2011年10月31日

10月31日「仮設住宅の防寒対策(1)」

被災地では朝夕の冷え込みが厳しくなっています。岩手県宮古市では、先週最低気温3度を観測。地域によってはすでに氷点下を記録したところもあります。
そんな中、被災地の仮設住宅でいま課題となっているのが、「防寒対策」です。

防災・危機管理ジャーナリストの渡辺実さんに、仮設住宅の「防寒対策」について伺いました。

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いま建てられている仮設住宅は、津波を考慮して高台に建てているため、体感温度で街中と3〜4度違う。
被災地の仮設住宅は寒冷地仕様のプレハブになっていない。壁の中に断熱材をいれたり、屋根のこう配をつけたり、窓を二重サッシにしたり、玄関回りに風除室が設置できていない。

岩手県は防寒対策の追加工事が完了している。外付けで壁に断熱材を、窓を二重サッシにした。ただし新潟のような豪雪は考えにくいという判断から、屋根については手つかずになっている。場所によっては必要。
また、トイレが暖房になっていない。毎日使うトイレが寒い環境のままになっている。

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岩手では防寒対策の追加工事が比較的早く対応が始まったものの、宮城ではようやく工事に取り掛かったところ、ということ。業者が圧倒的に足らないことも作業の遅れの一因、と渡辺さんは指摘しています。


明日も、仮設住宅の防寒対策について、渡辺実さんにお話を伺います。



【株式会社まちづくり計画研究所 渡辺実 Official Web Site】

2011年10月28日

10月28日「音楽で『我の歴史』を刻む」

女川町は、震災による津波で壊滅的な被害を受けたエリアの一つです。今も市内にはガレキの山が多く残っています。その女川で、20代を中心としたメンバーが発起人となって企画された音楽イベント「我歴stock in 女川」が、今週末開催されます。
震災がきっかけで出会ったプロのアーティストや、親交が深まった地元のアーティストなど、さまざまなジャンルのアーティストによる野外音楽イベントです。

発起人の一人、佐藤ともみさんにお話を伺ったところ、
佐藤さんはじめとする発起人の皆さんは、音楽イベントの企画運営は全く初めて。「支援を待つだけでなく、自分たちの力でなにかやりたい!」という強い想いから、無事開催にこぎつけました。

この「我歴Stock in 女川」というイベントのネーミングには、特別な想いが込められています。


「女川町にはまだガレキの山がたくさんある。家を流された私たちには、ガレキがただのゴミとは思えない。ガレキを『我の歴史』としたのは、この女川の地に新たな歴史を刻みたいと思ったから。」
「電気も水もない極限状態の中でラジオから流れてきた音楽にすごく癒された。音楽ってすごく力があるな〜と思って、音楽でこの街を盛り上げたいと、企画した。」



【我歴stock in 女川】
日時:平成23年10月30日(日)10:00(開場)〜16:00 *雨天決行
会場:女川町総合運動場陸上競技場

http://www.onagawa-fkm.com/

2011年10月27日

10月27日「和合亮一さんが届ける言葉」

福島在住の詩人・和合亮一さんのインタビューをお届けしています。

和合さんは詩人として活動する一方、福島県内の高校で国語の教師として教壇に立ち続けています。
また、震災直後から福島の現状と福島に生きる想いをツイッターで発信し、大きな反響を集めています。

震災の後、一時は自分の書いてきた「詩」の無力さに打ちのめされたという和合さん。
けれども、ツイッターへの反響から、改めて「言葉のもつ力」を強く感じるようになったといいます。




◆ ずっと探してきた「好きな言葉」
 たどり着いた言葉が「ふくしま」。その下に「あきらめない」をつけて「ふくしまをあきらめない」。
 いまは出口が見えず収束しない「ふくしま」。でも「あきらめない」。



◆ ツイッターで書き続けてきた
 ツイッターでずっと書いてきたのは「明けない夜はない」という言葉。
 詩人にしてはあまりにありふれた言葉だという人もいるが、本当に好きな言葉はこの言葉かも。
 この言葉には、「必ず夜は明けるんだ」という前提がある。「明けない夜はない」と信じて前に進む福島の人たちの気持ちが一番大事だと思う。




和合さんは震災後、3冊の著書「詩ノ黙礼」「詩の礫」「詩の邂逅」を出版しています。

【和合亮一さん Twitter】


☆音楽と詩のコンサート「レクイエム・プロジェクトTOKYO2011」に和合亮一さんが出演されます。
 日時:2011年10月29日(土) 昼の部 午後2時開演/夜の部 午後6時開演
 場所:TOKYO FMホール

 和合さん書き下ろしの詩による混声合唱組曲「黙礼」などが予定されています。
 詳しくは「レクイエム・プロジェクト」のホームページからどうぞ。

2011年10月26日

10月26日「ふくしまにいきる」

福島在住の詩人・和合亮一さんのインタビューをお届けしています。

和合さんは詩人として活動する一方、福島県内の高校で国語の教師として教壇に立ち続けています。
また、震災直後から福島の現状と福島に生きる想いをツイッターで発信し、大きな反響を集めています。

震災後、福島では、仕事の都合や子育ての不安などから、ふるさとを離れて暮らす人も多いのが現状です。
それぞれの想いについて、和合さんに伺いました。



◆ 福島に暮らし続ける人、そして福島を離れる人
 これはとても難しい問題。4月に入るまで福島市でも避難する方が多くいた。福島で暮らす方、離れていく方、それぞれがつらい思いを抱えていた。
 転校、会社を辞める。子供が生まれたばかりなのに、震災後、お父さんが残って母子は遠くの街に避難していく。


◆ 「決意」という詩
 「詩の邂逅」に「決意」という詩を書いた。
 「ふくしまでいきる、ふくしまにいきる」とは、福島で暮らしていくこと。
 「ふくしまをいきる」は福島を離れても福島を暮らしていくという意味。
 だから僕は「ふくしまをいきる」に想いを込めたい、と思っている。



和合さんは震災後、3冊の著書「詩ノ黙礼」「詩の礫」「詩の邂逅」を出版しています。

【和合亮一さん Twitter】


☆音楽と詩のコンサート「レクイエム・プロジェクトTOKYO2011」に和合亮一さんが出演されます。
 日時:2011年10月29日(土) 昼の部 午後2時開演/夜の部 午後6時開演
 場所:TOKYO FMホール

 和合さん書き下ろしの詩による混声合唱組曲「黙礼」などが予定されています。
 詳しくは「レクイエム・プロジェクト」のホームページからどうぞ。

2011年10月25日

10月25日「福島に住み続ける人々の言葉」

福島在住の詩人・和合亮一さんのインタビューをお届けしています。

和合さんは詩人として活動する一方、福島県内の高校で国語の教師として教壇に立ち続けています。
また、震災直後から福島の現状と福島に生きる想いをツイッターで発信し、大きな反響を集めています。

福島に住み続ける人への取材も重ね、著書「詩の邂逅」にまとめています。


◆ 思想書哲学書のような言葉をもっていた
 飯館村の商工会の副部長、佐藤さんは私の教え子だった。佐藤さんは商工会の集まりで「311が私たちの時代でよかったね」という言葉を聞いた。「こういうことが言えるのが大人なんだ、震災が子供たちの時代じゃなくてよかったと思えるように頑張りたい」と話してくれた。
 床屋さんの遠藤ちよこさんは、避難所で人と接する中で「人と話すことの大切さがわかった。言葉には言霊がある。言葉には橋がある。よい言葉をかければよい橋がつながる」。

◆ 会話の中で
 8人と会話して、福島の人間、現代の日本人が生きていく灯りのようなものが見えた気がした。


和合さんは震災後、3冊の著書「詩ノ黙礼」「詩の礫」「詩の邂逅」を出版しています。

【和合亮一さん Twitter】


☆音楽と詩のコンサート「レクイエム・プロジェクトTOKYO2011」に和合亮一さんが出演されます。
 日時:2011年10月29日(土) 昼の部 午後2時開演/夜の部 午後6時開演
 場所:TOKYO FMホール

 和合さん書き下ろしの詩による混声合唱組曲「黙礼」などが予定されています。
 詳しくは「レクイエム・プロジェクト」のホームページからどうぞ。

2011年10月24日

10月24日「和合亮一さんが想いを託したTwitter」

福島在住の詩人・和合亮一さんのインタビューを、4日間に渡ってお送りします。

和合さんは、中原中也賞などを受賞して、詩人として活動する一方、福島県内の高校で国語の教師として教壇に立ち続けてきました。
震災後のいまも福島に暮らし、教師を続けています。

和合さんは、震災直後の3月16日から、ツイッターで言葉を発信し始めました。
福島の現状と、福島に生きる想いをつづった和合さんのツイッターには、全国から多くの反響が寄せられたそうです。

◆ これまでやってきた詩はこんなに無力だったのか
 自分の中で大きな絶対的な何かが崩れてしまった感じ。それでも詩を書くしかなかった。今の自分の気持ちを詩に託して届けるいはどうしたらいいのだろうと考えて、ひらめいたのがツイッターだった。誰が読むかわからないけれど、とりあえず形に残せる。

◆ 言葉の力
 フォロワーの数が1万人を超えたとき、メッセージを最初から読み返して涙が止まらなかった。励ましのメッセージを頂いて、改めて詩を書き続けていこう、この現状を言葉にしていこうと思った。


和合さんは震災後、3冊の著書「詩ノ黙礼」「詩の礫」「詩の邂逅」を出版しています。

【和合亮一さん Twitter】


☆音楽と詩のコンサート「レクイエム・プロジェクトTOKYO2011」に和合亮一さんが出演されます。
 日時:2011年10月29日(土) 昼の部 午後2時開演/夜の部 午後6時開演
 場所:TOKYO FMホール

 和合さん書き下ろしの詩による混声合唱組曲「黙礼」などが予定されています。
 詳しくは「レクイエム・プロジェクト」のホームページからどうぞ。

2011年10月21日

10月21日「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」ライブで届ける想い(3)

9月14日〜19日の6日間に渡ってに開催された「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」の貴重なライブ音源をお届けしました。

「音楽で福島を元気に。」を合言葉に、クリエイティブディレクター、箭内道彦さんの呼びかけで実現した、このライブ。
箭内さんの想いに賛同したアーティスト、計31組が出演しました。


  <今日お届けしたライブ音源>
     ・猪苗代湖ズ「I Love You & I Need You FUKUSHIMA」


震災後に結成されたバンド、「猪苗代湖ズ」。
メンバーは、The Back Honeの松田晋二さん、サンボマスターの山口隆さん、Tokyo NO.1 Soul Setの渡辺俊美さん、そして箭内さんの4人。
ともに福島県出身です。




☆11月11日には、公式ガイドブック『LIVE福島 風とロックSUPER野馬追 僕らは君たちの恋人になりに来た』が発売されます。


【「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」official site】

【猪苗代湖ズ official site】

2011年10月20日

10月20日「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」ライブで届ける想い(2)

昨日に引き続き、9月14日〜19日の6日間に渡ってに開催された「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」の貴重なライブ音源をお届けしました。

「音楽で福島を元気に。」を合言葉に、クリエイティブディレクター、箭内道彦さんの呼びかけで実現した、このライブ。
箭内さんの想いに賛同したアーティスト、計31組が出演しました。


  <今日お届けしたライブ音源>
     ・RIP SLYME「熱帯夜」
     ・斉藤和義「歌うたいのバラッド」



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RIP SLYMEは、ステージの上からこんな想いをコメントしています。

「箭内のおっちゃん(箭内道彦さん)の心をカタチにできる一員として、嬉しく ありがたく『風とロック』させていただきます。」



6日間で2万人以上を動員したライブの模様は、明日もお届けします。


☆11月11日には、公式ガイドブック『LIVE福島 風とロックSUPER野馬追 僕らは君たちの恋人になりに来た』が発売されます。


【「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」official site】

【RIP SLYME official site】

【斉藤和義 official site】

2011年10月19日

10月19日「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」ライブで届ける想い(1)

9月14日〜19日の6日間に渡ってに開催された「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」の貴重なライブ音源を、今日から3日間お届けします。

クリエイティブディレクター・箭内道彦さんは、福島県郡山の出身。
震災後は、同じ福島出身のアーティストとともに、「猪苗代湖ズ」を結成して、被災した故郷・福島への想いを発信し続けています。

箭内さんの呼びかけによって実現した「LIVE福島」。
賛同したアーティスト、計31組が出演し、会津若松、猪苗代、郡山、相馬など、福島県内の各地を会場に、6日間に渡って行われました。

  <今日お届けしたライブ音源>
     ・高橋優とOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDによる共演「福笑い」
     ・サンボマスター「できっこないをやらなくちゃ」



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サンボマスターの山口隆さんは会津若松の出身。
ステージから叫んだのは、こんな想いでした。

「ふざけんじゃねえ、なんだそんなことって。俺たちは一歩外に出たら言われるかもしれない。お前たちの歌った愛と平和なんかで、なにが変わるんだって。
山口君、君がいうことには何の実行力もないね。君にはお金がないね、君には権力もないね。
俺はずっとそうやってうなだれて生きてきたんだ。

だけど俺、いまは違うと思ってる。ロックンロールでなにかできるんじゃないかと思ってる。
本当は君たちだって、音楽で変われるじゃないかって思ってる。
できるんじゃねえか。できるんじゃねえか。できるんだ!ロックンルールはできるんです!」




6日間で2万人以上を動員したライブの模様は、明日もお届けします。


【「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」official site】

【OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND official site】

【高橋優 official site】

【サンボマスター official site】

2011年10月18日

10月18日「MONKEY MAJIK (2) SEND愛プロジェクト」

仙台在住のアーティスト、MONKEY MAJIKの4人は、震災後、一時音楽活動を休止して、それぞれがボランティア活動に従事しました。
その後音楽活動を再開。7月には大阪で、また10月16日には地元仙台で、チャリティライブ「SEND愛」を開催しました。

この「SEND愛プロジェクト」について、メイナードさんとディックさんにお話を伺いました。



◆ 「SEND愛」=愛を送るということ
 − (メイナード)第1弾として行なった大阪でのライブでは、「支援を集めよう」というミッションのような気持ちだったが、歌ったり、ファンと話したりすると、応援がすごくて、感動して元気づけられた。
行く前の気持ちと帰ってきたときの気持ちが全然違った。音楽が好きになった。「音楽ってそんなに大事じゃない」と思う時期もあったが、間違っていたのに気付いた。
 − (ディック)MONKEY MAJIKは、日常から出てきたものを音楽にするので、ある程度「日常」というものが戻ってきてから曲作り、というところもあった。


