2015年3月4日

3月4日 震災からまる4年・福興浜団のいま(3)

引き続き、福島県南相馬市から、福興浜団の上野敬幸さんのインタビューです。

震災当時、上野さんの長女、永吏可ちゃんは小学校2年生。長男の倖太郎君は、幼稚園入園を控えていました。2人を津波で失った上野さんご夫妻は、その直後に生まれた次女・倖吏生(さりい)ちゃんとともに暮らしています。倖吏生ちゃんはこの春、幼稚園に通うことになります。

震災からまる4年。この4年という時間の経過を上野さんは、何を感じながら過ごして来たのでしょうか。

◆止まってしまった時間
倖吏生の存在は僕ら夫婦にとってすごく大きいし今の支えになっているのは事実。倖太郎と永吏可と同じですごく大事。でも倖吏生の成長とともに、倖太郎と永吏可の短さを同時に感じるので、いまも倖吏生が3歳になってしまって、4月から幼稚園に行くんです。倖太郎は当時3歳で、幼稚園に入園する前に津波が来てしまって。倖吏生はお兄ちゃんを今から超える人生を歩んでいくんですよ。8歳、3歳という年齢を倖吏生はどんどん超えて行ってほしいけど、お兄ちゃんに追いついて追い越しちゃうことを考えると、倖太郎の(人生の)短さを感じるし、こんなに短かったんだ、こんなにあっという間に倖太郎はいってしまったんだと感じる。これがお姉ちゃんの年齢8歳になるといろいろ考えると思う。倖吏生が成長するのは当然親として嬉しい。どんどん変わっていって色んなことができるようになるのは嬉しい。それと同時に寂しさを同じように感じるのかなと思うんですね。
(黒いランドセルがお家にありますね)
あれは倖太郎のランドセル。去年の4月で1年生になっているので。こういう風になってしまったんですけど、少なくとも僕ら家族の中では、倖太郎と永吏可の成長を考えて全部なんでもやっている。誕生日もクリスマスプレゼントも。当時は3歳と8歳のプレゼントを考えていたが、倖太郎も6月で8歳。年齢も考えながらプレゼントも選ぶようにしている。でも少しずつ僕らのプレゼント選びも難しくなっている。永吏可は小学校6年生なので、6年生の女の子はどういうものが好きなのかなと。そういう子どもたちが周りにいないのですごく難しくなっているのも事実。そういうところでも成長していっているんだと思うようにしてプレゼントも買っている。正直、使うこともないものなんだけれども、そこでやっぱりどんどん大きくなっているだろうなと。今年も3月になるが、永吏可は小学校卒業なので、来年度は中学校。また入学式は家族だけでやろうと思っています。
(奥様は?)泣いてるよ、常に。そういうときは。思うところが当然あるわけだからね。だけど僕がやりたいようにやらせてもらっています。


上野さんのお父さん、長男の倖太郎くんを含む東日本大震災の行方不明者は、ことし2月現在で2590名です。


★福興浜団Facebook
        

2015年3月3日

3月3日 震災からまる4年・福興浜団のいま(2)

昨日に引き続き、福島県南相馬市から、福興浜団の上野敬幸さんのインタビューです。

上野さんは、ご両親と、長女の永吏可ちゃん、長男の倖太郎君を津波で失い、倖太郎くんと父親は現在も行方不明のままとなっています。

震災からまる4年。上野さんと、「福興浜団」は、あの日からずっと、行方不明者を探す活動を続けています。



南相馬市萱浜の、海にほど近いご自宅は津波で全壊となったのですが、上野さんはそのすぐ隣に自宅を再建。震災前と同じ場所で生活を続けています。

◆抱きしめて、謝りたい
おふくろと永吏可が見つかって、永吏可のことはすごく抱きしめる機会があって、倖太郎も早く戻ってきて抱きしめたいという気持ちがあった。元々この場所に残ろうと思ったのも、倖太郎の存在が強い。抱きしめて謝りたいという気持ちが強くて。親の一番の仕事は子どもを守ることで、それが僕はできなかった最低の親だと思っている。だから子どもたちに何もしてやれなかったからあやまならきゃいけない。永吏可は抱きしめて謝ることができたが、早く倖太郎も抱きしめて謝りたいというのがあった。
もし当時、倖太郎を抱きしめて謝ることができたとしたら、僕はここにいないと思う。たぶん自分で自殺していたと思う。当時 嫁さんがいて、その嫁さんのお腹に倖吏生(さりい)がいる状況だったが、僕は永吏可と倖太郎が全てだったので、見つけることがもしできていたら僕は死んでいたと思う。今でも、倖太郎に僕は生かされていると思う。倖太郎が僕の命を助けてくれたのだと思う。僕を救うために倖太郎は出てこなかったんだろうなと思う。いまは自分で命を絶つということをする気もない、精いっぱい生きなきゃいけないと思っているが、早く見つけて抱きしめたいという気持ちは変わらない。もう僕は大丈夫だから出てきてほしいと思っている。


すでにお伝えしていますが、上野さんの奥さんは震災当時、お腹に赤ちゃんがいました。震災後、無事に生まれた女の子の名前は、倖吏生ちゃん。この名前は、倖太郎くんと永吏可ちゃんから一字ずつもらったものです。まもなく幼稚園入園を迎える倖吏生ちゃんは、上野さんご夫妻の大きな支えになっています。

ただ一方、上野さんは、気持ちの整理がついたわけではないと話します。

◆気がつくと2人を探してしまう
気持ちの整理という部分では、倖太郎と永吏可に関してはやはり難しい部分があって、今でもやはり怖くてしょうがない部分がすごくあるんですよ。子どもたちと行ったところが僕はすごく怖いんですよ。
探してしまうので。気づくと永吏可と倖太郎を探してしまっているので、そういうのがすごく怖くて、もしかしたらその陰から永吏可と倖太郎が出てくるんじゃないか、パパって呼んでくれるんじゃないかとすごく感じる。今でも永吏可と倖太郎と遊びに行ったところだとかは、すごく怖くて行きにくいのは現実。それでも倖吏生がいるから同じところにいくじゃないですか。だから少しずつ自分の中でも慣らしていくって言ったらおかしいけど、そういうのも少しずつ超えていかなきゃいけないものがあるなと思っています。



「福興浜団」の活動について、詳しくはフェイスブックページでご確認ください。オリジナルパーカーやタオルを購入することで、活動を支援することもできます。
★福興浜団Facebook

明日も、福興浜団 上野さんのインタビューをお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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