2017年9月25日

9月25日 福島県楢葉町 鮭が遡上する木戸川(1)

今朝は福島県楢葉町から、木戸川の鮭の現状についてお伝えします。

町の面積のほとんどが、福島第一原発から20キロ圏内の楢葉町では、2014年に除染実施計画に基づく除染が完了。おととし2015年の秋に避難指示が解除となって住民の帰還が始まりましたが、震災前の町の人口約8000人のうち、今年8月末までに帰還した人の数は1019世帯1906人。4分の1に満たない数となっています。

今なお復興途上にある楢葉町ですが、町を流れる木戸川は全国有数の“鮭が遡上する川”として知られ、町民にとって自慢の場所でもありました。
間もなく鮭の遡上の季節を迎える木戸川について、木戸川漁協 鮭 ふ化 場長の鈴木謙太郎さんにお話しを伺いました。

◆鮭、産卵までの物語に感動する
震災前は本州でも有数な遡上数で、過去には本州でいちばん遡上が多い河川にもなりました。遡上してきた鮭を網で捕獲して、生かしたまま鮭の孵化場に運んで人工授精させて、それを木戸川に次の年の春に放流し、その放流した稚魚が早いのは1週間くらいで出て、その時に自分の河川の「匂い」を覚えて、海へ旅立ってオホーツクからベーリング海へ回遊して、成長して産卵できる身体になったら4〜5年後でようやく産卵のために自分の川の「匂い」を覚えて戻ってくると言われています。魚の中でもそうやって自分の川に戻ってくるっていう「物語」があるので、そういう意味では戻ってきたときの感動というのはあんのかな〜なんてふうには思ってますね。


震災前、木戸川では年間7万匹から10万匹のサケを捕獲、1200万匹から1500万匹の稚魚を放流していましたが2011年、震災による津波と福島第一原発の爆発事故の影響で、一切の事業休止を余儀なくされました。

◆鮭の孵化事業から始めよう
津波と地震の影響もかなりあって、それに追い打ちをかけるように原発事故があって、楢葉町にも立ち入りが出来なくなったのでそこで4年間、鮭の孵化事業も出来なくなって、やはり稚魚の放流を行わないと鮭の遡上が途絶えてしまうという、今までかつてないことだったので不安もあったり。楢葉町と言ったら「鮭」だと思うんです。当たり前のように木戸川の鮭を町民の方も食べてくれたり、当たり前のことが出来なくなったということは、僕もそうですし町民の方もかなりガッカリしてると聞いてますし、そういった中で何がなんでも鮭の孵化事業から始めようという目標を立ててきましたね。


津波と地震で「川」も「ふ化場」も被災したものの、原発事故の影響で避難指示となって以来4年間、ほぼ何も手を付けられなかったそうです。しかし鈴木さんによると“避難指示が出ている間も鮭たちは故郷の川に帰ってきて、産卵をしていた”ということ。

明日も、木戸川漁協 鮭 ふ化 場長の鈴木謙太郎さんのお話しお届けします。

2017年9月22日

9月22日 おながわ秋刀魚収穫祭2017

今朝は記録的な不漁で東北各地の「さんま祭り」が相次いで中止や延期に追い込まれる中、今週末、予定通り開催されることが決まった『おながわ秋刀魚収穫祭』についてお伝えします!

番組おかかえ女川女川広報大使!高政の高橋正樹さんにお話し伺います。

この収獲祭。さんまの町として知られる女川町が毎年この時季行っていて去年は4万人以上が訪れた、まちをあげての一大イベント。
今年は20回目の節目の年だったのですが、秋刀魚が女川港に初水揚げされたのは20日。例年より15日遅く、震災後最も遅い初水揚げとなりました。20日以降今週末24日までに次の水揚げされる目途が現時点で立っていないのが現状のようです。

しかし、収穫祭では「サンマの炭火焼きは昨年の倍となる1万匹を無料提供!」「サンマのすり身汁も5000食を無料でどうぞ!」「サンマ詰め放題もあるよ!」と大盤振る舞い!大丈夫なのでしょうか?

『おながわ秋刀魚収穫祭』は、あさって、9月24日(日)朝9時からスタートです。
女川の旬を楽しみにぜひ女川へ出かけてみてはいかがでしょうか?
当日車で向かう方は大変込み合うそうですので、電車がおススメ。
詳しくは公式サイトをご覧ください!


お土産に高政のかまぼこいただきました〜!右は現地でしか味わえない激レア「おながわEgg」
宮城県女川町のかまぼこ屋【蒲鉾本舗 高政】

2017年9月21日

9月21日 ツール・ド・東北2017 (3)

今回で5回目の開催となった「ツール・ド・東北」。
宮城県沿岸部を自転車で走って、被災地の「いま」を感じて貰うのはもちろん、景色を楽しんで、そして各エイドステーションではその地域の美味しい名物も楽しめる!というイベントです。

