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村上RADIO~ジャズが苦手な人のためのジャズ・ヴォーカル特集~

村上RADIO~ジャズが苦手な人のためのジャズ・ヴォーカル特集~

今日は「ジャズが苦手な人のためのジャズ・ヴォーカル特集」です。この企画、前々からやりたいと思っていたんです。ジャズが不得意な人、苦手な人に、どれだけ楽しくジャズ・ヴォーカルを聴いてもらえるか――。正直なところ、あんまり自信はありません。だから偉そうなことは抜きにして、とにかく僕が個人的に好きな音楽をかけます。選曲の基本的コンセプトは「素敵な女性と、あるいは男性と親密なデートをして家に帰ってきて、ソファーに1人で横になり、ほかほかとあれこれを思い出しながら耳にしたいような音楽」です。うまくそういう音楽がかかるといいですね。
The New ABC
Lambert, Hendricks & Ross
High Flying
ソニー
まずはジャズ・コーラスからいきます。僕の大好きなコーラス・グループで、ランバート、ヘンドリックス&ロスの歌う、「The New ABC」。誰もが知っているABCソングをジャズにアレンジしたものです。このグループは、ヴォーカリーズが得意な3人の歌手が集まってできたグループで、1957年から62年にかけて活躍しました。
「ヴォーカリーズ」というのは、ジャズの器楽曲にあとから歌詞をつけて歌うもの。テクニックの高さとセンスの良さにかけては、その手のグループで、このランバート、ヘンドリックス&ロスにかなうものはいません。黒人1人、白人1人、英国人の女性1人という、ちょっと不思議な組み合わせの3人組です。
しばらく前に、英国のある現代音楽家とジャズの話をしていたら、たまたま「あのアニー・ロスって歌手、ぼくの叔母なんだよ」と言われまして、「えー、すごいじゃない」と言ったら、相手は「何がそんなにすごいんだろう?」という怪訝な顔をしていました。親戚内部では、あまり評価されてなかったのかもしれないですね。でもこの人たち、ほんとにすごいです。
The Telephone Song
Astrud Gilberto
イパネマの娘 スタン・ゲッツ・ボサ・ノヴァ・イヤーズ
ユニバーサルミュージック クラシック
It's A Pity To Say Good-Night
Ann Burton
Some Other Spring
Lob
次は2曲続けて聴いてください。アストラッド・ジルベルトの歌う「Telephone Song」と、アン・バートンの歌う「It's A Pity To Say Goodnight」。どうしてこの2曲を続けてかけるかというと、両方とも最後のおまけが素敵だからです。
まず、アストラッド・ジルベルトの「The Telephone Song」。これは、スタン・ゲッツが1965年に出したライブ・アルバム『Getz au Go Go』に収められています。当時ゲッツとアストラッドは不倫関係にありまして、一緒にツアーをして回っていたんです。途中で大げんかして決裂しちゃいますが、うまくいっている間は、とてもうまくいっていたようです。
もう1つはアン・バートンの「It's A Pity To Say Good Night」。「おやすみを言うのはつらいね」という内容の歌ですが、「どうしてもお別れしなくちゃならないのなら、おやすみのキスをして」という歌詞で終わって、そこでアン・バートンがマイクに向かって、チュッとキスしてくれます。アン・バートンはオランダ人の歌手で、このレコードは1980年4月に日本で、ダイレクト・カッティングで録音されました。素晴らしい音質のアナログでおかけします。キスの音が生々しくリアルです。含み笑いとキス……2曲続けて楽しんでください。
ダイレクト・カッティングというのは、普通アナログ時代は、まずテープに録って、それをレコードにカッティングするんだけど、テープを抜かして、直接マザーレコードにカッティングしちゃうんです。だからプロセスが1つ少なくなるので、そのぶん音がいいんですね。そのかわりダイレクト・カッティングは一発録りだから失敗できないんです。これはミュージシャンにとってはけっこうきついんですよね。
Take Five
Carmen McRae
休日音楽 Sweet And Jazzy
SONY MUSIC JAPAN
数あるジャズ楽曲のなかでも、「A列車で行こう」と並んで、いちばん世に名高い「Take Five」。カーメン・マックレーが、本家本元のデイヴ・ブルーベック・カルテットをバックに、歌詞をつけて歌います。すごく贅沢な組み合わせですね。マックレーのけっこうねちっこい歌唱と、ポール・デスモンドの飛び抜けてクールなアルト・サックスがうまく合うのかなと、聴く前はちょっと心配になるんだけど、さすが超一流のプロたちですね。ぴったりと文句なしに合ってます。
When You're Smiling
Billie Holiday
ビリーとレスター~ジャズ・ストーリー~
SME Records
When You're Smiling
リー・コニッツ
Tranquility
Verve Records
僕がいちばん素晴らしいと思うジャズ歌手は、常に変わることなくビリー・ホリデイです。今日は、彼女が1938年にテディ・ウィルソン楽団と共に吹き込んだ「When You're Smiling」(君微笑めば)をかけます。SPレコードの時代なので、録音時間が約3分に制限されています。だから演奏がぎゅっと集約されるんです。余分なものがない。
