2016年12月31日

12月30日 南三陸町「さんさん商店街」最終日

今朝は、12月31日で営業を終える、宮城県南三陸町の「さんさん商店街」についてお届けします。
東日本大震災の翌年に立ち上がった、南三陸町の復興のシンボル「さんさん商店街」。当時、まだ瓦礫が残っていた荒れ地に、30軒のお店が軒をつらねる仮設商店街として開業しました。なかでも美味しい南三陸の海の幸を提供する飲食店は人気になって、季節ごと年4種類が提供される「南三陸きらきら丼」は、これを目当てに南三陸を訪ねる人が増えたほど、注目を集めました。

そんな「さんさん商店街」を、ここまで中心になって引っ張ってこられたのが、地主で季節料理のお店「志のや」を営む、高橋修さん。津波にのまれながらも、奇跡的に命を拾った体験をお持ちの方で“助かったのは、この町の復興のために力を尽くせということなのだろう”と自分に言い聞かせて“やれることは何でもやる”とお話しされていたのが印象的でした。

いよいよかさ上げ工事が進んで、来年3月3日に本設商店街が開業するのに伴い、明日営業終了を迎えます。先週、南三陸町の高橋さんを訪ね、お話しを伺いました。

◆「涙が出てきます」
ホッとしているというのが本音の部分で、なんでかというと、ウチの仮設商店街は、30軒でスタートして、30軒で終われるんですよ。だから1軒も頓挫することが無くて、あんだけのお客さんが来てもらってお昼のにぎわいを見ると、涙が出てきますよね。そうですね、やっぱり先頭に立った人間としてはやっぱり責任がありますからね。仮設ということはいつか本設を迎える。オープンの時は大雪が降って、まわりは瓦礫だらけで、“こんなところに本当にお客さん来るのかよ”っていう、皆も不安を抱えたところでスタートしてますから、終わりにもこんなにお客さん来て、あんだけのにぎわいがあるっていうのは、結果とすればすごい成功ではないかと思ってますよね。(今日私も志のやさんでランチをさせて頂いて、たくさんお客さんいらしてましたし、高橋さんに会いに来てるというか、名残惜しくて皆さんめしあがってるんだなって感じがしました)残り一カ月ってなった時に、秋田・山形・東京・大阪だったり、お土産もって、「あと一か月だね、ところで次の店いつオープンする?」っていう話のためにわざわざご飯を食べに来てもらって、なんとも得難いものだなと。あの和歌山からウニ丼を食べに来て頂いた30代くらいの人が「今日どこか泊まられるんですが?」って聞いたら「いや帰ります」って。和歌山から日帰りだったんですよ。「3年続けてここに来てます」って。感動しますよね。あとは神奈川の人がイクラ丼を食べて溜息をつかれたんですよ。なんか不手際があったのかと思って心配して「どうかしましたか?お口に合いませんでしたか?」って聞いたら、いや違うんです。これできらきら丼を完全制覇だと。4種類9店舗ぜんぶ食べた。3年かかったと。津波でいっぱい失ったものもあるんですけど、人のつながり的には財産がいっぱい増えたっていうか、数え切れないくらい増えました。(で、いよいよ2017年3月に本設がオープン。高橋さんそちらへは?)いまの「さんさん商店街」の仮設の店舗の中に自分の昔の店舗があって土地が残ってるので前の形でやりたいというのも有りますし、この5年間でいろんなものを伝えたつもりですし、そこから色を付ける、膨らますのは次の世代の子たちがどんだけ頑張るかということだと思うんです。だから自分たちで発信していかなきゃダメだぞと。(ということは高橋さんの志のやは新しい商店街には行かないと。次はいつオープン?)だいたい7月くらい。(看板メニューは?)そうですね、きらきら丼の中でもイチバンのうに丼からスタートするってことで、また違った提供の仕方が出来ないかと。ネタは小出しにしていきますが・・・(きらきらうに丼の違った出し方すか!あれ以上があるんですね?・・・ちょっと)いやこれはオープンまで・・・


「さんさん商店街」は明日で終了。本設の商店街は、来年3月3日(さんさん)にオープン。
志津川のグランドデザインを手掛ける建築家・隈研吾さんが商店街も手掛けます。
そして「志のや」は、今の仮設の商店街がある場所に、7月ごろに再建される予定です。

2016年12月29日

12月29日 南三陸町・三浦さん一家(住吉美紀レポート)2

引き続き、宮城県南三陸町からのレポート。

中西哲生とともにお聴きの放送局の年末年始特番を担当するフリーアナウンサーの住吉美紀さんが取材した、南三陸町・三浦さん一家の「いま」です。

南三陸町・志津川の高台に建てられた、仮設住宅での暮らしが続く三浦さんご家族。すでに長男・次男はそれぞれ、就職や進学で地元を離れ、一人暮らしをしています。

お子さんが家を出て独り立ちしていく中、高台移転して、新居をこのまま建てて良いのか。お母さんの夕さんはまだ決めかねていると言います。そして、三浦家の末っ子、紡さんも、あと数年後には進学、就職の時期を迎えます。

◆ここを離れたくない、という気持ちもある。
住吉:いま紡ちゃんは高校1年生。学校はどお?
紡:まあ充実しているんじゃないですか(笑)楽しいは楽しいですね。
住吉:年が明けると高校2年生に。そろそろ将来を考え始めていますか。
紡:一応考えているんですけど、よぐわがんなくなってきて。絵を描く仕事やりたいなと思っているんですけど今じゃちょっと厳しいなと思っているので、ちょっと考え中ですね。技術がないので。
住吉:ん?お母さんのスマホの中に紡ちゃんの描いた絵の写真があるの?(※紡さんの絵を見て)ええ、上手〜!! プロみたいじゃない!! 上手いよ。鉛筆と水彩かな。
紡:それは水彩、色鉛筆で練習みたいな感じで描いたんですけどあんまり上手くいかなくて・・・。
住吉:上手いよ、上手上手。諦めなくていいんじゃない?簡単に。
紡:周りと比べたらダメですよ。
住吉:人と比べなくていいんだよ、大丈夫大丈夫。
紡:そこは比べないとダメです。
住吉:でも将来は分からないから、諦めないで頑張って。さっき、新聞配達のバイトをしていると聞きましたけど、どこに配達しているんですか。
紡:中学校と仮設住宅内ですね。
住吉:自分が住んでいる仮設に配達を。いま寒いでしょう。
紡:大丈夫は大丈夫。ダッシュして配っています。

住吉:お話していると、親子仲良しですね。
夕:狭い分密着度が高いんですね、お部屋が狭くなっちゃったので。それだよね。離れるスペースが無いというか、各仕事が無いというか・・・。
紡:はぁ?(笑)
夕: 上の2人もこんな感じだったので狭くてもね。いま部屋が本当にないんです。2番目の受験の時も集会所を借りて勉強スペースにしていたり。
住吉:みんなで受験を応援する、サポートするということですか。
夕:そうですね。だから仮設でも会長さんが「いいから使え使え」と言ってくれて借りて使ったり。そういう意味では色んな人に支えられたかなって思っていますね。だから昨日も寂しいねって言っていたんです。別れるのが寂しいね、新しいところに行っちゃうと。
住吉:そういうのがあるんですね、ここでまた思い出が積み重なっているので。
夕:そうなんです。このまんまでもいいよね、と言っていたり。ね、ここでいいよねって。



仮設住宅で、寄り添って暮らす中で生まれたコミュニティを離れたくない…こういう声も、各地の仮設住宅であったと言います。仮設を出た後に、孤立する方が出ないようにすること、これも今後の生活再建の大きな課題です。
そして三浦さんは、仮設住宅の入居を、平成30年3月まで延長申請しており、再来年の春には仮設を出ることに。その頃には、紡さんは高校2年生から3年生にあがることになります。

そして、今回レポートしてくれた住吉美紀さんと、中西さんは、大みそかのJFN年末年始特別番組で、パーソナリティをつとめます。「JFN年末年始特別番組 Next Future 〜こどもたちの未来へ〜」。
リオオリンピック銀メダリスト・陸上銀メダリスト・山縣亮太選手はじめアスリートのインタビュー、東北や熊本の取材の様子も交えながら、行く年を振り返り新年を迎えます。放送は大みそか、夜11時スタートです。番組ではメッセージも募集しています。2016年のマイベストニュース・子どもたちへ伝えたいメッセージを送ってください。抽選で10名の方に、5000円分のクオカードをプレゼントします。詳しくは「NEXT FUTURE こどもたちの未来へ」番組特設サイトをご覧ください。