今回は東松島のコースも新設。東松島市・野蒜のご出身、お笑い芸人トリオ、パンサーの尾形貴弘さんにインタビューしました。

◆「実家の前もコースで、いろいろ思い出しながら走った」
な)地元?東松島出身なんですよね・・・
パ)そうです、だから僕の実家の前とかもコースで、そこの前通って、もう今は畑になってるんですけど、でもなんか、ほんとに自分が遊んでたとこがいっぱいあったんで、もういろいろ走りながら思い出すというか、懐かしい感じもしましたね。
な)あと津波の被害に遭った場所とかいろんな場所を見てこられたと思うんですけど、いかがでしたか?
パ)いやでも僕が住んでたところらへんはまだまだもうちょっとかかりそうな感じですね。でもなんか、それでも歩道に出て、応援してくれる方とかいっぱいいて、すげえ嬉しかったですねほんとになんか素敵だなって思いました。
な)あといろんな場所で、たとえば野蒜駅で降りたりとかして、震災のことを語り部の方が語ってくださって、それを聴いてくださっているの見ていかがでした?
パ)やっぱいろいろ伝えて全国の方に知ってもらうということも大事ですし、いろいろお世話になったんでね、全国の方に。こっちにいろいろ贈ってもらったりとか。だから感謝の気持ちもぜったいこっちの人はありますから。だから一回来て欲しですね。こっちに来て見てほしいです。
な)東松島だと、海苔を練り込んだうどん。僕は初めていただいたんですけど、美味しいですよね!
パ)めちゃくちゃ美味しいですよ、東松島は海苔が旨いんで。(皇室献上の海苔も作ってる?)そう、だから僕の同級生ものり漁をやってたりとかするんで。
な)そういうの見ててどうですか?地元の方たちがお世話するのを・・・
パ)優しいですよ地元、やっぱり東松島の人は僕見てて分かるとおりめちゃくちゃ優しいんです。ほんとにいい人しかいない。
な)それは尾形さんが言うと伝わるかどうか・・・(笑)・・・でもいろんなことを体験しながら、素晴らしい景色を見て、美味しいものも頂いて、ぜひ来年これ聴いてツール・ド・東北,、来て欲しいですよね
パ)ぜったい参加してほしいです。めちゃくちゃ気持ちいいし、つらいことじゃないし、自然がいっぱいだし美味しいし、ぜったい来た方がいいです。はい。


ツール・ド・東北2017 公式サイト

2017年9月20日

9月20日 ツール・ド・東北2017 (2)

ここからは、『LOVE & HOPE〜ヒューマンケア・プロジェクト』。今朝は昨日に続いて先日16日17日に宮城県で開催されました「ツール・ド・東北」のレポートをお届けします。


2013年に始まって、今回で5回目を数える「ツール・ド・東北」。宮城県沿岸部の3市2町を舞台に、風光明媚なコースを自転車で巡りながら被災地の「いま」を感じ、そして東北の美味しいものも楽しんじゃおう!という素敵なイベントです。中西さんも「東北応援大使」として参加。女川・雄勝フォンド65kmの険しい道のり。つらい坂を乗り越えたあとにやってくるのが、エイドステーションです!そこでは地元の人たちが名物の美味しいもので、参加者たちを癒して楽しませてくれます!


な)今年のホタテはいかがですか?
ホ)えっと見ての通り。あ、ラジオか。見ての通り大きく仕上がって好評を得てますよ!
な)雄勝のホタテの特徴は?
ホ)肉厚で大きくて、食べればジューシーで歯ごたえがあって、もう言うことなし!
な)マジで分厚い。いま目の前にありますけど・・・ガブっと行くか・・・いただきまーす!・・・今まで食べたホタテでいちばん美味しいです。うめー!
ホ)もう言葉ないでしょ?だからラジオ無理だって言ったの(笑)
な)雄勝に来いと!
ホ)そうそうそう。



な)この1年間、どうですか?雄勝の状況は。
ホ)ようやく復興住宅とか公衆団地が出来て、皆さん戻ってくる環境は整いました。あとこれから大変なのは、これまでなかった商店街だったり、もともとあった硯伝産会館だったり、そういったものも見通しが立って、あと3年後、4年後には整えるとまた違った形での復興の雄勝の姿が見られてくると思います。このツール・ド・東北の雄勝エイドも毎年来て頂ければバージョンアップしていくように、いまから5〜6年後に拠点が出来た時にそちらの新しいところで出来て、たとえば防潮堤の上を自転車で通りながらライダーの皆さんが雄勝湾を見て、雄勝のホタテを食べて味わってもらいたい、そう思ってます!
津波ってもので大きな災害を受けたけど、そうした中で地元で採れてるこの恩恵、こうした宝もであり私たちが伝えていかないとならないもの、これは伝えていかないといけないし無くしてはいけない。なかなかいま人が少なくなって、漁師する方も少なくなってきたけど、そういった中でも伝えていかなきゃなんないし、それを残さないと次の世代であり、また雄勝に戻ってきたいって人たちが無くなったんでは。そう、今日やってるスタッフももうその思いだけ。「大変ですね」って言われても今日約4000人のライダーがこのエイドに来て、ホタテを食べて、中西さんが言ったように「美味しい」って言ってもらえただけで、我々は嬉しい。また一年頑張れる。。


雄勝は住宅環境が整って、街のにぎわい拠点もこれから整備されていく・・・ということ。反面、人が少なくなっている現状も語っていましたが、これからいかに元のにぎわいを取り戻していくか。被災地の多くの地域が向き合うこうした課題を知ることにも、ツール・ド・東北の意義があります。

さて明日は、今回僕と共にツール・ド・東北に参加した、お笑い芸人トリオ、パンサーの尾形貴弘さんとのやりとりをお届けします!

2017年9月19日

9月19日 ツール・ド・東北2017 (1)

今朝は先日、16日17日に宮城県で開催されました、「ツール・ド・東北」のレポートをお届けします。

2013年に始まって今回で5回目を数える「ツール・ド・東北」。宮城県沿岸部の3市2町を舞台に風光明媚なコースを自転車で巡りながら、被災地の「いま」を感じ、そして東北の美味しいものも楽しんじゃおう!という素敵なイベント。中西さんも例年このイベントに「東北応援大使」として参加しています。

今年は近づく台風18号の影響を受けてややコースが短縮されたり、ステージやブースイベントも縮小されての開催となってしまいました。それでもエントリーした方の数はなんと4200人!初年度が1500人で去年は3800人でしたから着実に成長して来ています!