◆ 東北は人生にとって切り離せないもの
 − (メイナード)14年だから自分の人生の半分近くを過ごしている。昔はセカンドホームといっていたが、“ファーストホーム”、“マイホーム”になりつつある。
東北の人は僕からみて特別なコミュニティ。すごくウォームな(暖かい)場所。


◆ 一生続けていきたい
 − (ディック)「SEND愛」は継続。状況は変わっているが、サポートが必要なくなることは、今のところ想像できないので、「SEND愛」については一生やりたい。以前のように、バンドとしてのリリース、ライブもやりたいという気持ちに、ようやくなってきた。



また新たなスタートを切ったMONKEY MAJIK。
今後、どんな“愛をSEND”してくれるのか、期待したいですね。

【MONKEY MAJIK official site】


2011年10月17日

10月17日「MONKEY MAJIK (1) 震災直後からボランティア活動に従事」

仙台在住のアーティスト、MONKEY MAJIKの4人は、震災後、一時音楽活動を休止して、それぞれがボランティア活動に従事しました。
その後音楽活動を再開。7月には大阪で、また昨日10月16日には地元仙台で、チャリティライブ「SEND愛」を開催しました。

先日、中西哲生がMONKEY MAJIKのメイナードさん、ディックさんにインタビューしました。
今日と明日はその模様をお届けします。

震災直後、仙台市内も被災しているにもかかわらず、4人はすぐに、より被害の大きなところへ向かいました。
一般の方と同じように、ボランティアセンターで登録を行ない、その場で必要なボランティア活動をしていたそうです。


◆ 4人はそれぞれ違う場所でボランティアをしていた
 − メイナードさんはまず、昔住んでいたという多賀城市でボランティアを始めた。被災者に相談しながら、ほぼ毎日、片付けや泥出し、消毒などをしていた。
それからひと月後、石巻にボランティアに行ったときには、まだ自衛隊が遺体を探していたという状況で、ボランティアは車が通れるように、手作業で道を片付けていた。

◆ 仙台に住んでいて、近くの人たちが困っているという状況に、人間として何が出来るかを考えた
 − 最初はバンドのこと、音楽のことはどうでもよかった。
ただ、一か月経ってみんなで集まって、音楽を利用して被災者のためになればと思い、活動を始めた。自衛隊の人も警察の人も電気屋、ガソリンスタンドの人も自分の仕事がそのまま復興に役立っている人がたくさんいた。自分たちはそうじゃなかった。
自分たちがやっていることで何かやりたいと思い、それでチャリティをやれるプロジェクトをやったらいいのかなと思った。

◆ 被災地のニーズの変化
 − 地元が仙台なので、やりたいことが「仙台でライブをやること」だった。だから昨日10月16日に「SEND愛プロジェクト」ができた。



明日は、この「SEND愛プロジェクト」についてお送りします。



【MONKEY MAJIK official site】


2011年10月16日

【お知らせ】10/17,18 MONKEY MAJIKのインタビュー


中西哲生のMONKEY MAJIK(メイナードとディック)独占インタビュー。
MONKEY MAJIKはメンバー全員が仙台在住で、311の被災者でもある。
メンバーは震災直後一旦音楽活動を休止し、一般ボランティアに交じって、
泥かきや瓦礫の撤去などのボランティア活動に従事。

そしていま再び音楽活動を再開し、被災地支援のチャリティイベントを行う
「SEND愛」プロジェクトも始動させた。
ボランティア活動の実情やハートフルでパワフルな東北人気質とは?
未曾有の災害を前に音楽から一旦離れた彼らが、改めて音楽を通して伝えたいこととは?
震災後のMONKEY MAJIK、その真実をお送りします。

2011年10月14日

10月14日「復興支援のための催し」

週末に行なわれる、復興支援のための催しをピックアップしてお伝えします。

◆八王子駅前商店街「ユーロード」では、15日(土)、16日(日)の2日間、被災地のお店が出店する「街道市」が開かれます。
 このイベントでは、福島県双葉郡浪江町のローカルフード、「なみえ焼きそば」の実演販売も行なわれます。
 なみえ焼きそばは、町の方々にとって、想い出の味であり、そして町の歴史の一つ。浪江町の商工会青年部・原田功二さんは、「全国で避難する浪江の人達に故郷の味を食べさせるため、浪江が頑張っていることをPRするために」活動を続けているそうです。こうしたイベントが、浪江町の方々の「つどいの場」になることも、原動力のひとつと言えます。


◆一般財団法人「教育支援グローバル基金」が、被災した若者たちのリーダーシップを育てる事業として「東北未来リーダーズサミット」を開催します。
 このイベントは、岩手県、宮城県、福島県の高校生を対象に参加者を募集し、スポーツや音楽、文芸など幅広い領域で活躍する第一人者の方々を招いて将来のビジョンについて一緒に考え、復興のあり方について提言をまとめるプログラムです。また、イベント会場では、この基金が立ち上げた、2012年に進学する高校生のための「学費・生活費を含む返済不要の奨学金」の説明会、登録受け付けも行ないます。