2016年12月28日

12月28日 南三陸町・三浦さん一家(住吉美紀レポート)1

今朝は、宮城県南三陸町からのレポートです。取材してくれたのは、中西哲生とともに、お聴きの放送局の年末年始特番を担当するフリーアナウンサーの住吉美紀さんです。住吉さんが訪れたのは、南三陸で暮らす、あるご家族です。


◆5年ぶりの南三陸町
いま南三陸町、志津川中学校に来ています。見下ろすと太陽が出ているんですけど雪がうっすら積もっています。空気は冷たいです。工事車両なんかが見えますね。6年前、ここであるご家族に私は出会いました。この校庭に建てられている仮設住宅に暮らす三浦さんご家族です。子どもたち3人、ご両親、おばあちゃんの6人家族でした。あれから5年の歳月が経ち、お子さんたちも大きくなっているでしょうね。今日は久しぶりにお会いできるということで楽しみです。


ということで、住吉美紀さんは、東日本大震災のあった2011年の年末に、三浦さんご家族を取材しているんですが今回、5年ぶりに訪れた仮設住宅の高台から見る景色は、かさ上げ工事が始まり、小高い盛り土が点在するなど、5年前と大きく変わっていました。

住宅、商店街の高台移転。いよいよ生活再建が本格化する南三陸町。三浦さん一家を取り巻く環境も、まさにこの変化の渦中にありました。

◆住宅再建の悩み
住吉:ごぶさたしています〜こんにちは。三浦家のおかあさん夕さん、末っ子の紡ちゃん。おひさしぶりです。紡ぎちゃんも大きくなりましたね。いま高校・・・?
紡:1年生です。
住吉:あれから5年なんですね、上のお兄ちゃんたちは?
夕:長男はもう社会人になったので仙台で一人暮らしをして仕事をしています。整備士をしています。
住吉:じゃああの時おっしゃってた夢をかなえて。そして壮馬くんは。
夕:大学1年になったので今は山形県で一人暮らししています。
住吉:いまの生活も引き続き仮設住宅で。
夕:そうなんです。まだ仮設に。
住吉:これからのお宅の予定、計画は。
夕:建てる予定で土地を一応予約しているんですけど、ちょっと先のことを考えるとまだまだ不安なことが多いので迷っています。結局子どもたちも出て行ってしまうので…最終的にはどうしようかなと。やっぱりこれからまた新しくローンを抱えるということを考えると。ちょっと前の家の時も、建てて6年で流されてしまって。自分の年齢を加味すると80歳手前まで支払う計算になってしまうので。あと10年後、20年後となると、できるのかな〜と。
住吉:前のお家のローンは
夕:完済させました。国の軽減措置もあったんですけど、40代の共働きは優遇されないという。手続したんですが却下されて「全部支払って下さいということなので払いました。
住吉:じゃあしばらくはまだ悩みそうですか。
夕:そうですね。一応仮設住宅も延長して。残る方が平成30年3月まで延長措置をしてもらっているので、うちもそうなんですが、あと1年ちょっとはここに居候させて貰う形で。ちょっと中学生には申し訳ないんですけど。
住吉:紡ちゃんとそういう話は?
夕:結構しているよね。自分たちは出るかもしれないという話もしていて、それを考えちゃって。結局子どもたちはここから巣立たせている感じなので、ましては前の家が6年間住んだと考えると、前の家より仮設住宅の方が長くなっちゃって・・・ここが実家になっちゃったね。だからせめて娘はちゃんとしたところから出してあげたいという気もしますけどね、どうかな〜(笑)


南三陸町でも、高台に移転するための土地の引き渡し…という段階まで来ています。ただ、土地の上に住宅を建てるのは、結局 経済的な負担となるため、土地を申し込んだものの、キャンセルする世帯もあるそう。三浦さんも悩んでいます。仮設で暮らす人たちの生活再建への道のりは、まだまだ長くなるかもしれません。

そして、今回レポートしてくれた住吉美紀さんと、中西さんは、大みそかのJFN年末年始特別番組で、パーソナリティをつとめます。「JFN年末年始特別番組 Next Future 〜こどもたちの未来へ〜」。
リオオリンピック銀メダリスト・陸上銀メダリスト・山縣亮太選手はじめアスリートのインタビュー、東北や熊本の取材の様子も交えながら、行く年を振り返り新年を迎えます。放送は大みそか、夜11時スタートです。番組ではメッセージも募集しています。2016年のマイベストニュース・子どもたちへ伝えたいメッセージを送ってください。抽選で10名の方に、5000円分のクオカードをプレゼントします。詳しくは「NEXT FUTURE こどもたちの未来へ」番組特設サイトをご覧ください。

2016年12月26日

12月26日 福島県富岡町の「除夜の鐘」

今日は福島県富岡町の「除夜の鐘」の話題です。
東日本大震災とその後の原発事故の影響で、全町民避難が続く福島県富岡町。町内にあるお寺「龍台寺」の副住職、矢内隆久さんもいわき市で避難生活を送っています。震災当初は放射線量が高く、一時は「寺ごと」の移住も考えたという矢内さん。けれども寺の再建を決意し、今年、本堂や庫裏(くり=僧侶の住まい)の解体工事に乗り出しました。

◆お寺再建の決意
除染は終わったが、本堂も位牌堂、客殿もすべてだめになってしまったので、すべて解体してゼロからのスタートという形で、9月4日に地鎮式を行って、12日に譲渡式を行う形となった。まず庫裏、客殿、位牌堂、本堂というかたちで、完成まで6年かかる予定。再建に必要な木材などの材料を集めたが、乾燥するのに2年ぐらいかかるということで、今度の本堂は、500年は優に持つ本堂をつくるということで材料も吟味して、2年後に着工ということになると思う。檀家の法事などはいまいわき市内にある「せきのホール」を借りてやっているが、常磐線も来年開通しそうなので、再来年あたりには富岡の地でできるかなと期待している。
まだわたしたちはこのように解体してすべてなにも状況なので、避難先のいわき市から通ういながら、生活している。ご覧の通り皆さんお墓なども直されてありして。やはり故郷富岡にという方が多いものだから、やはりそれを守っていくのがわたしどもの役目だから。最初は寺ごと移転しようかとも考えたが。線量も最初14マイクロシーベルト/毎時ほどあったが、いまは0.1〜0.2に下がった。安心だなと思う。ご覧の通りお花がたくさんあがっているが、お墓詣りにもかわるがわるたくさん来ていただいているので、それを思いながら復興に向けて頑張っているところ。

これは昭和59年に完成した。有志の方に鐘を寄贈していただいて、檀家の皆さんに建物をつくっていただいて、この鐘つき堂ができた。戦争中供出によって軍のほうに接収されたが、昭和59年に復興して、現状に至っている。ついてみますか?

♪鐘の音(ゴーン)

大晦日は住職はこちらにやってくるが、夜は外出許可が下りるかどうかわからないので、来年解除になってからが一歩かなと思う。夜8時以降は外出できない。除夜の鐘でもだめだと思うので、今年いっぱいはあきらめて、来年は解除になればOKだし、来年は住むことができると思うので、夜11時ごろから除夜の鐘を突ければなと思う。


富岡町では来年の春、帰還困難区域を除き避難指示の解除を行う見通し。町への帰還に具体的なめどがつきつつあります。また常磐線の竜田−富岡間も、来年12月の開通を目指しています。一方、どのくらいの人が町に戻るのか、コミュニティが復活するのかは未知数。そんな中でも「町の中心、心のよりどころとして、まず寺を復興させたい」という矢内さんの言葉が印象的でした。

2016年12月22日

12月22日 阿蘇市役犬原の湧水2

引き続き、熊本県阿蘇市からのレポートです!