今回、新設されたコースが一つあって、それが「奥松島グループライド&ハイキング」。津波で被災した東松島市の野蒜地区を巡り、宮戸島を周回するというコース。この新設コースも含め、開催された今回の「ツール・ド・東北」について主催団体の一つである、河北新報社の鈴木紳一さんに伺いました。

◆新設・東松島のコース〜今後は3県拡大へ!
な)5回目ということで、長く続けていきたいという意思がまた継続された。
す)今まで4回はツール・ド・東北の認知度をあげていこうということで、発信して人を集めることに力を入れてきたんですが、5回目は安全宣言シールを貼って走ってもらったり、ビーコンを着けたり安全面に力を入れる、ちょっと地味なんですけど、日本のいま自転車環境ってひじょうに悪いので、ツール・ド・東北から逆に安全面でも自転車文化のモデルにしていきたいという意欲をもって、チャレンジをしてる私なりの今回の意義づけです。
な)あとは東松島のコース、ハイキングも今回は一緒にやりながらというコースも出来ていましたけど、野蒜の駅、さきほど行ってきましたけど、語り部の方が話をしてくださって、震災のことをもう一度見て頂く聴いて頂くということが、来られた方にとっても地元の方にとっても重要なのかなと感じたんですけど。
す)じつは石巻湾から松島湾というのもとうぜん被災地で、東松島市も大きな犠牲者を出していますので、そこにいろんな人たちに来て頂いて現状を知ってもらうということで、今回は加えたということです。
な)今後なんですけども・・・
す)じつは宮城県も仙台平野あたりが震災直後の形がたくさん残ってまして、被災した小学校が残ってたりそういう仙台平野の方の被災地を見てもらうような手はないかと考えたり。いろんな被災地があることを知って頂く、という部分も考えていかなくちゃと思ってます。目標として掲げてるのが、3県拡大というのが有りますので、宮城以外の被災地を周って頂く事も考えなくてはと思っています。
な)広がり、深く・・・
す)拡大と進化しか許されないという覚悟で取り組んでおります。


あすも引き続き「ツール・ド・東北」のレポート、お届けします。

2017年9月13日

9月13日 ファーマーズマーケット「FMふたばプロジェクト」2

今朝は昨日に続いて、福島県広野町でファーマーズマーケットを開いた高校生、佐藤勇樹くんのインタビューです。

今年避難指示が解除になったばかりの福島県富岡町出身の佐藤くん、東日本大震災が起きた時は小学校5年生でした。茨城県で家族と避難生活を送りながらも、“いつか故郷のために何かしたい”と考え、広野町のふたば未来学園高校に進学して寮生活を始めます。高校2年の時に参加した渡米プログラムでカリフォルニアのバークレーへ行き、そこで「ファーマーズマーケット」に出会って、これだ!と確信。打ち込んでいた野球部を辞めて、広野町の「野菜直売所」へ日参するようになります。同級生を巻き込んで最初3人で始まったプロジェクトですがそこからどういう経緯をたどったのでしょうか?

◆なかなか根付かなかったりとか枯れちゃったり
Facebookで団体のページを作って、畑は借りることができたんですけどそういう活動とかをどんどん上げていって、自分たちがちゃんとそういう存在してることをアピールしたりとか、ほかの人にどんどん伝えたりして、少しずつ知ってってもらったっていう感じです。いま23人くらいに増えました。今だいたい4から5アールくらいの畑で、バジルとトウモロコシとナスとトマトと枝豆の栽培をしています。農業科の生徒も何人かはいるんですけど、でもその子たちもそこまで幅広い野菜を育てていないので、けっこううまくいかなかったり、なかなか根付かなかったりとか枯れちゃったりとか、一応、8月19日に調節をしようとしたんですけど、さすがに知識ない時に調節は難しくて、けっこう野菜が採れたら開催ってのは楽なんですけど、この日までに収穫して販売っていうのはちょっと難しいなっていうのを感じて、苦労はけっこうありました。


思うようにたくさんの野菜を並べることは出来ませんでしたが、佐藤くんたちはクラウドファンディングなどを通じて運営資金を調達、地元の農家さんたちの応援も得て、8月19日に広野町で第一回目の「ファーマーズマーケット」を開きました。会場には、広野町やいわき市などの農業団体や社会福祉団体が出店、
新鮮な野菜や加工品を販売して、途中、雨まじりのお天気でしたがたくさんの買い物客でにぎわったんだそうです。

◆将来は双葉郡でやりたい
やっぱいちばん、自分の活動を話して、じっさいに畑に来てくれる人もいたり、作業を一緒にやってくださる方もいて、今の活動を始めてからほかの人と積極的にかかわるようになって、「頑張って」と言って頂いたり、あと直売所のおじいちゃんおばあちゃんとかは去年夏からもう一年間になるんですけど、もうずっと「孫だから」みたいな感じですごく優しく接してくださるので、自分もちょっと祖父母に離れてて会えないので、おじいちゃんおばあちゃんみたいな感じですごい楽しく交流とかが出来てます。いま大学進学を考えてて、大学でも地域に対して何か、今の自分が考え付いたのはファーマーズマーケットで、じゃあもっと深い知識を学んだあとに自分はどんなことをやりたいと思うのかとか、どういうことができるのかっていうのを学びながら、大学中とか大学卒業したあとに何を地域のために出来るかなっていうのを学んでいきたいと思ってます。(いつか富岡に帰りたい?)富岡戻りたいですね、大学終わったあとに、もう祖父母の家が無い、祖父母の家に住んでいたので、どうしようかなと思っているんですけど、富岡が無理だとしても双葉郡のどこかに住んで双葉郡全体でそういう何か活動とかをやっていけたらいいなって思ってます。そうですねけっこう思い出、、町に桜のトンネルがあってもう4月になるともう両サイドが桜でピンクで、地面も花びらでピンクになって、でその上を鼓笛パレードで歩くんですけどそれがまた楽しくてみんなでそういうのをやってっていうような、すごく些細なことが楽しかったです。


来年春には大学へ進学する佐藤くん。せっかく立ち上がったプロジェクトと、手をかけた畑がどうなるのか気になりますが、
明日の『LOVE & HOPE』では、その佐藤くんと生で電話を繋いでお話しを伺います。

2017年9月12日

9月12日 ファーマーズマーケット「FMふたばプロジェクト」1


先月19日、広野町の二ツ沼総合公園で農産物の直売会、「ファーマーズマーケット」が開催されました。主催したのは「FMふたばプロジェクト」。そしてこのプロジェクトを立ち上げたのは、ふたば未来学園高校の3年生、佐藤勇樹くんです。

佐藤くんは、今年避難指示が解除になったばかりの富岡町出身。どんな思いでこのプロジェクトを立ち上げたのでしょうか?

