2012年4月30日

4月30日「視察と観光のバスツアー」

いま東北地方では、「視察」と「観光」を組み合わせたバスツアーが、次々登場しています。

岩手県の「花巻観光バス」が企画する「復興応援ツアー・遠野釜石号」は、地元のボランティアガイドが「語り部」となって、被災の状況や光景を語り継ぐ取組みです。

ツアーを企画した花巻観光バスの高橋秀治さんにお話を伺いました。
高橋さんは岩手県花巻市の出身。
沿岸部の復興に向けた想いが、今回の企画に繋がりました。

◆復興への想い
 昨年311を思い返すと、観光という仕事が今後続くのかという思いがあった。そんな中でも仮設店舗で頑張る方々の声を聞いて、私たちも頑張らないと、と思った。
 支援できるところは、復興がもっと早いテンポになるように継続しないといけない。
 岩手県は広い県だが、平泉の賑わいをなんとか沿岸のほうまで広げたいという想いもあり企画した。
 ガイド(ボランティア)の方も、被災された方、仲間が亡くなられた方もいる。今後同じようなことが起こった場合でも対処できるように、忘れないようにと、複雑な想いでボランティアガイドされている。
 一人でも多くの参加を心からお願いしたい。



【花巻観光バス「復興応援ツアー・遠野釜石号」】
●主な行程:花巻 → 遠野・曲家 千葉家 → 釜石駅前からボランティアガイドが乗車 → 釜石の市街地見学 → 鉄の歴史館 → 釜石駅前で食事、買い物などで復興を支援
●参加費:大人1人6500円(うち500円は被災地に寄付)
●お問い合わせ:花巻観光バス 0198-26-3122



岩手県内をめぐる「復興応援ツアー」は、他にも2路線あります。
詳しくはお電話でお問い合わせください。

●岩手県交通「復興応援バスツアー陸前高田・大船渡号」019-654-2141
●岩手県北バス「陸中海岸うみねこ復興応援号」019-641-1212

2012年4月27日

4月27日「岩手県の観光情報、列車運行状況」

ゴールデンウィークに東北地方にボランティアや観光に出かける方のために、岩手県・
三陸海岸沿いを走るローカル線「三陸鉄道」の観光情報と、沿岸部のアクセス情報をお伝えします。

“さんてつ”の愛称で知られる三陸鉄道は、南リアス線、北リアス線の2つの路線があります。
南リアス線は、現在も震災の影響で全線運休。復旧は来年4月以降です。
一方、宮古から久慈までを繋ぐ北リアス線は、一部運休区間もありますが、バスが代行運転していて、全区間を移動可能となっています。
海沿いのローカル線を楽しもうと、観光客も徐々に増えてきているそうです。

三陸鉄道の魅力を、旅客サービス部・富手淳さんに伺いました。

▼三陸鉄道の魅力
 三陸鉄道は三陸海岸を走る鉄道。トンネルが多いリアス式海岸、北は隆起式海岸で断崖絶壁の海岸線。
 トンネルがたくさんある。トンネルを抜けたところで高さ30メートルの鉄橋を通る。そういう場所では電車を止めるなどのサービスをしている。全然汚れていない海を通るということで感動もある。
 今回の震災で一部北リアス線が不通のところがあるが、観光地も田野畑などはだいぶ元通りになっている。
 交通は不便ではあるが、個人旅行なら、列車やバスを乗り継いで旅行できるような形になっている。

三陸鉄道では、子どもたちのために、「てをつな号」という車両が4月から半年間運行中です。
ドラえもん、スヌーピー、ピカチュー、しまじろう、ミッフィー、機関車トーマスなど、51のキャラクターが横一列に手を繋いだ、ラッピング車両です。

また、4月28日からは、青森県・八戸駅から「リゾートうみねこ」が、北リアス線に乗り入れる直通運転を実施。八戸経由で、三陸鉄道の景色を楽しむことも出来ます。




≪岩手県沿岸部へのアクセス情報≫
●JR大船渡線(一部運休)の陸前高田と大船渡へは、一関から岩手県交通の臨時バスなどが運行。
 全線運休の三陸鉄道・南リアス線を含む、大船渡〜釜石までの区間も同様に臨時バスが運行しています。
●JR山田線(一部運休)の釜石〜宮古の区間も、岩手県北バスの 直通急行バスなどが運行。
●東北新幹線・一関や新花巻、盛岡から、JRで沿岸部へ行くことも可能。


詳しくは、各鉄道会社・バス会社のサイトをご覧ください。


【三陸鉄道】

【てをつなごう だいさくせん】

【岩手県交通】

【岩手県北バス】

【JR東日本・盛岡支社による最新運行情報】

2012年4月26日

4月26日「宮城県の観光情報、列車運行状況」

ゴールデンウィークに東北地方にボランティアや観光に出かける方のために、宮城県の観光情報、列車の運行状況をお伝えします。

宮城県随一の観光名所「松島」。
松島湾と湾内の島々を巡る遊覧船や、千年を超す歴史を持つ「国宝・瑞巌寺」でも有名です。
けれども、昨年のゴールデンウィークは震災の影響で、観光客が例年の4分の1にとどまったといいます。

松島の様子を、松島観光協会・村山ひとみさんに伺いました。

▼松島観光船
 松島湾一周の50分コース、松島―塩釜間片道コースの湾内定期便に加えて、4月28日から奥松島嵯峨渓コースもスタートする。
 湾内の島々を眺めたあと、奥松島の奇岩群も観ることができる1時間30分のコース。震災以降運休が続いていたが、ようやく再開した。
 松島湾の中にはおよそ260の島々が点在しているが、中には震災で島の一部が欠けたり、形が変わったりしたものもある。そういったところも船員に聞いてもらえれば。


▼松島の梅と桜の見ごろ
 瑞巌寺の臥龍梅が、ちょうど今が見ごろ。今週末まで。
 「西行戻しの松公園」の桜がようやく今週開花した。桜の木の向こうに海と遊覧船が見える絶景スポット。お天気次第だが、ゴールデンウィークが見ごろになりそう。


▼観光客に来てほしい
 観光復興しながら、店舗の修復や護岸の工事をしている。
 皆さんの力添えで松島をまた活気のある町にしてもらえればと思う。


松島では、今年のゴールデンウィークは、例年の7割程度、18万人の人出を見込んでいるということです。
松島へのアクセスは、JR東北本線松島駅、またはJR石巻線松島海岸駅からどうぞ。

≪宮城県内の列車の運行状況≫
東日本大震災の影響で運転を見合わせている主な区間は次の通りです。
●JR石巻線・渡波〜女川 間
●JR気仙沼線・柳津〜気仙沼 間
●JR仙石線の高城町〜陸前小野 間

運転見合わせの区間は、バスの代行輸送を実施しているところがほとんどですので、お出かけ前にご確認ください。
また石巻や南三陸町へは、仙台駅から直通の高速バスが便利です。


詳しくはこちらからどうぞ。

【宮城県内のJRの運転見合わせ区間】

【宮城交通】

2012年4月25日

4月25日「NPO法人 遠野まごころネット・ボランティア受け入れ状況」

東北地方各地のボランティア受け入れ状況、被災地の観光情報などをお届けします。

岩手内陸部・遠野市を拠点に、沿岸被災地を支援している「NPO法人 遠野まごころネット」の活動状況を、事務局スタッフの柳澤亮さんに伺いました。


▼遠野まごころネットの活動
 本部があるが遠野自体は被災していない。
 沿岸の被災地に1時間で行けるので、後方支援基地という位置づけ。
 主な地域は岩手県の沿岸部、南にある大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市と、
 仮設住宅と雇用促進住宅という、被災された方の住んでいる住宅のある遠野市。


▼ボランティアとしての主な作業
 がれきの撤去の作業はまだある。
 釜石などは、まだ細かいガレキの片付けがある。効率よくやるためには、この連休も沢山の人を当てる必要がある。
 他にも農林業の手伝いによる地域興し、漁業のお手伝い、カフェや足湯活動といった活動もある。
 災害ボランティアがなぜ農林業なのか。今は緊急支援。がれきや炊き出しがメインでも無くなってきている。地域全体を盛り上げていく。雇用の創出。
 炊き出しは重要な活動だったが、仕事を作れば一生食べていける。
 そういう意味で今後は地域全体を盛り上げる支援に入ってきているので、農業や林業、漁業の手伝いをしている。
 ソフト面ではカフェや足湯。カフェや足湯を介して被災された方に集まってもらって、話を聞かせて頂くメンタルケア。
 新しいコミュニティ作り。仮設で引き離された方々にコミュニティを作ってもらう。
 農業支援では、大槌や陸前高田の「まごころ農園」の手伝い、新たな農園の開墾作業などもある。


▼連休中の受け入れ状況
 上限は設けず誰でも受け入れる。縮小している支援団体もあるが、まごころネットは縮小せずに個人も団体も受け入れる。
 仮設住宅というイメージがあるが、仮設商店街もある。ボランティアが来て利用して、お金が落ちるという意味の支援にもなる。来て頂くだけで支援になる。
 愛着が出来る意味もある。遠いのに来て、支援した人間がいる。それを被災者にアピールできるので意味がある。来てくれたら来てくれたただけありがたい。


▼参加する上での注意
 本部のある遠野から沿岸被災地までの 移動、現地の宿泊は、まごころネットが用意。遠野市までの移動は実費。
 手袋やゴーグル、釘やガラスから足を守る靴など、準備しないといけないものもある。


詳しくは、こちらをご覧ください。
【NPO法人 遠野まごころネット】

2012年4月24日

4月24日「岩手県陸前高田市・ボランティア受け入れ状況」

ゴールデンウィークに東北を訪れる方のために、各地のボランティア受け入れ状況、被災地の観光情報などをお届けします。

岩手県陸前高田市の陸前高田災害ボランティアセンター 副所長・野間シンイチロウさんにボランティアの受け入れ状況などを伺いました。

▼ボランティアの受け入れ状況
 現在の活動内容は、細かいガレキの撤去や側溝のドロ出し、養殖施設のいかだの作製など。
 通常は月・火曜以外は毎日受付を行っている。1日、500人前後の受け入れ。
 最近は土曜日が300〜400人、ほかの日は100人前後。昨年に比べ人数は減っている。
 被災が広大な範囲に広がっており、住民からの要望も多いのでまだまだ必要。
 個人の方は毎日8時30分から受付。8時15分くらいまでに直接ボランティアセンターに来て受付をしてほしい。
 4月28日は定員になった。残りの4月29日、30日と5月3日〜6日はまだまだ余裕がある。(5月1日、2日は休み)
 ボランティアが陸前高田に来てくれることは、被災者に勇気を与える。たくさん来てほしい。


▼これから必要となる支援
 まだ復興の方向性が見いだせない人が多い。
 マスコミなども少なくなって、見捨てられている、忘れ去られているという想いもある。
 ボランティアが活動することで、住民を勇気づけていきたい。


▼陸前高田「桜ライン311」
 全国各地から送られた桜なので、咲く時期がそれぞれ異なる。
 河津桜は10日ほど前に咲いていた。主力のソメイヨシノは今週末くらいに見ごろを迎えてくれたらと思っている。
 わたしたちも、今年は桜が咲くのを心待ちにしている。



陸前高田市のボランティア受け入れ状況について、詳しくは、こちらをご覧ください。
【陸前高田市災害ボランティアセンター】

2012年4月23日

4月23日「宮城県気仙沼市・ボランティア受け入れ状況」

今週末からゴールデンウィークがスタートします。
長期の休みに東北を訪れる方のために、各地のボランティア受け入れ状況、被災地の観光情報などをお届けします。

宮城県気仙沼市・社会福祉協議会ボランティアセンター・斎藤ヨシノリさんに、現在のボランティアの受け入れ状況や活動内容などを伺いました。


▼一般のボランティア受付について
 ゴールデンウィークは、4月28日(土)、29日(日)、5月4日(金)、5日(土)に、
イベントの準備や手伝いとして、それぞれ10名ほどのボランティアを募集中。
 その日によって活動の件数や内容は異なる。
 継続的に毎日行っている活動は、津波で汚れた写真の洗浄や、被災した道路脇の花壇の整備など。毎日数人〜10名程度。
 その他イベントの手伝いなど、単発で20名ほど必要なケースや、住民の依頼で仮設住宅の引っ越しや、地域の商店街の復興応援市、花壇の整備、清掃など、お手伝いが欲しいという声も。がれき撤去というよりは生活支援という形になってきている。


▼作業の内容について
 重労働的なものは落ち着いてきたので、清掃など、日常的にやられている活動。
 ゴールデンウィークの活動もあるので、ご都合が合えば問い合わせをしてほしい。
 活動はできなくても、気仙沼がどういう状況なのか見るだけでも、十分地域のためになると思う。
 気仙沼のサポーターを全国に作っていかなければと思う。イベントのお手伝いをしてもらったり、ボランティア活動を含め、ぜひ来てほしい。
 ボランティアに来る場合は、地元の社会福祉協議会でボランティア活動保険に加入してから来てほしい。


▼今後のボランティアの受付について
 震災から1年が経つと、これからは災害公営住宅や高台への集団移転など、心境の変化というのが住民の方にもあると思うので、なにができるのかをこれからも考えて続けていくつもり。


気仙沼のボランティア受け入れについては、こちらをご覧ください。
【気仙沼市社会福祉協議会ボランティアセンター】
※一般のボランティアに関するお問い合わせ電話番号:080-5949-7475

2012年4月20日

4月20日「仮設のトリセツ(3)」

ウェブサイト「仮設のトリセツ」では、「風除室を有効活用する」「収納棚を設ける」「花壇をつくる」など、仮設住宅をより快適な住まいにカスタマイズするアイディアを提供しています。

サイトを運営しているのは、新潟大学工学部建設学科・岩佐明彦准教授の研究室です。

中越地震、そして東北の仮設住宅を調査してきた岩佐先生は、「仮設は、じっとこらえてやりすごす場所ではない」と語っています。


◆「回復の場」としての2年間
 自分たちの手でやるということが、自分達の生活を回復していくためのステップになるの。いつまでもボランティアやプロの大工がやるのでなく、住んでいる方がやるのがいい。
 仮の住まいではあるが、仮設での2年間が「失われた2年間」であってはいけない。「あの2年間があったから、今がある」と将来感じてほしい。単純にじっとこらえて2年間やりすごすのではなく、「回復の場」として、仮設の2年間が生かされたらいいと考える。


◆これからの仮設住宅が抱える「問題点」
 仮設の人がそのまま復興住宅に行くとは限らない。経済力がある人はどんどん出ていく。残るのはどうしても高齢者やハンディキャップのある人ということになる。
 中越のときは、仮設住宅団地は大きいのに、住んでいる人はまばらで空いている、という過渡期の状況があって、それをどう支援するか。
 被害にあった方は、ばらばらに仮設に入居し、絆をどうやってつくるかが問題になっているが、復興住宅に移行するときにも、再びばらばらになる可能性がある。理想を言えば、仮設住宅の「つながり」を復興住宅にも生かして、つながっていくといいと思う。
 仮設住宅はこれから「過渡期」に入ると思う。出ていく人、残る人、孤独になる人。その辺りを非常に心配している。



「仮設のトリセツ」は、ウェブサイトからダウンロードすることができます。
また、書籍版の「仮設のトリセツ」は書店でお求めいただけます。

【仮設のトリセツ Official Website】

2012年4月19日

4月19日「仮設のトリセツ(2)」

厚生労働省は先日、原則2年間とされていた被災地の仮設住宅の入居期間を、1年間延長する方針を明らかにしました。
仮設でより快適に暮らすための知恵や工夫が、いま被災地で注目されています。

ウェブサイト「仮設のトリセツ」では、仮設住宅をカスタマイズするさまざまなアイディアやヒントを提供しています。
サイトを運営しているのは、新潟大学工学部建設学科・岩佐明彦准教授の研究室です。

仮設住宅は「原状回復」が基本。
居住者が大きく手を加えてはいけないという暗黙のルールがありますが、仮設をカスタマイズすることに問題はないのでしょうか。岩佐さんに伺いました。

◆仮設住宅を住みやすくすること
 過去の仮設住宅の事例だと、ほぼすべてがリース。使用後に分解されて部品利用で再利用された。今回はとにかく数が多いので、県や市が買い上げている仮設が多い。出るときは原状回復、という話もあったりした。
 特に入居の最初の段階では、行政の担当者もよくわからないことが多く、「とにかくそのまま使って」という場合が多かったが、その後断熱などいろいろと手が加わったことなどもあって、最初のときほど「そのまま使って」という感じではなくなっている。
 行政担当者に、いま住みにくくなっている部分を「変えていいか」などと聞いてみると、少なからずOKな部分もあるし、住民共通の悩みであれば支援の手を差し伸べてくれる。
 最初のころに比べればゆるやかになった。住居者が住みやすいように、という方向になった。


◆アイディアを住民の間でシェア
 中越と東日本では、同じ寒冷地と言ってもライフスタイルが違ったり、仮設住宅の形が違ったりしているので、HPで紹介していることが、そのまま100%利用できるとは限らない。
 いま東日本でも、いろんな工夫の事例が出てきているので、地域に適したアイディアをシェアすることが重要。
 仮設の集会所の壁に「仮設のトリセツ」の写真を貼ると、住んでいる人は「すごいね」「これ**さんちだ」「この道具どこで買ったの?」などと、急に身近なものになる。
 アイディアを交流する場をつくることも重要。今回の仮設住宅団地は必ず集会所があるので、写真を貼るなどすると、住んでいる人たちの中でアイディアを共有できる。



「仮設のトリセツ」は、ウェブサイトからダウンロードすることができます。
また、書籍版の「仮設のトリセツ」は書店でお求めいただけます。

【仮設のトリセツ Official Website】

2012年4月18日

4月18日「仮設のトリセツ(1)」

厚生労働省は昨日、原則2年間とされていた被災地の仮設住宅の入居期間を、1年間延長する方針を明らかにしました。
対象となるのは「みなし仮設」を含む、およそ12万戸です。