まわりをぐるりと囲む外輪山。そしてその中に広がる田園風景。思わず、スマホのパノラマ写真機能を使いたくなっちゃう。 そんな景色を守り、「阿蘇・役犬原の湧き水」の保全活動などをしているのが、「阿蘇ヒューマン21の会」というNPO法人です。このNPOで様々な活動に取り組む國武香さんに伺いました。

◆子どもたちが、いつか帰ってくる日のために
(中西:阿蘇ヒューマン21の活動とは)人権の問題とか、子どもの問題をこのあたりでは都会に皆行ってしまうもんだけん、子どもは少子化、お年寄りは42%くらいの高い高齢化率なんですよ。だから少子化とお年寄りをどうにかしたいと。世論的なモノもあったし、早く作ってお年寄りの福祉の問題を早くしましょうと。コミュニティセンターを作って、そこでお年寄りのためのパソコンやフラダンス、カラオケや舞踊などの講座を7つほどもって、毎日やっています。そして子供と大人の太鼓も続けています。(中西:お子さんとの交流。子どもたちがそれで戻ってくればという気持ちですか)うーん、なかなか仕事がやっぱり無いと根付かんけんですね。仕事の誘致もしていて3つ4つできてきましたが、まあ一度子どもたちも都会に出てよければ帰ってくればという願いも込めてですね。私も若い時は東京や大阪に出稼ぎしていて、半年行って、半年帰ってという時代もあった。仕事がこっちにはなかったから。そういうこともあったけど、住めば都で、年を取ったら自然が豊かな阿蘇が良いと私は思っております。



國武さん、なんと御年83歳!  そうは思えないほど若々しく声も元気!実は、日本一の出荷量を誇る阿蘇のトマト栽培を、いち早く始めた方でもあるそう。とにかくパワフルなおじさんです。そして、こんなに國武さんがパワフルなのはきっと、阿蘇の自然と、そこから湧き出る綺麗な水のおかげ・・・かもしれません。

◆阿蘇とともに生きる
(中西:この水が阿蘇山からもたらされているということについてはどう思いますか)
そりゃ、こうして火山が爆発した時に、断水の時には大きなメリットになったこともありますよね。夜中に灰が降ったことで野菜が枯れてしまって、特に阿蘇は高菜漬けという名物があって冬の間に作るんですが、これもダメですから。そういうデメリットもあるけど、阿蘇の水はみんな地域の人たちをみんながうらやましがるんです。あと1キロ離れたら水は出なくなる。これがまあ役犬原のシンボルになったもんですから、みんなが役犬原という名前を知るようになって。昔は「役犬原ってどこですか」と阿蘇の人たちが言っていたくらいの辺鄙なところでしたから。(中西:地震、火山の噴火がありましたがどういう年でしたか) 4年前も大きな水害があって、3つも続いたけんですね。あんまりよか年じゃなかとみんな言います。そういう災いのある年を「けかち年」と言うんですね。災いがある年という意味ですね。だから用心しろ、個人でも事故や病気に用心しろという。(中西:阿蘇山と一緒に暮らすというのは、それも含めて) 阿蘇山があるとメリットもあるからね。



ちなみに、阿蘇には「あかうし丼」という絶品の牛肉の丼を出す『いまきん食堂』というお店もあります。
 
行列店ですが、並んででも食べる価値あり!ぜひ熊本へ遊びに行って、温泉に入り、湧水でのどを潤し、あかうし丼で満腹になって下さい!

2016年12月21日

12月21日 阿蘇市役犬原の湧水1

今朝も中西哲生の熊本取材のレポートです。

今回の取材では、外輪山を超えて、阿蘇のカルデラと雄大な自然も満喫。阿蘇の自然の恵みに、“手を浸し”、さらに“ごくごくと飲んで”きました!


※1分間に8トンが自噴する役犬原「ポケットパーク」の湧水。水温は夏も冬も常時14度。夏は冷たく冬は温かいのが湧水の特徴です。もちろん無菌! ピュアな湧水をそのまま飲むことができます。

実は阿蘇市は湧水、つまり天然の水が湧き出る「水の郷」でもあるんです。年間降水量3000ミリという雨が、周りを取り囲む山々で濾過されて、ピュアな湧水として吹き出しています。阿蘇山と周辺地域で、水が湧いているスポットはなんと1500か所以上!

で、今回取材したのは、阿蘇神社から5キロほど、阿蘇市「役犬原(やくいんばる)」という地区。湧水を中心とした小さな公園がありまして、こんこんと湧いているというより、ドバドバ出ている!お話を伺ったのは、この地区の環境保全に取り組むNPO 阿蘇ヒューマン21の國武香さんです。


◆ご飯炊くのもコーヒーも湧水!
(中西:いま目の前で湧水が出ていますが、水が湧くにはどのくらい掘ればいいんですか)
ここは大体、110〜130mくらいで出ます。
(中西:くみ上げるのにエネルギーは必要なんですか。勝手に出てくるの?)
勝手に。自噴。このあたりだけです。
(中西:子供のころから飲まれているんですか)
そうです。このまま。カルキを入れんと水道はいかんでしょ、雑菌があるから。これは大腸菌も雑菌もゼロですもんね。
(中西:水道は無いんですか)
市の水道はない。だからカルキ入りの水はみんな生まれてから飲んだことがない。ご飯炊くのもコーヒーも、ここにくみにくるの。
(中西:家に蛇口がありますよね)
家にみんな湧水をひいているんですね。ひねれば水が始終出てくる。
(中西:贅沢な〜!水が湧いたことでよいことはありますか)
役犬原の霜神社、阿蘇神社の真下ですが、子どもたちを40数日間ひたき神事に使うところがあって、40日間火を焚いて霜が降るのを防ぐ神事で有名ですが、でもなんもなかった。そこに私が水が出るじゃろと10年くらい前に湧水を掘ったんです。ここはよい水が出るじゃろって、地形的に考えて。このあたりでこういう水が出るところが50はある。
(中西:さっき立ち寄った場所小さいのが湧いてました)
いっぱいあります。ずらーっと。震災の時はそーりゃ長者の列でした。震災で水が止まっているから、地域の人、南阿蘇の人が水を汲みにきたです。自衛隊の人も。こっちもあっちも行列で。一日大賑わいでした。夜まで。噴火の影響はないですね。噴火で止まらなかった。地震で止まったところが5か所くらいあります。下が動いたんでしょうね。スカスカになってしまった。難しいところですよね。



この湧き水スポット「ポケットパーク」は、水の量が1分8トンとすごい量のため、農業用水にも使われています。つまり、山が育んだ水が、そのまま地元の野菜も育てている!この地域の人たちは、この湧き水を自分の家に引き込むか、10軒ほどで共有する形で、天然の水を利用しているということです。

明日もこの、役犬原の湧水について、お届けします。

2016年12月20日

12月20日 阿蘇神社レポート2

引き続き、熊本県阿蘇市の、地域の象徴、心のよりどころでもある阿蘇神社のレポートです。

国の重要文化財である楼門、そして文化財指定を受けていない建造物のいくつかが倒壊してしまった阿蘇神社。
楼門は解体へ向けた作業がはじまり、時間はかかりますが、復旧へと向かいます。
ただ、復旧したらそれで終わりではない。阿蘇神社の権禰宜で文化財を担当されている池浦秀隆さんは、こう話します。


◆災害をどう受け止め、どう生きるか
いままでそれなりの災害はありましたが、平穏に生活してきている部分がありそれが当たり前の感覚だった。神社の人間としてもそう思っていました。もちろんそれが一番良いのですが、感謝する、見つめなおすきっかけにはなったのではないかと思います。平穏な日々を祈るべき神社の役割がなんであるかを、新しい年には考えながら復旧に取り組んでいきたいと思っております。(中西:実際震災のあとにも手を合わせに来られる方はいらっしゃったんですか)多いですね。惨状とは言わないんですが、地震が起こるとこういうことになるというのを、あまり神社の人間としては見せたくないんですけどね。そういうのを感じて受け取っている部分はあると思うんですね。それで終わりじゃなくて災害をこれからどういう風に受け止めて日本人として生きていくのかを考えてもらう機会を与えられたらいいと思っているところはあります。 (中西:来年2017年、どういう年になっていきますか)まずは復旧を着実に進めていくこと。あとは神社としての役割というのがいろんな部分であると思う。心のよりどころの対象であるというのが本筋であって、文化的な意味での位置づけ、周りで生活をしている方にとっての神社の役割、観光的な部分、色んな役割がある。それも着実に担っていくことを怠らないようにしていきたい。(中西:熊本だけじゃなくて日本全体を見た時に改めて感じることは)災害の認識を当事者になって考えるべきだと思いました。南海トラフ巨大地震の話だとか色々出てきているが、防災意識、どれだけ備えるか。私は自宅で地震を受けた時も車中泊をしている時期もあり、その中で神社に通っていたが、それが大都市で起こったらどうなるか。日常の防災意識は、それまで私個人の意識は低かったと思うんです。熊本でそんなに大きな地震はしばらく受けていなかった。台風被害や大雨ばかり気にしていたが、そういうところがおろそかになっていた。それがずいぶん大きな苦労を生んでいる気がする。日本全国、地震に限らず火山活動など自然災害が話題になっているので、それを通じて防災意識を醸成する取り組みが出てくると良いと思っています。