◆カリフォルニアの「ファーマーズマーケット」で衝撃をうけ
自分が小学5年生の時の東日本大震災で、原発事故があって次の日にはもう避難しなければいけなかった、ただその時自分は何が起こってるのかなんて分からなくて、1週間くらいして、原発の事故があったんだっていうことをようやく理解して、そこから中学3年生まで茨城で避難生活していたんです。高校に入る時に福島に戻りたいというのがあって、ちょうどその時に今通ってるふたば未来学園高校が双葉郡に出来ます、その双葉郡の復興とかに対して何か活動を起こすっていうのがすごく自分としては魅力的で、双葉郡のために何かしたいっていうのを思うようになっていたので入学したんですけど、最初その自分の中であったのが、「人と人のつながり」っていうのを大事にしたいっていうのが自分のベースとしてあって。ただ人と人をつなぐために何をすればいいのか、カフェをやればいいとかいろいろ考えていたんですけどどれもなんかしっくりこなくて、2年生の夏に、3週間の渡米プログラムに参加をして、カリフォルニアのバークレーに行ったんですけど、そこで「ファーマーズマーケット」を見たんです。最初、“日本の朝市だよ”っていう説明があって、でも日本の朝市っていうと、なんかおじいちゃんおばあちゃんがおしゃべりをしてたり野菜を売ってたりっていうあんまり若い人が来づらい雰囲気なんじゃないかなって感じてて、ただ行ってみてびっくりしたのが、もう小っちゃい子からおじいちゃんおばあちゃんまでみんなが集まってて、売ってる人ももちろん若い人もいて、その人と来た人がおしゃべりを楽しそうにしてたりとか、楽器を演奏する人がいたりとか、“え?これがほんとに朝市なのかな?”という、野菜を売る場所っていうふうには感じなくて、すごい感激して、そこに人と人のつながりもあって、しかもあんまりスーパーで野菜を買う時にこれ誰が作ってるのだろうって思わないっていうのが自分も有ったので、作ってる人も知れてそれを買うことができておしゃべりも出来ていろんなこと知れてこんないいものはないじゃないか!って思ったのがきっかけです。じゃこれを開こうって思って、もともと野球部に入ってたんですけど、野球部を退部させてもらって、次の日から自分は農業科じゃなかったので、農業について全く知らないので広野町、自分のいる町の直売所に夏休み中毎日通って、“広野町の農業いまどんな感じなんですか?”とか“どのくらいの年齢なんですか?”っていうところから聞いていって、あといろいろおしゃべりをして、そうしていくうちに、やっぱりここでファーマーズマーケットをここの農家さんたちと一緒に開きたいっていうふうに思うようになって、そこからいまの「FMふたばプロジェクト」っていう団体として、最初は同級生を誘って3人で始まったのが「FMふたばプロジェクト」です。


「FMふたばプロジェクト」Facebook

『LOVE & HOPE』、佐藤くんのお話しは明日に続きます。

2017年9月12日

9月11日 台風10号被害から1年「岩泉乳業」の今

今朝は、去年台風10号による水害を受け、今なお操業が止まっている岩手県岩泉町の「岩泉乳業」の今をお伝えします。

約1年前、岩泉町をはじめ全国各地に甚大な被害をもたらした台風10号。小本川の河畔に工場があった岩泉乳業は、工場の大半が氾濫した川の水に呑まれ、操業停止を余儀なくされました。町の基幹産業で、とくにヨーグルトが美味しい!ということで全国的に知られていた岩泉乳業、操業再開を望むファンの声に支えられ工場の再建に取り掛かりましたが、1年が過ぎた今も再開には至っていません。

完成目前の新しい工場で、工場長の保呂草久人さんにお話しを伺いました。

◆あれから1年・・
このいま大きく建て替えている、ここが平屋の建物が横並びに二つありました。平屋の建物だったんでぜんぶもう水につかった状態でした。こちらの本社工場の方は2階建てなんで、2階は大丈夫。ただ1階は天井近くまで浸水した状態でした。こちらの平屋の方は機械類、水をかぶってしまったんで再起不能というような状態でしたね。ここずうっと山岸からこの広いところを水が来たんで、流木とかああいうのがぜんぶ建物に突き刺さるとかそういう状態でした。なんとも言えませんでしたね。そのときはもうこれほどのものがくるかな・・・というのが第一印象でした。一年・・・でも早いんじゃないかなと思ってます。いろいろご尽力された方がいっぱいいるんで。たとえば自分のお金で建てるんであれば、すぐやれるんでしょうけど、やっぱり国のお金とかそういうところを遣わせてもらってるんで、思ったようには進んでくれないといいますか。


去年8月30日の水害では、3棟の工場のうち、平屋の2棟が水没、2階建ての本社も1階が浸水し、流木や土砂が流れ込んで機械やタンクも破損。工場の再建は不可能に思われましたが山下欽也社長は、被災から1週間たたないうちに、「1年以内に工場を再開する」と宣言して再建に取り組んできました。その決意を支えたのは、町の人たちや全国から寄せられた励ましの声だったといいます。

