2015年2月4日

2月4日 東松島食べる通信3

今朝も、宮城県 東松島市から、「東松島 食べる通信」編集長、 太田将司さんのインタビューお届けします。



食べ物に真摯に向き合う生産者を特集した記事と、 その生産物をセットで届ける、史上初の食べる情報誌「食べる通信」。 「東北」食べる通信から始まったこのアイデアは今、全国へ広がりを見せています。

その一つが、去年 8 月に創刊した「東松島食べる通信」です。 編集長の太田さんは、地元の海苔漁師をはじめとした 東松島の生産者を PRする仕事をする中、「食べる通信」の存在を知ったと話します。

◆プラス1の人間にできること
すでに「東北食べる通信」「四国食べる通信」があって、僕もその東北食べる通信2 月号を見て、海苔漁師の相澤太が特集されたのを手伝ったのがきっかけ。ふーちゃんの号が発刊された時に、自身がパワーアップすると思ったんですよ。生産者が消費者と直接交流できるし、生産者としてもっとスキルがあがる、パワーアップすると思った。ならばそのために力になろうと手伝ってワクワクした。交流イベントを東京でやった時も良かったなと思っていた。ただその時は自分で食べる通信をやるとは思っていなかった。でもしばらくして、うちのアンテナショップで2 月号をスタッフに読ませた。するとスタッフが「感動した」「もっとふーちゃん(相澤さん)の海苔を売りたくなった」と僕に言ってくれた。これはすごいことだと思った。僕らはアンテナショップのスタッフなので生産者とよく酒を飲むこともあって、人となりや人柄も知っているが、生産する時の想いを話してもらう場は無かったなと思った。地元でも知らないことがいっぱいある。「もっと売りたくなった」とスタッフが感じたということは、人に自慢したくなったということ。それはすごく良いことで、僕のように外から来た「プラス1」の人間がいる存在意義を持つには、この町を笑顔にしたり元気にしないと意味がない。おこがましいが、新しい価値観を見せつけてあげないとダメだと思い、その時に食べる通信を「これいいな」と思った。「食発見は、町おこし」というのが東松島食べる通信のコンセプト。町おこしになると思った。相澤太がどういう想いで海苔を作っているか、がどういう想いで牡蠣を作っているのか。 これをみんなが知ったら凄いことになるんじゃないかなと。僕が100 人に売るのではなく、20 人が10 人ずつ紹介するだけで、僕の倍は軽々超えるなと。だから僕は地元の人に読んでほしくてこの食べる通信を作った。


東松島の海苔漁師・相澤太さんは、以前番組でも紹介しています。 人呼んで、「海苔の顔が見える職人漁師」!通称ふーちゃん。 ふーちゃんがきっかけで、「東北食べる通信」に出会った太田さん。 震災後インテリアの仕事を辞め、千葉から東松島に移住、町のために何ができるか模索してきた太田さんは、「東松島 食べる通信」の編集長という肩書を持つことになったんです。

◆東松島っぽいもの
僕はインテリア 界で、ヨーロッパの家具をやっていて、「シュゲ」という言葉がデンマーク に
ある。ほかの言 に置き えにくいが、“その 地その 地のなんとなくいい雰囲気 のこと。
「それってシュゲっぽい 」という。ほんわか、とも う。いつか“東松島っぽい 、ニヤニヤしち
ゃう、あったかみがある、でもしっかりした意思を持っている、、、というのような意味合いで、 “東松島っぽい と言ってもらえる 誌になればいいと思う。地元の人同士が知り合い、地元の人たちがニコニコにやにや しそうにしている様子が、東京や市 から「たのしそう」と思えるなら、 ぜひ一緒に、見て学んで食べて、 感してほしい。全国にいる東松島の出身者、 係者に少しでも地元を届けられたらいいなと思っている。


こうして創刊した東松島食べる通信。8 月の創刊号では、 東松島の定置網漁師を特集。その収穫物である「真鰯」がセットに。 11 月号はブランド米「かぐや 」新米 2 キロが付録でした。

ちなみにこの「食べる通信」は現在、全国で賛同者が名乗りを上げ、 それぞれの“ご当地食べる通信 が誕生しています。 例えば「四国食べる通信」「 奈川食べる通信」など。
さらに今年は6つの地域から、新たな食べる通信が創刊予定となっています。

★東松島食べる通信

明日も東松島食べる通信 太田編集長のインタビューをお届けします。

2015年2月3日

2月3日 東松島食べる通信2

今朝も、宮城県 東松島市から、「東松島 食べる通信」編集長、太田将司さんのインタビューお届けします。



千葉県出身の太田さんは、震災の年の夏、東松島のお祭を手伝ったことがきっかけで、町のために何かがしたいと、1年間 移り住むことを決意。それまでの仕事も辞めて、2011年・秋には 東松島での生活を始めました。

とはいえ、当時の東松島に仕事といえる仕事はありません。太田さんは、町の人たちと話をする中で、それを模索したそうです。そして、先日番組でも紹介した、東松島の若き海苔漁師・相澤太さんと出会ったと言います。

◆モノではなく、コトを返す仕組み
(東松島に)住み始めたが何も無いし、仕事も誰も募集していなかった。でも、たまたまお祭りで知り合った方が何人かいたので、とにかく暮らし始めて「なにかすることにしました」と地元の方に言っていたら、商工会の元会長でお祭りを仕切っていた人から話があった。この方はちゃんこ屋さんを経営していて、「メニューの海苔うどんをPRするのに意見が欲しい」と。

そもそもなぜ海苔? と思ったら、「実はこの町はものすごい海苔の産地で皇室のも献上している」と言う。えっ、と思ってじゃあ海苔はどうなっているのかと、訪ねたのが海苔漁師の相澤太くん。そこで海苔の話を聞いているうちに気になってしまった。12月で寒かったが船に乗りたくなったのでお願いして、出会って次の日には船に乗せてもらった。毎日 船に乗っても景色が違って飽きなかったんですよ。すごく霧が出て前が見えない日もあれば、天気がよくて朝日がキレイな日もあって。漁師さんも20人近くいるので色んな船で色んな話をしてもらったんですが、その中で色々と相談が出て来た。「大曲浜のHPを作るのに力を貸して」とか、「母ちゃんたちが海苔販売を再開するからちょっと相談のって」とか。

そうやって繋がる中で僕もここの浜の力になりたいと思い作ったのが「大曲浜サポーターズクラブ」。浜に人が集まるような仕組み。船に乗って楽しかった体験を元に考えたアイデアです。サポーター(会員)という無条件の愛ある人たちを集めて、漁師さんたちに船にいっしょに乗せてもらう。漁に出たり海苔作りを見たり交流できる。“モノじゃなくコト”で返してあげる。それを一口1万円という形で永久会員にする。いまお金払っても、実際には10年後にならないと来られない人もいるかも知れない。でも、いつかくる日のために僕らがやり続けるのが大事かなと思って、立ち上げたらありがたいことに、ぽろぽろと人が集まり始めた。これで集まったお金を集めて、なにもない岸壁で昼休憩はクルマの中で飯を食っていたのを、そこにプレハブを造り監視カメラもつけた。監視カメラがあれば、震災で自宅が海からは慣れてしまった漁師も、海がしけた時も確認できるようにした。心配な時も携帯でチェックできる。とはいえ漁師は心配だから海に見に行きますけど(笑)のべ何十人も遊びに来てくれた。そういうのが最初の仕事らしい仕事だった。

大曲浜は震災前、1000人規模の集落がありました。津波でそこから人がいなくなり、もう住むことができないことを知った太田さん。「浜に人がくる仕組みを作りたい」と、考えたんだそうです。  そして生まれたのが、1口1万円でサポーターになると大曲浜の漁師の仕事を体験、見学できる「大曲浜サポーターズクラブ」。元々、まだ生産物をお返しできない状況だった漁師の方々は、この「モノではなく体験を返す」アイデアを、大いに歓迎したと言います。


大曲浜サポーターズクラブの活動は、現在も続いています。
★大曲浜サポーターズクラブ

★東松島食べる通信
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パーソナリティ 鈴村健一

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