「仮設」とはいっても、そこは大切な「住まい」。
仮設で、より快適に暮らすための知恵や工夫が、いま被災地で注目されています。

そこでご紹介するのが、ウェブサイト「仮設のトリセツ」です。
仮設住宅をカスタマイズするさまざまなアイディアやヒントを提供しています。

サイトを運営している新潟大学工学部建設学科・岩佐明彦准教授に、サイト立ち上げのきっかけを伺いました。

◆住まいの工夫
 最初に仮設住宅に関わったのは中越地震のとき。当時仮設住宅を調査したが、最初の状態だと住みにくいということで、各自工夫をされていた。そのときの住まい方の情報をHP上で公開したのがきっかけ。
 住んでいると、人が集まるところが必要なので、通りに椅子を置こうとか。夏はすだれや、緑のカーテンとか。どういう場所にどういう工夫ができるか。そのためにはどういう道具や材料があるのか。その材料はここで売っている。などの情報を掲載してある。
 一人きっかけになる人がいると仮設のカスタマイズが始まることが多い。日曜大工が得意だったり、漁業関係の方は手先が器用だったり。情報収集と交換は女性、作業は男性という感じ。


◆共通の話題になる
 仮設住宅に手を加えるのを見ていると、最初は「問題解決」からスタート。やがて、それが面白くなったり、手先の器用な人が近所の手伝いをしてお小遣い稼ぎになったり。また、仕事がなくてやることがない中で、役割ができて生きがいの創出になったり、コミュニケーションのきっかけになったり。仮設に住む人の共通の盛り上がる話題は仮設のカスタマイズ。


「仮設のトリセツ」は、ウェブサイトからダウンロードすることができます。
また、書籍版の「仮設のトリセツ」は書店でお求めいただけます。

【仮設のトリセツ Official Website】


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これまで番組でもご紹介してきました、被災地の子どもたちに海外ホームステイを体験してもらう「Support Out Kids」。
今後10年にわたる支援を目標とする、このプロジェクトのためのチャリティオークションパーティーが開催されます。

日時:4月27日(金)受け付け開始 18時/開会 19時
会場:東京ドームホテル B1「天空」
※鈴木大地さんなどのゲスト、平原綾香さんなどのチャリティライブなども行われます。

【Support Out Kids Official Website】

2012年4月17日

4月17日「3.11に生まれた命(2)」

東日本大震災が発生した昨年3月11日に生まれた命と、その誕生を巡るエピソードをまとめた、一冊の本「ハッピーバースデイ 3.11」。
可愛い赤ちゃんの写真が載っていますが、この本に出てくるお母さんやご家族の気持ちは複雑です。
2011年3月11日に生まれた、ということ。
それは、家族と、生まれてきた子どもたちにとってどんな意味を持つのでしょうか。

この本で取材と文章を担当した、コピーライターの並河進さんに伺いました。

◆子どもたちの成長と復興
 「周りでたくさんの方が亡くなって、自分の家だけ子どもが生まれて、それはすごく自分としては嬉しいこと。それを人に言えない、複雑な気持ちだった」という方が多かった。たくさんの方が亡くなって辛い日なんだけど、でも未来に行くのはこの子たち。強く生きていってほしい。
 命の大切さを感じながら生きていくのだろうと思う。その中で福島市の橋本栞ちゃんの話を聞いた。「栞」という名前の通り、「道しるべ」という意味もある。文字通り未来の道しるべになったとお母さんが言っていた。
 1歳になれば震災から1年。5歳になれば震災から5年。ずっとこの子たちの先を追いかけると同時に、日本が復興していくことと重なり合っていく。
 でも子どもたちにはあんまり重荷に感じてほしくない。


◆神様が遣わした存在
 「何も知らずに生まれてきている」と書きつつも、佐藤春晴くんの写真を撮ったあとには、どうしても抱っこしたい気がして、抱っこさせてもらった。
 それからは、撮影するたびに抱っこしていた。抱っこした時にその子の目を見ていたら、この子はもしかして全部知っていて、この子に僕は呼び出されて写真を撮ったり取材している、神様が遣わした存在なのではないかと感じた。
 何も知らないんだけど全て知っているような気がした。晴春くんのご家族は、職場が津波にのまれたが、出産があったため、仕事をみんな休んでいた。そのおかげでお父さんもおばあちゃんも命を救われた。もしこの日に生まれていなかったら、お父さんもおばあちゃんも命を落としていたかも知れない。そういう意味ではこの子に命を救われたといっている方も多かった。



「ハッピーバースデイ 3.11  あの日、被災地で生まれた子どもたちと家族の物語」は、飛鳥新社より発売中です。
この本の印税は全額、被災地支援に寄付されます。


【ハッピーバースデイ 3.11 Official Website】


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これまで番組でもご紹介してきました、被災地の子どもたちに海外ホームステイを体験してもらう「Support Out Kids」。
今後10年にわたる支援を目標とする、このプロジェクトのためのチャリティオークションパーティーが開催されます。

日時:4月27日(金)受け付け開始 18時/開会 19時
会場:東京ドームホテル B1「天空」
※鈴木大地さんなどのゲスト、平原綾香さんなどのチャリティライブなども行われます。

【Support Out Kids Official Website】

2012年4月16日

4月16日「3.11に生まれた命(1)」

東日本大震災が発生したあの日に生まれた命と、その誕生を巡るエピソードをまとめた、一冊の本「ハッピーバースデイ 3.11」。
昨年3月11日に被災地で生まれた赤ちゃんの写真と、その両親の体験で構成された本です。
取材と文章を担当したのは、社会貢献プロジェクトを数多く手がけるコピーライターの並河進さん。

並河さんに、3月11日に生まれた子どもたちについて伺いました。

◆強い笑顔のインタビュー
 僕自身が最初、ボランティア活動のために宮城県に入っていた。南三陸町の仮設病院の先生に「3月11日に生まれた赤ちゃんがいる」という話を聞いた。
 その父母が仙台に避難していて、自宅に上がらせてもらったら「2011年3月11日 命名 春晴」とリビングに貼ってあった。その字を見た時に、3月11日に生まれた子どもたちを探して撮影したいと思った。
 佐藤春晴くんは南三陸町で生まれているのだが、父は慈恵園という老人介護施設にいた。慈恵園は津波にのまれ、多くの方が亡くなった。だからお父さんは慈恵園の遺体の確認や、助かった方の世話を南三陸町で続けていた。辛い体験をしているはずだが、ずっと笑顔を絶やさずインタビューを受けてくれた。
 そのとき「この子が笑っていると何もかも忘れられる。辛いことがこれからもあるが、僕たちが笑っていられれば子どもたちも笑っていられると思う」とおっしゃっていた。強い笑顔だった。


