2012年8月31日

8月31日「子どもたちが遊べる場を。『ふくしまインドアパーク南相馬』」

今月14日、放射線によって外遊びができない子供たちを対象とした屋内公園「ふくしまインドアパーク南相馬」がオープンしました。


設立の中心となったのは、NPO法人フローレンスと地域の住民です。

フローレンスは、熱を出した子どもを預かる「病児保育」を展開するNPO。
震災後、被災地の子供たちのために何か出来ないかと考えたうえで、まず昨年12月、福島県郡山市内に屋内公園をオープン。
今回の南相馬がその2園目となります。

NPO法人フローレンスの代表・駒崎弘樹さんにお話しを伺いました。

◆開園のきっかけと、こだわり
 わたしの妻が福島出身。妻の友達に聞いたら、子供たちが外で遊べないのが一番胸が痛いと言っていた。そこで子供たちが遊べる場所を作ろうと思った。屋外がだめなら屋内に、ということでインドアパークにした。
 もともとは保険会社が入っていたオフィスを大改造。人工芝を敷いて、砂場もつくって、上にはジャングルのようにツタを這わせて、なるべく屋外に近いような環境にした。広さは100坪くらい。駆け回れるような広さ。


◆ニーズが高かったのが「砂場」
 (屋外の)砂は放射線が強いということで、なかなか子供たちが砂場で遊べない。ある子供は、生まれてから一度も砂場を触ったことがない、砂場での遊び方がわからないという子もいる。そういう子供たちのために、砂場を屋内に作るということをした。そうしたことで、子供たちが思い切り砂場で遊べる、待ち望んでいた施設だと喜んでいる。子供たちの顔を見ると、頑張った甲斐がある。
 ただ、まだニーズに沿いきれてない部分もあって。本来は行政がやることだから、公園は無料のものなのに、「なぜ無料じゃないのか」という声も。
 民間でやっているプロジェクトとして、なかなかそれじゃ続けられないしと、葛藤もある。



◆子どもたちとその親を支えるために
 子供にとって遊びは、人格や心の発達に欠かせない要素。砂場で造形をすることで想像力が磨かれ、友達と走り回ることでコミュニケーション能力の基礎を作っていく。心を作っていくということで非常に重要。
 遊べない子供たちを見る親も忸怩たる思いがあるはず。でもこの町で住み続けたい、住み続けなきゃいけないという環境にある人たちを、わたしたちはオールジャパンで支えなきゃいけないんじゃないかと思う。


「ふくしまインドアパーク南相馬」の対象年齢は6カ月〜8歳まで。
会員費制で、ひと月遊び放題・子供一人につき2000円。
また、きょうだいは二人目が半額、三人目以降は無料です。
付き添いの方も一緒に入場できます。

民間のプロジェクトのため、活動を継続していくためにひと月500円の寄付会員制度「パークサポーター」を設けて、南相馬の子供たちの遊びをサポートしたいという方の支援を募っています。

また、ふくしまインドアパーク南相馬では、明日9月1日に無料開放イベントが行われます。
午後1時〜5時の間にピカチュウが2回登場します。
詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。



【ふくしまインドアパーク南相馬 Official Website】

2012年8月30日

8月30日「『Support Our Kids』ロンドンへ語学留学に参加した子どもたち(4)」

東日本大震災の被災地の子どもたちに、数週間の語学留学を体験してもらう取り組み「Support Our Kids」。
これは、海外での経験を通じて、震災で傷ついた子どもたちの心の回復と、周りのために活躍できる人材を育てることを目的としています。

被災地の子どもたちにとって、イギリス・ロンドンでの2週間は、本当に大きな意味があったようです。
特に福島から参加した子どもたちは、海外でのびのび遊び、勉強できる生活を本当に楽しんでいました。
 福島からの子どもたちからは「外でスポーツがしたい」という声があり、現地ではフットサルコートで地元の子どもたちとサッカーをする機会もあったそうです。


◆福島から参加した子どもたちの声
 「ステイ先で今日あった出来事を、とにかく単語を調べて伝えている。どうせなら仲良くなりたい。言うと、相手も教えてくれる。電子辞書ばかり見ている。でも嘘みたい。原発と言う長い目でみなければいけないものがあって毎日大変。でもこっちにくると自分のことだけ考えられる。最近でいちばん穏やかかも。めっちゃ楽しい!」
 「サッカーめっちゃ楽しい!福島では練習に放射能測定器を持っていかなきゃいけなかったのが違和感だった。側溝を測り、ガードレールを測るということをしていた。だから今すごく気兼ねなく草の上を走れる、運動できるのが心から楽しい!なんか幸せ!」





一方、出発前に不安そうな表情だった宮城県亘理町出身の中津留祐人くん・通称「ツルくん」(サッカー部)からは、こんな声が聞けました。

◆海外で学びたい
 楽しい。当たり前だが日本と違う。新鮮。
 (カナダ留学がダメになったこと)大学に行けなくなったので、この1回きりの海外だと考えていた。でも海外へもっと行って異文化を学んだりしたいと思った。


◆帰国後
 楽しすぎて。この経験は自分の人生を変えるものだったと感じた。性格も変わった。 イギリスで自己アピールできるようになり、日本でもできるんじゃないかと思う。留学をしたい。
 お金があまりないから厳しいかもしれないが、何歳になっても遅くはない。絶対にどこかにいってたくさん学びたいと思う。



現地コーディネーター・青島俊徳さんはツルくんや子どもたちについて、このように話しています。

◆見たことのない世界を見て
 ツルくんは元々カナダの大学に行きたいと進学を考えていたが、津波で親御さんの養豚場が流され、生活が180度変わってしまった。「留学できるお金がないからあきらめた」と言っていた。
 しかしロンドンで悔しい思いをして、見たことのない世界を見た。人種の違う、ルーツの違う人たちを幅広く観て、やはり行きたいと切望。カナダだけでなく世界中を見て回りたいと思ったのではないか。


◆子どもたちに伝えてきたこと
 しきりに彼らには「人生は一度きりだから、諦めるような人生を選ばない方がいい」と言った。いくらでもやり方はある。あきらめないように。ギャップを感じて悔しいと思った時、自分の置かれた環境をよく見て、悪いところを見るのではなく、いいところをもっと良くするという考え方、ポジティブな考え。辛い、分からないと思うのではなく、何をしたら今の環境を最大限にフル活用できて楽しめるのか。
 何をしたらいいと思うのか答えをこちらで出すのではなく、自分で考えてみたら、と話をした。






サポートアワーキッズでは現在、来年3月に実施されるアメリカのホームステイプログラムに参加する子どもたちを募集しています。

「第2回 Support Our Kidsホームステイプログラム in USA」
期間:2013年3月
ホスト国:アメリカ合衆国
対象:東日本大震災で被災した高校生48名 ※罹災証明書等が必要
応募:「Support Our Kids」ホームステイ参加者募集ページより、募集要項をご確認ください。
   ※申請書もこのページからダウンロードできます。
   http://support-our-kids.org/ja/homestay_usa2013/
締切:9月18日(火) ※当日消印有効



【Support Our Kids Official Website】

2012年8月29日

8月29日「『Support Our Kids』ロンドンへ語学留学に参加した子どもたち(3)」

東日本大震災の被災地の子どもたちに、数週間の語学留学を体験してもらう取り組み「Support Our Kids」。
これは、海外での経験を通じて、震災で傷ついた子どもたちの心の回復と、周りのために活躍できる人材を育てることを目的としています。

第二弾となる今年の夏休みは、イギリス・ロンドン、ニュージーランドでホームステイを実施。
イギリスには、岩手・宮城・福島から選ばれた10人が参加しました。

8月10日、10人の子どもたちは2週間のホームステイに旅立ちました。
場所はオリンピック期間中のイギリス・ロンドンです。

到着後、まず競技会場でレスリングの試合を観戦した子どもたち。


その後10人はそれぞれ、ホストファミリーの元での生活をスタート。
現地の学校へ通い、語学学習に励むことになりました。


◆滞在3日目の子どもたちの声
 「ホストファミリーが優しくご飯も会話があり毎日楽しい。学校の授業は、最初聴き取るのが精一杯だった。今はある程度内容が把握できるように思う」
 「自分がこんなに英語ができないなんて。学校の授業のテストも負けない自信があった。でも全然甘かった。一言も通じなかった。とても悔しい。とにかく単語だけでも伝わるようにしないと」



オリンピック開催地での生活に特別な想いで臨んだ子どももいました。
岩手県宮古市出身の中学1年生・佐藤響くんはレスリングの選手でもあります。

◆アスリートが夢見る舞台を見ることができた
 「YES,NOが喋れたら生きていける」と言われたのだが、学校で「何言ってんの」という感じで、言葉がない自分を悔しく思った。
 レスリングについて。根性で日本は負けている。技は世界レベルだが、力と根性は足りない。でもアスリートが夢見る舞台を、観客として見ることができた。次は選手として見られるように頑張りたいと思った。


現地コーディネーターの青島俊徳さんは、佐藤くんについて、このように話しています。

◆運命を感じたのではないか
 彼はもともと、お父さんの影響でレスリングを始めたのだが、お父さんは震災で行方不明になり見つかっていない。
 一度はレスリングをやめようと思った。何も意味が無いと感じた。しかしお母さんが、続けてみたらと説得してやることになった。震災1年後の今年3月11日に、全国大会で準優勝し運命を感じた、感動で涙が出てきたという。レスリングをやる運命だと強く感じたのではないか。13歳の子どもがあれだけ明確な夢を持っているというのがすごい。
 オリンピックも観れて、具体的なものが見えたと楽しそうに話す。活躍する姿を見たいとすごく期待している。








サポートアワーキッズでは現在、来年3月に実施されるアメリカのホームステイプログラムに参加する子どもたちを募集しています。

「第2回 Support Our Kidsホームステイプログラム in USA」
期間:2013年3月
ホスト国:アメリカ合衆国
対象:東日本大震災で被災した高校生48名 ※罹災証明書等が必要
応募:「Support Our Kids」ホームステイ参加者募集ページより、募集要項をご確認ください。
   ※申請書もこのページからダウンロードできます。
   http://support-our-kids.org/ja/homestay_usa2013/
締切:9月18日(火) ※当日消印有効



【Support Our Kids Official Website】

2012年8月28日

8月28日「『Support Our Kids』ロンドンへ語学留学に参加した子どもたち(2)」

東日本大震災の被災地の子どもたちに、数週間の語学留学を体験してもらう取り組み「Support Our Kids」。
これは、海外での経験を通じて、震災で傷ついた子どもたちの心の回復と、周りのために活躍できる人材を育てることを目的としています。

第二弾となる今年の夏休みは、イギリス・ロンドン、ニュージーランドでホームステイを実施。
イギリスには、岩手・宮城・福島から選ばれた10人が参加しました。

10人はそれぞれ、震災から1年半が経過した今も生活の変化に悩み、戸惑い続けています。
参加者の一人、福島市出身の半澤ほのかさん(高校3年生)に、震災後の状況を伺いました。

◆以前と違う、震災後の状況
 大変だったのは、沿岸にあるおばあちゃんの家が流されたこと、震災当時よりも福島は放射能でずっと悩まされていて、そのせいで陸上部として走ることも出来ず、マスクは当たり前で練習できず部活をやめた。
 今も復興は進まず、天気予報で普通に放射線量が出るのを見ると、前と違うと思う。



半澤さんは、ラジオを通じてご両親から「Support Our Kids」でのホームステイを薦められ、応募することを決めたそうです。

◆ホームステイ出発前夜に語った想い
 震災後に体調を崩した。何もやる気がなくなった。部活も外が使えず走れないので、私自身が変わってしまった。それを両親が見ていた。
 昔から海外に興味があった。(両親が自分を)送り出すとき、「お母さんの分まで楽しんでくるんだよ」という言葉をもらった。英語は現地じゃないと身に付かない。ホームステイして学校に通える。英語のスキルアップは楽しみ。
 行けなかった人の分、被災したみなさんの代表として、自覚を持って仲間と一緒にたくさん吸収して、たくさん学んで帰ってきたい。






サポートアワーキッズでは現在、来年3月に実施されるアメリカのホームステイプログラムに参加する子どもたちを募集しています。

「第2回 Support Our Kidsホームステイプログラム in USA」
期間:2013年3月
ホスト国:アメリカ合衆国
対象:東日本大震災で被災した高校生48名 ※罹災証明書等が必要
応募:「Support Our Kids」ホームステイ参加者募集ページより、募集要項をご確認ください。
   ※申請書もこのページからダウンロードできます。
   http://support-our-kids.org/ja/homestay_usa2013/
締切:9月18日(火) ※当日消印有効