阿蘇神社では現在、再建のための寄付の呼びかけも続けています。詳しくは阿蘇神社サイトをご覧ください。

2016年12月19日

12月19日 阿蘇神社レポート1

今朝は中西哲生の、熊本県阿蘇市からのレポートです。

熊本地震から、8か月が経過。熊本は、震災後初めての年越しを迎えますが、中西哲生は阿蘇市の住民の方々の心のよりどころ、阿蘇神社を先だって取材しました。


※地震で倒れた楼門。拝殿も倒壊した。(※10月取材時の様子)

ニュースでも報じられた阿蘇神社の楼門は国の重要文化財。高さ18mあり、江戸末期に作られた阿蘇の象徴でしたが、完全に倒壊していました。周辺よりも、神社の被害が大きかったため、地元住民の中には、楼門や拝殿は、身代わりになって壊れたんじゃないか、と考える人もいるそう。

この取材から数か月経った12月現在、楼門は解体へ向けた作業が進んでおり、解体するための「屋根」で、もうすぐ覆われる予定。阿蘇神社の権禰宜で、文化財を担当されている池浦秀隆さんに、伺いました。

◆災害が神社の役割を考えるきっかけに
まず撤去を先行しています。お正月には倒壊してるものが無い状態にして、そこに参拝所を設けて正月にお迎えしようかと思っています。ただし再建につきましては拝殿は未指定の文化財なので、国の指定の楼門と、全部で6棟の国の指定の建造物があるんですけど、それは国庫補助事業の対象として先行して始まっているが、文化財の指定を受けてないモノはめどがたっていない。それは神社の自費事業として行うことになるが、経済的な部分、事業の内容については計画を作っている最中です。
(中西:この辺に暮らしている方にとって阿蘇山はご神体、守り神と感じてらっしゃるんですかね)
神社の中の人間としての感覚から言うと、火山活動が無い限りは火口のことは意識して生活していないと思います。じゃあどういう神様ですかという質問を受けることもありますが、開拓の神として農耕に恵みをもたらし、自然神として水の恵みをもたらし農作物を促進させるという意味だとか、そういう趣旨で年間を通して農耕の祭が行われる。そういう性格を認識している人が多いと思う。ですから火山の活動が無い限り、阿蘇の神が火口の火山神であるうという認識をする人はほとんどないと思う。それが何十年に一度の噴火や灰が降ったことで、阿蘇の神は火山神だというイメージを持つ、そんな感じじゃないでしょうかね。
(中西:阿蘇山に暮らしてらっしゃる方は、自然の恵みは阿蘇山から来ているという認識は持っている?)
特に「水」に関してはあるんじゃないか。阿蘇の伏流水というものがいろんな部分に恵みをもたらしている認識はあるし、それを通じた農業や自然の景観という部分はある。そういう意味では今回の地震という自然災害を受けて、自然災害とどう向き合っていくかをそれぞれ個人が考えられていると思う。自然災害は地震だけじゃなく台風も大雨も、もちろん火山活動もあるが、神社の神は恵みをもたらす存在だけではなく時々厳しい一面もある。そういうものに対してどう私たちの祖先が付き合ってきたのか、そこに神社の役割があり、それがどういう形でお祭になったのかというところを考えるきっかけに花って言っているんじゃないかと思っています。


今年のお正月、阿蘇神社はすでに仮の拝殿が作られ、参拝の準備が着々と行われています。先日は、新しいしめ縄縄もつけられ、甘酒の仕込みも始まっているそう。

ただ、全壊した「拝殿」は、昭和23年に改築されたため重要文化財に指定されておらず、自費再建を余儀なくされます。そして再建には、10年かかるとも言われています。現在、再建のための寄付の呼びかけも続いています。詳しくは阿蘇神社サイトをご覧ください。

明日も、阿蘇神社からのレポートです。

2016年12月16日

12月16日『冬の東北復興グルメシリーズ』浪江の【日本酒】

12月16日(木)冬の東北復興グルメシリーズにたくさんのご応募ありがとうございました!
鈴木酒造店の代表銘柄「磐城寿・季造り しぼりたて」一升瓶、当選者は、
★ミチカ さん
★スヌ吉 さん
★岩手の行ったり来たり さん

以上3名さまです。

おめでとうございます!
産地直送でお届けします。お楽しみに☆
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今週は『冬の東北復興グルメシリーズ』 と題して、毎日東北の冬の味覚をピックアップ!

最終日は日本酒です♪ 「鈴木酒造店」は、福島県双葉郡浪江町で200年近くに渡り日本酒を作り続けてきた歴史のある酒蔵。震災と原発事故の影響で避難を余儀なくされ、現在は山形県長井市で、浪江の漁師の“男酒”を守り続けています。

今朝は鈴木酒造店代表、鈴木大介さんに電話でお話伺いました。

山形県長井市、今朝のお天気いかがですか?
「すごく冷え込んで今日はマイナス5度。雪も20〜30センチ積もってます。」
福島県浪江町から山形県長井市に移り、今年で丸5年になりますがいかがですか?
「最初の頃は本当に皆さんに助けていただいてなんとかやっていたんですが、なんとかこの土地になじんで、やりたいことがやれるようになってきたかなーという状況です。」
そんな鈴木さんが、ここ数年取り組んでいることがあるそうですね?
「浪江では2年前から試験的に米の作付けが行われていて、長井で作った酒粕を肥料にして、浪江で米を作っている。今年はその酒粕を使って焼酎とみりんを作り初めまして、浪江町での再開のステップを1歩ずつ踏み始めているところです。来年からは大幅に作付けの面積を増やしていきたい。焼酎は極低温で蒸留するので日本酒の香りをもったきれいな焼酎ができています。みりんも上質な甘さのみりんができていまして、この焼酎とみりんをもって浪江町で事業を再開したいと思っているが、将来浪江で酒造りを再開したいという想いがあります。」
さあ、そして鈴木酒造店の代表銘柄が「磐城寿(いわきことぶき)」です。今回リスナーの皆さんにプレゼントするのは、「磐城寿・季造り しぼりたて」!どんなお酒ですか?
「磐城寿は浪江の町民の暮らしとは切っても切れないお酒で自分たちも誇りに思っていたのが、小さな漁港だったんですけど、大漁祝いのとき漁協さんからうちのお酒が祝い酒として贈られる。漁の具合を尋ねるとき「酒になったか?」と漁師さんたちは尋ねあっていました。
「磐城寿・季造り しぼりたて」はすごく透明感があって奇麗な甘さがある、飲みやすいお酒ですね。港町のお酒なので魚と合わせて食べるのがおいしいですね。」
来年の春には浪江町の「避難指示一部解除」も予定されていますね?
「それに向けて町の関係者が1つ1つ積み重ねてきているので自分たちもうれしく感じていますし、実際に農地再生ということで2年前からコメ作りを始めているんですけど、農業が再生することが生活を再生することにつながるので、遠い山形から熱く見守っている感じですね。」
これからも鈴木さんの取り組み、注目させていただきます!今朝は朝早くからありがとうございました!

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『冬の東北復興グルメシリーズ』、今朝は、鈴木酒造店の代表銘柄「磐城寿・季造り しぼりたて」一升瓶を3名の方にプレゼントです!
新米からつくった、うすにごりの飲みやすいお酒です。女性も絶対好きなはず・・ある意味危険なお酒です。

番組で発表された「キーワード」を書いて「メッセージフォーム」からご応募ください。住所、氏名、連絡先をお忘れなく。応募は本日24時まで受付。(※応募の受付は終了しました)

★キーワードを聞き逃した方は、ラジコのタイムフリー機能でも聞き返せます!(放送1週間)
関東エリアの方はこちらから

★鈴木酒造店のお酒、取扱店などはこちらでご確認ください。
 日本橋のふくしま館「MIDETTE」でも現在購入可能です

2016年12月15日

12月15日『冬の東北復興グルメシリーズ』南三陸町の【真だこ】

12月15日(木)冬の東北復興グルメシリーズにたくさんのご応募ありがとうございました!
宮城県南三陸町の「真だこ、まるごと1匹」当選者は、
★みーにゃんこ さん
★きらきら星 さん
★さわちゃん さん

以上3名さまです。

おめでとうございます!
産地直送でお届けします。お楽しみに☆

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今週は『冬の東北復興グルメシリーズ』 と題して、毎日東北の冬の味覚をピックアップ!生産者の声をお届けすると共に、日替わりでプレゼントもしています!プレゼントの応募は番組で発表する『キーワード』を書いてご応募ください。

今朝は、宮城県南三陸町から、旬を迎えた「真ダコ」をプレゼントします!
南三陸町 さんさん商店街で鮮魚店を営む「鮮魚 マルセン」代表、三浦洋昭さんに伺いました。

Q:南三陸町といえば、「タコ」ですよね〜! この時期は「真ダコ」が旬ということで美味しい真ダコ、お店に並んでいますか?