僕はこのレコードを、かれこれ50年くらい聴き続けていますが、まったく聴き飽きません。何度聴いても、そのたびに新鮮です。ベニー・モートンのトロンボーン・ソロで始まり、本命のビリー・ホリデイの歌があって、これはもちろん素晴らしいんだけど、そのあとのテディ・ウィルソンのピアノ・ソロ、それに続くレスター・ヤングのテナー・ソロ、そしてバック・クレイトンのトランペットのフィナーレ。どれをとっても、まったく無駄のない、見事な「3分間芸術」です。
とりわけレスター・ヤングのソロは完璧で、聴いていてほれぼれします。レスターのアドリブは、ただコード進行に沿って自由に即興で演奏する、みたいな通常のレベルを遙かに超えて、とにかく自由自在に空中からオリジナルなメロディーを紡ぎ出していきます。天才にしかできない技です。彼のソロを注意して聴いてみてください。
このレスター・ヤングのソロは評判になりまして、あちこちで引用されていますけれど、いちばん有名なのはリー・コニッツの演奏したものです。レスター・ヤングのこの曲でのソロを、アルト・サックスのコニッツと、ギターのビリー・バウアーがユニゾンで、一音違わず完全コピーしてます。これね、なかなかすごいので、ちょっと聴いてみてください。(……素晴らしい。)
Norwegian Wood
Kurt Elling
The Gate
Concord Jazz
僕が今、ジャズ・ヴォーカルの世界でいちばん高く評価している男性歌手の1人、カート・エリングです。何年か前にニューヨークに行ったとき、彼が「バードランド」に出演していまして、聴きに行ったんですが、休憩時間にちょっとテーブルで話をしました。とてもインテリジェントで穏やかな人だったです。ステージの上だと、けっこうぐいぐい押しまくるんですけどね。
カート・エリングは昨年11月に来日しまして、東京で一夜限りの公演をしたんですが、これは素晴らしかったですよ。スミソニアン・ジャズ・マスターワークス・オーケストラというビッグバンドをバックに歌ったんですが、聴き応えありました。今の時代、ビッグバンドをバックに歌が聴ける機会って、まずないんです。第一、常設ビッグバンドみたいなものが、もうほとんど存在していませんから。でもその夜は、腕の良いビッグバンドを従えた豪勢なジャズ・ヴォーカルで、もうたっぷり堪能しました。今日は彼の歌うレノン/マッカートニーの「Norwegian Wood」を聴いてください。
なにがジャズ・ヴォーカルで、なにがポピュラー・ボーカルかというのは、すごく区別が難しくってグレーゾーンがけっこうあるんだけど、だいたいわかるんですよね。どれだけジャズミュージシャンを集めてジャズっぽく歌っても、ジャズになっていない人もいるし。ふつうのポピュラーの曲を歌っていても、聴いていると「あ、これジャズだな」とわかる人もいます。そのへんの区別はむずかしい。
どうしてそういう差が出るのかはわからないけど、もうこれは生まれつきなのかもしれない。例えばトニー・ベネットとフランク・シナトラを比べると、トニー・ベネットはジャズが好きでジャズミュージシャンをバックによく歌っているけど、ジャズになってないなと思うことがたまにあります。でもシナトラは、どう歌ってもジャズのスピリッツがけっこうあります。そのへんは微妙です。もちろんシナトラがベネットよりえらいとか、そういうのではないんだけど、持ち味ですよね。そういう意味で、カート・エリングはなにを歌ってもジャズになってしまう人です。
Early Autumn
Anita O'Day
The Verve Years 1957-1962
Not Now Music
Parisian Thoroughfare
カリン・アリソン
From Paris To Ri
Concord Records
次は2人の女性歌手によるヴォーカリーズとスキャットを聴いてください。1曲目は、スタン・ゲッツのソロをフィーチャーしたウディ・ハーマン楽団の演奏でヒットした「Early Autumn」(初秋)、これをアニタ・オデイが歌います。1958年の録音で、アレンジはマーティ・ペイチです。ほんとうに美しいメロディーですね。スタン・ゲッツは、この曲の演奏で一躍スターダムにのし上がりました。
それからバド・パウエルの作った「パリの歩道」(パリの目抜き通りで)です。この速い曲をスキャットで歌うのは、かなり難度の高い技なんですが、カーリン・アリソンは見事にさらっとやり遂げています。現在活躍している女性歌手のなかでは、彼女は最も実力のある1人だと思います。ピアノを弾いているのは、伴奏の名手、ポール・スミス。1999年の録音です。
アニタ・オデイとスタン・ゲッツは、短い期間ですが、スタン・ケントン楽団で同僚だったんです。同僚といっても、そのときゲッツはハイスクールをドロップアウトした17歳。一方のアニタは、20代半ばで、既にスター歌手になっていました。ゲッツはまだ若造なので、なかなかソロをとらせてもらえなくて、お姉さん格のアニタのところに行って、「ねえアニタ、僕にソロをとらせてくれって、ケントンさんに頼んでもらえないかな」って甘えるんです。アニタは姉御肌の人だから、「いいよ、任せときな」みたいになるんだけど、さてどうなるか……。
結末は、僕が翻訳したスタン・ゲッツの伝記(『スタン・ゲッツ―音楽を生きる―』)を読んでみてください。
Light My Fire
Lisa
Embraceable
スパイス オブ ライフ
次は、スウェーデンの女性ジャズ歌手・リーサの歌うドアーズの「Light My Fire」。原曲とは、かなり肌合いの違う、クールでスマートな仕上がりになっています。