【Support Our Kids Official Website】

2012年8月27日

8月27日「『Support Our Kids』ロンドンへ語学留学に参加した子どもたち(1)」

番組では昨年、東日本大震災の被災地の子どもたちに、数週間の語学留学を体験してもらう「Support Our Kids」の取り組みをご紹介しました。
2年目となる今年の夏休みは、イギリスのロンドンをはじめ、アメリカ、ニュージーランドの3か国で実施。
その中で、イギリスのホームステイには、岩手・宮城・福島の中高校生10人が参加しました。

◆Support Our Kids事務局・新山明美さん
 ロンドン五輪閉会式前日に到着。レスリング予選と決勝を見てもらう。メディアを通じてみる五輪と生は違う。その感動を五感で感じて欲しい。イギリスのホームステイ、午前中は語学研修、午後はなるべくローカルな公共交通機関でイギリスを肌で感じてもらうというのが主なプログラム。
 最大の目的は一過性ではなく、10年という区切りの中で震災を経験した若い世代、傷ついた子どもたちを一日も早く心を元気にして、地域や自分のため、周りの人のために活躍できる人材を育成するのが目的。



番組では、出発前日の8月9日、東京で事前研修を受ける子どもたちを取材しました。
それぞれ、明日からのロンドンに胸を躍らせている様子でしたが、実はその多くが、震災で大きく変わった生活に今も戸惑い、複雑な気持ちを抱えています。

◆宮城県から参加・中津留裕人くん(高校3年生)
 震災前までは両親が養豚場を経営、場所は岩沼市玉浦の海沿い。両親は仕事場にいて地震直後にラジオで避難したが、豚たちはみんな流された。出荷する豚も全て失い、全財産を失った。失業、震災半年後に今住んでいる蔵王で新しい職が見つかったため引っ越すと言われた。その仕事は給料も少なく余裕が無く、今まで色々自分の欲しいモノ、買ってもらったモノが蔵王ではガラリと変わって余裕も無くなった。
 来年大学進学を目指していて、親には迷惑をかけたくない。国公立に進学したい。頭の良さも足りなくて、でも塾に行くお金もない。親にも相談できない。
 自分のしたいことばかりしていた。早く大人になって親元から離れたいとばかり考えていた。震災後に自分のしたいことが出来ない生活になって、我慢することで大人になり、成長するのかと。
 安定した仕事について経済的に余裕を持って、大変な思いをした親をサポートして支えていきたい。




≪写真:東京・オリンピックセンターにて行なわれた出発前研修。チームとしてのスローガンを決め、旅に向けてそれぞれの意気込みを語った≫



明日も、ロンドンへの語学留学に参加した子どもたちの声をお送りします。


【Support Our Kids Official Website】

2012年8月24日

8月24日「サッカーのチカラを被災地へ(5)」

サッカー元日本代表キャプテン、横浜F・マリノスの中澤佑二選手が昨年4月から続けている被災地支援活動『BOMBER22“みんなに笑顔を”プロジェクト』。
震災直後から“あまり報道されていない”被災地へ出向き、サッカーを通じた子供たちへのボランティア活動を続けています。

現在、中澤選手は34歳。
今も第一線で活躍し、さらに被災地での支援にまで力を入れる彼が今、サッカーとどう向き合っているのか、その原動力は何なのか、伺いました。

◆代表から引退して
 何も変わってない。「限界までサッカーがしたい」っていう思いも、カズさん(三浦知良選手)の影響で少しずつ出てきている。若い子には負けられない、若い子に席を譲るのはまだ早い。若い子にはまだ負けないという気持ちも出てきている。逆に年はとってるけど、精神的にはハングリーになってきていると思う。

◆チームの練習が終わった後、さらに練習をする理由
 (練習は)やらないとダメだと思う。他の選手もやってるかもよ、という問いかけが自分の中である。
 今日やらなかったことは、たぶん明日もやらないと思う。
 経験上、今日疲れてやらなかったことは明日もできない。だったら疲れてても今日やっちゃったほうがいい。明日に延ばさないっていうのは、ひとつ手だと思う。





中澤選手は震災直後から現在も、サッカーを通じた子供たちへのボランティア活動を続けています。
支援活動『BOMBER22“みんなに笑顔を”プロジェクト』では、義捐金を受付ています。
この義捐金は、被災地の復旧支援、そしてスポーツ施設復旧のための活動資金に充てられます。

詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
【中澤佑二 Official Website「BOMBER22.COM」】

2012年8月23日

8月23日「サッカーのチカラを被災地へ(4)」

サッカー元日本代表キャプテン、横浜F・マリノスの中澤佑二選手が昨年4月から続けている被災地支援活動『BOMBER22“みんなに笑顔を”プロジェクト』。
今月5日、三度目の訪問となった宮城県七ヶ浜では、がれきの撤去作業にも参加しています。
こうした継続的な活動を通じて、中澤選手はどんなことを感じたのでしょうか。

◆変化する支援
 七ヶ浜は最初、昨年5月はがれきが山積みで田んぼにもあった。今年は片付いていて大きながれきは撤去されていたが、細かく手作業でしか除去できないガラス破片などが問題に。一個ずつ拾わなければいけない。最終的には手作業。その“手”になりたいと思っていたので、参加させてもらった。
 どれだけ続けられるかだと思う。人間は一人では生きていけない。自分が困った時に手を差し伸べてくれる人がいたらどれだけ嬉しいか。逆の立場を考えたら、いま自分ができることはこれ。人と人は助け合いながら生きていかないと本当の幸せは見つけられない。日々感じている。


◆サッカーをして触れ合った子どもたちへ
 復興には時間がまだかかる。僕も引き続き現地で子どもとサッカー、がれき撤去、ボランティアセンターの人と話をしていきたい。笑顔を忘れず生活してほしい。
 Website「BOMBER22.COM『みんなに笑顔をプロジェクト』」で義捐金を受け付けている。現地には行けないという方の代わりに、現地の方々に笑顔を届ける。協力してほしい。




