2014年9月29日

9月29日 震災後の海の中の話。水中写真家、鍵井靖章さん(1)

今日は、水中写真家、鍵井靖章さんのインタビューお届けします。
鍵井さんは、国内外の海に潜り、その風景や生き物を写真に収めてきました。キャリア20年のベテランです。そんな鍵井さんが撮影を続けてきたのが、東日本大震災で被災した、東北の海。震災直後、誰よりも早く三陸の海に潜り、その後も、2〜3か月に一度は現地に赴いて、水中撮影を行ってきました。

◆いのちの気配を感じない光景
岩手県の宮古市、大船渡市で、震災から3週間後の海に潜った。最初は週刊誌の依頼だった。正直最初はすごく悩んだが、あの時日本にいて、なにか自分に一つの役割、助けになるんだったら、なにかをしようという気になっていた。僕は水中写真家で、ずっと海の中を見続けてきて、やっぱりあの状態で、震災を経験した海の中がどうなっているかを記録するのが一つの役割ではないかと思って、行った。例えば僕以外のカメラマンの方が被災地の海に潜って、海の中に引きずり込まれた人間生活の傷跡ばかりを発表されるのが、とても嫌だった。僕が誰よりも早く震災の海に潜るのは、そういう傷跡だけを紹介するのではなく、そこにまだしっかり生き延びている魚たちの命をしっかり撮影しようと思った。生き物たちは生き延びていると紹介したかった。が、僕が潜った(震災直後の)宮古や大船渡の海中には、まったく魚の見つけることができなかった。ある意味とても生々しい、人が使っていたと思われる食器や車など。命の気配を感じない光景が広がっていた。


きっかけは、週刊誌からの撮影依頼でしたが、その後、鍵井さんは、自らの意志で継続して三陸の海に潜るようになります。もともと三陸の海は、密漁を防ぐため、一部の海域を除いて、ダイバーに開放されていません。そこで鍵井さんは、地元の有志の理解を得て、漁協や水産科学館から潜水禁止区域での撮影の全面協力を受けて、撮影を続けています。

◆1年後、力強い海に変わっていた
震災直後の海底を覗いたときに、ワカメや昆布などの海藻をほとんど見ることがなかった。そのことを漁師さんに伝えるととても心配していた。というのも、漁師さんがとても大切にしているウニやアワという海産物は、昆布やワカメをたべて成長していく。昆布やワカメがないのなら、ウニやアワビがしっかり育っていかないのではないかと心配していた。
でも震災からおよそ1年ぐらいたった海にもぐると、例えばタイヤのホイールから天然の昆布が上に向かって繁茂していたり、鉄板からアカモクと言われる海藻が繁茂したりしていた。いまだ海底に沈んだ車と、上に伸びていこうとする生命力。それは世界中どこの海でも見ることができない、震災を経験した岩手県の海の姿だったと思う。そのことを漁師さん伝えるとすごく喜ばれて、海の中からこういう報告をできるのはいいかなと思い、撮影を続けていく勇気の一つにもなった。


現在、宮城県仙台市の「富士フィルムフォトサロン仙台」では、写真展「鍵井靖章 311 あの日から」が開催されています。震災後の三陸の海中の様子がわかる、貴重な写真展です。会期は明日9/30(火)まで。

鍵井さんオフィシャルサイト

鍵井靖章写真展「3.11-あの日から」

2014年9月26日

9月26日 ツール・ド・東北2014 ?

月曜から5日間にわたり、『ツール・ド・東北2014』のレポートお届けしています。

この大会、最も長いコースが、石巻・気仙沼をめぐる220キロのコースでした。これだけの規模の大会を支えたのは、およそ800人の地元ボランティアの方々です。

例えば220キロの折り返しにある気仙沼・階上(はしかみ)小学校のエイドステーション。ここにも、地元ボランティアの方々の温かいおもてなしが待っていました。



「南三陸米というお米を使って、サンマも気仙沼を使ってきのうから煮付けて、今朝は3時から時間に間に合わせるように作らせて頂きました。商工会さん中心に地域の婦人の方に応援を頂いて、だいたい30人くらいのスタッフでやっています。特にサンマを昆布で煮たのは美味しいと言って頂いた。みなさんに喜んで頂けたのが一番かなと。大変でしたけど。小学校にお願いして。ほやボーヤのカードを作って、子どもさんに書いて頂いたんです。風になれとかファイトとか、もう一度階上に来てとかそれぞれ。私も何枚か読ませて頂いたけど、みんな子どもさんなりに階上に来てねというのが多かったと思います」・・・ボランティアとして参加した地元のお母さんはそう語ります。


階上小学校エイドステーションでは、地元産ササニシキのおにぎりのセットが振る舞われまして、、、参加者もウマそうにかぶりついてました!こうして食べる東北の味が最高だった、、、参加者からはそんな声もたくさんありました。

最後に、中西哲生とともにこの大会の応援大使を務めた、パラリンピック陸上代表・佐藤真海選手の話です。

◆共有して、考える機会に
中西:このツールド東北の良いところは定点観測というかね。
佐藤:そうですね。去年と同じコースを走るということで変化が見られたので、ずっと見届けたいなと思いましたね。
中西:今年は佐藤真海さんの故郷でもある気仙沼に行きまして、第6エイドステーションでサンマの蒲焼き丼を。
佐藤:配る方を。
中西:いかがでしたか。
佐藤:大谷海岸って子どもの頃は年に1回海水浴に通った場所なので。当時は海があるのは当然で、海とともに生活をしていたので、今改めて帰ってみるとすごくキレイだなって思います。しみますね。これが大好きな気仙沼の海という感じがあってひとつ安心しました。現地の学生たちがボランティアで率先してサポートしてくれていたのが嬉しかったですね。高校生たちは震災の後の大変さを話していて、ちょうど中学卒業する時の準備段階で津波が来て卒業式もままならないまま高校に上がり、今も学校には仮設住宅があってスポーツ・・・体育や部活もできないので、市内の施設にバスで行って共有しながら助け合っているということを笑顔で話していて、受け止めて前向きに頑張っているんだなというのを感じましたね。こういう機会があると、本当に何ができるんだろうというもどかしさを感じてしまいますね。それくらい大きいことなんだなと改めて思いました。復興の今をたくさんの方々で共有してこれから持ち帰って、それぞれできることを探して行くという本当に良い機会だと改めて思いました。


◆参加者の声
・東京からです。震災後一度も来たことがなかったので、こういう形で参加してどこかで役に立てるといいなという想いはありました。
・あんなに沿道でいっぱい旗降って応援してくれるなんて思っていなかったので。「応援されてた」っていうスローガンがありますがその通りだと思いました。
・景色がキレイだなと思いましたね。キレイな景色と震災のギャップがますます強く感じた気がします。あとはみなさんが手を振ってくれたのに感激しています。
・ふれあいの虜です。先ほども爪痕というか建物のあの高さまで津波がきたんだというのを目の当たりにして言葉にならなかったですね。
・もう一つはなかなか復興していないんだなというのはビックリして。仮説の人たちの状況はショッキング。いまだにこれかと。自分たちの状況に置き換えたら考えられないですね。はやく普通の生活に戻してあげたいなと思います。




ツールド東北2014には、キャッチフレーズがありました。『応援してたら、応援されてた』。 本当にそう。東北を応援するイベントですが、仮設住宅で、エイドステーションで、気がつけば応援されているのは参加者ライダーの方。復興のために応援することは、自分自身の力にもなる。そんなことを感じたツールド東北2014でした。
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パーソナリティ 鈴村健一

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