◆10月から前と同じ味でお届けできる!
もうたくさん頂戴してますね。90過ぎたおばあさんから「早く、私が生きてるうちにもう一度食べたいです」というお手紙を頂いて義捐金が1万円封筒に入ってたというのを聴いて、何とか早く復活して口に入れてもらいたいなと思ってます。10月からはなんとか消費者のお待ち頂いてる方々にお届けできればと思ってます。期待と不安が入り混じったようなちょっと複雑な気持ちです。工場は変わってもライン設備は前と変わってないです。あとは自分たちのレシピといいますか工程もきちんとありますので、間違いなく前と同じ味でお届けが出来ると確信しております。


新しい工場はすでに完成。主力商品である「牛乳」と「ヨーグルト」は試験操業を経て、10月1日からまず県内で販売を開始、11月から全国に販売を拡大する予定。アルミの袋の中で〔低温長時間発酵〕させる独自の方法で、さわやかな風味とモチモチの食感を生み出しているという「岩泉ヨーグルト」。1年ぶりの再会までまもなく。「岩泉乳業」のオンラインショップでも買えます!

2017年9月8日

9月8日 九州北部豪雨 朝倉市 原鶴温泉3


7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市。2カ月が過ぎた今も多くの住民が避難生活を余儀なくされ、被害が大きかった地域では懸命の復旧作業が続いています。

筑後川に面した朝倉市の観光拠点、原鶴温泉では、豪雨災害のあと避難所にいる人たちに温泉を開放。癒しの場、コミュニティの場として親しまれてきました。ただし、ほとんどのホテル、旅館に大きな被害が無かったにもかかわらず、夏の観光シーズンは旅行客が激減。客足は遠のいたままとなっています。

原鶴温泉旅館協同組合事務局長、庄崎茂さんにお話しを伺いました。観光地・朝倉の今後について。

◆鵜飼を復活させたい!
今回は水害だったんですけれども、やはり水の有難さというかですね、三連水車も流木が挟まりながら、今ちゃんと動いてます。復旧ができました。すごく感動もしたしやっぱり復興の一歩だなという事で、そこに本当は鵜飼を復活させたかったんですけれども、ちょっとこれはできない。原鶴温泉は筑後川の河畔にありますので、筑後川、九州で2カ所だけ鵜飼というのが出来ます。屋形船で見ていただくんですけれども、まあそれが川の影響で今季はできなくなったってことですね。筑後川に砂浜が出来てしまいまして、通常、屋形船に乗る乗り場に、船が下ろせなくなってしまいまして、それとやっぱり支流から濁った水が流れ込んでくるので、広い筑後川の水がずっと濁ったままでして、すごく今年は手応えも感じたんですけれども。ちょっと残念ながらできない。で、鵜匠さんと屋形船の船頭さん、また旅館組合としては、福岡県に対して要望をして、しゅんせつですね。砂浜になってるところを、砂を出して欲しいというお願いと、どうしてもやっぱり鵜匠さんも船頭さんもぜんぜん収入がない状況なので、何とかなりませんかという要望を出しています。なんとなく鵜飼が復活する事がですね、この朝倉地域の復興の一歩になると思うんですよね。早急にはお願いしたいなと思ってるところです。旅館の方は、出控えというか、8月でいうと去年が2万3000泊ぐらいあったんですけれども、6割から6割5分、やっぱり8500から9500の集客、本来なら来て頂けるお客様に泊まっていただけなかったのかなっていう感じで想定をしているところですね。まだじつは行方不明の方が5名いらっしゃるので、何らかの仕掛けはしたいんですけども、まだちょっとできてない状況ですね。で10月21日に「秋月博物館」というのがオープンしますので、この辺りを契機に一生懸命、温泉と城下町、それとキリンビールの福岡工場、これはアジア一広いビール工場なんですけれども、こちらがコスモスが咲いてきますので、こういう幸いにもあんまり被害がなかったところを中心にして、協力、連携しながらですね、あとは果樹園さんが有りますし、秋には柿も本番になってきますし、何らか連携をしながら、大丈夫なところ来て下さいということで、そろそろ動いていけたらなと思っているところではあります。今年うんぬんも含めながら長丁場になってくると思います復興までの道のりは。本当に険しいと思いますので、長い目で僕達も忘れられないようにいろんな活動をしていく、そんなに派手なことは出来る雰囲気でもないんですけど、ひとつひとつコツコツと、出来ることをやって行こうかなという形が一番かなと思ってます。



鵜飼。今年は中止となりましたが、来年の復活を目指しているとのこと。また現在、不定期ですが簡易プールを使った“鵜飼ショー”も行なっているということです。

福岡県では「ふくおか応援割」の販売も始めています。利用すればお得に旅が出来ますので、この秋の行楽、原鶴温泉に出掛けてみてはいかがでしょうか。

2017年9月7日

9月7日 九州北部豪雨 朝倉市 原鶴温泉2

7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市。2カ月が過ぎた今も多くの住民が避難生活を余儀なくされ、被害が大きかった地域では懸命の復旧作業が続いています。

筑後川に面した朝倉市の観光拠点、原鶴温泉では、豪雨災害のあと避難所にいる人たちに温泉を開放。癒しの場、コミュニティの場として親しまれてきました。ただし、ほとんどのホテル、旅館に大きな被害が無かったにもかかわらず、夏の観光シーズンは旅行客が激減。客足は遠のいたままとなっています。