番組では明日も、中澤佑二選手と中西哲生の対談をお送りします。



中澤佑二選手の支援活動については、オフィシャルサイトでもご覧になれます。
【中澤佑二 Official Website「BOMBER22.COM」】

2012年8月22日

8月22日「サッカーのチカラを被災地へ(3)」

サッカー元日本代表キャプテン、横浜F・マリノスの中澤佑二選手が昨年4月から続けている被災地支援活動『BOMBER22“みんなに笑顔を”プロジェクト』。
中澤選手は先月29日と今月5日、試合や練習の合間を縫って被災地を訪れました。
代表を退いたとはいえ、第一線で活躍する現役プレーヤーがこうした活動を続けることを、中澤選手本人はどう捉えているのでしょうか。

◆サッカー選手が支援活動を両立させること
 引退後はいくらでも活動できるが、現役の今だからこそシーズン中に行った方が現地の人たちも僕の想いを感じてもらえる。今しかない。引退してから何年後にやっても遅い。いま感じたことは今やるべきと思っている。
 年に1,2度の機会だが、現地の子どもたちとの触れ合いが自分のエネルギーに代わることがある。あの子たちがサッカー楽しそうだったのを思う。元気をもらっている。


◆プロとしてどうあるべきか
 子どもたちがマリノスの試合を見て、「あの時空振りしてたよね」なんて言われたら恥ずかしい。
 現地で見て、触れて、感じることが正しい。これを大事にしていきたい。




番組では明日も、中澤佑二選手と中西哲生の対談をお送りします。



中澤佑二選手の支援活動については、オフィシャルサイトでもご覧になれます。
【中澤佑二 Official Website「BOMBER22.COM」】

2012年8月21日

8月21日「サッカーのチカラを被災地へ(2)」

サッカー元日本代表キャプテン、横浜F・マリノスの中澤佑二選手が昨年4月から続けている被災地支援活動『BOMBER22“みんなに笑顔を”プロジェクト』。
中澤選手は先月29日と今月5日、試合や練習の合間を縫って被災地を訪れました。

◆宮城県七ヶ浜町を訪れる理由
 現在の活動は、宮城県七ヶ浜町で地元少年たちとサッカーをしたり、先日は田んぼのがれきを撤去した。
 著名人が訪れていない所も行かなければいけないと思った。自分で調べたところ、七ヶ浜町も被害が多いのに著名な人やスポーツ選手は来ていない。僕が行くことで町の状況を知ってもらえればと思った。


◆地元の方と話して印象的だったこと
 「ここからここまで津波が来て、家が流された」というリアルな言葉。映像よりもショッキングだった。想いが伝わってきた。
 子どもたちからは「(中村)俊輔は来ないの」って毎回言われる(笑)。いつも心に刺さる言葉(笑)。
 子どもたちは言葉より、“サッカーをしたい、ボールを蹴りたい”ということが強い。言葉ではあまり言ってこない。お尻をツンツンしたり、ズボンを下ろすという悪ガキが出てくる。そうなると子どもは止められない。けれど、そういう雰囲気を作れなかった当初に比べれば、子どもたちと打ち解けられるようになったと実感している。




番組では明日も、中澤佑二選手と中西哲生の対談をお送りします。



中澤佑二選手の支援活動については、オフィシャルサイトでもご覧になれます。
【中澤佑二 Official Website「BOMBER22.COM」】

2012年8月20日

8月20日「サッカーのチカラを被災地へ(1)」

サッカー元日本代表キャプテン、横浜F・マリノスの中澤佑二選手は昨年4月から、避難所や被災地を訪問して、サッカーを通じた支援活動を続けています。
最初に訪問したのは昨年4月10日の埼玉県三郷市・福島県双葉郡広野町の住民の方の避難所でした。
中澤選手はその後も、宮城県七ヶ浜町、多賀城市などを訪問しています。

◆自分なりに出来ること
 (東北太平洋沖地震発生時)昨年3月11日14時46分は自宅にいた。家族は一緒にいたので心配することは無かった。
 その後、昨年4月には埼玉で支援活動を始めた。何ができるか震災後に自分なりに考えた。著名人が動く中、僕も動きたいと思ったが、真似しても何があるのか。そこでまずは、出身の埼玉県三郷市に避難している福島の人たちに会いに行った。花見シーズンの桜のキレイな中、ボランティアの炊き出しがいる中、ご飯を食べて話をした。


◆子どもたちの笑顔
 サッカー教室をしようと思ったが、サッカーが分からない子もいたので、ボールを使って体育の授業の延長のようなことをした。
 子どもたちはなかなか最初は馴染んでくれなかった。でかいから近寄ってこなかった。黒くてデカいから。一緒にミニゲームをやると子どもは無邪気に、僕からボールをとりシュートを止め喜んだ。純粋でいいなと思った。
 子どもたちの楽しそうな姿は、親じゃなくても見ていて楽しい。これを活動としていくのが大事。子どもたちの笑顔がエネルギーになると感じた瞬間。



番組では明日も、中澤佑二選手と中西哲生の対談をお送りします。



中澤佑二選手の支援活動については、オフィシャルサイトでもご覧になれます。
【中澤佑二 Official Website「BOMBER22.COM」】

2012年8月17日

8月17日「映画屋とその仲間たち」

映画の仕事に携わる有志たちがボランティアグループ「映画屋とその仲間たち」を結成し、昨年5月から今年7月まで岩手・宮城の仮設住宅の集会所で映画を上映。
「普段、映画を作っているわたしたちに、なにが出来るんだろう」という想いから、この活動は生まれました。

◆呼びかけ人のひとり、映画プロデューサー・森重晃さん
 最初に来たのは、やっと仮設住宅が出来てきた5月から夏にかけて。定期的に映画でも見てもらおう、最低1年以上やらないとだめなんじゃないか。
 岩手県田野畑村、岩泉の尾本団地、南三陸のホテル観洋など、定期的に同じ場所で活動していくことで、地元の人とも顔なじみになった。お年寄りにも「また来てね」と言われながら、毎回帰って行く。



二ヶ月に一度のペースで上映する作品は、出席者の年齢や好みを考慮してセレクトしているそうです。
お年寄りが多い時は『男はつらいよ』
若い方が多い時は『フラガール』
子どもたちが多い時は、アニメ『ワンピース』