真ダコの漁期は、10月〜1月。1kg〜5kgの真ダコが上がってきています。

Q:南三陸で獲れる真ダコは、どんな特徴があるのですか?

真だこはこの時期、エサを食べに沿岸部に寄って来ます。アワビ、ウニ、カニなど捕食しているから、美味しい!

Q:震災直後は、タコ漁ができない時期もあったのですか?

震災後、2年間はタコ漁を休みました。漁師たちも海の回復を待ったんです。その甲斐があって、2013年からタコの量が増えました。実は震災前は、「幻のタコ」と呼ばれるくらい数が少なく、希少価値が高くなって、値が上がっていました。震災前より海が良くなっているのではないか

Q:そんな真だこを今回は、「1匹まるごと」プレゼントしていただけるということで、ありがとうございます!どんな味ですか? おすすめの食べ方は?

ゆでた真ダコを刺身で食べるのが一番うまい!味は濃厚。

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『冬の東北復興グルメシリーズ』。今朝は、南三陸町の【真だこ、まるごと1匹】を3名の方にプレゼントします!
番組で発表される「キーワード」を書いて「メッセージフォーム」からご応募ください。住所、氏名、連絡先をお忘れなく。応募は本日24時まで受付。当選者は番組のブログで発表します。(※応募の受付は終了しました)

★キーワードを聞き逃した方は、ラジコのタイムフリー機能でも聞き返せます!(放送1週間)
関東エリアの方はこちらから

★「さんさん商店街」は、12月31日で一旦閉店。来年3月にかさ上げした場所で本設オープンします!年内あと少し、キラキラ丼めがけて出かけてみてはいかがですか☆

『冬の東北復興グルメシリーズ』。
明日は、福島県浪江町から、山形でその味を守り続ける、「しぼりたての日本酒」をプレゼントします!

2016年12月14日

12月14日『冬の東北復興グルメシリーズ』気仙沼の【カニ鍋セット】

12月14日(水)冬の東北復興グルメシリーズにたくさんのご応募ありがとうございました!
宮城県気仙沼の「カニ物語」「カニ鍋セット」当選者は、
★パン屋のけんぼう さん
★かなぶんぶん さん
★きみどり さん

以上3名さまです。

おめでとうございます!
産地直送でお届けします。お楽しみに〜☆

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今週は『冬の東北復興グルメシリーズ』 と題して、毎日東北の冬の味覚をピックアップ!生産者の声をお届けすると共に、日替わりでプレゼントもしています!プレゼントの応募は番組で発表する『キーワード』を書いてご応募ください。

今朝は、宮城県気仙沼から、以前も東北復興グルメでご紹介した『カニ物語』の「まるずわいがに」をプレゼントします!(株)カネダイ代表の熊谷公男さんにお話伺いました。

◆Deep Sea Red Crab(まるずわいがに)とは?
「深海700〜800mのところに生息しているカニ。茹でると赤くなるのではなく、獲ったときすでに赤いのでRED CRUB。非常に甘味が強く、弾力性があり加熱料理にも◎。現在の社長(75歳)が若かりし頃、マグロ船もやっていて、マグロ以外にも世界の海で獲れたものを日本の食卓にと、40年前から、2万キロ離れたアフリカの沖合に行ってとってきています。気仙沼市では、市の地域資源としてお墨付きをもらったカニです。」

カネダイさんは震災で、気仙沼市内にある15の営業所や工場が被災。震災後は仮設店舗から再スタートさせて、来年、いよいよ本格的な工場が再建されるそうですね?
「かさ上げした土地に新しい工場ができました。12月16日に竣工式。来年2月か3月に稼働します。」

そのカニ物語に、先日、うれしいニュースがあったそうですね?
「海外のお客さんのお土産に、生は持って帰れないのでカニを乾燥させた『干し蟹』をつくったんです。その干し蟹が「全国調味料選手権」で“大賞”を受賞しました!

そして今回気仙沼の「カニ物語」から、何を復興グルメとしてプレゼントしていただけますか?
「【カニ鍋セット】を3名様にプレゼントします!」

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今朝の復興グルメは、気仙沼【カニ物語のカニ鍋セット】を3名の方にプレゼントします!

番組で発表される「キーワード」を書いて「メッセージフォーム」からご応募ください。住所、氏名、連絡先をお忘れなく。応募は本日24時まで受付。当選者は番組のブログで発表します。(※応募の受付は終了しました)

★キーワードを聞き逃した方は、ラジコのタイムフリー機能でも聞き返せます!(放送1週間)
関東エリアの方はこちらから

★気仙沼のおみやげ市「海の市」で直営店オープン!
「かに物語」オンラインショップでも好評販売中です💛
多彩なメニューに心が躍ります!ぜひチェックを!

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『冬の東北復興グルメシリーズ』。
明日は宮城県南三陸町から、旬の「真ダコ」をプレゼントします!

2016年12月13日

12月13日『冬の東北復興グルメシリーズ』岩手県山田町の【アワビ】

12月13日(火)冬の東北復興グルメシリーズにたくさんのご応募ありがとうございました!
岩手県山田町の「アワビ」当選者は、
★究極の猫パンチミミ助 さん
★タカシ26号 さん
★ビビリン さん

以上3名さまです。

おめでとうございます!
産地直送でお届けします。お楽しみに〜☆

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今週は『冬の東北復興グルメシリーズ』 と題して、毎日東北の冬の味覚をピックアップ!生産者のお話とともに、日替わりで復興グルメをプレゼントしていきます! プレゼントの応募にはこのあと発表する、『キーワード』が必要ですので、最後までお聞き逃しなく。

今朝は、岩手県山田町からの復興グルメです。山田町で、東日本大震災の後に結成されたのが「第八開運丸」という漁師グループ。震災後、8人の腕利きの漁師たちで結成され、国や県の支援を受けず、自分たちの力で漁を再開。さらに獲った海産物を、自分たちが売り手となって各地で販売する「漁師直送」にも取り組んでいます。

この第八開運丸の漁師たち、、リスクを恐れず日々海と戦う姿を人は敬意を込めて、こう呼びます。
「山田の海賊」。
ということで今朝もこの時間、海と戦う第八開運丸 船長 柏谷智康さんにお電話つなぎました。

◆電話の着メロ 映画「トラック野郎」の主題歌「一番星ブルース」♪
まずは、第八開運丸。日々、ものすごい成果を上げる腕利き8人の漁師集団。メンバーは変わらずですか?
「実はうちの息子(20歳)が新メンバーとして仲間入りしました!漁師は甘いものではないので一度就職させたんですが、やっぱり漁師やりたい、ということで。」
漁師さんなのに、自ら各地へ行って、獲った魚を自信をもって販売するというスタイル。これも引き続き?
「自分らでトラックで運んでます。トラック免許も取り運転もできますし、トラックも買っちゃいました!」
いま、山田の海はどうですか、好調なんですか?
「今は鮭とあわびが旬なんですが、鮭もアワビも不漁でどんどん高騰していますね。刺身で食べたら歯ごたえあって甘くて旨いですよ〜。山田のアワビ食べたら、他のアワビは「う〜ん!」って感じ(笑)ですね」
他の食べ方でおススメありますか?
「剥いて切れ目を入れて、醤油・みりん・酒、ちょっと砂糖を入れて煮詰める。フォークとナイフで食べると、三陸のアワビのステーキ出来上がりですよ〜(笑)」

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

『冬の東北復興グルメシリーズ』、今朝のプレゼントは岩手県山田町から山田の海賊、柏谷智康さんが獲った「三陸のアワビ」を2ヶセットにして3名の方にプレゼントします!