 場所:東京都渋谷区「国立オリンピック記念青少年総合センター」
 日時:10月28日(金)〜30日(日)

 詳しくはこちらからどうぞ。
 「東北未来リーダーズサミット」
 ※本日・10月14日24時締切ですのでご注意ください。

2011年10月13日

10月13日「牡鹿半島から見える、ボランティアの“いま”」

石巻市東部・牡鹿半島は、地理的にもクルマが入りにくく、支援活動が遅れていた地域です。
さらに先月の台風15号によって、津波の被害に合っていない家や車が流される被害も発生してしまいました。

震災直後の3月20日から、牡鹿半島に住み込みでボランティアを続けているのが、石巻市社会福祉協議会・牡鹿支所のリーダー、遠藤太一さんです。

遠藤さんは行政と被災者の間に立ち、日々変化する情報の橋渡し役を続けていますが、支援活動の難しさを感じるケースが増えているというのです。

遠藤さんによると、地元電気店が商売を始めており、暖房器具の予約販売をしています。しかし、仮設住宅に暖房器具を配るという「仮設支援」のボランティアがストーブを配布すると、電気店への予約をキャンセルする人が出てきます。
仮設住宅では、土砂災害で室外機・エアコンが壊れたため、ストーブが必要。上手にアピールをしている仮設にはストーブが1軒に2台あったりするところもあるそうです。

「年金をもらっているので生活保護世帯が少なく、なんでも物がもらえると働かなくなる。失業保険が延長されたため、アルバイトをやめてしまう。お金を払わず「もらえるのではないか」となってくる。自立の妨げになる可能性もある。ボランティア、支援も慎重に行う必要がある」と、問題点を話してくださいました。


今もボランティアは必要とされています。
参加したい方は、本当に被災者のためになるのか、自分は役にたてるのか、ボランティアセンターに問い合わせて、しっかり情報収集することが求められています。
そして、遠藤さんのように手弁当で活動するボランティアをどう支えるのかも、今後の課題となっています。


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石巻市社会福祉協議会牡鹿支所 リーダー・遠藤太一さん

【活動概要】
3月11日に東京で地震に遭う
当日中に取引先含めた有志の会社で物資の発送について検討開始
翌12日支援活動の開始をし物資集めを開始

3月2?日福島、仙台、石巻をサポートしながら石巻市旧雄勝町、旧牡鹿町
4500人に向けた支援を開始

10月現在石巻市社会福祉協議会牡鹿支所の要望管理
ボランティア受け入れ協力
石巻市牡鹿総合支所の物資配布管理協力
宮城県災害対策本部物資配布協力
牡鹿稲井商工会、石巻市観光協会への提案を行っています。


○Pikari支援プロジェクト
設立3月12日
物資の搬入、ボランティア受け入れ
現地コーディネート、各種企画、運営、物資管理、配送

○牡鹿ボランティア
設立5月1日
ボランティア受け入れ
現地コーディネート、物資管理、配送

○牡鹿復興支援協議会
設立6月15日
自立支援 各種企画、運営

○牡鹿復興支援文化会
設立6月15日
地域の伝統芸能、伝統文化の復興保護


現在牡鹿半島、牡鹿総合支所管轄の諸島部を含む全域での要望の管理
ボランティア受け入れおよび派遣、自立支援活動
物資配布調整、炊き出し イベント企画運営管理
を行っており、地域での復旧、復興の足がかりを作っていくお手伝いをしています。
4月より企画を進めてまいりました。鮎川浜の仮設商店街も16店舗集まり
11月11日を目標に準備を進めております。

すべての団体が任意団体かつ個人の集まりなので、ボランティアセンター運営資金
復興支援活動資金、自立支援活動資金、としての支援金を募集しております。


【ボランティア活動へのご支援先】
七十七銀行
鮎川支店 普通口座5074908 
Pikari支援プロジェクト

仮設商店街や商工漁業観光のご支援先
七十七銀行
鮎川支店 普通口座5074754
牡鹿復興支援協議会

地域伝統芸能、金華山などの復興、地域文化へのご支援先
七十七銀行
鮎川支店 普通口座5074916
牡鹿復興支援文化会

2011年10月12日

10月12日「日本を想う、シンプルな理由」

海外から単身、東北へやってきて、支援活動を続けている方がいます。
カナダ人の男性、レニー・コリンさん(28歳)。
地元企業と自ら交渉して滞在資金を集め、7月から宮城県南三陸などでボランティアを続けています。

コリンさんは、このボランティアを6ヶ月〜1年は続けたいと話しています。

「東北の素晴らしさ、観光、歴史、文化、ことばを、
英語、日本語、中国語でもっと世界に広めたい。
漁業や農業は私にはできない。でも観光の手伝いはできる。
わかった上で出来ることをやることが、これから必要だと思う。」


