2014年11月17日

11月17日 映画『フタバから遠く離れて 第二部』(1)

今週は、映画『フタバから遠く離れて 第二部』の舩橋敦監督のインタビューです。

原発事故の影響で、全町民避難が続く、福島県双葉町。 その住民の避難生活の様子を綴ったのが、映画「フタバから遠く離れて」です。舩橋監督は震災直後から、双葉町の町民の避難生活を取材。今回は映画の「第二部」を完成し、先日公開が始まりました。
【第二部】では、避難生活とともに、町長と町議会の対立、町長の辞任と選挙、そして旧騎西高校の避難所の閉鎖なども描かれていきます。

◆町に帰れないという烙印
「フタバから遠く離れて」という映画は、最初福島県双葉町の皆さんは原発事故があった後に、埼玉県にある旧騎西高校に移ってこられたが、その最初の9か月間を描いたのが第一部。その直後10か月目から今年の8月末まで、2年半ぐらいを追い続けたのが第二部。
最初、旧騎西高校という廃校になっていた高校の教室に、プライバシーもないまま間仕切りだけで、布団を敷いて、10人〜20人くらいで寝ていて、3食お弁当の生活が続いていて、いつ帰れるかの目処もなにも見えない中で、やはり人間には限度があって、若い人達は独立して、働かなきゃいけないし、子供を育てなければいけないから出ていくし、高齢の生活弱者の方が騎西高校に居続ける形となった。
その中で戻れないなら戻れないとはっきりいって欲しい、と言う方がどんどん増えてきた。かつ今、中間貯槽施設を双葉町に作ろうという計画がある中で、双葉になんか帰れない。帰れないのはわかってる、それなら次の人生を模索しようと、いう方が出てきている。
一つ比べていただきたいのは、公共事業で高速道路ができる、ダムができるということで、人々が立ち退かなきゃいけないというのがあったとして、村ごと引っ越すとなるときの保障に比べて、いまの原発避難の補償金は約40%ぐらいだと言われている。半分以下。なぜそんなに少ないのか。それは、国は「帰れる」という前提があるから。でもいつ帰れるんですか、というと「わからない」と。中間貯蔵施設をつくるというのは「帰れない」という烙印を押すようなもの。そんなところに帰ろうと思いますかというと、若い人は帰ろうとは思わない。
つまりダブルスタンダード。町に帰れないという烙印を押しておきながら、いつかは帰れるかもしれないという前提で賠償を続ける。全く逆の状態が起きていて、先行きが見えなくて人生設計ができないまま、ずっとほったらかしにされるという、そのこと自体が非常につらいことだと思う。



映画は現在、東京・東中野の「ポレポレ東中野」で公開中。
今後、京都大学の小出裕章教授や、ジャーナリスト田原総一郎さんとのトークイベントも予定されています。詳しくは「ポレポレ東中野」のオフィシャルサイトで確認してください。

『フタバから遠く離れて 第二部』 公式サイト

2014年11月13日

11月13日 南三陸町出身 田畑祐梨さん4


宮城県南三陸町出身、田畑祐梨さん。
中学の終わりに東日本大震災を経験し、 高校時代は、自ら立ち上げた語り部団体「まずもって」で活動。 現在は、静岡県内の大学で国際関係を学びながら、「Action is a Message Project」と通じて、東北の情報を世界に発信しています。

そんなユウリさん、「将来の夢」について話してくれました。

◆子どもたちの集まるツリーハウスを作りたい!
将来の夢はもう全部決まっていて。東北に「ツリーハウス」をつくって、そこを拠点に地方の子どもたちと都市部の子どもたちと外国の人達が交流する機会をつくりたい。地方の子どもたちに国際交流の機会を提供しようと思っていて、英会話を習うのではなく、サッカーとかスポーツを通してお互いに、きっと最初は日本人同士、外国人同士で固まると思うけど、それをチーム編成で変えて、しゃべらなきゃいけない状況をつくって、頭をひねらせる機会を提供したい。
そういう機会を提供したら子どもたちはきっといっぱい考えると思う。どうしたらもっと伝わるのか、きっと頭をひねって、ジェスチャーを使ったり絵を描いたりすると思う。人生において、そういう柔軟な発想って大切じゃないですか。相手の立場に立って考えることも大切な感情だし、そういった思いを育むことも大事なことだと思っているので。そういった刺激を受けたら、もっと英語が喋れれば、もっと英語の勉強を頑張らきゃと思うかもしれないし、もしかしたら視野が広がって外国に住みたいとか、外国の人と友達になりたいと思うかもしれない。そういったきっかけを地方の子どもたちに提供したい。
ほかの都市部の子供達には、東北の産業を経験してほしい。日本は残飯が多いし、「ありがとう」以前に「いただきます」という言葉を全然聞かなくなった。「いただきます」は食べ物をつくってくれた人へのお礼の言葉でもあるし、やいまからいただく命へ話しでもある。そういうのってほんとに大事なこと。わたしは小さいときから、わかめの種付けとかサケの稚魚の放流とかを見てきた。命の営みを見てきたから、食べ物は残しちゃいけないとか、これはすごく手間ひまがかかっているとかがわかる。でも都市部の子どもたちはそういう機会がないのかなと。
もっと東北の産業と提携して、子どもたちに経験してもらって、自分たちの食べ物は「ぽん!」と生まれるわけじゃない、ということを知ってほしいなと思って。そこで提携してくださった方々にお金を回すことで、地域も活性化するから、そういう機会を提供するのがわたしの夢。


プロジェクトの名前も、すでに決まっています。

◆「チャンスハウス」
「チャンスハウス」です。子どもたちが自分の夢を追い続けられる社会をつくること。それがわたしのほんとに大きな目標。大人が「無理無理」「絶対できない」「将来お金にこまる」とか言うんではなく、「いやできるじゃん」「あなたならディスニープリンセスになれる」とか、夢を後押ししてあげられる社会、背中を押してあげる社会。無理とかじゃなくて「行ける」という言葉を自然に発することができる社会をつくりたい。


語り部ボランティアのご相談は、「Action is a Message Project」のオフィシャルサイトまでご連絡を。
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パーソナリティ 鈴村健一

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