NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest西川美和さん

西川美和さん

2002年に『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。
以降、『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売るふたり』『永い言い訳』を発表。
最新作は2月11日公開、佐木隆三の小説『身分帳』を原案とした『すばらしき世界』(主演:役所広司)。

叱ってもらえることのありがたさ

2021/02/13
是枝裕和監督に見いだされ
映画の世界に飛び込んだ西川美和。
彼女は若くしてその時を迎える。
2002年「蛇イチゴ」で監督デビュー。

「是枝監督が、若い頃にしか撮れないモノもある。とにかく、企画持ってこい、企画持ってこいおっしゃってたんですよね。うるさく言われるからしょうがないかと思って、小説をあさって原作を探したこともあったし、いろいろこう頭をひねってた20代の前半でしたね」

そんな西川美和をバックアップしてくれた人物がもう1人いる。

「エンジンフィルムというコマーシャルの会社の安田匡裕さんという、その安田さんがそもそも是枝さんの映画もずっとプロデュースされてたんですよね。ちょくちょく後ご飯を一緒に食べさせていただいたりする中でお前、早くとんなきゃだめだよって言ってくれててで私が持って行った蛇イチゴのシナリオ見て、デビューさせてくださりました」

2人の恩人に期待されて、脚本を書き、撮影をする。
それでは終わりでなかった。

「最初の試写を終えた後で、安田さんがおっしゃったのが次何書いたんだよって言うんですよね、いきなり。30代半ばまでに3本撮影して、その都度、いんじゃないので次は?って言われてたんです」

常日頃から発破をかけてくれた
恩人・安田は病でこの世を去った。
失ってから気づくことがあるという。

「だんだんキャリア付けてくると誰もしかってくれないし、でも絶対みんな持ってると思います。だけど、言ってくれないから、成長が止まっちゃいますね。怖い、怖い。ほんとだから叱ってくれる人はすごい大事にしたほうがいいと思います」

日本を代表する映画監督になったからこそ、
成長が止まることを恐怖に感じているという。

叱ってくれる人がいることのありがたさ。
アナタにもおわかりいただけるはずだ。
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出会いと決意

2021/02/06
大学時代の西川美和は
美術史を学び、写真に興味を抱いた。
しかし、心のどこかで満たされてはいなかった。

「物書きになりたかったんですけどやっぱり美術史学を選んでるあたりでからちょっとなんか変なゆらぎを垣間見ますね。写真を撮って現存したり焼いたりって言うようなことをやってましたね。だけど、私これ向いていないって途中で思ったんですよ。それは、写真が言葉を使わない芸術だから、ものすごく私、窮屈に感じたんですよね」

訪れた就職活動。
ここで運命の面接を受けることになる。
制作会社の面接で目の前に現れたのは是枝裕和監督だった。
     
「是枝監督ともっとこうベテランの女性の面接官の方は部屋で2対1でペアでお話されたんですけど、
 是枝監督の作品ご覧になったって言われて、大体のイメージで感想を語ったんだけど、是枝監督がその質問に対して興味を持ってなかったんですよ。だから俺の映画を褒めてくれる人を採用してるって言う雰囲気の顔つきをしてなかったんです。それでなんかすごく是枝監督って人ってちょっと信用できる感じがするなって、この人の下だったらなんか働いてもいいなっていう」

制作会社の試験に合格はできなかった。
しかし、面接官だった是枝監督から個人的に声がかかった。

「是枝監督の2作目のワンダフルライフっていう映画リサーチだったんですけれど、人間が天国に人生の中の一つだけ思い出をね、天国にひとつだけ思い出持って行くとしたらあなたはいつの何を選びますかっていう質問があるんですよ。その思い出をひとつだけ持って天国でその思い出の中で永久に生きるっていう設定なんですよね、映画自体がそれを一般のお年寄りに、マイクとカメラ向けて色々話を聞いてくる。すごい幸せな思い出を選ばれる方もいれば、悲惨なジャングルで飢えた状態で苦しかった時の思い出を選ばれる方もいたし、そういうことをね何十人何百人のお年寄りに無作為にマイクとカメラ向けて聞いてくるってお仕事だったんですけど。そういうところから映画って作るんだっていうすごい勉強になりましたね」

西川美和は覚悟した。
映画の世界で生きて行くと。

「家を買うとか車を持つとか結婚して子供を持ってみたいなことができなくても、もうしょうがないのかなっていうふうには思いましたね」
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独自の視点とスタイル

2021/01/30
日本を代表する映画監督の一人、西川美和。
彼女にとってのターニングポイントに中学受験があるという。

「自分の小学校学年が120人とか130人ぐらいいんたんですけど、その中で受験をした子は私とゆきちゃんぐらいで、彼女は立派なお家のお嬢さんですごく体も華奢でね可愛らしくて学習塾行ってもそのゆきちゃんの成績はとってもよくってどこの中学校でも入れるぐらいだったんです。

志望したのは
西川にとって合格するはずのない学校。
ゆきちゃんにとっては滑り止め、
合格発表の日はまるで映画のワンシーンのようだった。

「合格発表見に行ったらゆきちゃんが不合格になっていて私が合格してたんですよね。学校の坂道でゆきちゃんとすれ違った時に先にその掲示板を見たゆきちゃんがすごく儚げな笑顔を私に向けたんですよね。意味深なそれであれなんだろうと思ったら、私の方が受かっていて、なんか優しいゆきちゃんが私の名前を書き換えてくれたんじゃないかと思いました」

中学受験で感情の深さを知った。
そして、学生生活を過ごす中で
モノを書く仕事に就きたいと考えた。

「書くものを出しているといえば早稲田の第一文学部に行きたかったんですけど、絶対浪人したって予備校には通わないぞって自分に言い聞かせてたんですよね。高校3年生の一年間頑張ったんですけれども惨敗で、自宅浪人生活が始まったという経緯がありましたね」

予備校には通わず自宅で勉強をするスタンス。
それは今も続く執筆活動にもつながった。

「どんなに成績が悪かろうと勉強すれば、上がっていくんだなって事が何か分かりましたね。だから机にかじりつくっていう習慣がその18歳の時にできてしまって朝目が覚めた時から夜中気絶するまでかじりつく、机にかじりつくってのがなんか自分のすごいスタンスになってます。それ以降は」

西川美和は、
大学合格以上に
大切なスタイルを手に入れたのであった。
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