コリンさんは学生時代、日本に何度もホームステイをしていて、
数年前までは、山形県の職員として国際交流にも関わっていました。
この経験が、日本を想う源となっているようです。

その想いをコリンさんは「絆がある」と表現していました。

シンプルな想いが支える、日本との絆。
国に関係なく手を差し伸べる大切さを、コリンさんは実践しています。


レニー・コリンさんの活動報告などはこちらからどうぞ。
The MUD Project

2011年10月11日

10月11日「ボランティアの方がみた、“被災地のいま”」

海外から単身、東北へやってきて、支援活動を続けている方がいます。
カナダ人の男性、レニー・コリンさん(28歳)。
7月に東北の被災地へ入り、いまも、現地でボランティア活動を続けています。

2007年から山形県庁の国際交流員をしていたというコリンさん。
日本でボランティア活動をしようと思った理由は、東北の方にお世話になったからということなんですが、こんな答えも返ってきました。
「私は今、行ける状況。だから来た」
「スポンサーを見つけに南三陸へ」

コリンさんは、カナダの企業に旅費などを負担してもらって活動を続けています。
「最低半年は活動を続けたい」と考えていて、継続的な活動のために、自分で企業と交渉して、サポートを取り付けたんだそうです。

ボランティアだから全部自腹…ではいつか限界が来てしまいます。
継続的な支援には、必要な発想とも言えますね。


レニー・コリンさんの活動報告などはこちらからどうぞ。
The MUD Project

2011年10月10日

10月10日「それぞれのフィールドでの支援活動」

トリノオリンピック・フィギュアスケート金メダリストの荒川静香さん、そして、アーティストの倉木麻衣さんは、震災直後からそれぞれ、自分たちのフィールドで支援を続けています。

6月と7月には、倉木さんの歌と、荒川さんのスケートがコラボレーションするチャリティイベントも開催。その時の模様は映像配信され、収益は全額、復興支援に役立てられています。

倉木麻衣さんは8月に宮城県・女川を訪問、炊き出しとミニコンサートも行っています。
被災地の方々の元気な姿、そして涙を流す方を見て、いまできることを続けていきたいと強く思ったそうです。

そして、2歳から高校卒業まで仙台で過ごしたという荒川静香さんはこのように語っています。
「私ができることは、誰かを笑顔にしてあげること。壊滅的、絶望的でも、その中でも希望が探せるようなことを伝えたい」

その2人がコラボレーションしたチャリティームービー「あなたがいるから 〜Fantasy on Ice 2011〜」は、iTunesストアや、レコチョクなどでダウンロードできます。
その収益は全額、東日本大震災の復興支援金として寄付されます。
また、倉木麻衣さんは10月22日、日本武道館で東日本大震災復興支援チャリティーライブを開催する予定です。


影響力のあるアーティストやアスリートの活動も、長いスパンで続けていくことが、様々な支援を継続する上で大切な事ではないでしょうか。


▼倉木麻衣さんオフィシャルサイト
▼荒川静香さんオフィシャルサイト

2011年10月7日

10月7日「被災地で広がり始めている、『語り部』の活動」

毎週金曜日は、被災地で今後行なわれる復興のための催しや、私たちが参加出来る支援活動について、お伝えしていきます。

今日ご紹介したのは、宮城県・南三陸で始まった「学習会」というガイドツアー。
南三陸町観光協会が9月からスタートしたもので、他県から企業や学校などの団体を招いて、津波の被害を受けた土地を実際に見てもらうというものです。
そこで、案内をするのが「語り部」の方々です。

語り部は、震災以前から、町の観光スポットを案内していた町民ガイドサークルの方々。被災地を案内しながら、自らの震災体験を、ツアー参加者に語り聞かせます。
ツアーに支払った料金は、語り部の方々の収入にもなります。

南三陸観光協会の方はこのガイドツアーの目的について、「同情を求めるのが目的ではなく、被災地を見て、語り部の話を聴くことで災害の備えについて考え、今後どんな支援が必要なのかを知ってもらいたい」と説明しています。

10月11月は予約がいっぱいだそうですが、12月以降は参加を受け付けているということです。


南三陸町観光協会
南三陸町福興市「語り部プロジェクト」

2011年10月6日

10月6日「本当の意味で街が復興するためには」

今週は、宮城県気仙沼の現状、そして復興へ向けた動きについて、気仙沼で牡蠣の養殖業を営む、畠山 信さんにお話を伺っています。

畠山さんは豊かな海を育てるために「森に木を植える」活動をするNPO法人「森は海の恋人」の副理事長も務めていらっしゃいます。


東北には、震災以前から抱えてきた問題があります。
過疎化や経済格差などは復興を進める上で大きな障害となっています。
畠山さんは気仙沼の水産業も日本全国同様に衰退しており、人は出ていくだろうと話しています。失業保険が切れて収入がなくなる状態なので働かなければいけないが、地元には産業がなく、外に出ざるを得ないという現状だそうです。


