MURAKAMI RADIO
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こんばんは、村上春樹です。今夜は「くたばれ、アカデミー賞」というタイトルで、アカデミー主題歌賞にノミネートされながら、惜しくも受賞を逃した名曲を集めてお送りします。こんな素敵な曲が受賞を逃すなんて……と首をひねってしまう例がたくさん出てきます。まあ、賞なんていうのは、どんな賞にしてもあくまで水物(みずもの)ですから、そういうこともしばしば起こります。めでたく賞はとったけどそのうちに忘れられていく曲、惜しくも受賞は逃したけど人々の記憶に残り、長く歌い継がれていく曲、人と同じように音楽にも様々な運命があります。

<オープニング曲>
Donald Fagen「Madison Time」

この「くたばれ、アカデミー賞」といういささか乱暴なタイトルは、僕が思いついたものじゃなくて、スティーブ・ローレンスが1963年にリリースしたアルバムのタイトルから借用したものです。LPの原題は「Academy Award Losers」という、いたってシンプルなものなんですが、日本で発売されたときはこういう元気なタイトルになっていました。
このアルバムには、1950年より以前に受賞を逃した名曲たちが入っていますが、今夜は1960年代に受賞を逃したloser(ルーザー)たちを中心に取り上げたいと思います。僕の好きな曲がずらりと揃っています。お楽しみください。
Call Me Irresponsible
Jack Jones
American Songbook Series: James Van Heusen
Smithsonian Collection
さて1960年のアカデミー主題歌賞は「日曜はダメよ」が、1961年には「ムーン・リヴァー」が、1962年には「酒とバラの日々」がとっています。どれも文句なしの名曲で、異議を唱える余地はありません。順当な受賞です。
いささか問題になるのは、というか僕が個人的に異議を申し立てたくなるのは、1963年です。この年の主題歌賞は「パパは王様」という映画の主題歌「Call Me Irresponsible(ぼくは無責任)」がとっています。落選したのがヘンリー・マンシーニの「シャレード」です。
「Call Me Irresponsible」もジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲したなかなか好ましい曲なんだけど、この曲を知っている人は今となっては、たぶんそんなに多くはないでしょうね。ちょっと聴いてみてください。ジャック・ジョーンズが歌います。「Call Me Irresponsible」。
Charade
Sarah Vaughan
Sings The Mancini Songbook
Mercury
More (Theme From Mondo Cane)
Frank Sinatra・Count Basie And His Orchestra
It Might As Well Be Swing
Reprise Records
それに比べて、「シャレード」は今でも多くの歌手に取り上げられ、よく耳にする曲です。エバーグリーンになっているっていうかね。マンシーニは2年続けてオスカーをとっていますので、「3年連続でヘンリーさんが受賞というのはちょっとなあ……」と、あるいは審査員たちが忖度(そんたく)したのかもしれませんね。
それからこの年には「モア」もノミネートされました。『世界残酷物語』というイタリア映画の主題歌です。これも間違いなく後世に残る名曲ですね。作曲者はリズ・オルトラーニ。
続けて聴いてください。1963年度の気の毒な落選曲2曲。サラ・ヴォーンの歌で「シャレード」、そしてフランク・シナトラの歌で「モア」、このバックはカウント・ベイシー楽団、アレンジはクインシー・ジョーンズです。
Dear Heart
Chris Connor
Sings Gentle Bossa Nova
Probe
1964年もまたもや、ヘンリー・マンシーニさんが涙を呑(の)みます。彼の『ディア・ハート』が、『メリー・ポピンズ』の主題歌「チム・チム・チェリー」に負けちゃったんです。ディズニー映画『メリー・ポピンズ』は映画として大ヒットしたので、好意的な票が集まったのでしょうが、僕の推しは『ディア・ハート』の方だったので、ちょっとがっかりしました。
『ディア・ハート』という映画自体は大したものじゃなくて、本国でもあまり評判にもならなかったし、日本では公開もされませんでした。そのせいで損をしたかもしれませんね。でも良い曲です。『ノルウェイの森』という僕の小説の中にも、この曲をちょこっと登場させたと記憶しています。
マンシーニの作るメロディーって、チャーミングで美しいんだけど、そこにはいつも仄(ほの)かな悲しみのようなものが含まれています。クリス・コナーがボサノヴァのリズムで落選曲『ディア・ハート』を歌います。
Love Theme From "The Sandpiper" (The Shadow Of Your Smile)
Astrud Gilberto
The Shadow Of Your Smile
Verve Records
I Will Wait For You
Chris Montez
Watch What Happens
A&M Records
さて、1965年にはジョニー・マンデルが作った『いそしぎ』が受賞しました。まずは『いそしぎ』の主題曲「The Shadow of Your Smile」を聴いてください。歌うのはアストラッド・ジルベルトです。
「The Shadow of Your Smile」、これは文句ない名曲です。ケチの付けようはありません。しかしミシェル・ルグランが『シェルブールの雨傘』の主題歌「I Will Wait For You(あなたを待っている)」で落選したのは、やはり気の毒でした。とても素敵な曲なんですけどね。そしてまた映画としては、エリザベス・テイラーとリチャード・バートンのカップルが共演した大甘のラブ・ロマンス『いそしぎ』よりは、『シェルブールの雨傘』の方がずっと上だとぼくは個人的に思いますが。