◆新しい命を繋ぐ本能
 川口陽生くんと、橋本栞ちゃんは、福島県福島市の明治病院で生まれている。
 二人とも震災が起きた後、病院の中には居られないということで、急きょ駐車場で車を分娩室にして生まれた。両方のクルマを産婦人科の先生が行き来していた。その揺れで病院も倒壊することを考えると避難したくなるところだが、助産師さんは、子どもは生まれるタイミングで生まないといけないと知っている。お母さんは、これは産めないんじゃないかと迷ったという。でも子どもは生まれてくる。それを支える先生方。仕事というのはあるが、仕事を超えて、「新しい命をつなげなければいけない」という本能がある。それを支える先生方は本当にすごい。



「ハッピーバースデイ 3.11  あの日、被災地で生まれた子どもたちと家族の物語」は、飛鳥新社より発売中です。
この本の印税は全額、被災地支援に寄付されます。


【ハッピーバースデイ 3.11 Official Website】

2012年4月13日

4月13日「福島県楢葉町・地域の将来を左右する問題」

福島第一原発20キロ圏内にあり、第二原発を抱える町、福島県双葉郡楢葉町の高原カネ子さん。
「ならは天神太鼓」の指導者である高原さんは現在、故郷を離れ、いわき市でご家族・親戚と避難生活を続けています。

高原さんの故郷・楢葉町をはじめ、原発周辺地域・双葉郡は、地域の将来を左右する大きな問題に直面しています。

◆故郷を奪われた意味
 中間貯蔵施設が無いことには除染が進まない。そう思ったときにその施設を受け入れた町村や場所は、誰が考えても線量は高くなるんじゃないか。だから我が町には作りたくないというところだろうが、私は原子力について厳しく批判もしなかった、無関心だった住民の一人だと思っている。そのことが孫たちから故郷を奪うことにつながったのは間違いないことで、そこに対する責任は感じている。
 私たちがもっと電力側から見てやかましい住民であるべきだったのではないかと、いま反省している。その罪の意識を感じるから、そこで出来た危険物は自分たちもある程度理解して、施設を作ることもある程度受け入れないといけない面があるんじゃないかという気がする。
 これは極論でどうなのかという発言だが、「原子力に頼りすぎて無関心で暮らしてきたらこうなるんですよ」「原子力の所在地のみなさん、こうなるから、双葉郡、福島県を見て下さい」っていう意味においても、故郷を奪われてしまうことに意味はあるのか。そういうメッセージとして出ていくしかなくなっちゃう。


◆原子力の町に住んでいた
 中学2年生の孫が避難の間にポロっと言った。「ねえ、人間の手で止められないもので電気を起こしていたんだね」って。そのとおり。その時から思った。この子たちは、生まれたときから原子力の町に住んでいた。我々はその時に何かが出来たのではないか。もっと事を起こせば良かった。これからは起こそうと強く思った。
 もっと大きい声で言おう。でも何をどうして、どこにぶつけたらいいの。私たちもあの時の津波のように押し寄せようかしら。でもどこに押し寄せればいいのか。
 罪滅ぼしではないか、何が出来るのかと考えると、楢葉町は町長選挙がある。しっかり選ばないと全国から笑われるよね、という声が全国からすごい。



政府は楢葉町などに汚染物質を保管する「中間貯蔵施設」の設置を要請。
しかし、楢葉町議会は先日、全会一致でこれに反対する意見書を提出しています。

15日(日)には、楢葉町の町長選挙の投開票が行なわれます。
2人の候補者は、自分の町で出た廃棄物をどうするのかなど、主張に違いがありますが、
中間貯蔵施設の建設には、ともに“反対”の姿勢です。
また、すでに一部で始まっている警戒区域などの見直しについては、楢葉町民の反対を受け、この町長選挙の結果が出るまで、延期となっています。

2012年4月12日

4月12日「福島の子どもたちのために・世田谷の取り組み(2)」

春休みを利用して、福島で暮らす親子を東京・世田谷区に招き、外でおもいきり遊ぶ機会を提供しようというプログラム「ふくしまっ子リフレッシュ in 世田谷」。
この春休みに、福島市、伊達市、郡山市などから18家族の親子が参加しました。

どろんこになりながら遊びまわっていた子供たちを見つめていた、「福島の子供たちとともに・世田谷の会」代表・星野弥生さんにお話しを伺いました。

◆遊びまわる子どもたちを見つめながらする話
 お昼ご飯を食べて、(公園で遊ぶのは)本当は3時ぐらいまでだった。宿舎に帰ってお茶会をしようと予定していたが、子供たちは全然帰りたくない。そこで急きょ、公園でお茶会をすることになった。
 お母さんたちも、子供の手が離れるので、結構いろんな話をする。
 子供を外に出せないで、窓も締め切りで、鼻血を出す子もいるなど大変で、それがまだまだ続いている、などという話。
 直にそういう声を聞く機会をつくると、福島の話は全然他人事じゃない。お母さんも話をしたいし、こちらも交流したい。その機会をつくってよかった。



そして、参加したお母さん方からは、不安の声も聞かれました。

◆福島市に住むお母さんの声
 小1の娘と父母と暮らしている。
 震災後、すぐ娘が小学校に入ったが、市では「今まで通りに戻そう」とする意識が強い。「除染をしたら体育は外でやってもOK」「プールを除染したら今年の夏はプールを再開する」など。そうしたところに今も不安を感じる。
 風の強い日などは、一度地面に落ちたセシウムが再浮遊して口から入る内部被ばくが心配。
 去年体育館の中で運動会をやったら、けがをする子がすごく多かった。外で遊ばないことで体力の低下、バランス感覚などが衰えている。これからのことも不安。
 子供たちも不安を抱えているみたいで、七夕の願い事に「空気がきれいになりますように」と書いてあった。一番の願いがそれなんだと思うと、切なくなる。
 親の責任のもとで、子供をできるだけ安全に守りながら育てていく、ということを、日々考えている。