最後に畠山さんに、今後大切なことを伺ったところ、こんな答えが返ってきました。
「自尊心。被災者根性を脱皮して、自分たちでやっていかないと。うちの集落は支援なんかいらない。自分たちでやってるからって自慢したい。自分と言うものを大切にしながら、自分たちの考えで集落をつくり、周囲を巻き込んでいきたい」


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明日は、東日本大震災に関する様々な支援活動をご紹介します。

2011年10月5日

10月5日「気仙沼の水産業の状況、これからの課題」

今週は、宮城県気仙沼の現状、そして復興へ向けた動きについて、気仙沼で牡蠣の養殖業を営む、畠山 信さんにお話を伺っています。

畠山さんは豊かな海を育てるために「森に木を植える」活動をするNPO法人「森は海の恋人」の副理事長も務めていらっしゃいます。

港町・気仙沼の復興に不可欠ものが、水産業の復興です。
津波の被害からもうすぐ7ヶ月。気仙沼の魚市場でも水揚げがはじまり、活気が戻りつつありますが、本格的な復旧はまだこれからです。

畠山さんに現在の気仙沼の魚市場の現状を伺ったところ、カツオ、サンマと水揚げがあったものの、気仙沼には加工場がありません。新たに加工場を立てるには排水をどうするのか、冷蔵庫がないため一時保管もできず、決まってもいないそうです。今は一時的に、コンテナの冷凍庫に入れるか、すぐに氷詰めしてすぐに発送するという形を取っているそうです。


漁港や加工場の一体は地盤沈下で、浸水している箇所も数多く見られます。この沈んだ地盤の「かさ上げ」は、今後の本当に大きな課題と言えます。


津波の被害を受けた気仙沼の海の様子についても、畠山さんに伺ってみました。
畠山さんは8月頃気仙沼の海に潜ってみたそうです。
「湾は思ったより綺麗で、油がたまっている場所がわずかにあるくらい。水質も問題ない。プランクトンも正常種が増えている。思ったより良い状態」「海って強いなと思った」と話していました。



先日行なわれた目黒のサンマ祭にも、気仙沼のサンマがたくさん届きました。
畠山さんも「徐々に脂が乗ってきてうまい!」と仰っていましたが、気仙沼の海も、徐々に復興へと進んでいるのではないでしょうか。

2011年10月4日

10月4日「気仙沼の復興への動き」

今週は、宮城県気仙沼の現状、そして復興へ向けた動きについて、気仙沼で牡蠣の養殖業を営む、畠山 信さんにお話を伺っています。


畠山さんは、支援活動が曲がり角を迎えていると感じているそうです。
「震災直後はがれきの撤去はものの捜索などがありましたが、今はニーズがなく、仮設住宅や避難所に暮らしている人たちが一段落して、ぼーっとしてしまっている。」
他力本願のままではなく、自分たちで考えて動き出さないといけないと話しています。

また、先日厚生労働省が、失業保険の再延長を発表。あと3か月(10月1日から90日間)は、まだ給付を受けられることになっていますが、
畠山さんは「失業手当が切れると犯罪が増える。被災者も自分で動きださなければいけないが、動き出し方を知らない、どうすればいいか分からない人が多い。そういった人を促す支援が欲しい。」と話しています。

家を失った人は義捐金や支援金をもらっているが、それで遊びに行く人もいます。
遊びに行くのはリフレッシュにはなるが、先を考えて行動してほしい、と呼び掛ける畠山さん。


仕事ができない、見つからないという状況は収入面だけでなく、精神的にも辛いものですが、生活に前向きになれるような環境をつくるということが、今後の支援活動の重要な課題ではないでしょうか。

2011年10月3日

10月3日「“今”必要とされるボランティアとは?」

今週は、宮城県気仙沼の現状、そして復興へ向けた動きについて、気仙沼で牡蠣の養殖業を営む、畠山 信さんにお話を伺います。

畠山さんは震災が起こった時、船を沖へ逃がそうとする途中に津波にのまれ、泳いで近くの島へ渡り、九死に一生を得ました。
NPO法人「森は海の恋人」の副理事長でもある畠山さんに、“今”必要とされるボランティアについて伺いました。


ボランティアの方に手伝ってもらって、牡蠣の養殖に必要ないかだを作ることが出来たという畠山さん。牡蠣の稚貝も石巻に残っていたので、来年の春から夏にかけて、なんとか出来そうととのこと。そのいかだは、杉の干ばつ材が手に入らないので、山で切るところから、まさにゼロからのスタートだったそうです。

気仙沼のがれきはかなり片付いたものの、残念ながら手つかずの場所もあるんだそうです。ガレキの撤去は地元の業者を緊急雇用していて、ボランティアはだいぶ減ったということ。

畠山さんは、ボランティアは必要。ただ「質」が変化した、と言います。

がれきを手で拾うボランティアは必要なくなってきた。
重機を操作できるような技術者が必要。
「産業を作ることに協力してくれる方、頭を使う仕事が増えてきてるので、そういうボランティアの方は非常に助かります。」と話してくださいました。