活動に参加した有志は、映画監督の阪本順治さんや、西川美和さん、また映画のスタッフや映画祭の関係者など、様々です。

◆映画監督・行定勲さん
 我々映画人って、動いたところで何が出来るのかっていうのが難しいメディア。でもその中で、少しでも明日への一歩に繋がっていくのなら、それはやるべきなんじゃないか。
 「ありがとう」「少しでも気が紛れました」という言葉を言ってもらえたことで、逆に僕らが勇気づけられた。
 映画が上映されたところで、観客が一人でもいるというのは、すごく有り難いことなんだなと、表現の一旦に刷り込んでいかなきゃいけないんだなと感じている。



映画の上映会だけでなく、カフェやフリーマーケットなども行って、住民の方たちと交流を続けてきた「映画屋とその仲間たち」。
「最低一年は続けよう」と始めた活動は今年の7月で8回目を迎え、一旦終了となりました。

◆活動を支えたコーディネーター・丸山由夏さん
 印象的だったのは『フラガール』上映のとき。復興していく姿が自分たちと重なり、一緒だね一緒だねと泣きながらも、「自分たちがもっと若ければもっと頑張れたのに」という感想。
 この一年の中でも、最初は生き残れたことに感謝したんだと思うけど、だんだん年齢とか、これから生きていく上での現実が見えてきてしまったんじゃないかと最近になって感じている。
 今回で活動は終わりになるが、同世代の人と接していく中で、何を目標にして頑張ったらいいかわからないという話がある。もちろん頻繁に来ることはできないが、東京にいながらでも彼らにコンタクトをとることで、遠くにいながら支えたり、純粋に私が会いたいと思っているので、そういう人間がいるということを頭に入れておいてくれたら。

2012年8月16日

8月16日「陸前高田市・出荷が始まった“野菜工場”(2)」

ほとんどのエネルギーを太陽光と地下水でまかない、ドームの中で1年365日、毎日野菜を収穫できる。
未来の農業のカタチを実現した野菜工場「グランパファーム陸前高田」。

7月に完成して、今月から野菜の収穫が始まったのですが、この野菜工場にはもう一つ大きな役割があります。

野菜を栽培するドームは、3棟が稼働中。9月に8棟がフル稼働します。
そこで、働き手として7〜8人を募集することになります。
この野菜工場は、雇用を創出するのが目的でもあります。

現在、グランパファーム陸前高田では、パート15人を含む18人の地元の方が働いています。それぞれが震災で元々の職を失った方々です。

 ○地元商社で働いていたが津波で辞め年金生活をしている方。「仕事をしている方がいい」
 ○水産加工をしていたが、家が流され、仮設住宅で暮らしている方。
 ○子を持つ親。昨年の震災時には迎えに行けなかったが、今回被災者限定求人で応募。家から近いこともあり、ここで働くことを決めた。




農業については、東北だけでなく日本全体が後継者問題を抱えています。
この野菜工場はもしかしたら、その問題を解決してくれるかも知れないと、陸前高田市の戸羽太市長も、そこに期待しているようです。

◆市長が掛ける期待
 被災前から一次産業には色々な課題がある。農業の担い手不足、高齢者で後継ぎがいない。
 グランパファーム陸前高田は、スタッフもスニーカーにポロシャツで農業が出来る。若い人たちが農業への考え方を変えてくれるかもしれない。
 世界の食糧不足は分かっている。岩手・宮城が食糧供給基地として役目を果たすには非常に友好的。
 被災して路頭に迷う人がいる中、この事業が次の展開を見据えたものであること。その一番はじめの従業員として働くこと。プライドもあるし、頑張りでこの事業がどうなるかという責任感もある。普通の事業より色んな思いを持って働いているのではないか。



グランパファーム陸前高田は、将来的には8つの野菜ドームを全て稼働させ、「1日に3600株」のレタスなどを収穫できるようになるということです。

そして、ここで栽培されたレタスは、サンドイッチ・チェーン「サブウェイ」の仙台をはじめ東北12店舗で、サンドイッチとして食べることが出来ます。
また、地元のスーパーでも「復興レタス」として購入することが出来ます。

2012年8月15日

8月15日「陸前高田市・出荷が始まった“野菜工場”(1)」

8月4日(土)、岩手県陸前高田市で、ある農業施設が初出荷を迎えました。
これは「グランパファーム陸前高田」という“野菜工場”。
今も農業用地の9割が復旧できていない陸前高田に大きな可能性もたらすかも知れないという事業です。



この野菜工場は、陸前高田市米崎にあります。
サッカーコートより1回り〜2周り広い敷地に、真っ白いドームが8棟並んでいます。(現在稼働は3つ)
ドームの大きさは直径29m、硬い柱が1本も入っておらず、空気で膨らんでいます。

ドーム内は、地下水と太陽光という自然エネルギーを効率よく、最大限に活用する仕組みで温度調整もほとんど太陽光で行ないます。
ハウス栽培と違い、燃料はほとんど使わず、エコで低コストです。
このドームでは1日450株のレタスが獲れ、暑い日も寒い日も安定供給が狙えるということです。



陸前高田市の戸羽太市長は施設のお披露目会で、このように話していました。

◆新しいチャレンジへ
 陸前高田市は壊滅的な状況。ただ復旧するのではダメ。新しいことにチャレンジしようという思いがある。
 具体的に何かと考えた時に植物工場の話があった。この技術が確立したら世界へ売ろうという話をしている。
 実現すれば、悲惨な状況だった陸前高田市が、世界の新しい技術のスタートラインに立つ。被災者全体にも励ましになる。




中西哲生がサブウェイサンドイッチ親善大使を務めるサンドイッチ・チェーン「サブウェイ」も、このプロジェクトに協力。
仙台をはじめ東北12店舗で、この野菜工場で収穫されたレタスが使われています。


収穫されたレタスは、地元小中学生がデザインしたパッケージに包まれ、陸前高田などのスーパーでも購入できるということです。

2012年8月14日

8月14日「被災ローン減免制度(2)」

被災地で問題となっている二重ローン問題についてのサポート「被災ローン減免制度」。
これは、震災被害で二重ローンを抱えてしまう方が、500万円までの貯金などを手元に残したままで、元々のローンを減らしたり免除できる制度です。
しかし、金融機関がこの制度を紹介しないことも多く、制度自体が知られていないため、実際に利用した方はごくわずかに留まっています。
その一方、制度を知っていても足踏みしてしまう方もいるそうです。
日本弁護士連合会 災害復興支援委員長・中野明安弁護士に状況を伺いました。