ジャケットの解説によると、トランペッターのクリス・ボッティと一緒にヨガのクラスに行って、そのときに、ふと口笛でこの曲を吹いていたら、ボッティもそれに合わせて口笛を吹き始め、それ以来メロディーが頭から離れなくなったということです。そういえば、なんとなく朝ヨガ風の雰囲気はありますね。朝ヨガ風の「Light My Fire」、たまにはこういうのもいいかもね。(羊さん、メェ~)
L-O-V-E
Gregory Porter
Nat "King" Cole & Me
Blue Note
次は実力派の黒人男性歌手、グレゴリー・ポーターがナット・キング・コールに捧げたアルバムからの1曲です。“L-O-V-E”、この曲はコールさんが歌って1964年に大ヒットしましたが、残念ながらその翌年、彼は肺がんのために亡くなっています。チェーン・スモーカーだったんですね。
コールさんは紳士的で家庭的な人で、温厚な性格で知られていますが、実際には生涯を通じて、人種問題でけっこう苦労したようです。彼は歌手として成功してから、ロサンジェルス郊外の白人が居住する区域に家を買ったんですが、近所の住民は黒人が入り込んでくるのを嫌って、「好ましくない人」を排除するための署名活動を起こしました。コールさんはそれを聞いて、その近所の家に行って、にこやかにこう言いました。
「私にも署名させてください。だって、好ましくない人が近所に越してきたら、私も困りますからね」。おかしいけど笑えない話ですよね。でもそれにもかかわらず、ナット・キング・コールの歌は、いつも僕らの心を不思議なくらい明るくしてくれました。
Loving You
Roland Kirk
The Return Of The 5000 Lb. Man
Warner Bros. Records
今日のエンディングは、ローランド・カークが演奏する「Loving You」、ミリー・リパートンの1974年のヒットソングです。このアルバムが出た頃は、「ローランド・カークが、こんなのやるんだ」と驚きましたが、いま聴くと、ほほえましくていいですね。
少し前のオーストラリアでの話です。シドニー郊外の街に、週末になると暴走族の若者たちが集まるパーキングロットがありまして、その結果、いろいろと問題が発生したんです。それで商店街の人々は、彼らがそこに来ないようにするために、できるだけ若者受けしない、ダサい音楽を拡声器で流そうと決め、それは「マニロウ作戦」と名付けられました。バリー・マニロウの音楽がプログラムの中心になったんです。気の毒に、ダサい音楽の代表格にされたんですね。
それについてのマニロウさんのコメント。