これから被災地では、新たな建物を建てたり、街計画を進めるなど、様々なアイデアが必要になってきます。
どういった形がいちばんの支援になるのか、被災地以外の人間が考えなければいけない時期が来ています。

2011年10月2日

番組【時間変更】のお知らせ


『LOVE&HOPE 〜ヒューマン・ケア・プロジェクト』は10月以降、
毎週月曜日から金曜日、あさ6:30〜6:40に時間が変更となり
中西哲生さんと、高橋まりえさんがお送りします。

10月からも、東日本大震災で被災された方の心と体のケアを目指して、
様々な情報を、発信していきます。

番組へのご意見・ご感想、
また「震災後のストレスや、体の不安」に関するメッセージも引き続き
お待ちしています。

2011年10月2日

9/26-9/29 被災地の子供たちの支援「サポートアワーキッズ」

被災地の子供たちの支援「サポートアワーキッズ」の活動報告

いま、被災地の子どもたちに、数週間の語学留学・ホームステイを通じて、
心のケアを行うプロジェクトが、始まっています。
その一つが、NPO法人・次代の創造工房と、ニュージーランド政府観光局などの
協力で始まった「サポートアワーキッズ」というプログラムです。

7月、このプログラムの最初のホームステイが実施され、30人の中学生、高校生がニュージーランドで3週間のホームステイを体験しました。

このプログラムの目的について、在日本ニュージーランド特命全権大使
イアン・ケネディーさんはこのように話します。
「多くの子どもたちが、津波の被害を受け大きなダメージを受けました。私としては、気分転換が一番重要だと思います。元気に戻ってきてもらいたいです。休みを生かして元気をとり戻して、次の学期で勉強にはげめるよう期待しています。

震災で肉親や友達を失い、不安の中で過ごしてきた子どもたちが、様々な想いを胸に 体験した海外での3週間の生活はどのようなものだったのでしょうか。
帰国直後、子どもたちに感想を聞いています。

 * * * * *

宮城県七ヶ浜 中村はじめくん
楽しかったです!友達もたくさんできたし、これからもずっと連絡を取り合っていきたい。もう1回ニュージーランドに帰りたい。これで終わりにしたくないです。

宮城県石巻市 浅田かなさん
行く前も周りの人達がまだ大変な状況の中で、自分だけ行っていいのかすごく迷いました。行ってからもすごく幸せな時間が多かったので地元のことを考えると、すごく贅沢をしているんだなと複雑な気持ちにもなりました。だけど、今回ホームステイを通してもらった力や幸せは これからの自分の生きていく上ですごく大きな力になると思っています。
私は自分の夢をこの震災であきらめていたんですけど、この力を使って自分の夢をかなえて、そこでやっと、「ありがとう」という伝えきれない気持ちを皆さんに届けることができるのかなと思っています。

宮城県石巻市 横山はるかさん
ホームステイ先で明るく挨拶しようと思っていたのですが「地震のこと聞いたよ、辛かったよね。でも見方だからね。」って言われて、すごい涙が出てきてしまいました。国は違うけどすごい優しく受け入れてくれて、すごく不安だったけど毎日が楽しくて、逆に朝別れるのがとてもつらかったし、もっと居たいなって思いました。今回は英語があまりしゃべれなかったから次行ったときは英語で話して、今度は日本語が教えられるぐらいになってもう1回行きたいです。

宮城県石巻市 あべしょうこさん
今回このプログラムに参加させていたいて、元気とか勇気とかいろんなも のをもらったので次は私達がそういう気持ちを与えられたらなと思っています。だからこの経験を友達に話していきたいと思います。

宮城県仙台市 佐藤たいしくん
参加するまで私には夢がありませんでした。
それはすごくむなしくつまらないものでした。
しかし今回たくさんのことを経験して、「外国に関する仕事に就く」という大きな夢ができました。私は震災で「ふるさと」という大きなものを失いましたが、このホームステイの経験は、人生の大きな型となりました。この機会を与えて下さったたくさんの方々に感謝を忘れず、生きて活きて生きていきます。
ありがとうございました。

福島県いわき市 佐藤まりなさん
最後に行ったハイキングで見た海と牧草地の大自然の美しい景色が
目に焼き付いています。あの景色を見たとき、自分が生きていてよかったと
心から感謝しました。現地で、サンキューベリーマッチしか言えない自分が
もどかしく、英語をもっと勉強して、いつか絶対にニュージーランドであの時
伝えきれなかった想いを伝えようと思いました。

 * * * * *

子どもたちにとって、この3週間の旅は、夢や目標へ一歩踏み出す
大きなきっかけになったようです。

被災地の子どもたちを、数週間のホームステイに招待するプロジェクト
サポートアワーキッズは、今後も世界20か国を目標に、実施に向け
動きはじめています。


協力:民間復興支援青年隊
http://www.jidai.or.jp/

パーソナリティ 鈴村健一

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