◆足踏みしてしまう方の気持ち
 本来「被災ローン減免制度」を利用出来るのに、踏み切れない人が多くいる。
 岩手県のある街で、津波で家を流された方がいた。担保がついていて借金もある。借金を返済しなければいけない。減免制度を利用して借金を免除してもらえばどうだと提案したが、「金融機関には迷惑をかけられない」と制度の利用をためらった。
 東北の人の良さなのかも知れない。しかし今回の減免制度は、金融機関が「どうぞ被災者の方は、この制度で減免できます」とするためのルール。みなさんは制度を利用して復興への力を蓄えて欲しい。これは金融機関の方もぜひ伝えて欲しいし、被災者の方もぜひ覚えておいて欲しい。


◆高台移転をするためにも、制度を知ってほしい
 その被災された方は、高台移転をするか協議していた。高台移転には防災集団移転促進事業を使う。そのためには、津波で流された家のあった土地を自治体に買ってもらう。そのお金で高台に移転する仕組み。しかし担保がついていると自治体は土地を購入してくれない。だから担保の残る被災者は、高台移転に参加出来ない。なので、この制度を使って担保を消して債務も消して、復興のために高台移転する準備ができると知って欲しい。
 減免制度の内容は、詳しくはまず地元の弁護士会、法律相談センターに問い合わせて欲しい。被災ローン減免制度を運営する委員会が岩手・宮城・福島にある。



被災ローン減免制度について、詳しくは下記へお問い合わせください。

■個人版私的整理ガイドラインコールセンター (平日午前9時〜午後5時)
0120-380-883

■岩手弁護士会被災者ホットダイヤル (午後1時〜午後4時)
0120-755-745

■仙台弁護士会法律相談センター
022-223-2383

■福島県弁護士会無料電話相談 (平日午後2時〜4時)
024-534-1211
024-925-6511
0242-27-2522
0246-25-0455


※また、制度に関するチラシはこちらからダウンロード出来ます。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/shinsai/loan.html#loan


8月21日には、参議院議員会館でこの制度に関する院内集会が行なわれます。
これは、制度について知りたいという一般の方も参加可能ということです。

2012年8月13日

8月13日「被災ローン減免制度(1)」

個人住宅の二重ローン問題について、「被災ローン減免制度」という法律のサポートが約1年前から始まっていますが、実際にはあまり利用されていないようです。
日本弁護士連合会 災害復興支援委員長・中野明安弁護士にお話しを伺いました。

◆被災ローン減免制度とは
 「被災ローン減免制度」は、個人住宅ローンを残したまま、地震・津波・原発事故で自宅が壊れたり流されたりしてしまった方、二重ローンを救済する制度として昨年8月22日から使うことが出来るようになった制度。
 日弁連ではこの制度が出来た当初、1万件くらいは利用者があると考えていた。ところが現状は8月6日付けの状況を見ても、この減免制度できちっと解決できた人は50件。その理由は…
  ,海寮度をみなさんが知らない。周知のためガイドライン運営委員会が広報をしっかりやれば良かった。
 ◆ゞ睛撒ヾ惻身がこの制度を積極的に利用者に伝えていなかった。



◆債務免除ができる制度
 被災ローン減免制度、震災・津波・原発事故で債務を弁済できなくなった人、近い将来弁済できなくなるのが確実な方に、一定の金額を支払い残りの借金を免除する制度。債務者が支給を受けた義援金や支援金、弔慰金、預貯金500万円については手元に残せる。
 その他の財産を処分して、債務を免除することができる。手元のお金は、復興のために使って頂くお金。そのために残していいというのが被災ローン減免制度のルール。



被災ローン減免制度は「自己破産」とは違って、いわゆるブラックリストに登録されることがありません。
最大で500万円を手元に残したままで、二重ローンを解消でき、そして生活再建に踏み出せる制度です。


8月21日には、参議院議員会館でこの制度に関する院内集会が行なわれます。
これは、制度について知りたいという一般の方も参加可能ということです。



被災ローン減免制度について、詳しくは下記へお問い合わせください。

■個人版私的整理ガイドラインコールセンター (平日午前9時〜午後5時)
0120-380-883

■岩手弁護士会被災者ホットダイヤル (午後1時〜午後4時)
0120-755-745

■仙台弁護士会法律相談センター
022-223-2383

■福島県弁護士会無料電話相談 (平日午後2時〜4時)
024-534-1211
024-925-6511
0242-27-2522
0246-25-0455


※また、制度に関するチラシはこちらからダウンロード出来ます。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/shinsai/loan.html#loan

2012年8月10日

8月10日「LIGHT UP NIPPON」

8月11日、東北の沿岸部で一斉に花火の打ち上げが行われます。
それが、昨年スタートした「LIGHT UP NIPPON」というプロジェクトです。

発起人の高田 佳岳さんにお話しを伺いました。

◆昨年打ち上げた花火から、今年のその瞬間まで
 昨年8月11日、東日本大震災の月命日にあたる日に追悼と復興の祈りを込めて、沿岸の被災地10カ所で一斉に花火を打ち上げた。今年は、追悼と復興の祈りを込めるとともに、「絶対忘れない」ということをテーマに、8月11日夜7時に岩手・宮城・福島の13カ所で一斉に花火を打ち上げる。
 去年はみなさん、こんなときに花火ができるのかとおっしゃっていたが、花火の後は喜んでもらった。花火が上がった瞬間に子供たちが「キレイ」「玉屋」と叫んで飛び跳ねているのが目に入った。それがなによりうれしかった。大人たちも「上げてよかった」「いいものが見れた」という声があった。
 今年は地元の方々が自分達で募金やお金を集めると言って始まっているので、感慨深い。


◆復興はまだ始まったばかり
 東北の人たちが「もう花火はいらない」と言うまで、花火を上げ続けていきたい。首都圏だと東北のニュースを目にすることも少なくなってきているが、東北の復興はまだ道半ば、始まったばかり。東京で生活する僕達もずっとずっと応援を続けていこうと思うので、皆さんも夏になって東北に花火があがると思ったら、ふと思い出して、応援してもらえたらと思う。

「LIGHT UP NIPPON 2012」は、明日まで募金を受け付けています。
詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。

