2014年11月13日

11月12日 南三陸町出身 田畑祐梨さん3

中学の終わりに、東日本大震災を経験した宮城県南三陸町出身、田畑祐梨さん。
地元の高校に通っていた昨年春に、語り部団体「まずもって」を設立し、いまも語り部として活動しています。
また、今年4月には、静岡県内の大学に進学。新たな組織「Action is a Message Project」を立ち上げました。

◆会いに来てほしい!
静岡に行くのが決まったときに、いや待てよと。南三陸を出るということはわたしは東北を離れるわけで、わたしは何ができるんだろう?と。何もしないということに嫌悪感を抱いて。何ができるんだろう?と考えたときに、語り部をして「またわたしに会いに来てください」と言って、たくさんの人がわたしに会いに来てくれたり、何度も同じ話を聞きに来てくれたりした人が何人もいて、じゃあわたしと同じように頑張っている後輩たちに会いにきてもらおう!と思って立ち上げたのが、「Aciton is a Messsage Project」。
会いに来るってすごく自然なこと。食べ物に出会いにとか、人に出会いにとか。(日常生活でも)皆がしていること。そこに定義づけると、例えばボランティアに行くということになると、すごく重いことになってしまうので、もっと簡単に「人に会いに行」ということで東北に来てほしいなと。
AIMPでは東北の学生団体を取材して英語に翻訳して、海外に発信する活動をしている。わたしが英語で語り部をしたときに、ワシントンDCから来たアメリカ人の子がいて、その子は「いま東北でどんな活動をしているのか知りたい」と。その子達にもわかるように英語のサイトを作って、そしたら東北に行く外国の修学旅行生が、もしかしたらわたしたちが取材した記事を見て東北にいくかもしれない。東北に外国の方が来られるというのはほんとに珍しいことだったので、そういう生の国際交流があるのはすごくいいことだし。そういうことも一つのきっかけにしてほしいと思って。


「Action is a Message Project」。
メンバーはユウリさんと同じ、故郷を離れて暮らす被災3県出身の大学生たちです。「地元を元気にしたい」という想いが活動の原動力。東北で展開されるさまざまな活動を取材し、サイトで発信しています。

また、ユウリさんは現在、大学で国際関係を勉強中。
頭の中にはすでに、次の「夢」の設計図があります。

◆南三陸を国際交流の場に
大学なんて考えてもいなかった。アメリカに行って自分の英語力の低さにショックを受けて、ずっと塾で英語を習っていたのにセカンドとミニッツを間違えたり。日本に帰ってきてからも、なんで自分は英語ができなかったんだろう?と考えて。そしたら実際に使ったことがない!ということに気が付いて。
生の国際交流をする機会もなかったし。それはすごく問題だと思って。地方によって「学習の格差」や「不平等」があるのは問題だと。もっと身近で実践したいのに、外国の人が南三陸に来ない!とか。その解決のために、いま大学で国際関係や英語、フランスを学んでいて、異文化理解を勉強している自分の国のことをわからないと異文化なんてわからないので、日本のことと異文化を学んでいて。地方の子どもたちにも、昔のわたしみたいに「マジ南三陸だめだ、でたい」とか思うんじゃなくて、南三陸にも独自の文化があって、すごくいいところなんだということを知ってもらうきっかけにもなるし、英語を学んだり自分の夢が変わるきっかけにもなるかもしれないし、そういう機会をつくりたい。

故郷南三陸については、イオンがなくても全然いいところだと実感したし、南三陸が日本で一番素敵なところだと思っていて、わたしが好きな街をほかの人にも好きになってもらいたいと思うようになった。


宮城県南三陸町出身の大学生、田畑祐梨さん。現在は南三陸の高校生語り部団体「まずもって」を後輩たちに託して、「Action is a Message Project」で活動しています。語り部も要望に応じて引き続き継続中。若い世代への語り部、英語による外国人への語り部などを行っています。