原鶴温泉旅館協同組合事務局長、庄崎茂さんにお話しを伺いました。あの豪雨の日からこれまでの取り組みについて。

◆ロビーが安否確認、コミュニティの場に
原鶴温泉、何ができるんですか?ということですけれども、もう5日の夜から水道が出ないとか、お風呂に入れないとかいう状況がありまして、じゃあ組合でみんなでちょっと集まって協議をしようということで、どういうことがお手伝いできるんだろうという事で、温泉なので温泉しかないのでお風呂は入って貰おうということになりましたですね。11軒くらいですね原鶴の方では。また近くの杷木町の中心部は川を挟んで浮羽市さんに筑後川温泉というのがあります。そちらも協力を頂いてやってくれてるところもあります。いまのところ仮設は家には入れるようになっているみたいなんですけれども、避難所がなくなるわけではないので、やはり当分の間温泉開放はしていこうとは考えてるところです。で、お話しされたのお婆ちゃんだったんですけれども、ご主人と電気コードでつないだらしいんですよ。なんでかっていうと、子供さん達が見つける時に見つけやすいようにということで、あれはちょっと凄かったですね。今回はそういう目に遭った方ばかりですね。それでも気丈に働いてる方もいらっしゃいますし、あとはやっぱり温泉というのは天地効果というのがあるので、リラックスができるということでですね、まー言っちゃうとあれですけど何日かぶりに缶ビールを飲まれたということで本当に美味しそうに飲まれて“生き返った〜”とおっしゃって、何か良いことしてるなと自己満足ですけどちょっと思いましたですね。それと温泉のそのロビーじたいが皆さんが入って来られて“あなたは無事だったの”とか安否確認が出来たり、やっぱりロビーでいろんな話が皆さんで出来て、また新しいコミュニティの役割を果たしたんじゃないかなと。心ある方が、やっぱり着の身着のままで避難所に入られてるかと関しては、それは最初は洋服屋さんが持ってきてくれたらしいんですけれども、“わたしの家にもあるから”という事で下着を持って来られたり、洋服が追加されたり、飲み物はとかお菓子はとかいうことですね、一時期は洋服屋さんにホテルのロビーがなったりしてました。今でもでふつうのお客様が下着をたくさん買ってきてくれたり、水もいるでしょうとかということで支援を頂いたりしてるみたいで、まだ置いてあるところもあります。すごく助かってるみたいで、ほんとになんか人って優しいなと、本当に思いましたね、自然は怖いなと思いましたけど。


仮設住宅も整備されて、避難所にいる方の数は150名を切るところまで来たそうですが、まだまだ住宅再建までは長い時間がかかります。原鶴温泉では今後も、被災者の方への温泉無料開放を続けていくということです。

そして現地ではボランティアの数の減少も課題となっていますが、原鶴温泉では、ボランティア向けの格安プランを提供している宿もあるほか、福岡県では「ふくおか応援割」の販売も始めています。

原鶴温泉旅館協同組合オフィシャルサイト
ふくおか応援割(県の公式ページ)

2017年9月6日

9月6日 九州北部豪雨 朝倉市 原鶴温泉1


7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市。2カ月が過ぎた今も多くの住民が避難生活を余儀なくされ、被害が大きかった地域では懸命の復旧作業が続いています。

筑後川に面した朝倉市の観光拠点、原鶴温泉では、豪雨災害のあと避難所にいる人たちに温泉を開放。癒しの場、コミュニティの場として、親しまれてきました。ただし、ほとんどのホテル、旅館に大きな被害が無かったにもかかわらず、夏の観光シーズンは旅行客が激減。客足は遠のいたままとなっています。

原鶴温泉旅館協同組合事務局長、庄崎茂さんにお話しを伺いました。まずはあの2か月前の豪雨の日について。

◆当日は調整池が溢れて地下施設に被害も
夜なので全然情報はないんですね。原鶴は防災無線も入っていたのである程度聞けたのと、うちはいま地区のラジオが入ってるんですけれども、結局電柱が立ってるんですけれどもそれが流されたり、線が切れたりしたのでかなり聞こえなかったというのは聞いています。今回は筑後川の支流で大きな被害が出てるんですね、水が流れ込んで濁流になって土石流になってるんですけれども、じつは私どももその様子は全然わからないんですよ、翌日になるまで。で、だんだん被害の状況が分かるようになってくるにつれて愕然としたというか、なんでこんなおとなしい川に流れ込んできて、なんでこういう状況になってるっていうのが、僕たちも呆然としたというか、いまだになかなか理解できなかったりするんです。当日は毎月の会議をしてまして、4時くらいから急に雨が降り出して、あとは雷が5時間ぐらい続いたかなと。時間の雨量としては100ミリ超えていたかもしれませんね。だいたい5年前の九州北部豪雨の時で1時間に80ミリっていうのがあって、今回それを見越して作った調整池もあっという間に溢れかえっていたので、それぐらい降ったんだなっていう感じはしました。それでも私たちがいちばん心配なのは、筑後川の川が溢れるということで、何回か見に行きましたけれども7mぐらい水位が上がったっていう感じで聞いています。レベル4。レベル5は川が氾濫しちゃうんですけれども、赤マークの所の7割ぐらいまでは水があがってましたね。いちばん下流にあります泰泉閣という宿が地下形式になってまして、調理場と宴会場とかが調整池の水が流れ込んで畳ごと浮いちゃったかたち。それと先ほど落雷と言いましたが、山の中腹にビューホテル平成というホテルがありまして、こちらは落雷で通信機器、電気関係、それと電動ポンプが止まって休業を余儀なくされてましたね。人的被害がなかったのでそこだけは幸いだったなと思います。夕方でしたのでお泊りのお客様は入られてたのでもう泊まっていただいた方が安全なので、翌日のお客様とか来る途中のお客様に関しては、問い合わせが入ったらもうお帰り下さいと。それと交通網が寸断されてたので、高速道路の朝倉インターと杷木インターがあるんですけれども、原鶴に来るまでの道が両方とも流木とかで止まっちゃったんですね。それと高速道路も止まりました。南側からは原鶴大橋という橋がかかってますのでぜんぜん問題なく来れたんですけれども、そういうこともあって翌日から何日間かは、お客様の安全を考えて、またお越し下さいという事でそういう動きをした宿もたくさんありました。


被害の大きかった山あいではなく、市街地にある原鶴温泉。それでも情報の途絶は起こっていたようです。そして5年前の九州北部豪雨を教訓に作ったはずの調整池があっという間にあふれてしまったということで、いかに想定を超える豪雨だったのかが分かります。毎年のように聞く「想定外」という言葉。もはや「想定」はあてにできないと改めて感じさせられました。

