です。僕の持っているサイン入りのアナログ・レコードで聴いてください。うまいでしょ、なかなか……。
The More I See You
Chet Baker
Chet Baker Vocal Collection
DISKPORT
The More I See You
Chris Montez
A&M Digitally Remastered Best
A&M Records
さっき、マイケル・フランクスの歌い方が、チェト・ベイカーに似ているといいましたけど、今度は本物のチェト・ベイカーです。この人、本職はトランペッターなんだけど、歌も歌ってまして、今となっては、演奏よりヴォーカルのほうが、むしろよく記憶されているかもしれません。今日は「The More I See You」を歌います。「君を見れば見るほど、君のことが欲しくなる」という内容の歌です。
1958年の録音ですが、この頃からベイカーはヘロイン中毒のために、歌も演奏もだんだん力を失っていきます。そして最後には、ほとんどぼろぼろになって、自殺だか事故死だか、うやむやな怪しい死に方をしてしまいます。でもね、彼の歌には不思議な中毒性があるんです。一度聴くと、耳について離れません。
彼の脱力系の歌い方は多くの歌手に影響を与えますが、クリス・モンテスもその1人です。モンテスはジャズ歌手じゃないですが、ベイカーの歌い方をポップ・ソングにうまく応用して成功しました。彼の歌う「The More I See You」は、1966年に全米ヒットチャートの14位まで上がりました。アレンジはハーブ・アルパートです。2人の歌を聴き比べてください。よく似てます。それでは、チェト・ベイカーとクリス・モンテスの歌う「The More I See You」
Lovers in New York
Diane Hubka
Diane Hubka Goes To The Movies
SSJ
映画「ティファニーで朝食を」のテーマ音楽というと、もちろん「ムーン・リバー」が有名なんだけど、このもう1つのテーマも素敵な音楽です。耳にする機会は少ないですけど、僕はこの曲、昔から好きでした。聴いていると、映画のシーンが頭にすっと浮かんできます。
オリジナル・サウンドトラック盤では、タイトルは「Breakfast at Tiffany's」とクレジットされていますが、このダイアン・ハブカのアルバムでは「Lovers in New York(ニューヨークの恋人たち)」というタイトルに変えられています。もともとは歌詞のない曲だったんだけど、歌詞をつけるときにタイトルも変えたんですね。
ハブカさんの、映画音楽だけを集めたこのアルバムは、2005年に録音されました。選曲もなかなか面白く、ロバート・アルトマンが監督した映画「ロング・グッドバイ」のテーマなんていう渋いものも入っていて、通にも楽しめる出来になっています。それでは、ダイアン・ハブカが歌う「Lovers in New York」を。
You Inspire Me
カーティス・スタイガーズ
You Inspire Me
ビクターエンタテインメント
カーティス・スタイガースという歌手のことは、よく知りませんでした。でも、たまたま中古屋さんのバーゲンで買ってきたこのCDが、けっこう気に入っています。
もともとはジャズのサックス奏者で、ジーン・ハリスのバンドなんかにも入っていたそうです。途中、ポップス歌手としてもデビューしたんだけど、もうひとつ満足できなくて、結局こうしてジャズを歌うようになったということです。
2003年に録音されたこのアルバムには、キンクスとかボブ・ディランとかジョー・ジャクソンとかビリー・ジョエルなんかの比較的地味な曲が選ばれていて、ラインナップを見ているだけで「おお」とか思います。スタイガースさん、なかなか選曲のセンスがいいです。なかでも、このニック・ロウの作った「You Inspire Me」。僕は、このアルバムを聴くまで、聴いたことがなかったんですが、「ふうむ」と思わず唸りたくなるような味わい深い曲です。聴いてみてください。
Winter Wonderland
Sonny Rollins
Sonny Rollins & Co. 1964
Bluebird
冬も深まっています。今日のエンディングは、ソニー・ロリンズの演奏する「ウィンター・ワンダーランド」です。ロリンズが演奏すると、あんまり冬景色っぽくないですけど、とりあえず季節もので――。
今日の最後の言葉は、トランペッターのディジー・ガレスピーです。これは、僕が直接耳にした言葉です。
1990年代の初め、アメリカに住んでいるときに、ニューヨークの「ブルーノート」でガレスピーのバンドの演奏を聴いたんですけれど、日本人の客は、ほとんどテーブルに突っ伏して寝てるんです。というのも、日本から飛行機で東海岸に着いて、ジャズクラブで演奏が始まる頃には、もう時差ぼけで眠くってしょうがないんです。僕にも何度かそういう経験があります。とにかく我慢できないくらい眠い。
で、ガレスピーはお茶目な人だから、ソロを吹きながらテーブルを回って、眠っている人の耳元に「びゅっ」と大きい音を出して、一人ひとり目を覚まさせるんです。店内は大爆笑でした。そのときのガレスピーの言葉。
「日本人ってほんと変わってるよな。熟睡するために、わざわざニューヨークのジャズクラブまで来るんだから」

今日はここまで。来週日曜日の全国放送でも引き続きジャズ・ヴォーカル特集をやります。お楽しみに。

村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。