リオ五輪メダリスト、羽根田卓也さんがオリンピックを振り返る(2016/12/17 放送)
先週に引き続き、今週もリオ五輪カヌー・スラロームの銅メダリスト、羽根田卓也さんをお迎えしました。
カヌー選手だったお父様の元、小学生の時にカヌーを始めた羽根田さんは、高校卒業後に単身、東欧のスロバキアへ。当初は、合宿で何度か行ったことがあり、知り合いもいるチェコのプラハを希望していたそうですが、お父様からカヌー・スラロームが特に強いスロバキアを勧められて、そちらに行くことにしたそう。
「最初に行った地方は外国人がほとんどいない田舎で、日本人なんかもちろんいませんでしたし。街歩いたら指さされて笑われるぐらい、日本人が珍しいような街だったので」と羽根田さん。最初は食べ物にも馴染めなかったそうです。
「スロバキアはちょっと食に対しては興味の薄い民族性というか国柄というか、ちょっと淡白ですね。ジャガイモが主食で、後は肉とか豆で。一番ビックリしたのは、スロバキアは晩ご飯をあんまり食べないんですよ。朝と昼で、晩ご飯は簡単にパン食べて終了とか。お酒飲む時も、居酒屋に行って料理頼んでツマミ食べながら…じゃなくて、もう飲むばっかりなんです」
高校卒業後の10年間は、そんなスロバキアを拠点にカヌーを続けてきた羽根田さん。「日本に帰ってくると自分の望んでいるようなレベルで戦うことができないというふうに考えているので、もう日本に帰ってくる時は辞める時」だとおっしゃっていました。
羽根田さんは2006年にワールドカップ8位、アジア選手権で優勝。そして2008年、21才の時に最初のオリンピックとなる北京オリンピックに出場しますが、14位という成績でした。
「21才っていう比較的若い年齢でオリンピックがあって、実力的にも全然まだ備わっていなかったんですね。北京オリンピックに関してはとにかく出ることが大目標だったので、もう出ただけで満足してしまったというか、決まった時点で僕のオリンピックは終わってしまっていましたね。出てから順位を狙うとかではなくて」
「想像以上に独特の雰囲気というか、選手村自体も初めてでしたし、開会式も気持ちがフワフワしちゃって全然ダメでしたね。勝負をできる状況じゃなかったですね。でも、若いうちにオリンピックを経験できたっていうのが今凄く財産になっていると思います」
続いて「出るだけではいけない」というプレッシャーを背負って臨んだ4年後のロンドン・オリンピックでは7位に入賞。羽根田さんは「最終順位だけではなくて、予選で3位になったりだとかオリンピックの中でも勝負できるようになってきたなっていう実感は凄くありました」とおっしゃっていました。
そして、カヌー競技で日本人初のメダルに手が届いた今年のリオ五輪。羽根田さんは今回のオリンピックについてこう振り返ってくれました。
「自分の中でも一番メダルという気持ちが強い大会で、周りからもメダルという声が一番多かった中で臨んだ大会なので。でも、凄くリラックスできた覚えはありますね。調子も凄く良くて、この1年間が自分の中で一番良いシーズンじゃなかったかなと思いますね」
「ゴールした直後は正直、ダメだなと思ったんです。暫定1位とのタイム差があって2位でゴールして、そのタイム差の中に3人も4人も入って。良くても5位、6位だろうっていうふに思ったので、最終走者が下って自分の3位が決まった時は、うーん、これは言葉では言えないような感情というか感覚が胸の奥からこみ上げてきて、達成感というか表しようのない感激というか感動がありましたね」
「今年29で、もしかしたらメダルが獲れずに自分の競技人生が終わってしまうんじゃないかっていう不安がリオまで常にあって。でも今回、メダルをやっと獲ることができて、自分の1つの目標を達成することができたので、今は凄く良い意味で肩の荷が下りたというか。次の東京に向けては純粋にもう1つメダル獲ってやる!っていうチャレンジャーの気持ちで今いる状態です」
明日12月18日の午後4時30分からBS日テレで放送される番組『東京海上日動 presents 挑戦へのエール Challenge Stories Next』では、羽根田さんがジュニア日本代表で将来のオリンピック候補の3人の新星の挑戦を応援、指導しています。これだけ本格的に誰かを指導するのは羽根田さんにとって初めてのチャレンジ。「これからの日本を背負う3人」だと思って指導したそうです。