原鶴温泉は被災したホテル、旅館も少なく、いち早く営業を再開しましたがキャンセルが相次ぎ、大きな打撃を受けたといいます。明日も原鶴温泉からのレポートを、お届けします。

原鶴温泉旅館協同組合オフィシャルサイト
ふくおか応援割(県の公式ページ)

2017年9月5日

9月5日 九州北部豪雨 朝倉市松末地区の住民5

先週に引き続き、7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市からのレポートです。
 
記録的豪雨で大きな被害を受けた地域の一つ、朝倉市。土砂崩れなどによって1000軒近い家屋が被災。いまも多くの住民が避難生活を余儀なくされています。その朝倉市の中でとくに被害の大きかった杷木松末の石詰地区。棚田や畑がつらなり、乙石川という小川が流れる、山あいののどかな集落で、18世帯59人の住民の中には、都会からの移住者もいたほど魅力のある場所でしたが、今回の豪雨では半数以上の家屋が跡形もなく流されてしまいました。

その石詰地区に代々住む住民の一人、小嶋嘉則さんにお話しを伺いました。

◆「裏山が赤土とわかってたから、逃げ場はそこしかないと思っていた」
私の家はここからここまで100坪あったんですよ。まずお昼に会社から食事に帰って、そしたらもう水が氾濫して道がすぐもうやられてしまったです。ぜんぶ崩落してしまって。(川までは何メートルくらいある?)30〜40メートル。川のかさがだんだん上がるじゃないですか、砂が流れてどんどんどんどん上がってきて。もう流れが普通なら石の流れがゴトゴトゴトゴト音がするんですけど、もう唸ってましたもん、ゴーっと。それからわずかで鉄砲水がドーンと来た。もう家が流れよるばい行き場所ないもんで裏山に上がって、命がけ考えるより「早う逃げ!みな早う逃げるぞっ」ちゅうて上がっていって、山の峠に行ってそこで5人で、犬も3匹連れて、あともう逃げ場がないけ諦めてそんまま朝まで居りました。ほんで5時になって夜が明けるじゃないですか。ほんでおりたらもう、悲惨なもん。家が流れちょるけ、あー流されたな・・・、うちも4代くらい続いた家ですけんね。何も出してない、バックひとつだけ。早かったじゃないですか。短時間に全部持って行かれたけん。流れるってわかっちょうなら早うみんな裏の山に持って上がっちょうばってんですね、そんな暇ないもん。(でもその逃げた場所ががけ崩れとか何もなくて良かったですね?)ちょうどうちの上がったところ赤土なんですよ。真砂じゃなかったからそれまで来んって頭の中に思っちょりました。逃げ場はそこしかないっち思っとったもん。むかし土壁をしよったもんで、赤土が必要じゃないですか。そこによそから採りに来よったもんで。そいで私は分かってたんですよ。裏山が無かったら流れてますよ。


雨を心配してお昼に戻った小嶋さんですが、避難しようにも道は氾濫した川に沈んで逃げ場は有りません。そして今度は鉄砲水が来て、流れを変えた川の水が家の敷地を削り始めたので、慌てて家族や近所の住民の5人と犬3匹で裏山を駆け上ったんだそうです。5年前の九州北部豪雨、昭和28年の豪雨災害の時でも、道が流されるくらいでここまでの被害は初めてだったのこと。裏山が赤土で崩れにくいのを知っていたからこその判断で、これが結果として5人の命を守ったわけですが、いまあらためて災害時に重要なことについて伺いました。

◆「家や財産より身を守ることが大優先。自然の怖さを知らないといかんです」
もう財産とかなんとかじゃなくて身を守ることが大優先。命が無かったら何もないけん。亡くなった人でも、川に行って材木が引っかかったから外しに行ったとか、見に戻ったとか、そういう人です亡くなったのは。やっぱ怖さを知らんといかんです。そんだけ来るっちゃ思わずに行ったんでしょうけどね。やっぱ自然は怖いですよ。やっぱ自分の周辺はどこに逃げたらいいかは自分の身を守るために知っといた方がいいですね。なんかあった時はここに逃げようとかね。逃げ場所が無かったら早う避難しようとか。やっぱ「まさか」ちゅうことがしょっちゅう起こりそう。その「まさか」が。。


道もまだ仮復旧しただけで、大量の土砂が積もったまま、これから台風や秋雨の時期さらなる災害リスクと向き合う石詰地区。復興はまだまだ見通せない状況です。ガレージだけ残してすべてを流された小嶋さんですが、夏には蛍が飛び交うのどかな山里、石詰に何がなんでも家を再建する!と、きっぱり。

『LOVE & HOPE』、明日も朝倉市からのレポートを、お届けします。

2017年9月4日

9月4日 九州北部豪雨 朝倉市松末地区の住民4

先週に引き続き、7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市からのレポートです。

記録的豪雨で大きな被害を受けた地域の一つ、朝倉市。土砂崩れなどによって1000軒近い家屋が被災。いまも多くの住民が避難生活を余儀なくされています。その朝倉市の中でとくに被害の大きかった 杷木松末の石詰地区は18軒のうち10軒の家が流され、犠牲にあわれた方は5名。いまだ1名の安否がわかっていません。県道と集落をつなぐ道路の大部分が流され、車で入れない状態が長く続いた石詰地区。台風が来ると再び土砂崩れなどが起きる恐れがあるため、懸命の復旧作業が続いています。
復旧が進まず地区の衰退を懸念している、区長の小嶋喜治さんのお話です。

