2025.11.18
美容で地域に灯美を
ONE MORNING「 The Starters 」
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして
そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。
今週とゲストは先週に引き続き、株式会社andUS代表取締役社長の廣岡伸那さんです。廣岡伸那さんは1984年、富山県のお生まれ。大学卒業後、大手化粧品メーカー勤務を経て、地元で美容関連のコンサルタントとして2012年6月にandUS(アンダス)を創業されています。andUSは、富山県富山市にある会社です。先週は、主な事業内容をうかがいました。最近、美容業界が厳しいと言われますが、andUSは、美容サロンの経営を、動画コンテンツや会計などからコンサルティングするサービスを提供されています。
廣岡さんは、子どもの頃の経験から美容室に思い入れが強いそうなんですが、何があったんでしょうか?
皆さんもそうだと思うんですが、今の職業ってなんとなく直感で選んでいるところはあるじゃないですか。でも、コロナに入った時に会社がピンチで、それを脱した時にふと、「どうしてこんなに美容業界に思い入れが強いんだろう」と、思い返してみたんです。そうすると、小学一年生の時の埋もれていた記憶がありました。ゴールデンウィークの時に、顔面をバーベキュー会場で火傷するという大きな怪我を負ったんです。まだ小一の5月でコミュニティがしっかりできてない、校友関係がしっかり固まってない状況で、前髪と眉毛とまつげと全部なくなったんです。その後、ガーゼだらけでゴールデンウィーク明けを迎えて学校に行ったんですが、子どもってやっぱり残酷ですから、激しいいじめを受け、不遇な小学一年生の一学期を過ごしました。」
ただでさえ、一年生って不安なのにそれはつらいですね。
「夏休みが終わった後になると、いじめも緩和してきてる中で、前髪が短めに生えてきて、全体像はこうヘルメットのような髪型になっていたんですね。それを見るに見かねた母が美容院を予約してくれたんですが、そこの美容師のおばさんが髪の毛を切りながら「かっこよくなってきたよ」や、「なんか明日学校楽しみだね」と前向きな言葉をかけてくれて、髪切られた時に初めて「あ、学校行きたいかも」って思ったんですね。外見が綺麗になると、前向きな言葉がけをもらうと、人ってとても前向きになれるというのが、原体験としてずっと残っていたんですよね。」
特に子供時代のつらかった記憶を塗り替えてくれた出来事だったから、大人になってもその記憶は心の奥で残っていたんですね。
その後、大手化粧品メーカーに入られて、いつ頃から独立しようと思われたんですか?
「それが全く思っていなかったですね。東日本大震災がきっかけだったんですが、その前後で父と兄が体調を崩しまして、それもあって富山に帰ったことが最初のきっかけですね。」
富山に帰って何をされようとしていたんですか?
「ほぼほぼ無計画な状況で、とにかく父と兄の何かフォローができるように近くにいようということだけ考えていました。」
でも、やっぱり仕事は何かしらやらなければならないわけですよね。
「その時付き合っていたのが今の妻なんですが、妻がまつエクサロンを経営していたんです。そこを確定申告等の裏方の手伝いをしていました。うちの妻はすごくアクティブで売り上げも高かったこともあり、「法人化していないと結構税金高いぞ」となり、妻と相談して法人化してできた会社なんです。」
なるほど。それが今につながっているんですね。
「一見綺麗なプロフィールなんですけど、実は目の前のことを一生懸命やってきた結果、今があるという感じですね。」
会社としては順風満帆に感じますけれども、創業から2年で社員さんが全員、同時退職したとお聞きしたんですがこれは一体何があったんでしょうか?
「その時は、相手に指をさして、「なんでお前辞めるんだ」と、「辞めた奴が悪いんだ」とずっと言い続けていたんですね。でも、辞めていく人のせいにしても、何も改善されないわけですよね。そこで、辞めていった人たちを分析すると、当時未熟な20代の僕と妻の経営ですから、二人で言っていることが違ったり、売上のための社員というニュアンスがあったりと、その時はまだ夫婦経営をしていて収益もなかったので、僕ら夫婦がちゃんとお金に余裕が持てるように売上作るというようなニュアンスが伝わっていたと思うんですよね。」
夫婦がお金を手に入れられるために手伝わせているというふうに感じてしまっていたのかもしれないですね。その後、そのことに気づいたというわけですか。
「辞めていくってことは?と思って、一旦その矢印を自分に向けて、なぜ辞めていったのかなと見つめ直していくと、一つの共通項が出まして、それが「報われないと辞めていく」ということでした。お客様のためにやっているのに、何か報われてないなと思って皆辞めていくわけです。」
働いている人たちもみんな頑張っているわけですからね。
次に奥様と二人で再スタートしたわけなんですが、化粧品通販を始めるものの大赤字だったとお聞きしました。
「とうとうこのすべらない話を披露する日が来たかなと(笑)。化粧品通販を始めたのは、人が辞めていくことに耐えられなくなり、美容室業界の仕事はしたいけど、人をかけないものやろうということで通販を選びました。けっかけはある化粧品会社をされている方に「化粧品やったらどう?」と進められたことだったんですが、そこでなぜか通販を選び、フランスのアロマを使った高くて良いものを作りました。内緒にしたくなるような化粧品ということでフランス語で「それは内緒」を意味する「c'est un secret」というブランド名で売り出したんですが、それが売れなさ過ぎて、今ではそれがあったこと自体内緒にしたいくらいになってしまいました(笑)。」
現在に至るまでも順風満帆というわけはなかったんですね。それを聞いて安心しました。経営者の方を助けるサービスをされているということで、とんとん拍子で来ているのかと思いきや、ご自身も苦労された経験があったんですね。
過去には従業員の同時退職を経験されたものの、今では働きやすい会社ランキングにも入られているわけですが、そこに至るまでにはどういった家庭があったんでしょうか?
「今に行き着くまでいろいろあったんですが、夫婦で話し合い、通販はダメでしたが妻の目元の美容技術やまつエクサロンの経営がすごくうまくいっていたので、そこの強みと僕のセミナー講師や営業のスキルを合わせたわかりやすい商品を作ろうということで、目元の化粧品というところから「omeme」という名前の美容サロン専売品の商品を作ったのが大きな転機でしたね。」
では、これはかなり売れたんですか?
「最初はなかなか売れなかったんですけど、コツコツと最初の営業の子が回ってくれて、徐々に売り上げが伸びてきました。コロナに入る前の年ぐらいまでで、0からどんどんとクライアントが増えていったんですが、やはりコロナの時に全ての注文が一気に止まってしまったんですよね。」
それは美容サロン自体が止まってしまったということですか?
「そうですね。はじめ、コロナは対岸の火事だと思っていたんですが、大ダメージを食らいました。そこで、自分たちにできる美容サロン様に必要なことは全部やろうということで、とにかく皆さんが不安がっていたので、200円のスクラッチくじを買い、手紙添えて700店舗ほどのクライアント様のところに送りました。「今不透明な時代ですが、このスクラッチを削っている時だけは楽しい時間にしてください。」という気持ちで、なるべくハートフルな会社にしていこうと思い、行動しました。」
受け取る側からしたらその気持ちだけでもうれしいと思います。
最後の質問になります。これからの夢を教えてください。
「これから10年で、売上100億を出せる会社にしたいです。僕らは東京という場ではやっていないですが、今、日本で課題になっているのは地方なので、富山でやっていることを生かして、47道府県の方々に勇気を与えられるような、インスパイアを与えられるような存在になっていきたいと思っています。」






20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、





