アジア初の五輪メダリスト!羽根田卓也さんが語るカヌーの魅力(2016/12/10 放送)
今週は、カヌー選手の羽根田卓也さんをお迎えしました。
リオ・デ・ジャネイロ五輪のカヌースラロームでアジア初のメダルとなる銅メダルに輝いた羽根田さん。1987年、愛知県豊田市生まれの現在29才で、3人兄弟の次男。お父様が元カヌー選手で、幼稚園の頃から川に遊びに行った時にカヌーに乗っていたそうです。そして、小学校1年生から弟さんと一緒に器械体操を始め、お兄さんに続いて本格的にカヌーを始めたのは3年生の時。実は、小学校1年から3年までの3年間は科学的にも証明されている「一番運動を吸収しやすい“ゴールデン・エイジ”」なんだとか。
リオ・デ・ジャネイロ五輪のカヌースラロームでアジア初のメダルとなる銅メダルに輝いた羽根田さん。1987年、愛知県豊田市生まれの現在29才で、3人兄弟の次男。お父様が元カヌー選手で、幼稚園の頃から川に遊びに行った時にカヌーに乗っていたそうです。そして、小学校1年生から弟さんと一緒に器械体操を始め、お兄さんに続いて本格的にカヌーを始めたのは3年生の時。実は、小学校1年から3年までの3年間は科学的にも証明されている「一番運動を吸収しやすい“ゴールデン・エイジ”」なんだとか。
「小学校1年生の時から体操をやっていたことによって、運動神経ってものが凄く良く鍛えられて今にも繋がっていると思います」「その期間で器械体操だとかいろんな動きをすることによって、将来の運動神経に凄く影響が出るらしいです」「器械体操はいろんな動きがあるので一番良いと思っています。僕は子供に絶対やらせようと思ってます」
「欧米の選手に較べて僕は体格が小っちゃいんですけど(175センチ)、あと、腕の太さとかも全然細いですし。僕が一番ガリガリです。その体格の差っていうのを器械体操で培った身のこなしだとか柔軟性で補ってる、っていうふうに凄く感じるので。カヌースラローム競技は凄くいろんな動きがあるんですね。まさに“水上の器械体操”と言っても過言ではないような」
お父様が元選手ということもあって、カヌーを始めた当初からキツい練習が多かったそう。「なかなか子供のうちは辛い練習だとか、特に寒い日のカヌーなんていうのは本当に地獄で…着替えるのも外で着替えて、手は冷たいし…。凄くイヤでしたね」。一番辛かったことを尋ねると、「寒い日のカヌーが一番イヤでしたね。あとは激流の怖さ。激しい流れがあるところで競技するので、その怖さが子供のうちはなかなか抜けなかったですね」とおっしゃっていました。
また、お兄さんが怖くて「カヌーの練習に行きたくないと言えなかった」と羽根田さん。「辛い思い出ばっかりじゃないですか」と恵さんが突っ込むと、「カヌーは楽しいんですよ!(笑)カヌーはホントに気持ちよくて楽しいんです!」なんておっしゃっていました。
「カヌーの楽しさっていうのは、夏にやるととにかく気持ちいいんです。夏に水をバシャバシャ浴びて。で、水の上にいることって日常生活ではまずないじゃないですか。そのちょっと怖いけど、その気持ちよさ、スリルと隣り合わせの魅力というか、だいたい競技時間が100秒ぐらいのコースって決まってます。あっという間のようでもあり、永遠と長いようでもあり…ですね」
カヌーでは、事前に本番のコースでリハーサルすることができないそう。「ゲートセットっていうものは発表されるのはレースの前日なんですけど、そのゲートセットっていうのは練習できなくてぶっつけ本番です。いかにイメージを上手く作るかっていうのも大切なんですけど、イメージ通りにいかないことの方が多いので、その都度、その流れに合わせていかに臨機応変に対応していくのか?っていうところも醍醐味です」
羽根田さんは中学校3年生の時に初めての世界大会を体験。それはポーランドで開催されたジュニア選手権だったそうです。「その大会で初めて世界のレベルっていうものを目の当たりにして、そこから凄く意識が変わりました。とにかく別次元、別世界だったので。僕が日本で見ていた競技とはまったく別競技のような次元でしたので、こんなにもカヌーを速く漕ぐことが可能なんだなって感じましたね」
カヌーの本場ヨーロッパにはオリンピックで使われていたような人工のコースがたくさんあるそうですが、日本にはまだないんだとか。「人工コースがまずあって、そこで子供の時からずっとやっていて、子供の横では世界チャンピオンが練習しているわけですよ。子供っていうのはその世界チャンピオンの練習、漕ぎを毎日見て育って人工コースで練習して…こんな英才教育やってたら、そりゃ日本は勝てないよなって」
練習環境にも恵まれない、他の人気スポーツのような目標とする日本人スターもいない、羽根田さんがそんな中でもチャレンジを続けてこられたのは「そのスターに自分がなるぞ。その一人目に僕がなりたい。壁を破りたい」という気持ちがあったからだそう。
そして、お父様への思いを「ここまでできたのは父親のおかげ以外の何物でもないので、凄く感謝しています」と語ってくれた羽根田さん。リオ五輪の応援に来てくれたお父様と現地で言葉を交わすことはなかったそうですが、帰国時には空港まで一番に迎えに来てくれたそう。でも、どうやら五輪後はお父様にちゃんと感謝の言葉を伝えられていない様子でした。
「僕が初めてリオの後、帰国したということで、(空港に)報道陣の方がめちゃくちゃいて、お父さんが待ち構えていたポジショニングもいかにもお膳立てされたような…。僕としては、父親に静かなところで、例えば家だとかでゆっくりメダルをかけたりして、ありがと、なんていうふうに言おうかな、なんて思ってたんですけど、メダルもかけなきゃいけないだろう、っていう雰囲気になって、そこでかけちゃって…そっからなんか機会を見失ってしまって(笑)。もう話さないですね。もういいですね。照れますし、話すこともないっていうか(笑)」