打ち上げは、明日8月11日(土)の夜7時。
約3万発の花火が、東北の夏の夜空を照らす予定です。


【LIGHT UP NIPPON official website】

2012年8月9日

8月9日「石巻川開き祭り ツアーレポート(5)」

7月31日、8月1日の2日間の日程で行なわれた復興支援ツアー「GAKU-MCと巡る 石巻川開き祭り」supported by「白元 どこでもアイスノン」
7月31日、8月1日の石巻「川開き祭り」と、ISHINOMAKI2.0のイベント「STAND UP WEEK」。フットサルや花火を楽しみ、リスナーに石巻を知ってもらおうと、番組が企画したツアーです。

ツアー2日目となる8月1日。
石巻の伝統的なお祭り「川開き祭り」は、地元の小中学生の吹奏楽や、お神輿による市街地パレードが行われ、最終日を迎えました。

「STAND UP WEEK」を企画した、ISHINOMAKI2.0の松村豪太さんにお話しを伺いました。


◆地元にとっての川開き祭り
 僕も小さい頃そうだったが、川開き祭りは街の人が楽しみにする最大のお祭り。小学生中学生は前の晩は楽しみで眠れないほど。これが3月11日の被害を越えて生きていると再確認できたのも嬉しかった。
 STAND UP WEEK2012のキャッチコピーは「みんなを巻き込もう、未来を巻き込もう」
 多くの人を巻き込めた手ごたえがある。20代〜30代、若手がシンポジウムに登壇して、僕らと一緒に東京のすごいクリエイターと意見をしっかり言った。これは最大の成果。


◆花火から進むべき姿が見える
 元々はもうちょっと上流で2万発の花火が上がった。そこには仮設住宅が並んでいて、昔のような規模では上げられない。
 いま花火を上げているのは、中瀬、海に近いところ。そもそも昔はそこで上げていた。民家が近く、火の粉で火事が起きるということもあったが、昔の人は大らかで楽しんでいた。それが復活した。街のど真ん中で。5000発と少ないが距離が近い。上流で大規模になった時より半分だが、花火の大きさは倍。これが石巻の進むべき姿を示唆している。お金をかけなくても価値は高められることを感じる。




2012年8月8日

8月8日「石巻川開き祭り ツアーレポート(4)」

7月31日、8月1日の2日間の日程で行なわれた復興支援ツアー「GAKU-MCと巡る 石巻川開き祭り」supported by「白元 どこでもアイスノン」
7月31日、8月1日の石巻「川開き祭り」と、ISHINOMAKI2.0のイベント「STAND UP WEEK」。フットサルや花火を楽しみ、リスナーに石巻を知ってもらおうと、番組が企画したツアーです。

ツアー初日、7月31日の夜。
石巻の夜空の下で、GAKU-MCさんのミニライブが行なわれました。
たくさんのキャンドルを並べた会場で、アコースティックギターを弾き語るGAKUさんと、パーカッションのモーリーさんの2人による野外ライブ。
途中から、ライブ会場になったお店「松竹」のスタッフの方がクラリネットを持って飛び入り参加するというシーンもありました。




ライブの後、GAKUさんは「復興バー」で“一日バーテンダー”にも挑戦しました。


2012年8月7日

8月7日「石巻川開き祭り ツアーレポート(3)」

7月31日、8月1日の2日間の日程で行なわれた復興支援ツアー「GAKU-MCと巡る 石巻川開き祭り」supported by「白元 どこでもアイスノン」
7月31日、8月1日の石巻「川開き祭り」と、ISHINOMAKI2.0のイベント「STAND UP WEEK」。フットサルや花火を楽しみ、リスナーに石巻を知ってもらおうと、番組が企画したツアーです。
そのメイン企画の一つが「2on2」です。


2on2は、10m×4mのサッカーコートに、ゴールは40cm×40cm。2対2で試合をします。
石巻中心街の路地の一角にコートが作られ、リスナー参加者、GAKU-MCさん、そして地元の方々と熱い熱い闘いが繰り広げられました。

 
◆今回の復興支援ツアーを共同企画したISHINOMAKI2.0のメンバー・古山隆幸さん
 めちゃくちゃ楽しめた。子どもと女性、大人と子ども。触れあうことが一番。フッチボリスタは、よくあるフットサルの同年代のゲームではなく大人と子どもがやるから楽しいし、交流に繋がる。
 いつも女性はいないが、女性が入ってまた面白いエッセンスが入った。これからは女性も入れたい。









今回の2on2は、とても暑い日差しの中で行なわれたのですが、企画にご協力頂いた「白元」の提供で、ハンカチなどにスプレーするとミストが氷状に変化する「どこでもアイスノン氷スプレー」を配布しました。





白元さん、「どこでもアイスノン」のご提供、ありがとうございました!

2012年8月6日

8月6日「石巻川開き祭り ツアーレポート(2)」

7月31日、8月1日の2日間の日程で行なわれた復興支援ツアー「GAKU-MCと巡る 石巻川開き祭り」supported by「白元 どこでもアイスノン」
7月31日、8月1日の石巻「川開き祭り」と、ISHINOMAKI2.0のイベント「STAND UP WEEK」。フットサルや花火を楽しみ、リスナーに石巻を知ってもらおうと、番組が企画したツアーです。

「川港」を中心に栄えた街・石巻で、100年の歴史を誇る川開き祭り。
石巻じゅうが待ち望む夏祭り。
また、このお祭りに合わせて行なわれた、ISHINOMAKI2.0が企画する「STAND UP WEEK」では「ゆかた de 街コン」も行なわれました。


◆街コンを開催する意味
 浴衣を着て街中で合コンをする。最初はスナック。石巻は人口当たりのスナック数が日本1位、2位の街。スナックは初めてという女性もいたが新鮮な体験をしてもらった。2組に分かれてくじ引きでコーヒーショップ、日本酒ジャズバー、そして呉服屋さんでのカップリングタイム。
 石巻は呉服屋が多い。伊達家の米の積み出し庫で石巻から東京、江戸に米を持って行く。その帰りに着物や瀬戸物を持って帰ってくる。
 昔から呉服屋と陶器店が多いのだが地元の人は気づいていない、外の人が街を歩くとハッとする。呉服屋がたくさんある街として発信出来れば。




「ゆかた de 街コン」の会場となった呉服店「かめ七」ではもう一つ、石巻を再発見する企画が行なわれていました。


◆東京工業大学・社会工学専攻 研究室・大村さん
 石巻・中瀬公園は利用されていない現状があるので、どう使いたいか、どうしたいかのきっかけ作りにしたい。利用法のアイデアが無いのが問題。
 実は昔から良い釣り場だった、被災後自粛ムードだったが昨年秋頃から釣り人が増えてきた。そういう人たちの声や活動を紹介できればと思う。