週末は、近くの県に車でお子さんを連れて行き、遊ばせているそうです。
ただ4月から、東北地方の高速道路の無料開放が実質的に無くなったため、それにもお金がかかって大変、ともおっしゃっていました。




「ふくしまっ子リフレッシュ in 世田谷」は、夏休みにも開催を予定しています。

【ふくしまの子供たちとともに・世田谷の会 Official Website】

2012年4月11日

4月11日「福島の子どもたちのために・世田谷の取り組み(1)」

春休みの期間を利用して、福島で暮らす親子を東京・世田谷区に招き、短期保養の機会を提供するプロジェクト「ふくしまっ子リフレッシュ in 世田谷」。
「放射線物質の影響を避けて、外遊びを控えている福島の子供たちを思い切り外で遊ばせてあげたい」という気持ちからスタートしました。

世田谷区の市民団体が企画し、区や教育委員会も参画。
参加したのは、福島市、伊達市、郡山市などの親子・18家族です。

このプロジェクトを企画した、「ふくしまの子供たちとともに・世田谷の会」の代表・星野弥生さんにお話を伺いました。

◆世田谷に居ながら出来ること
 子供、生活、教育に関することをやってきたグループが世田谷にはたくさんあるが、皆、世田谷から何か出来ることはないかと考えた。その中で、長期の休みの間に数日間、世田谷で過ごしてもらう。福島では子供たちが外に出るな、外で遊ぶなと言われているというのが現状。
 世田谷だって放射線量はあるかもしれないが、でもここで今までの一年間分遊んでほしいと思い、今回の保養プランを立てた。
 川崎のサマースクールをヒントにした。私たちみんなが福島に行ってボランティアをするのではなく、居ながらにしてできることがある。向こうの方も喜んでくれる。
 本当は福島のほうがずっと豊かな自然があると思うが、現状これがベターな選択だと思った。



「ふくしまっ子リフレッシュ in 世田谷」に参加した福島市在住のお母さんにもお話しを伺いました。

◆のびのび遊ばせたい
 子供は3歳になった娘が1人。
 めいっぱい遊べて、表情もすごくよくて、親としてはすごくうれしい。部屋で遊ぶことが多いので、自然の中でのびのび遊んでいる娘の姿を見ると、福島でもこういう遊びをさせてあげたいな、という気持ちになる。福島県内でものびのび遊べるようになればと願っている。
 子供もこういう状況が続くと、今後心や体にどういう影響がでるのか、すごく心配。今までだったら「外で遊んできなさい」と言えば済んだが、どこに連れて行って遊ばせようかと悩んでいる。週末は車で線量の低いところに連れて行って遊ばせたりもしている。



福島からの参加者には、キャンセル待ちも出たということです。
今回は、企画に賛同する人からの資金援助、ボランティアスタッフの働き、区や教育委員会の協力などが集まって企画が実現しました。


【ふくしまの子供たちとともに・世田谷の会 Official Website】

2012年4月10日

4月10日「“悲嘆”のケア(2)」

震災で身近な方を失った方の心のケアについて、神戸赤十字病院の心療内科医/「災害グリーフ・サポートプロジェクト」の世話人・村上典子さんにお話しを伺いました。
震災による「グリーフ(悲嘆)」のケアを目的に、心療内科、精神科医、臨床心理士、大学教員、悲嘆の研究者が立ち上げたネットワークです。


◆元気に見えても、悲しみを乗り越えたとは限らない
 心の傷は目に見えない。本人が元気そうに、無理して振る舞っているのに「元気になったね」「元気そうね」という言葉は傷つけることもある。
 実際に心療で接してきた遺族がおっしゃるのは「人と会う時はつらくても我慢して、元気そうに振る舞っている。なのに元気そうねと言われるとツライ」という方が多い。その一面だけ見て元気そうだというのは、実は傷つけてしまう可能性があることを知って欲しい。
 人は泣いていたり悲しんでいると、「泣かないで」「悲しんでいたらだめ」と言いがち。喪失、それによる悲嘆は十分悲しむことに意味がある。悲しむべき時にしっかり悲しみ、涙を流し、辛い思いを吐露することが、回復へ向けての重要なプロセス。悲しんだり泣いたりしている人の想いをしっかり受け止めてあげる。
 「泣くな」ではなく、「悲しんでもいいんだよ」と認めてあげることを気を付けてほしい。



◆一人で抱え込まないこと
 想いを他人に話せる人は癒しがうまくいく。自分一人で抱え込まず、周りに助けてくれる人がいて、素直に出せる人。あとは同じ想いを持った人たちで支えあうことが出来ること。
 家族の中で、亡くなった方のことを話題にしたり、小学校の中で子どもを亡くしたお母さんたちが、お互いに想いを話し合う。遺族の分かち合いの会という活動も始まっている。そういうことも重要。


大切な人を亡くされた方同士の「わかちあいの会」は、「災害グリーフサポートプロジェクト」の関連団体が、宮城県内などで開催しています。

【災害グリーフサポートプロジェクト Official Website】

2012年4月9日

4月9日「“悲嘆”のケア(1)」

震災で身近な方を失った方の心のケアについて、神戸赤十字病院の心療内科医/「災害グリーフ・サポートプロジェクト」の世話人・村上典子さんにお話しを伺いました。
グリーフとは「悲嘆」、喪失による深い悲しみと、それが心と体に及ぼす影響のことです。
このプロジェクトは、悲嘆のケアに関する情報を共有するために、心療内科、精神科医、臨床心理士、大学教員、悲嘆の研究者が立ち上げたネットワークです。
村上さんは1995年の阪神淡路大震災から、被災者の心のケアに取り組んできました。