「教えていく中で自分でも教えられることがすごくあって刺激になりました。彼らの性格がそのまま漕ぎにも出てたりして、ホントに3人の特色が出てて面白かったですね。彼らは中学2年生か3年生ぐらいですか。その辺りで僕はカヌーの魅力に取り憑かれて、世界大会に行って意識が凄く変わった時期でもあるので、その時の自分と比べて凄くしっかりしてるな、っていうのは感じましたね(笑)」
「パワーだとかスピードで誤魔化すのは大人になってからでもできるので。まだ比較的若い年齢の彼らには、そういう誤魔化す技術ではなくて、丁寧に水の力、流れを感じるっていうことを大切にやって欲しいと思って、そういった点に気をつけて指導していきました。口に出すことで、カヌースラロームにとって大切なことを改めて自分の中で認識することができて、新たな発見も凄く自分の中であって、自分の競技にも生かせるんじゃないかなと思います」
最後に、ご自身とっての挑戦は何ですか?と尋ねると、羽根田さんはこう答えてくれました。
「一番は東京オリンピックしかないですね。自分の国にオリンピックが来るなんて一生に一度、2度あるかで、そこに出場できるかなんてとても貴重な機会だと思うので。本当のカヌースラローム競技っていうのをたくさんの方々に観てもらえる機会だと思いますし、そこで自分の一番いい姿を見せたいなと思っています」
「僕は一つのことに対して没頭したり、目標に向かうことが凄く好きなので。で、メダル獲った時に思ったのは、達成感っていうのは何物にも変えられない人生の醍醐味だなって思いましたね。本当にプライスレスじゃないですか、達成感って。自分の、努力したっていう事実だけが自分に跳ね返ってくるので、素晴らしいですね」
番組ではそんな羽根田さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらの色紙を1名様にプレゼントします。このホームページ右のメッセージフォームから「羽根田卓也さんの色紙希望」と書いてご応募ください!
カヌー選手だったお父様の元、小学生の時にカヌーを始めた羽根田さんは、高校卒業後に単身、東欧のスロバキアへ。当初は、合宿で何度か行ったことがあり、知り合いもいるチェコのプラハを希望していたそうですが、お父様からカヌー・スラロームが特に強いスロバキアを勧められて、そちらに行くことにしたそう。
「最初に行った地方は外国人がほとんどいない田舎で、日本人なんかもちろんいませんでしたし。街歩いたら指さされて笑われるぐらい、日本人が珍しいような街だったので」と羽根田さん。最初は食べ物にも馴染めなかったそうです。
「スロバキアはちょっと食に対しては興味の薄い民族性というか国柄というか、ちょっと淡白ですね。ジャガイモが主食で、後は肉とか豆で。一番ビックリしたのは、スロバキアは晩ご飯をあんまり食べないんですよ。朝と昼で、晩ご飯は簡単にパン食べて終了とか。お酒飲む時も、居酒屋に行って料理頼んでツマミ食べながら…じゃなくて、もう飲むばっかりなんです」
高校卒業後の10年間は、そんなスロバキアを拠点にカヌーを続けてきた羽根田さん。「日本に帰ってくると自分の望んでいるようなレベルで戦うことができないというふうに考えているので、もう日本に帰ってくる時は辞める時」だとおっしゃっていました。
羽根田さんは2006年にワールドカップ8位、アジア選手権で優勝。そして2008年、21才の時に最初のオリンピックとなる北京オリンピックに出場しますが、14位という成績でした。
「21才っていう比較的若い年齢でオリンピックがあって、実力的にも全然まだ備わっていなかったんですね。北京オリンピックに関してはとにかく出ることが大目標だったので、もう出ただけで満足してしまったというか、決まった時点で僕のオリンピックは終わってしまっていましたね。出てから順位を狙うとかではなくて」
「想像以上に独特の雰囲気というか、選手村自体も初めてでしたし、開会式も気持ちがフワフワしちゃって全然ダメでしたね。勝負をできる状況じゃなかったですね。でも、若いうちにオリンピックを経験できたっていうのが今凄く財産になっていると思います」