番組で発表される「キーワード」を書いて「メッセージフォーム」からご応募ください。
住所、氏名、連絡先をお忘れなく。応募は本日24時まで受付。当選者は番組のブログで発表します。(※応募の受付は終了しました)

★キーワードを聞き逃した方は、ラジコのタイムフリー機能でも聞き返せます!(放送1週間)
関東エリアの方はこちらから


『LOVE&HOPE』、『冬の東北復興グルメシリーズ』。
明日は宮城県気仙沼から、「カニ物語のカニ」です!お楽しみに!!

2016年12月12日

12月12日『冬の東北復興グルメシリーズ』宮城県石巻市の【毛ガニ】

12月12日(月)冬の東北復興グルメシリーズに
たくさんのご応募ありがとうございました!
宮城県石巻市の「毛ガニ」当選者は、
★ころこ さん
★へいへいほー さん
★こゆきっち さん

以上3名さまです。おめでとうございます!
産地直送でお届けします。お楽しみに〜☆



水揚げによるので、お送りする時期は多少遅れるかもしれませんのでご了承ください。
(「プロショップまるか」公式サイト)

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『LOVE&HOPE』、『冬の東北復興グルメシリーズ』。
明日は岩手県山田町の「アワビ」です!

2016年12月8日

12月8日 群馬大学・片田敏孝教授(6)


今朝も、防災のスペシャリスト、群馬大学大学院教授、片田敏孝さんのインタビューです。
岩手県釜石市や三重県尾鷲市で長年防災教育に携わり、現在は全国各地で防災の取り組みを指導。「命を守る」「人が死なない防災」を旗印に活動を続けています。

東日本大震災の大津波を機に、全国各地の沿岸部では津波防災のあり方が問われています。高知県黒潮町も、その一つです。

◆日本一の巨大津波の町で考えた、日本一の防災の町にする
東日本大震災のあと1年後に出された「南海トラフ」の巨大津波想定。これで一番大きな津波想定が出たところは、高知県の黒潮町という町だった。34.4メートル。この数字が政府から公表される数日前、黒潮町の町長さんがわたしのところに連絡をよこされた。「先生、いま国から内示が出て、黒潮町には34.4メートルの日本一の津波が地震からわずか数分で出るとういことになった。これをわたしは町民にどう説明したらいいだろうか。わたしは町民を守る自信がない」町長さんはそう話された。ちょっと不謹慎に聞こえるかもしれないが、わたしは町長さんに「町長、一番でよかったじゃないですか。一番とラベルを張られたからには、町長自らがそんなにおびえていてどうするんですか。日本一の津波、大いに結構だ、そんなの知っている。そんな津波に絶対負けるかと町長が先頭を切ってこの巨大津波に立ち向かって、この日本一の津波の町で考えた日本一の防災をやる、それを味方に町民を固めるんだ、ある意味すごいチャンスですよ」と申し上げた。その後町長さんとお酒を飲んだが、町長さんがわたしに地元の自慢話をされた。「先生は群馬の人だからカツオの本当の味を知らないはずだ。高知のカツオは本当においしいんだ。」「ここの浜は、ラッキョウの花が咲くシーズンは全面紫色になって、桜よりもきれいなんだ」と地元の自慢話をされて、わたしはそのときに「この町長さんは地域のことを本当に大切に思っておられる」と思った。そして「一番でよかった」といったのは間違いじゃなかったと。町長さんに「その自慢のカツオやラッキョウを使って、「日本一の巨大津波の町で考えた、日本一の防災食」の缶詰工場でもつくったらどうかと提案した。そうしたら、この町長さん、若くてノリがいいもんだから、町営の缶詰工場、(株)黒潮町缶詰製作所という会社を立ち上げられた。そしていまそこに20人くらいの雇用がある。地元のいいものを使っているからおいしいので、非常食としてだけでなく、日常使いできるようなおいしいものを作られて。町長は自慢の産品を使って全国に売り出して、日本一の津波の町がこんなにも元気であるということを応援していただきたいと思う。黒潮町のように日本一の津波想定を突き付けられたからこそ、日本一元気な、日本一津波に対して向い会えるような、防災で売ってる町ができた。

これからも東日本大震災以降日本は多少自然が荒ぶっている。火山の噴火や地震もあるし、台風もあって、気象が多少荒れている。災害大国日本だから、これからも災害はあると思う。それでも、それにちゃんと向かい合えるような防災大国日本、なによりもどんな難局をも乗り切れるような日本国民なんだと、国民を強靭化していかなきゃならないと僕は思う。


お話に出てきた高知県黒潮町町営の黒潮町缶詰製作所。商品ラインナップを見てみると・・
「黒潮オイルのごろっとカツオ」「柚子香るブリトロ大根」「トマトで煮込んだカツオとキノコ」などなど、非常食といえど今すぐ食べたい!オシャレで美味しそうな缶詰ばかり。オンラインショップで購入も可能です!

巨大津波想定におびえるのではなく、全力で立ち向かう黒潮町の事例。家族で、会社で、そして地域全体でどう備えるのか。それぞれの取り組みが問われています。

★関東にお住いの方は放送から1週間、「ラジコ」の「タイムフリー」で放送が聞き返せます。こちらからどうぞ!

2016年12月7日

12月7日 群馬大学・片田敏孝教授(5)

今朝も、防災のスペシャリスト、群馬大学大学院教授で広域首都圏防災研究センター長 片田敏孝さんのインタビューです。

岩手県釜石市や三重県尾鷲市(おわせし)で長年防災教育に携わり、現在は全国各地で防災の取り組みを指導する片田先生。南海トラフの大地震で、巨大な津波が想定されている紀伊半島や四国では東日本大震災を機に、津波防災の教訓が活かされはじめていると言います。

◆星「☆☆☆」3つ!住民の手によってつくれらた無数の「駆け上がり階段」
東日本大震災があって、三重県尾鷲市や紀伊半島や四国の方たちはあれを見たことから、この5年8か月の間、大津波の被害を受けるのは、次は自分たちかもしれないという危機感を持って過ごしてこられた。初めは、あの東日本大震災の大津波を見てしまったものだから、あれに備えなければ防災にあらず、というような思いの中で怯えきって防災の対応をしてこられた。しかしここへきて、「本当にそうなんだろうか」と。「そんな大きい津波がきたらもうあかんわ」とおじいちゃんおばあちゃんなんかは避難放棄者になってしまわれたり、震災前過疎といって、沿岸部の方はその地域を離れ始めたりするという状況があったんです。といっても、1000年に一回と言われるほどの巨大地震。1000年に一回ということは、普段起こる津波は文字通り十中八九いままでの津波。1000年に一回ということは、10回のうち1回は巨大津波ということだが、十中八九いままでの避難で大丈夫なはずなのに、あの巨大津波想定を突き付けられ、もうあかんといって逃げなくなってしまったら、それは本末転倒。やはりいままで通りの避難でいいんだと、だけどこれまでの避難に加えて、あの東日本みたいなこともあるから、できる限りもっと逃げようという、逃げるということに対する積み増しができていればいいと僕は思う。
そんな中で紀伊半島、和歌山県の沿岸部に国道42号線があるが、そこにいま無数の“駆け上がり階段”が住民の手によって作られているんです。ことの発端は、わたしは和歌山県の知事さんに防災のアドバイスをするような役割をいただいていて、「先生これまでの避難所は新想定では役に立たないんだけど、どうしたいいだろうか?」と相談を受けた。僕は知事さんに「いままで準備した避難所も使ってください。新想定が出たがゆえにできた高いところの避難所も使ってください。そして、いままでの避難所には★と、★を1つ付けてください。新想定でも大丈夫なところには★★★。その中間のところには★★とつけてください。全部の避難所に★をつけてください。」と。知事さんは「そんなことになんの意味があるんですか」と聞かれたので私は、「県民の皆さんにはこう説明してください。★にしかいけないひとは★に行ってください。それより余裕がある人は★★に行くべきだ、それよりさらに余裕がある人は★★★に行くべきだ」と。つまり自分で取りうる限りの安全を積極的にどんどんとるような県民の姿勢をあおることにポイントがあるんだと僕は申し上げた。知事さんはそうか、ということでそれを取り入れてくださって、和歌山県の避難所には★の評価がつくようになったんです。そうしたら、ある住民の皆さんは「僕たちの地域には★ひとつの避難所しかない」と役場に相談にこられて、どこまで駆け上がり階段をつけたら★★にしてくれるの?」という。役場の方は「このぐらいのものをつければ★★になりますね」とお答えしたりすると、地域住民の皆さんがみんなで子どもたちにも手伝わせて駆け上がり階段をつくって、行政はセメント袋だけ提供するが、用地の交渉から作ることから維持管理まで、自分たちでつくった避難路ですから補修も住民の皆さんがやられるわけですが、それがもう700本800本とできているんです。そういった無数の避難路ができて、より高い安全を目指すようになっておられる。おそらくこれは東日本大震災の教訓が和歌山県で生きている事例だと思うんですね。


★関東にお住いの方は放送から1週間、「ラジコ」の「タイムフリー」で放送が聞き返せます。こちらからどうぞ!