お祭りは賑わいの中、初日の夕暮れを迎え、中瀬公園のある旧北上川の灯籠流しが行なわれました。
震災の犠牲者を悼む1万5千個の灯籠は、川面にたくさんの小さな光を灯し、大勢の方々が、追悼の祈りを捧げました。

2012年8月3日

8月3日「石巻川開き祭り ツアーレポート(1)」

番組が企画した復興支援ツアー「GAKU-MCと巡る 石巻川開き祭り」supported by「白元 どこでもアイスノン」が行なわれました。
7月31日、8月1日の石巻「川開き祭り」と、ISHINOMAKI2.0のイベント「STAND UP WEEK」。フットサルや花火を楽しみ、リスナーに石巻を知ってもらおうと、番組が企画したツアーです。
1泊2日のこのツアーには企画に共感してくれた、アーティストのGAKU-MCさんも参加しました。

◆“ing、再生中”
 震災前にツアーでお世話になった町。美しい石巻が記憶にある。
 3.11を経て、僕には4歳の娘がいるが、彼女が大きくなって東日本大震災のことを聞かれた時、ネットで見たこと、ニュースで見聞きしたことだけで答えていいのかと思い、テントに泊まり、3週間のボランティアをした。
 ここに来る前にこのあたりをクルマで流してみたが、“ing、再生中”だなと思った。
 今回は川開き祭りということで、楽しむことが第一。お金もいっぱい使ってもらい、初めてのバーテンダーのオファーも受けたのでがっちりお金を頂いて。良い想い出、良い時間にして頂ければいいなと。サッカーは手を抜きませんのでご了承頂きたい。



GAKUさんはじめ、ツアー一行が体験したのは“復興の現在形を知るための街歩き”「復興ウォーキング」という企画。
ISHINOMAKI2.0の古山さんの案内で、一行は石巻の名所・日和山へ向かいました。

◆日和山からの風景を目に焼き付ける
 GAKU-MC:ボランティアは長いこといたが、観光している場合じゃないし。遠目で何も考えないで見るとキレイでいい場所。
 古山:石巻・門脇地区など、町の状況を上から見下ろすことが出来る。門脇地区は右側に見えるところ。今ではずいぶん緑のある公園みたいだが、ここは町があったところ。いまはステップアップのひとつ。一度見たら、次に来たときにどれくらい変わっているのかという形で、今を目に焼き付けて欲しい。  




ツアー一行はこの後、石巻中心街や、石ノ森漫画館のある「川の中瀬」などもウォーキングしました。

来週も、石巻復興支援ツアーのレポートをお送りします。



2012年8月2日

8月2日「東北の郷土芸能奉納(3)」

先週末、東京・明治神宮では、岩手・宮城・福島の郷土芸能7団体が、それぞれの舞いや太鼓を奉納しました。
岩手県からは、奥州市・大船渡市から、獅子躍が躍りを奉納。角を付けた勇ましい「獅子」の勇壮な太鼓が場内を沸かせました。


岩手県を代表する郷土芸能「獅子躍」は、岩手のほぼ全域に数百年前から伝わる文化です。


◆奥州金津流 獅子躍連合会・及川俊一さん:獅子躍の200年
 獅子舞に似た「獅子頭」に二本の角、背中にササラという竹竿に紙を張り付けたものを背負い、腹に太鼓を下げた神の化身で悪霊、悪病を撃退する。亡くなった方の魂、先祖の供養、お墓で鎮魂の儀式として舞う。
 発祥は宮城県松山町。松山から岩手に伝わり200年。震災もあったが、こうして明治神宮で参拝できるのは記念に残る。





宮城県南三陸町、名取市、福島県相馬市からも、それぞれの郷土芸能が明治神宮に躍りを奉納しています。

◆企画を呼びかけた明治神宮の広報・福徳美樹さん:催しを企画した意図
 明治天皇が亡くなって100年。何かしらの奉納をしたかったが、復興とまでいっていない被災地の郷土芸能を明治神宮で奉納することで、何かしらの役に立つのではないか。明治天皇がご覧になったらお喜びになるのではと思い、企画した。
 バラバラに過ごしているが、こうして明治神宮で奉納して集まり練習する、ここで奉納できたというのは嬉しかったという感想も聞いた。奉納の舞を見ていても感動した。

2012年8月1日

8月1日「東北の郷土芸能奉納(2)」

先週末から月曜日まで、東京・明治神宮では、岩手・宮城・福島の郷土芸能7団体が、それぞれの踊りを奉納する催しが行なわれました。
その中のひとつが、岩手県大槌町の「虎舞」です。

虎舞は、大槌をはじめ岩手沿岸部に広く伝わっている郷土芸能で、どう猛な表情の虎が激しく首を振る舞いは迫力があります。


大槌町「向川原 虎舞 風虎会」会長・中村光高さんにお話を伺いました。

◆「虎舞」に込められた願い
 虎の頭と4.5mの幕に2人入って、前と後ろ足を合わせながら虎が舞う姿を表現している。
 「虎は1000里行って1000里帰る」というのにあやかり、昔の船は 船板一枚下は地獄というものだったので、航海の安全を祈願して沿岸で盛んに踊られるようになった。


震災と津波に襲われてから、もうすぐ1年半。
中村さんをはじめとした大槌の若い世代は、海への祈りを込めた虎舞を各地で披露し続けています。

◆虎舞を続ける理由
 うちの団体は大槌町の役場に倉庫を借りていて、屋台や虎頭など全部納めていたため、そこが津波で流されてしまい、初代会長、前会長の他、5人の仲間が流された。
 みんなに声を掛けて虎舞をやりたいという話をしたら、みんなが賛同した。それに全国のみなさんの支援があり、太鼓、屋台、虎頭が見せられるようになったので感謝している。
 自分たちにとって虎舞は生活の一部。年の離れた仲間がひとつの踊りをすることはそうそう無い。残していければと思っている。先代、初代会長が亡くなったことで、この文化を無くしてはいけないと声を掛けた。みんなの支援を受けて、道具もほとんど揃った。
 感謝の気持ちを込めて色んなところで元気に踊る姿を見せたい、やっていきたい。明治神宮で踊れるということは一生に一回しかない。本当に嬉しく思っている。


パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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