◆「悲嘆」の現状
 今回の大震災では死別による喪失以外に、家や仕事、街の風景やコミュニティ、人間関係など、様々な喪失体験が同時に起こっている。亡くなった人との別れだけではなく、多くの喪失が一緒に起こっている。特に今回はご遺体と対面できない、見つからないケースがある。
 対面してお葬式を上げてお別れしても、遺族は現実感がない、実感がないと話す。ましてやご遺体に対面できていない、お葬式が挙げられていないとなると、ますます現実感が持てない状態。
 そうした喪失は日本では経験がない。海外の研究者の情報(NY同時多発テロやスマトラ沖地震による津波)を集めて分析をしている。
 喪失した現実感を持てなくて、現実を観ないようにしたり心にフタをしている時は、後になって深い悲しみや様々な症状が出てくる。フタをするということが体の症状として、胸がドキドキしたり頭や胃が痛いなど、身体の症状として現されることもある。


NYの同時多発テロ以降、専門家の間では、亡くなった方と対面できず、実感が持てない心の状態のことを、「あいまいな喪失」と呼んでいます。
この「あいまいな喪失」は、個人差はありますが、悲嘆を長引かせる要因にもなっているそうです。
今回の震災では、未だ3000人以上の方が行方不明のままです。


まもなく震災から1年1か月となる4月11日を迎えますが、こうした“節目の日”が心に影響を及ぼすことがあります。

◆「記念日現象」
 記念日とは亡くなった方との間の特徴となる日を指す。多くの場合は命日。今回の場合は3月11日や、亡くなった方の誕生日や結婚記念日など。一旦落ち着いて回復に向かっていたかに見えたのに、当時に戻ってしまい、非常につらくなってしまうということを繰り返す。
 死別から5年〜10年経った方でも、その時期になると調子が悪くなるということを繰り返すことがある。阪神淡路大震災の被災者は、昨年の3月11日に記念日反応で調子が悪くなった人がいる。
 そうしたことを知っておく、心の準備をしておくことには意味がある。テレビで津波の映像が出たり、あの日を想い出すニュースでつらくなると思う方は、そういうところから離れること。安心できる人と過ごす、被災地から離れる。そういうふうに対処することが大事。



「災害グリーフサポートプロジェクト」は、ご遺族だけでなく、支援活動をしている方など、私たちも知っておくべき情報をウェブサイトで随時更新しています。

【災害グリーフサポートプロジェクト Official Website】

2012年4月6日

4月6日「岩手県釜石市の防災教育に携わる片田敏孝さん(5)」

子どもたちの自発的な避難行動により、小中学生・約3000人が大津波から逃れて無事だった岩手県釜石市。
群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長・片田敏孝さんは、8年に渡り釜石の防災教育に携わってきました。

◆依存をやめる
 これまで「防災は行政がやるもの」という他者依存、行政依存が非常に強かった。これからは個人、学校、企業、行政も他者依存をやめ、それぞれがベストのことをやるという姿勢が重要。
 企業も社員の安全、社員の家族の安全をどう守るのかというのも、企業にとって大事なことになる。企業に勤めるお父さんは、企業人でもあるが家庭人でもある。どちらが大切かといえば、必ず家族のほうが大切。家族の安否がわからなければ、必ず帰ろうとする。そのために日頃から企業に勤める人は、それぞれ家族との連絡、万が一連絡がとれなくてもそれぞれがどう行動するかということを、事前に相談しておくこと。落ち合う場所など。必ずしも連絡がとれなくても大丈夫、不安が爆発しないように準備しておくことが重要。


◆命に責任を持ち、事前の備えする
 東北地方に「津波てんでんこ」という言葉がある。これは企業の防災にも参考になる。「てんでんばらばらに逃げる」というと、親は子供のことを見捨てて逃げろ、みたいに聞こえるかもしれないが、そうではない。「てんでんこ」とは一人一人が自分の命に責任を持つこと。これがしっかりできていれば、都心のお父さんも、無理に帰宅する必要がなくなる。企業としては、従業員と家族との間の事前の対応を導いておくことも重要。
 都心に従業員が残ってくれれば、都心の復旧復興や応急措置、人々を助ける行為にも活躍してもらえる。そう考えると、やはりここでも事前の備えが重要、ということになる。

2012年4月5日

4月5日「岩手県釜石市の防災教育に携わる片田敏孝さん(4)」

子どもたちの自発的な避難行動により、小中学生・約3000人が大津波から逃れて無事だった岩手県釜石市。
群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長・片田敏孝さんは、8年に渡り釜石の防災教育に携わってきました。

◆地震にどう備えればいいのか
 今回の地震津波をどう生かし、次の津波や社会にどう生かせばいいのか。
 最近東京などでも直下型の地震が近いのでは、という情報もあった。いろいろな想定の見直しも進んでいる。けれども僕は「想定に応じて右往左往するのはやめましょう」と言いたい。自然は何も変わっていない。
 まず基本原則は、あれだけ大きな地震があった後だから、各地で余震や地震が起こりやすくなっているのは事実。そこで皆さん不安がっているが、不安がる前に「自ら何か行動を変えましたか?自ら何か備えましたか」と言いたい。
 例えば首都直下型の地震に対してやるべきことは簡単。僕が言うことも皆さんが知っていることも同じ。「家屋の耐震補強」「家具の固定」「水や食料の買い置き」「ガラスは飛散しないようにフィルムを張る」「ベッドの下には靴を準備」など。僕が講演をしても同じことを言う。


◆「自分の命を自分で守る」
 不安がってもしょうがない。まず自分で出来る万全の策を講じること。それをやらずして不安がるのはおかしい。
 釜石の子供たちを観てほしい。彼らは教えられた通り「一生懸命逃げる」ということをやっただけ。そしてちゃんと生き残るという成果を上げた。そこに学ぶべきことは多い。
 不安だから、誰かが何かやってくれるだろうという他者依存が非常に強い。
 防災は「自分の命を自分で守る」。自分で行動して自分で守るのが重要。それをしないで不安がるのはやめましょう、と言いたい。



明日も片田敏孝さんのインタビューをお届けします。

2012年4月4日

4月4日「岩手県釜石市の防災教育に携わる片田敏孝さん(3)」

子どもたちの自発的な避難行動により、小中学生・約3000人が大津波から逃れて無事だった岩手県釜石市。
群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長・片田敏孝さんは、8年に渡り釜石の防災教育に携わってきました。