「おいおい、もしその連中が僕の『Can't Smile Without You』(涙色の微笑)を合唱しだしたら、いったいどうするんだよ?」

しないって……とか思いますけどね。実際にこの「マニロウ作戦」、なかなか効果があったんだそうです。日本のどこかでもやっているかもね。
それではまた今度。 

スタッフ後記

スタッフ後記

  • アニタ・オディ、アン・バートン、クリス・モンテス‥‥‥。春樹さんとっておきのジャズセレクションは、バレンタインデーのあるこの2月、恋人たちの季節にぴったりなのです。日曜の夜7時、想いを寄せるあの人とご一緒にFMに耳を傾けてみてください。もちろん、一人でお聴きになっても幸せな気分になることうけあい。僕は春樹さんの番組を参考に自分だけのコンピレーションを作ってしまいました!(延江エグゼクティブプランナー)
  • ふと見ると、スタジオ内では村上さんがレスター・ヤングのテナーサックス演奏に合わせて、「♪トゥルルルル ルットゥットゥ」とスキャットしています(番組に収録されていますね)。この曲をずっと愛誦してるんだなぁと実感した瞬間でした。1938年録音の演奏はレスター・ヤング(tenor sax)、テディ・ウイルソン(piano)など素敵なメンバーが揃っています。今、街はマスク姿が目立ちますが、「村上RADIO」の音楽と語りを聴いて、春には世界中に笑顔があふれてほしいと思います。(エディターS)
  • 今回の「村上RADIO」は、2週にわたりジャズ・ヴォーカルを特集しました。古いもので80年以上前の曲を聞くことができます。これらの曲を聞いていると、当時は生活の空気に溶け込むことを目的とした音楽が求められていたのかなと思いました。それは、今の生活空間で聞くと不思議な響きをして、昔というよりむしろ未来から聞こえてくる音楽のように感じます。そんな音楽の持つ錯覚を楽しんでいただけると嬉しいです。(キム兄)
  • ジャズが“苦手な人”&“不得意な人”の為のジャズ・ボーカル特集いかがでしたか?オンエアしたい曲が多すぎて、2回のシリーズに分けて放送してしまった今回の村上RADIO。“不得意な人”の為のボーカル特集は、東京エリアの方のみの放送だったので、全国の人にお届けできずにすみません。 そうそう、先日春樹さん原作の「ねじまき鳥クロニクル」の舞台を見に行ってきました。イスラエルの奇才インバル・ピントさんが演出・振付・美術を手掛けたステージはとても芸術的な空間に仕上がっており、大友さんの生演奏で彩られ、音楽と演技とダンスとストーリーが完璧なハーモニーを奏でておりました。ぜひ舞台で見て欲しいです!(レオP)
  • 村上RADIOでは毎回色んな音楽を村上春樹さんが紹介してくださって、今まで接点のなかった音楽に触れたという方も多いと思います。今回は自分もあまり聞いたことのなかったジャズの世界に触れられて、新しい音楽の趣味ができそうです。次回も楽しみですね。(CADイトー)
  • 「村上RADIO」の音源はすべて春樹さん個人所蔵のレコードやCDを使用しています。今回オンエアしたレコードのいくつかには「ピーター・キャット」のスタンプが捺してありました。猫ちゃんの顔とアルファベットで「Peter Cat」の文字。このレコードが「ピーター・キャット」のレコードプレーヤーの上でくるくる廻っていたと思うと、なんだか不思議な気分になりました。「村上RADIO」は「あなた専用のピーター・キャット」なのかもしれません。(構成ヒロコ)

村上春樹(むらかみ・はるき)プロフィール

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。’79年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、最新長編小説に『騎士団長殺し』がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』、『パン屋再襲撃』などの短編小説集、『ポートレイト・イン・ジャズ』(絵・和田誠)など音楽に関わる著書、『村上ラヂオ』等のエッセイ集、紀行文、翻訳書など著訳書多数。多くの小説作品に魅力的な音楽が登場することでも知られる。海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、’09年エルサレム賞、’11年カタルーニャ国際賞、’16年アンデルセン文学賞を受賞。