◆10年後も地域の皆さんと暮らしたい
松末石詰地区。16軒あったんですけどそこから上は10軒流されたので、ここら辺だけが数軒残ってるだけです。当日は下の方の地区におったんです。帰ってきたら途中で道が半分なくなっていたので、最初は5人下の家に集まって、6日朝に6名こちらの家に降りてきて、それから井上さん宅に13名、その3ヶ所で避難したんです。(本来避難所は?)避難所は松末小学校やけど避難所にならんけんね、状態が良いところに掛け合うしかないです。私のところは床下ぐらいなんで大丈夫です。電気が通ってないので住んではいない。やっと仮設の道が8月13日にできたのであとは発電機でどうにかするしかないですね。1か月以上経ってやっとここまで来られるようになったから、ボランティアさんとか来られるようになったけどね。それまでは全然入られんかった。荷物取りに川の道を上って、水の中を渡って帰ってたんです道がないけん。水の中を歩いて帰って来るような感じ。
今から河川と道路と上のほうに砂防ダムを作るいうけん、とにかく先に流木の撤去をしてしまわないといかんけん。心配なことはこれからどうしていくか、皆さんの残った土地をどうしていくか。家が流され下に住んで、整地したあとに農地また作るでしょ、そしたらわざわざ下から登ってきてまで作る人はおらんでしょ。今から10年で高齢者になってしまいますもん。農地はできたけど借金もできた状態となってしまいますよ高齢者は。若い人はもう登ってこんですよ。
(小嶋さんご自身はこの地区をどのように残していきたいですか?)そりゃ皆さんと一緒に暮らしたいというのは山々ですね。よそへ行ってもいいんですけど、やっぱり息苦しい感じはありますね。今娘のところに住んでますけど隣近所がいないでしょ、ここに住んでいれば、家を空けててもなんも問題ないですけんね。


この小嶋さんの家は幸い、床下浸水で電気が復旧すれば住むことができるそうですが、集落の18軒中10軒が流されている状況を考えると、“地区として存続”が難しいのでは…と先行きが見通せない状況。まずは復旧作業を早く進めるためにも、台風などで次の土砂災害が起きないことを願うばかりです。

『LOVE & HOPE』、明日は同じ石詰地区から、自宅が流されそれでも家族の命を救った住民の方の声をお届けします。

2017年9月1日

9月1日 九州北部豪雨 朝倉市松末地区の住民3

今日9月1日は「防災の日」。今朝も引き続き、7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市からのレポートです。

記録的豪雨で大きな被害を受けた地域の一つ、朝倉市。死者・行方不明者は30名を超え、山沿いから流れ出した土砂によって1000軒近い家屋が被災。市内5カ所で通行止めが続き、いまも多くの住民が避難生活を余儀なくされています。その朝倉市では、平成24年の九州北部豪雨を教訓に各地区で「自主防災マップ」をつくり、避難訓練をしたり、指定避難場所までたどり着けない場合の「自主避難場所」を決めていました。

赤谷川に沿う山あいの集落、杷木松末の本村地区で園芸店を営む、岩下さんのお話しです。

◆5年前に決めた「自主避難場所」に逃げた人は助かった
5年前もこういう豪雨災害でも被害なかったわけですよその時。そこはヒグチさんとナガイさんというお宅なんですけど、そこの高台はぜんぜん無傷だった。その時たまたま私、区長していたので、そのあとハザードマップを作ってから、危険場所、避難場所を作成して、豪雨災害、大雨の時は高台だから安全ということで皆さんを避難させてくださいと、その2軒の方にお願いをして快く引き受けていただいたわけです。(それは地域の25軒の皆さんは知っていたんでしょうか?)もう5年前からですから知っていたはずなんですけれども、指定避難場所まで逃げようとした人が亡くなったんですよね、だから途中の道ダメになって車ごと流されて亡くなられたんですよ。だから何人か止めとるんですよ車で行くなって。こっちの決めたところにって。だから止めた方ももう少し強く引き止めればよかったって悔いておられるんですよね。皆さんこんな風になるとは思ってもいなかったし。そこに避難してたのは15名くらいだったと思う。逃げなかった人は7人ぐらいで組んで、逃げ遅れた人を家も潰れかかったところから救出してるんですよ。2人。消防署に電話しても結局道路が分断されてるから来れんわけですよ。だから自分たちでどうかして下さいということで、それでみんなで救出に行ったわけですよ。


平成24年の九州北部豪雨の頃、本村地区の区長をされていた岩下さん。市の指定する避難場所は5キロほど山を下った場所にあって遠すぎるので、その時に安全だった高台の2軒の家を“地域の避難場所”と決めていました。今回の豪雨でもその2軒は無事で、そこへ避難した方の命は守られましたが、家に残った人の何人かは孤立し、車で避難しようとした人の中には濁流に呑まれてしまった方もいます。

河川の氾濫や土砂崩れで、壊滅的な被害を受けている本村地区。果物や花を育てていた岩下さんは家の泥出しをしながら、こう話していました。

◆農地が整地されるのは10年後
私たちの話では、田んぼとか畑が整地されるのは、10年後じゃないやろかって。それを期待してるけど個人の力じゃとても復興のできるような状態じゃないですけどね。だから農業してた人はこれから先のあてはないわけですよね。農地が10年後に復活しても、今60代後半のものは10年後ですよ70何歳ですよ。そしておまけに農機具なんかも流されると農機具は100万200万はしますからね。なかなかできることじゃないですよね。でもこんだけやられたらあんがい諦めがつくんじゃないですか(笑)。こんだけめちゃめちゃになれば、自分の土地はどこやったかいなって、どこからどこまでが分からんような状態ですよ。



頻繁に豪雨災害が起きている日本。決して他人事ではありません。地域の災害リスクを知るのはもちろん、自力で命を守るためにその時何をすべきか想定しておくことも必要なのかもしれません。

『LOVE & HOPE』、来週も朝倉市からのレポートをお伝えします。

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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2017 東日本大震災から5年 LOVE&HOPE 2016年3月11日(金) 特別企画放送

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