2014年6月12日

6月12日 冨沢酒造の挑戦4

今週は、福島の造り酒屋が切り開く「未来」にスポットを当てています。

福島県双葉郡で300年続く造り酒屋、『冨沢酒造』。福島第一原発の事故で酒蔵を奪われた、家族経営の小さな造り酒屋です。長女の冨澤真理さんは、300年の歴史をつなぐ方法を模索したのですが、
そこには法律など様々な問題が、立ちはだかりました。

そんな中、冨澤酒造の前に開かれた道。それは、アメリカ・シアトルへ渡り酒蔵を建てるという、途方も無い未来でした。いま冨澤酒造は、この途方の無い未来を、本当に切り開こうとしています。

◆人々の支援でアメリカへ
場所もいい、水もいい、空気もいい。でも文化の違いがあって。アメリカ大使館に飛び込んだら、私の話を聞いてくれた大使館職員が「面白い話だ」と応援して下さった。でも「あなたはアメリカについて全然知らなすぎ。英語もだめ、何も知らない。ただ行きたいという気持ちだけはよく分かる」と中小機構を紹介してくれた。そこに、海外支援部というのがあり、半年間みっちり勉強させて頂いた。そして今年1月にフィジビリティスタディという制度で中小気候のスーパーアドバイザーと一緒に渡米して調査した結果、みなさん日本酒に興味がある。酒じゃなく「SAKE(サキ―)」と呼ぶ。日本にわざわざ杜氏になりたくて来日したが受け入れてもらえず帰国したという人も何人かいたし、米軍として日本に赴任して日本酒が大好きな人や日本酒を勉強されている方が多い。みんなが美味しい美味しいと飲んでくれたのも嬉しかったが、一番嬉しかったのが「これを待っているからね、白富士を楽しみにしているから」と言われたのが本当に嬉しかった。アメリカの市場で、シアトルで白富士は受け入れられるでしょうという結果になって、シアトルのワイナリー街に本格的な手作りの酒蔵を建てようという話になり、家族みんなで6月に行くことになる。



まもなく、冨澤酒造のご家族は、アメリカへ渡ります。現在、仮暮らしをしているいわき市の家を引き払い、東京にも拠点を作り、来月には本格的にシアトルでの活動が始まると言うことです。

◆これを登り切ったら。
震災があってある日突然家が無くなるわけで、本当に一番下まで落ちたと思っているんです。それこそ地面に足がついた状態。もう落ちるところはないじゃないですか。じゃああとは登るだけだと思うんです。だからすごいきつい山登りだと思って、でもそれを登り切ったらすごくきれいな景色があるんだろうと自分の中で思っているんです。そうなればあとはもう進むしかないと思って。頑張れると思っています。


今後、冨澤酒造は、アメリカ・シアトルで、代々受け継ぐ日本酒『白富士』の醸造を始めることになります。シアトルは、双葉郡と同じで、水が「硬水」。気候条件も近いそうです。白富士の完成は、来年12月を予定。来年のクリスマスには、シアトルの人々が、この小さな造り酒屋の日本酒の味に、酔う姿が見られることになりそうです。

明日も、冨澤酒造についてお伝えします。

冨沢酒造Facebook

2014年6月11日

6月11日 冨沢酒造の挑戦3

福島県双葉郡で300年続く造り酒屋、『冨沢酒造』の20代目当主を父親に持つ、冨沢真理さんのインタビューです。

原発の事故の影響で、実家の酒蔵を離れざるを得なかった、真里さんとご家族。会津若松の酒蔵の支援で、酒づくりを再開することは出来たのですが、これは、2年間の期限がありました。

酒造りを続けるには、酒蔵が必要です。しかし、新しい酒蔵を建てるには、法律の問題が立ちはだかります。真里さんと兄・守さんは、酒造りに協力してくれる既存の酒蔵を訪ね歩きました。

◆切り開く未来
日本中のやめた造り酒屋さんを見て歩いた。菌から何から持ってウロウロウロウロ・・・日本唯一のジプシー酒屋になっちゃったわけですよ。いつまで経っても私たちはジプシーのままだと思っていたら、一昨年の10月に茨城県の造り酒屋さんから、「鬱々としていても始まらないからアメリカに来い」と言われて渡米。サンフランシスコ、シアトル、シカゴと周り、その中で初めて降りたシアトルが、初めて降りたのにダウンタウンが仙台に似ていた。これは仙台だ!と思っていたら「名所に連れて行ってあげる」と言われ、鮭の上る場所に連れて行ってもらった。大量のキングサーモンがわーっと上がる姿を見て、浪江にそっくりだと思った。気温からなにからみんな一緒で、ここなら出来るんじゃないかと。その時はその想いだけで帰った。1か月後に両親を結婚30周年の記念にシアトルへ連れて行ったところ、両親もやはりダウンタウンを見て「懐かしいな」と言う。サーモンが遡上するのをぼーっと見ながら「鮭だ、鮭だ」と言い、「真里、俺はここで酒造りがしたい」と父が言った。母も「ここだったら骨を埋められるから、なんとかならないか」と言い始め、びっくりした。両親の前向きな話は初めてだったので、蔵の中ではヒヨッコの私にできることは場所を作ること。300年続いてきたから、アメリカで300年続けられる場所を作ることは出来るんじゃないか、なんとかしなきゃと。
一ヶ月後にシアトルの日系二世のおじいさんから連絡があり、「アナタが日本でジプシー酒屋をやっているとシアトルのある人から聞いた。もしよければ会えないか」と日本へやって来た。「あなた方も日系人も、ある意味色んな物に翻弄されてゼロからスタートしている。でも私たちは一生懸命頑張って、今はアメリカでちゃんとした生活が出来ている。でも日系人にとって祖国は遠くていつも日本のことを恋しく思っている。その日系人の夢になってくれないか。一歩踏み出すのはあなた達の勇気だと思う。」と言われ、なんともいえない気持ちになって、分かりました、アメリカで酒蔵が出来るか出来る限りやってみますと、去年の1月にスタートしました。


300年の歴史をつなぐ。その一心で歩き続けた冨澤酒造の前に開かれた道。それは、アメリカへ渡るという、途方も無い未来でした。大きな酒造メーカーではなく、個人経営の酒蔵がアメリカで起業したケースは、過去、例がないそうです。そして冨澤酒造はいま、この途方の無い未来を周りの人々の支えを受け、本当に切り開こうとしています。

この続きは明日。

冨沢酒造Facebook
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パーソナリティ 鈴村健一

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