2014年11月11日

11月11日 南三陸町出身 田畑祐梨さん2


今週は、宮城県南三陸町出身、田畑祐梨さんのインタビューです。
中学校の卒業式の前日に、東日本大震災を経験したユウリさん。地元の高校に通っていた2013年春に、語り部団体「まずもって」を設立、大学生になったいまも、語り部として活動を続けています。

◆大人には任せてられない
わたしが「まずもって」という団体を立ち上げたのは、それまでは大人に任せておけば復興が進むと思っていて、大人に任せておけば神戸のような素敵な街が広がるのではないか、あんなおしゃれな街が広がって、カフェずらずら並んでみたいに思っていたんだけど。
わたしが高校2年生の冬に、あるきっかけがあって南三陸町のことを見直してみようと思って。南三陸町のことを見直したときに、全然復興が進んでいなくて。ガレキだけが撤去されて、更地が広がっているのを見て、「なにやってきたんだ大人は」とすごく疑問に思って。ダメじゃん、と。すごく腹が立って。もともと南三陸が嫌いだったのが、もっと嫌いになって。田舎だし、隣の石巻、登米、気仙沼にはイオンがあるのに、南三陸にはないし、もうほんとに田舎だなあと。イオンは結構田舎の子たちにはすごくおっきいもので、東京の109みたいなもので。いつできるのかみたいに思っていたんだけど。すごく嫌で、大人はなにもしてくれないし、口だけだし、なんなの!と思っていたんだけど、発想の転換で、「じゃあ、自分はなにかしたの?」と思って。自分はなにもしていなくて、ただ大人に責任を押し付けてなにもしていないことに気づいて。このままだと、他の大人と一緒になってしまう、すごく嫌だと思って、自分でできることを探し始めた。
最初に思いついたのが、子どもたちに勉強を教えようかと思ったんだけど、自分はまず九九ができないのに、子どもたちに勉強を教えるなんてできないなあと。いまでもまだ九九が怪しいし、それは無理だと思って。最近まで1メートルは60センチだと思ってたし。。一番最初になくなった案で。
自分の好きなことじゃないと続かないということを知っていたので、勉強はまずなくなって、自分の好きなことってなんだろうと考えたときに、「おしゃべりだ!」と思って。誰よりも口が達者だし、すぐに語り部を思いついて、語り部の団体を立ち上げて、メンバーを集めて、「まずもってかだっから聞いてけさいん」「とりあえずお話をするので聞いてください」という団体を作った。


「まずもって」の主要メンバーは5名ほど。南三陸の街を歩きながら、震災のときの様子や南三陸の街について話をします。対象人数が多い場合は、会議室やホールなどで語りを行うこともあるそうです。また希望があれば、全国各地にも出張します。受け取るのは交通費などの必要経費だけ。語りに関しては全員ボランティアです。

◆同世代に届けたい想い・・
修学旅行生とか来てるし、しかもこれからの日本を担っている存在の若い世代が防災意識が低いことはすごく問題だと思って、同じ世代として伝えられることがあるんじゃないかと思って。それで、外国の方に向けた英語の語り部と、若い世代への語り部をしたいと決めた瞬間に、知り合いの大学生に企画書を作ってもらった。
その企画書を持って南三陸の観光協会さんに行って。でも観光協会さんは大人だから、反抗心むき出して行ったんだけど、企画書を出したら「すごいね!応援するよ」と言ってくれて。「おかしいぞ、大人って頼りにならないと思ってたのに」と。でもそれがすごく大きな変化で。すごく親身にしてくれて、相談に乗ってくれて、大好きになって。いまでは観光協会さんのHPを毎日見ているくらい。毎日のように恋しく想っている。

                 
語り部団体「まずもって」を立ち上げて、1年半ほどですが、これまで、1万人を超える人に語りを行ってきたそうです。またユウリさんは今年3月高校を卒業して、4月から大学生に。現在は、「Action is a Message Project」 という団体の代表として、語り部を続けています。

「まずもって」についてのお問い合わせ、語り部ボランティアのご相談は、「Action is a Message Project」のオフィシャルサイトまでご連絡を。

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パーソナリティ 鈴村健一

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