2015年4月14日

4 月14日 フィッシャーマンジャパン2

今週は、震災後に立ち上がった、宮城県の若き漁師たちの集団「フィッシャーマンジャパン」の中心メンバー、阿部勝太さんのインタビューです。



石巻市の漁師町・十三浜で、代々続く漁師の家に生まれ育った阿部さん。跡を継いだ当初は、「家族との約束だから跡を継いだけど、熱意は無かった」と言います。そんな阿部さんの意識を変えるきっかけは、あの震災と津波でした。

◆震災後にとことん考えた
(津波で船が流され、3週間は水もなく、3か月後に仮設にようやく入れたという状況の中で漁師でやっていこうという決断は・・・?) 決断は、親父たちが残って漁師やるというので、一人置いていけねえな、みたいな。ある時までは親の動きを見て、というのはちょっとあった。船が最初なかったので会社を作った。地元の漁師5世帯を集めて法人を作り、法人を作った中の2家族が船が生きていたので、その2隻を使って1年目はしのいだ。あとは震災前は言われたことをやっているだけで、自分の頭で何かを考え何かを起こすということはまずなかったが、震災後はとことん考えた。死ぬほど勉強したし、経営は100%自分に持ってきた。「浜人(はまんと)」という会社を作って、今まで漁協や地元市場にしか降ろしていなかったものを、全部自分たちで販売するようにした。俗にいう六次産業化。自分で作って自分で営業して売る。震災前もちょっとはそれを考えていた。やっぱりすごい手間をかけていた。十三浜自体がみんな手間をかけて良いワカメを取れるのだが、その中でも自分はトップクラスに手間をかけている自負があったが、どれだけこだわって手間をかけて最終製品が良くなっても、値段に反映されないということがざらにあった。なぜあっちのワカメとこっちのワカメが同じ値段なんだろうと。投球の幅が少なく、段階わけがもっと多くてもいいのではないかと。3段階の分け方を10にしなよと。1に中でも細かく分けたらいっぱいあるじゃんと。だから手間をかけるのがバカ臭くなった。ちょっと手を抜いても単価はとれるじゃんというところに不満があったが、今は自分で売っているので解消された。違いを分かってもらう値段でしか売らないし、そういう意味では手間暇かけて作ったものが正当な価格で評価されているというか、結構頑張った買いもあって順調で、やりたいことがまた出てきて去年の夏にフィッシャーマンジャパンという会社を作り活動している。(聞き手:高橋万里恵)

                  
宮城県 石巻市 十三浜の漁師・阿部勝太さんのお話でした。こうして、宮城県の若い漁師たちの集団「フィッシャーマンジャパン」が発足。メンバーはみな、ある共通の想いをもって、これまでとは違う形の漁業に取り組んでいます。これについては、明日のこの時間にお伝えします。

2015年4月13日

4 月13日 フィッシャーマンジャパン1


今週は、震災後に立ち上がった、宮城県の若き漁師たちの集団
「フィッシャーマンジャパン」についてお伝えします。

お話を伺ったのはフィッシャーマンジャパン 中心メンバーの一人、阿部勝太さん。現在29歳。若い漁師さんです。石巻市の漁師町・十三浜(じゅうさんはま)で生まれ育ち、跡を継ぎ、海を職場に働く阿部さん。まずご自身の漁師としてのいきさつを伺いました。

◆不満は無いが、熱意も無かった
南三陸町と石巻市の境目で、ちょうど岩手から流れる北上川の一番南、河口側が十三浜。その名の通り十三の浜がある地域。昔は十三の浜全部に漁師がいて漁業の盛んな地域だったが今は半分が漁業をしている地域です。(浜ごとに名前がある?)そうです。十三の浜それぞれ名前があり、自分は大指浜というところで、自宅が港から100mなので津波は真っ向からかぶったが、とにかく海とともに、という生活を小さい頃からしていた。(物心ついたときから漁師になりたいと?)自分はメイクがやりたくて、専門学校に進むか漁師を継ぐかどっちにしようか悩んだ末、じいさんが継いでほしいというので、継ぐことに。高3の進路選択の時点で親父と話し合って、ずっと漁師をやっているのは嫌だな、人生漁師しか知らないのも嫌だということで、5年間は自由にさせてもらうことに。色々なところを見たかったので。田舎者なので日本の中心都市は見たいなと、東京、愛知県まで行って、大阪へ行こうと考えたんですが、なぜか最後は仙台に帰ってきて5年経過。約束通り戻って来た。震災の2年前に継いだので漁師歴は長くない。じいさんと約束して継いだんですが、戻ってきた次の年にじいさんが亡くなった。十三浜は元々ワカメが地元では有名で、十五年くらい地元では最高評価を受けている。市場の入札でも三陸で三本の指に入る品質。養殖のワカメでは三陸が一番高い。三陸で一番ということは日本一高いワカメの浜。自慢する海産物、武器があるハマなので不満という不満は無かった。面白いとも思っていなかったし。正直漁師自体熱意を持っていたかというと、震災前まではそうでもなかった。 (聞き手:高橋万里恵)


こうして漁師になった直後、阿部さんもあの震災と津波を経験。ご家族は幸い無事だったのですが、それをきっかけに意識が変わったと言います。
そして「フィッシャーマンジャパン」へとつながるのですが、この続きは明日お届けします。
«前の記事へ || 1 | 2 | 3 |...| 610 | 611 | 612 |...| 1066 | 1067 | 1068 || 次の記事へ»

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN