2015年2月2日
2月2日 東松島食べる通信1
今週、焦点を当てるのは「東松島 食べる通信」 です。
これまで番組では何度か、『東北 食べる通信』という情報誌を紹介しています。東北食べる通信は、東北の農業・漁業の “生産者”を取材した記事とともにその「生産物」が、付録でついてくる・・・史上初の“食べる情報誌”。農家・漁師さんと、都会で生活する人を「食べ物で繋ぐ」新たなアイデアとして、去年グッドデザイン賞も受賞。全国から注目を集め、各地域で、新しい『食べる通信」も生まれ始めているんです。
その一つが、宮城県・東松島市の、『東松島食べる通信』。去年8月に創刊したばかりです。編集長は、太田将司さん。東松島のアンテナショップでスタッフをしながら編集長も務めています。そんな太田さん、実は東松島・出身ではないんです。
◆気がついたら住んでいた
いまは東松島市内に家を借りて一人で住んでいる。気づいたら住んでいた。生まれも育ちも千葉で、ずっとインテリア業界にいた。阪神淡路大震災から20年が経過したが当時は20代で、「すごい」で終わってしまった.海外で飛行機がビルに突っ込んだ時も「うわっ」という感覚。各地の災害がその後もあったが自分ごととして捉えられなかった。だから募金もしていなかった。でも東日本大震災では、電車が走らない・電気が使えないという状況を受けて、初めて自分もなにか出来ないかと思った。その後2011年8月に東松島でお祭りをやると知り、知り合いも手伝っていて人を募集しているのを聴いて、手伝いに行った。そこで東松島、矢本という地名を初めて知った。その日は一日お祭りでみんな笑顔で元気がよくて、僕も充実感を感じた。語弊はあるが気持ちよく過ごせた。クルマで東松島から千葉まで帰る道中、海沿いで壊れた家がそのままカーテンがゆれている景色を見た。率直に怖くなった。震災から5ヶ月が経過しているのにその光景はショックで。でも前日の自分の高揚感、テレビでやらないようなひどい光景を見たがっていた自分にも気づいてしまった。イライラして自己嫌悪のまま千葉に帰った。そして東京で仕事をしている中、イライラや悔しさが消えず、これを消すにはどうしたらいいか。ボランティアは一人で出来ないのは分かっていたので、とにかく一年住むことにした。住むっていってもその壊れた家を見た東松島しか知らないので、1ヶ月後には東松島へ向かった。その1年は無駄にならないと思っていた。元々の仕事には戻れないという覚悟があったので辞めた。すべての段取りを終えて11月8日から東松島に住み始めた。とはいえ何も仕事は無いんですよね(笑)
東松島食べる通信は、8月に創刊。これまで、8月に「夏号」、11月の「秋号」が発刊されています。詳しくは、また追ってお伝えしますが、夏号は、東松島の漁師が獲った「真鰯」秋号は、ブランド米「かぐや姫」新米2キロが付録でした。
明日も、東松島食べる通信 太田編集長のお話です。
東松島食べる通信
これまで番組では何度か、『東北 食べる通信』という情報誌を紹介しています。東北食べる通信は、東北の農業・漁業の “生産者”を取材した記事とともにその「生産物」が、付録でついてくる・・・史上初の“食べる情報誌”。農家・漁師さんと、都会で生活する人を「食べ物で繋ぐ」新たなアイデアとして、去年グッドデザイン賞も受賞。全国から注目を集め、各地域で、新しい『食べる通信」も生まれ始めているんです。
その一つが、宮城県・東松島市の、『東松島食べる通信』。去年8月に創刊したばかりです。編集長は、太田将司さん。東松島のアンテナショップでスタッフをしながら編集長も務めています。そんな太田さん、実は東松島・出身ではないんです。
◆気がついたら住んでいた
いまは東松島市内に家を借りて一人で住んでいる。気づいたら住んでいた。生まれも育ちも千葉で、ずっとインテリア業界にいた。阪神淡路大震災から20年が経過したが当時は20代で、「すごい」で終わってしまった.海外で飛行機がビルに突っ込んだ時も「うわっ」という感覚。各地の災害がその後もあったが自分ごととして捉えられなかった。だから募金もしていなかった。でも東日本大震災では、電車が走らない・電気が使えないという状況を受けて、初めて自分もなにか出来ないかと思った。その後2011年8月に東松島でお祭りをやると知り、知り合いも手伝っていて人を募集しているのを聴いて、手伝いに行った。そこで東松島、矢本という地名を初めて知った。その日は一日お祭りでみんな笑顔で元気がよくて、僕も充実感を感じた。語弊はあるが気持ちよく過ごせた。クルマで東松島から千葉まで帰る道中、海沿いで壊れた家がそのままカーテンがゆれている景色を見た。率直に怖くなった。震災から5ヶ月が経過しているのにその光景はショックで。でも前日の自分の高揚感、テレビでやらないようなひどい光景を見たがっていた自分にも気づいてしまった。イライラして自己嫌悪のまま千葉に帰った。そして東京で仕事をしている中、イライラや悔しさが消えず、これを消すにはどうしたらいいか。ボランティアは一人で出来ないのは分かっていたので、とにかく一年住むことにした。住むっていってもその壊れた家を見た東松島しか知らないので、1ヶ月後には東松島へ向かった。その1年は無駄にならないと思っていた。元々の仕事には戻れないという覚悟があったので辞めた。すべての段取りを終えて11月8日から東松島に住み始めた。とはいえ何も仕事は無いんですよね(笑)
東松島食べる通信は、8月に創刊。これまで、8月に「夏号」、11月の「秋号」が発刊されています。詳しくは、また追ってお伝えしますが、夏号は、東松島の漁師が獲った「真鰯」秋号は、ブランド米「かぐや姫」新米2キロが付録でした。
明日も、東松島食べる通信 太田編集長のお話です。
東松島食べる通信