2016年12月6日

12月6日 群馬大学・片田敏孝教授(4)

今朝も引き続き、防災のスペシャリスト、岩手県釜石市で長年防災教育に携わり現在は全国各地で防災の取り組みを指導する群馬大学大学院教授、片田敏孝さんのインタビューです。

東日本大震災では、家族や知人を助けにいって、多くの方が津波の犠牲となりました。一方首都圏では、家族の安否を確認しようとわが家を目指し、およそ500万人が帰宅困難となりました。なぜわたしたちは、命の危険を顧みず、このような行動をとってしまうのか。

今日のお話のテーマは「人は人として逃げられない」です。

◆人は人として逃げられない
災害の現場を見るときにいつも思うことは、例えば東日本大震災のときに高台まで若者が駆け上がってきておじいちゃんを探す。おじいちゃんがいない。すると彼は、おじいちゃんを連れに行こうとする。もちろん、みんな止める。津波てんでんこだといってみんな止めるけれども、放っておいたらおじいちゃんはと思うと彼は行ってしまう。そして戻ってこない。
またあるお母さんはさっきまで子どもがここで遊んでいたといって、懸命に子どもを探す。お母さんは津波が来るとわかっているが、だからこそ見当たらない子どもを探して、津波に飲まれていった。こういう事例を考えるときに、僕は「人は人として逃げられない」と思う。この方たちはけして防災意識が低かったわけでもない、知識がなかったわけでもない。けれども、人は自分の命が本当にあやういと思うような事態が起きた時に思うことは、自分の命ではないと思う。大事な人のことを思い、人は人として、その行動を優先してしまう。そうすると防災施設を作ることも大事だし、堤防を作ることも大事、情報をしっかり伝えることも大事、だけれども、この「人は人として逃げられない」という部分をどう理解しておくのかということが僕は防災のポイントだろうと思う。

東日本大震災のときに首都圏では帰宅難民問題というのが発生した。当たり前だと思う。東京の都心にいても大きく揺れた。ひょっとしたら自分の命が、と思わざる負えない状況に置かれたときに、みなさん思ったことは、うちの子どもは大丈夫だろうか、家族は大丈夫だろうか、ということ。それが情報としてどうしても伝わってこない、安否が確認できないということになったら、自分の命があやうい状況になったからこそ、家族のもとに行きたいと考える。

やはりそう考えると防災というのは、もちろん、物理的に災害を排除することももちろん大事だが、それ以前に大事なことがもっとある。岩手県釜石では子どもたちが必至に逃げた。それは「自分が逃げれば、お母さんが逃げてくれる」と思ったから。子どもたちはいまのままでは、自分がいるところにお母さんが迎えにきちゃう、そうしたらお母さんの命が危ない、どうしたらいいのか。それは、僕がちゃんと逃げる子になっていればいいんだ。なんの心配も与えないほど、僕がちゃんと逃げる子だとお父さん、お母さんが信じてくれていたら、お父さんお母さんも逃げるだろう、と。だから子どもたちは必至で逃げた。お父さん、お母さんもうちの子は逃げていると信じよう、あの子たちのためにも死んではいけないと思って逃げた。やはり防災とは、人の心の問題、家族の絆の問題、自分の命は決して自分だけの命ではないということ。そこをしっかり災害に向かいあっても大丈夫なような家庭を築いておくことのほうが大事なんじゃないかと私は思うのです。


命の危険を感じると、人は自分のより、自分の大切な人のことを考えてしまう。だから「人は人として逃げられない」。このことを踏まえたうえで「自分の命は自分で守る」そして「家族を信じる」ことが大事。災害のとき突然できることではない。普段から家族で話あっておくことが重要です。

★関東にお住いの方は放送から1週間、「ラジコ」の「タイムフリー」で放送が聞き返せます。こちらからどうぞ!

2016年12月5日

12月5日 群馬大学・片田敏孝教授(3)


今朝も先週に引き続き、防災のスペシャリスト、岩手県釜石市で長年防災教育に携わり現在は全国各地で防災の取り組みを指導する群馬大学大学院教授、片田敏孝さんのインタビューです。

先々週の福島沖を震源とする地震でもそうだったように、「津波警報」「津波注意報」が発令されても、多くの地域では津波の高さは予測を下回ることが多くあります。そこには、津波予測の「特性」と「限界」があります。

また、たびたび「津波警報」「注意報」が出されることで、次第に「警報慣れ」「注意報慣れ」してかえって逃げなくなる。いわゆる警報・注意報が「オオカミ少年」になることを、片田さんは大きく懸念しています。

◆「オオカミ少年」になるかどうかはあなたの災害にたいする姿勢そのもの
津波の予報区間はおおむね各県1つくらい。岩手県なら岩手県沿岸に、宮城県であれば宮城県沿岸に、というふうになる。どのようにこの警報を出すかというと、例えば岩手県であれば、いろんな点で予測をして、その中の最大値をとって「津波警報」や「津波注意報」を出す。言ってみれば、最大値にあたる地域以外のほかの地域はその予測値以下になる。そうなると、皆さんもおそらく津波注意報、津波警報の数字はおおむね大きく出がちだと思われると思いますが、それはその通りなんです。その区間の中の一番大きい数字をもってして出すわけだし、平均値をとってもしょうがない。そうなると情報の性格として、皆さんにとって「大げさに出がちなもの」という一面がある。でもその可能性があるから出ている。大きい予測値が該当するのはあなたのお住まいの地域かもしれない。でもそれがこなかったら「よかった!」と思ってもらえないと、津波警報は出せないんです。
またこの警報・注意報が「オカミ少年になる」というのは非常に怖いこと。それも含めて自らを律していただきたい。今回も逃げたが津波はそんなに大きくなかった。そこで「なんだよ、逃げて損したよ、気象庁また大げさだよ!」と言ったら、次の津波のときに逃げるでしょうか?逃げなくなりますよね。仮に逃げたとしても、また外れる。「損した!」と。そこで「損した!」と思ったらおしまい。「こなくてよかった、得した!」と思っていただけるあなたでなければいけない。「なんだこんちくしょう、はずれた!」と思ったとすると、「またはずれた!」「またはずれた!」となって、そのうち逃げなくなる。逃げなくなっても、まだ多くの場合は大丈夫だと思う。そうすると「ほら、逃げなくてよかっただろう」になる。こうなるともう逃げない。そして何度も何度も繰り返すうち、概ねずっと大丈夫、でも最後の一回を迎えたときに「しまった、逃げとけばよかった!」となる。そこで津波の出され方の性格をきちんと理解して、「可能性があるから逃げたんだ、でもこなかった、よかった」「また逃げた、今回も来なくてよかった」そうやって逃げ続けて、最後の一回を勝ち取れるのが、「やっぱり逃げていてよかった」ということになる。
こういう情報をわたしたちはどう利用するのか。それを活かせる自分であること。「オオカミ少年」になるかどうかはあなた自身の問題であり、あなた自身の責任であり、その姿が子どもたちや孫たちにも伝わっていく大きな大きな分かれ目だと思う。
津波警報を適切に使えるか、理解できるか、行動に結びつけられるのか。それはあなたの災害にたいする姿勢そのものだと思う。相変わらず逃げなきゃいけないときにはお役所に教えてもらえる、その情報は必ず正確じゃなきゃいけない、というような、情報やお役所に対する「依存度」が高くて、すなわち自分の命を守ることに対して主体性がない。これが最も危ない状態。それを理解してほしい。そうでなくなるようあなた自身に変わってもらいたいし、それが次の津波に対して教訓を生かすことだと理解してほしい。


おさらいです。
◆「津波予測は県単位で一番大きな数値を採用している。
多くの地域では、予測値を下回ることが多いが、もしかしたら最大値の津波があなたの街を襲うかもしれない。」と心得ておくべき。
◆津波避難で津波が来なかったら「逃げて損した!」ではなく「来なくてよかった!」と考える。それを家族や地域で繰り返すことが、東日本大震災の最大の教訓になる。

★関東にお住いの方は放送から1週間、「ラジコ」の「タイムフリー」で放送が聞き返せます。こちらからどうぞ!

2016年12月1日

12月1日 群馬大学・片田敏孝教授(2)


今日は、防災のスペシャリスト、群馬大学大学院教授で広域首都圏防災研究センター長、片田敏孝さんのインタビューです。岩手県釜石市で長年防災教育に携わり、現在は全国各地で防災の取り組みを指導。「命を守る」「人が死なない防災」を旗印に活動を続けています。

先週火曜日の「福島県沖を震源とする地震」で、宮城県仙台港周辺地域には「津波1メートル以下」を示す「津波注意報」が出されました。けれども、実際仙台港に押し寄せた津波は、最大1.4メートル。気象庁は、津波の襲来後に、この地域への「津波注意報」を、よりレベルの高い「津波警報」に切り替える事態となりました。

「津波1メートル以下」を示す「津波注意報」に対して、わたしたちはどのような避難行動とるべきなんでしょうか?片田さんに伺いました。

◆「津波の精度は倍・半分」
津波というのは、潮位変化20センチ以上を「津波」と定義する。20センチ以上1メートル未満のときに「津波注意報」が、1メートルを超えて3メートルぐらいまでのときに「津波警報」が出る。ただ、今回気象台は1メートル以下だろうと予想し、宮城県は津波注意報が出たが、実際1,4メートルの津波が来たということで、慌てて津波警報に切り替えたということもあった。津波というのは非常に不確定な現象でちょっとした海底地形や海岸線の地形で津波の影響は変わる。そして局所的にはものすごく大きくなることも知られている。イメージしていただくとわかると思うが、池の中に石を2つ投げ入れると波紋ができる。2つの波紋は何事もないようにすれ違っていくが、例えば右から5メートル、左から5メートルの津波が来て、出会ったところは「足し算」になる。そこはピンポイントで「10メートル」になる。そして何事もなかったように、また5メートル、5メートルですれ違っていく。そうすると、海岸線の地形が複雑な場合、あちらこちらに跳ね返ったりして、たまたまそのポイントで二つの波が合わさったりすることがあって、そういうところではピンポイントで10メートルなんてこともあり得る。
例えば岩手県の沿岸を思い起こしてほしい。北の端から南の端までリアス式海岸で、奥まったところでは津波が大きくなったり、岬の突端では津波が大きくなりやすい傾向があったり、地形要件によって、すごく変わる。例えば北海道南西沖地震という奥尻島がやられた津波があった。青苗地区はおおむね5メートルくらいの津波だったが、重内というところでは23メートルを超える津波を観測した。ピンポイントでそういう数字が出てくる。
だから注意報の場合も、計算値としては1メートル未満というふうに出たのかもしれないが、その最大値をとっても「注意報」だったのかもしれないが、でも予測が必ずしも全部当てきれるわけでもないし、それほどの解像度があるわけでもない。場所によってはものすごく大きいものがでる可能性があるとういことを考えると、実は津波注意報でも沿岸部の方々は十分に注意して対応する必要があるとわたしは考えている。
「津波の精度は倍・半分」という言葉があって、津波は予測された数値の倍であっても正しいし半分であっても正しい、その程度の精度なんだということを心得て、1メートル以下だから大丈夫と思わずに、やはり大きな地震があって海が荒れるわけだから、やはり万が一を考えて逃げること。本当に来なかったらよかったね、といえば済むこと。そう言える自分であるか。やはり避難の問題は人間側の問題だなと考えて、その日その時の行動を考えてほしい。それが次の世代に、東日本大震災の教訓を引き継いでいくことだと思う。


「津波の精度は倍・半分」と心得よ。予測された津波の高さは倍かもしれないし、半分かもしれない。そのくらいの幅をもって、避難行動をすることが「命を守る」ことにつながる。いざという時のために忘れないでおきたい言葉です。

★関東にお住いの方は放送から1週間、「ラジコ」の「タイムフリー」で放送が聞き返せます。こちらからどうぞ!

2016年12月1日

11月30日 群馬大学・片田敏孝教授(1)


今日は、防災のスペシャリスト、群馬大学大学院教授で広域首都圏防災研究センター長、片田敏孝さんのインタビューです。岩手県釜石市で長年防災教育に携わり、現在も全国各地で、防災の取り組みを指導。「命を守る」「人が死なない防災」が、片田さんの活動のキーワードです。

では、先週火曜日の「福島県沖を震源とする地震と津波」に対する避難の行動は、片田さんの目にどのように映ったのでしょうか。

◆あの日の教訓が生かされたのだろうか
東日本大震災から5年8か月ぐらいたっているが、まだ皆さんの頭の中にあの時の思いが鮮烈に残っているんだと思う。そんな中での今回の大きな地震、そして津波警報、津波注意報ということで皆さんそれぞれ行動をとられたと思う。
ポイントとして「あの東日本大震災の教訓は生かされたんだろいうか」というところに注目してみたい。今回さほど多くの方が逃げておられない、という状況がある。また逃げられた方についても、教訓を生かして逃げたんだろうか、ただ恐怖感に駆られて、フラッシュバックのようにあの時のことがよみがえって、怖くなって逃げたのか。もしただただあの時のことがよみがえって、フラッシュバックのように逃げたというのであれば、経験していない人にはフラッシュバックは起こらないわけだから、次の世代に教訓は引き継がれないということになる。
じゃあどうやったら教訓は生きるのか。長年に岩手県釜石市で防災教育に取り組んできたが、そのきっかけとなったのは、子供たちに「津波が来たら逃げますか?」と聞いたら、「逃げない」と答えたこと。「どうして逃げないの?」と聞いたら、「だって僕のおじいちゃんは逃げないよ、お父さんだって逃げないもん」と答えた。つまり地域の大人たちが逃げていないという状況のままに、子どもたちも逃げないと言っている。子どもたちが逃げないのは、そのように育まれたから。ではいまの状況において「教訓が生きる」というのはどういうことかというと、今回の2016年11月22日の「福島県沖を震源とする地震と津波」においても、皆さんが懸命に逃げる姿、そしてそれが子どもたちもそれを見ながら、「こうやって逃げるんだ」という思いを新たにし、そしてまた、いつの日か津波警報が出るときに、またその時に逃げる。そして、逃げ続けるという行動をとっていくと、その中で育まれていく子どもたちは「いままでもずっと逃げてきたし、これからも逃げるんだ。だってこの地域は津波がよく来るところだから」と子どもたちに刷り込まれるような社会の風習、文化として遺していく。これが次の世代に引き継ぐということだと思う。そしてそれを引き継いでいって、3代4代たったときに、またいつの日か残念なことだが津波のその日を迎えるんでしょう。でもその時に、言わずもがな逃げていく子どもたちの姿が、そこに浮かんでくるんだと思う。

5年たって仮に教訓が生きていないんだとするならば、よくこういう状態のことを「風化」というが、皆さん意外に思われるかもしれないが、広辞苑で「風化」という言葉を調べてみると、最初に「徳によって教化すること」という言葉が出てくる。「徳によって教えと化すことが風化」、これどういうことかというと、当たり前すぎて言うに及ばない状態になったときに、これを本来の意味の「風化」という。そうすると、例えば釜石の子どもたちに「津波から逃げますか?」と聞いたときに、「どうしておじさんそんな当たり前のことを聴くの?」とキョトンとしててくれるくらいが一番いい。それが本当の意味で「教訓として伝わった」ということで、本当の意味で「風化がなされた」「文化化した」ということになる。


「福島県沖を震源とする地震と津波」で避難指示・避難勧告の対象となったのは、およそ26万人。けれども実際に避難した人の数はおよそ9000人とみられています。そんな中、「逃げることが当たり前になることこそが、東日本大震災の教訓」という片田先生の言葉。あなたはどう感じますか?

★関東にお住いの方は放送から1週間、「ラジコ」の「タイムフリー」で放送が聞き返せます。こちらからどうぞ!

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

「LOVE&HOPE〜防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

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