クリス・モンテスが歌います。ミシェル・ルグラン作曲の落選曲「I Will Wait For You」。
Alfie
Rita Reys
The Real... Rita Reys
Columbia
1966年のアカデミー主題歌賞はジョン・バリーの作曲した『野生のエルザ』がとりました。「Born Free」、美しいメロディーですね。
でも賢い雌(めす)ライオンがこの受賞を背後からそっと支えているような気がしてなりません。エルザ、素敵でしたものね。
この年、エルザのおかげで受賞を逃したのは、バート・バカラックの名曲『アルフィー』でした。僕はこの『アルフィー』という映画が好きでした。小ぶりだけど味があってね。若き日のマイケル・ケインが調子のいい遊び人、アルフィーをとても魅力的に演じていました。オランダ人のジャズ歌手、リタ・ライスが落選曲「アルフィー」を歌います。
The Look Of Love
Carmen McRae
For Once In My Life
Atlantic
1967年の主題歌賞にもやはりバカラックさんが絡んできます。この年オスカーを受賞したのは、映画『ドリトル先生不思議な旅(Doctor Dolittle)』の主題歌「Talk To The Animals(動物と話そう)」でしたが、こう言ってはなんだけど、そんな面白い音楽じゃなかったです。僕としては、それよりはバカラック作曲の「The Look Of Love(恋の面影)」の方がずっと味わい深い音楽に思えました。まあ、人の好みはそれぞれですけどね。
ちなみにこれは映画『007(ダブル・オー・セブン)/カジノ・ロワイヤル』という、かなり変則的な007映画の主題曲でした。ちょっとややこしいんですが、あとで作られたダニエル・クレイグ主演の『007/カジノ・ロワイヤル』とはまったく違う映画です。いろんな俳優がかわりばんこにボンド役をやって、中にはウディ・アレンまで入っていました。
バカラックさん、これで2年続けてふられちゃったわけですが、この1年後に『雨に濡れても』で見事オスカーを獲得することになります。
カーメン・マクレエが朗々(ろうろう)と歌います。「The Look Of Love(恋の面影)」
The Windmills Of Your Mind
Dianne Reeves
When You Know
Blue Note
People
Ella Fitzgerald
Hello, Dolly!
Verve Records
翌年、1968年には、『シェルブールの雨傘』でふられたミシェル・ルグランが映画『華麗なる賭け』の主題歌「風のささやき(The Windmills of Your Mind)」で雪辱(せつじょく)を果たし、アカデミー賞を獲得します。これはきわめて順当な受賞ですが、その一方でウィリアム・ワイラーが監督した映画『ファニー・ガール』の主題歌「People」が落選したのは、少しばかり気の毒でした。ライバルが強力すぎたのでしょうが、ジュール・スタインの作曲した魅力的な曲です。映画の中ではバーブラ・ストライサンドが歌っていましたが、今日はエラ・フィッツジェラルドの圧倒的な歌唱で聴いてください。
まずは受賞曲の「風のささやき」をかけます。歌うのはダイアン・リーヴズです。そしてエラの歌う落選曲「ピープル」。
Toute La Pluie Tombe Sur Moi "Raindrops Keep Falling On My Head"
Sacha Distel
Les Plus Grands Succès de Sacha Distel
East West France
Jean
Al Martino
Jean
Capitol
1969年のオスカーは、先ほども言いましたように、バカラックの『雨に濡れても』が獲得しました。これについては何ひとつ文句もありませんが、この年には強力なライバルが2曲ありました。ひとつは映画『ミス・ブロディの青春』の主題歌「ジーン」、そして『真夜中のカウボーイ』の主題歌「うわさの男」です――といっても「うわさの男」はなぜかノミネートすらされませんでした。どうしてかな?
ロッド・マッケンの作曲した「ジーン」はとても美しいメロディーを持った曲で、僕は大好きです。マギー・スミスの主演する映画も面白かったですしね。
アル・マルティーノの歌で「ジーン」を聴いてください。このアルバム、亡くなった僕の大学時代の友だちが残してくれたものです。まだずっと若い頃に命を絶ってしまって、そのレコード棚からこのLPを1枚形見にいただいてきました。ときどきターンテーブルに載せ、針を落として、昔を偲(しの)んでいます。
まずは受賞曲の「雨に濡れても」をサッシャ・ディステルがフランス語で歌います。これがなかなかいいんです。
それからアル・マルティーノの歌で落選曲「ジーン」。
My Foolish Heart
Steve Lawrence
Academy Award Losers
CBS/Sony
ここまでが1960年代のloserたちですが、せっかくだからスティーブ・ローレンスのアルバム『くたばれアカデミー賞』から1曲聴いてください。
1949年に受賞を逃した名曲「マイ・フーリッシュ・ハート(愚かなり我が心)」です。ビル・エヴァンズの名演でも有名な美しい曲です。
それでは、この年にどんな曲がオスカーを獲得したのか?「Baby, It's Cold Outside(外は寒いよ)」という曲です。コミカルな楽しい曲なんですけど、「マイ・フーリッシュ・ハート」の方がやはり深みがあるよなと、僕は思います。
スティーブ・ローレンスが歌います。「マイ・フーリッシュ・ハート(愚かなり我が心)」。
My Foolish Heart
Richie Beirach
Ballads
CBS/Sony
今日のクロージング音楽はリッチー・バイラークの演奏する「マイ・フーリッシュ・ハート」です。名曲中の名曲ですが、タイトルを同じくする映画の方はひどい出来だったですね。原作者のサリンジャーが激怒したのも無理ないです。それ以来、サリンジャーは自作の映画化をいっさい拒否するようになりました。