◆「奇跡」ではない
 「釜石の奇跡」という言葉に、私自身は違和感を持っている。
 子供たちは「僕らはずっと勉強してきてやるべきことをやった。だから『釜石の実績』なんだ」と言っている。
 釜石では99.8%の小中学生が無事だったが、市民は1000人、子供も5人亡くなっている。それを考えると、防災の取り組みとしては失敗だと思う。
 3000人の子供たちが懸命の避難をした。下級生やお年寄りを世話しながら避難した子供たちの行動は褒めてやりたい。


◆逃げることを信じる
 (防災訓練の)授業の最後に、「君たちはちゃんと逃げると思うけど、お母さんたちはどうすると思う?」と問いかけた。すると子どもたちは「お母さんが迎えにきちゃう」。「お母さんが迎えにきたらどうなるだろう」と聞くと、「お母さんに逃げてねとお願いする」と言うから、僕はもっと効果的な方法があると子供たちに教えた。
 「君がちゃんと逃げることだ。君がちゃんと逃げるということをお母さんが信じてくれれば、お母さんは迎えにこないだろう。だから勉強したことをお母さんにちゃんと伝えなさい」
 今回の震災の後、お母さん方に「逃げましたか?」と聞いたら、お母さん方が「うちの子は逃げるなっていっても逃げる子ですから、わたしは逃げましたよ」とあっさり言った。その言葉を聞いて、子供たちが日ごろ家庭で何をどう伝えていたのか、手に取るようにわかった。
 僕は心の中で「でかしたぞ!お母さんたちの命を守ったのは君たちだ!」と思っていた。子供たちは本当に実効性の高い防災行動をとってくれたと思う。



明日も片田敏孝さんのインタビューをお届けします。

2012年4月3日

4月3日「岩手県釜石市の防災教育に携わる片田敏孝さん(2)」

子どもたちの自発的な避難行動により、小中学生・約3000人が大津波から逃れて無事だった岩手県釜石市。
群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長・片田敏孝さんは、8年に渡り釜石の防災教育に携わってきました。

◆防災教育を行なうまで
 学年進行によって理解度も異なるだろうと思った。そんなことを先生方に申し上げたら「(防災教育に割く)時間なんてない。すでに学校はめいっぱいカリキュラムが入っていて教える時間がない」と言われた。それに対して「でもこのままでは子供たちの命を守り抜けない。英語、国際化、環境の教育。これらも子供たちが生き残ってからのこと」と話した。先生方ご自身が子供たちの守りたいという意識を作り上げた。
 最初は「時間がない」と渋い顔をされていた先生方も次第に「教えなきゃ、動く子供になるためにはどうしたいいのか」となり、そこからカリキュラムの開発、授業計画が進んでいった。


◆防災教育の内容
 メニューとしては定期的な避難訓練。下校時、様々な状況にある子供たちに対し、市の防災無線を使って本当に津波の情報を流して、子どもたちの対応行動を取る訓練をした。もちろん学校からの避難訓練も行なった。
 教える時間がないから算数の時間に「津波は遡上すると陸上では秒速○メートルです。A君の家は海から×メートル離れています。A君の家まで津波は何秒で来るでしょうか」という問題を作ったりした。「津波」である必然性は全くないが、先生方が防災について教えたいという一心で算数の時間に取り入れてくれた。社会の時間には津波の歴史を教えた。
 地域の方、町内会の方と一緒に地域を挙げての避難訓練も行なった。
 先生方自身が子供の命を守るんだという意識を強く持っていただいた。そうすると先生方も教育のプロだから、子供たちにどう教えるのが一番効果的なのかというのを、先生方自身が考えて、工夫をしてくれた。


◆迎えた「その時」
 「311」を迎える2010年度、釜石の14の学校全てで防災教育が行われた。全部授業が終わって「その時」を迎えた。子供たちはその年習ったこと、そのままの中で適切な行動をしてくれた。釜石の先生方が子供たちの命を守ってくれたと思う。


明日も片田敏孝さんのインタビューをお届けします。

2012年4月2日

4月2日「岩手県釜石市の防災教育に携わる片田敏孝さん(1)」

岩手県釜石市は津波で大きな被害を受けましたが、小中学生・約3000人のほとんどは津波を逃れ、無事でした。
子どもたちの自発的な避難行動は、メディアでも大きく取り上げられ、「釜石の奇跡」とも呼ばれました。

群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長・片田敏孝さんは、釜石の防災教育に長年渡って携わってきた人物です。
関係者の努力と、子供たちの勇気が実を結んだ、釜石のケース。けれども、取組みを始めた当初、状況は全く違ったそうです。

◆「姿勢の防災教育」
 釜石の防災教育は子供たちに「こうしろああしろ」と具体的な知識を与えるのではなく、判断力のある子供、自分で決断できる子供になるように、という教育に重きをおいてきた。これを「姿勢の防災教育」と言っている。
 津波に対しては「海から離れるのではなく、海から一刻も早く高いところに行く」という規範を与え、さまざまな状態でその時を迎えたときに、誰かに指示を仰ぐのではなく自分で行動がとれるように、教育に重きをおいてきた。
 釜石の防災教育を始めた当初は、子供たちはそういう力をほとんど持っていなかった。子供たちに津波対策を聞くと「僕逃げないよ。うちはお父さんもおじいちゃんもみんな逃げないよ。釜石には世界一の大きな堤防ができて昔とは違うんだ。だから僕逃げないよ」と言う。大人が逃げない、社会全体が逃げる体制になっていない、これはまずいなと思った。
 だから子供たちには「君にできることはただ一つ。その日その時できるベストを尽せ」「君が精いっぱいの行動をとっても、君の対応力より津波のほうが大きかったら、君は命を落とすかもしれない。それは仕方がない。だからこそ君はその時できる精いっぱいのことやるだけだ。懸命に逃げろ」と伝えた。


◆防災教育を続け、そして起こった震災
 子供たちは揺れが収まるやいなや、すぐに駆け始めて、いま一番高いところはどこだろう、一番早くいけるところはどこなんだろうと、ある子は一人で判断し、ある子は友達と相談しながら懸命の行動を取ってくれた。


明日も片田敏孝さんのインタビューをお届けします。

パーソナリティ 鈴村健一

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