続いて「出るだけではいけない」というプレッシャーを背負って臨んだ4年後のロンドン・オリンピックでは7位に入賞。羽根田さんは「最終順位だけではなくて、予選で3位になったりだとかオリンピックの中でも勝負できるようになってきたなっていう実感は凄くありました」とおっしゃっていました。
そして、カヌー競技で日本人初のメダルに手が届いた今年のリオ五輪。羽根田さんは今回のオリンピックについてこう振り返ってくれました。
「自分の中でも一番メダルという気持ちが強い大会で、周りからもメダルという声が一番多かった中で臨んだ大会なので。でも、凄くリラックスできた覚えはありますね。調子も凄く良くて、この1年間が自分の中で一番良いシーズンじゃなかったかなと思いますね」
「ゴールした直後は正直、ダメだなと思ったんです。暫定1位とのタイム差があって2位でゴールして、そのタイム差の中に3人も4人も入って。良くても5位、6位だろうっていうふに思ったので、最終走者が下って自分の3位が決まった時は、うーん、これは言葉では言えないような感情というか感覚が胸の奥からこみ上げてきて、達成感というか表しようのない感激というか感動がありましたね」
「今年29で、もしかしたらメダルが獲れずに自分の競技人生が終わってしまうんじゃないかっていう不安がリオまで常にあって。でも今回、メダルをやっと獲ることができて、自分の1つの目標を達成することができたので、今は凄く良い意味で肩の荷が下りたというか。次の東京に向けては純粋にもう1つメダル獲ってやる!っていうチャレンジャーの気持ちで今いる状態です」
明日12月18日の午後4時30分からBS日テレで放送される番組『東京海上日動 presents 挑戦へのエール Challenge Stories Next』では、羽根田さんがジュニア日本代表で将来のオリンピック候補の3人の新星の挑戦を応援、指導しています。これだけ本格的に誰かを指導するのは羽根田さんにとって初めてのチャレンジ。「これからの日本を背負う3人」だと思って指導したそうです。
「教えていく中で自分でも教えられることがすごくあって刺激になりました。彼らの性格がそのまま漕ぎにも出てたりして、ホントに3人の特色が出てて面白かったですね。彼らは中学2年生か3年生ぐらいですか。その辺りで僕はカヌーの魅力に取り憑かれて、世界大会に行って意識が凄く変わった時期でもあるので、その時の自分と比べて凄くしっかりしてるな、っていうのは感じましたね(笑)」
「パワーだとかスピードで誤魔化すのは大人になってからでもできるので。まだ比較的若い年齢の彼らには、そういう誤魔化す技術ではなくて、丁寧に水の力、流れを感じるっていうことを大切にやって欲しいと思って、そういった点に気をつけて指導していきました。口に出すことで、カヌースラロームにとって大切なことを改めて自分の中で認識することができて、新たな発見も凄く自分の中であって、自分の競技にも生かせるんじゃないかなと思います」
最後に、ご自身とっての挑戦は何ですか?と尋ねると、羽根田さんはこう答えてくれました。
「一番は東京オリンピックしかないですね。自分の国にオリンピックが来るなんて一生に一度、2度あるかで、そこに出場できるかなんてとても貴重な機会だと思うので。本当のカヌースラローム競技っていうのをたくさんの方々に観てもらえる機会だと思いますし、そこで自分の一番いい姿を見せたいなと思っています」
「僕は一つのことに対して没頭したり、目標に向かうことが凄く好きなので。で、メダル獲った時に思ったのは、達成感っていうのは何物にも変えられない人生の醍醐味だなって思いましたね。本当にプライスレスじゃないですか、達成感って。自分の、努力したっていう事実だけが自分に跳ね返ってくるので、素晴らしいですね」
番組ではそんな羽根田さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらの色紙を1名様にプレゼントします。このホームページ右のメッセージフォームから「羽根田卓也さんの色紙希望」と書いてご応募ください!