今夜の特集「くたばれ、芥川賞」じゃなくて、えーと、なんだっけ、「くたばれ、アカデミー賞」……お楽しみいただけましたでしょうか?
表舞台で華やかに賞を受けたものだけが、素晴らしいわけじゃありません。裏通りにも美しい花がこっそりと咲いています。
今日は絵本のプレゼントがあります。パトリック・マクドネルさんの絵本『あらゆるものがおくりもの』(実業之日本社)、原題は“The Gift of Everything”で、僕が翻訳しました。猫のムーチ君が活躍する素敵な本です。絵を見ているだけでほのぼのとした気持ちになれます。僕は昔からムーチ君のファンだったんで、楽しんで翻訳しました。今日はこの本を番組リスナーの方10名にプレゼントします。僕のサインを入れてお送りしますね。ご希望の方は、番組サイトから応募フォームにメッセージを送ってください。
さて、今月の言葉はマルティン・ブーバーというオーストリアの哲学者の言葉です。1878年に生まれた人ですから、かなり昔の発言になりますが、彼はテクノロジーと人間の関係について、このように語っています。

「テクノロジーが私たちを非人間化する前に、私たちがテクノロジーを人間化する必要がある」

うーん、つい数年前までであれば、この言葉、たしかにその通りだよな、と思えたんだろうけど、AIなんてのが出てきた今となっては、「テクノロジーを人間化する」と言われても、なんか薄気味悪ささえ感じてしまいますよね。そんなことしたら、世界はえらいことになっちまうんじゃないか、とね。
僕も最近「AIが上手に小説を書くようになったら、小説家にとっては脅威になるんじゃありませんか」みたいな質問をよく受けるようになりました。
でも簡単にいえば、AIって人間の基本的な思考パターンをベースに、これまで蓄積された膨大な量の情報を手早く組み立て直しているだけなんですよね。でも本物の小説を書くのって、それだけじゃ足りないんです。そこには論理を超えた予感やら妄想やら、矛盾した感情やら、突然の飛躍やら、そういうものがなくてはなりません。僕はそれを「小説家脳(小説家の脳みそ)」と呼んでいるんですが、でもそれはAIが持ち合わせてはいないものですよね。
だから僕としては今のところ、AIをとくに脅威だとは感じていません。逆にAIが僕らのことを脅威と見なしてくれたりすると嬉しいんですけどね。

それではまた来月。

スタッフ後記

スタッフ後記

アカデミー賞にノミネートされながらも受賞を逃した、しかし素晴らしい映画音楽の数々はいかがだったでしょうか。誰もが知るあの名曲が、実は受賞を逃していたという事実には、そうだったんだと驚いた方も多いのではないでしょうか。 今回、映画音楽の意外な話を紹介しながら、村上さんはとても楽しそうでした。放送でお届けした楽曲は、どれも聴く者の記憶に長く残り続ける魅力を持っています。ぜひ、それぞれの映画のシーンを思い出しながら、radikoのタイムフリーでもう一度聴いてみてください!サイン入り絵本のプレゼントもみなさん応募してくださいね! そして、10/1(木)に『村上RADIO「翻訳夜話」スペシャル~音楽で仮定法を学ぶ~』と題して村上RADIOの公開収録が行われます!この模様は11/3(火・祝)14:00から放送されますので、こちらもぜひお楽しみに!!(「村上RADIO」スタジオ・チーム)

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村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『街とその不確かな壁』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。