2014年3月13日
3月12日 ふくしまFMレポート 福島の卒業式
今日は、ふくしまFMから、矢野真未さんのレポートです。
福島県内では、公立高校を中心に、3月1日(土)に卒業式が行われました。県立高校では全日制87校、定時制6校で、卒業生が学び舎を巣立ちました。今回の卒業生は、東日本大震災後に入学しています。東京電力福島第1原発事故で学校も避難を余儀なくされ、サテライト校で学んだ3年生は一度も本校舎で授業を受けず節目を迎えました。
今回取材にお邪魔したのは「相馬農業高等学校」です。
相馬農業高校も避難区域だったため、校舎を使う事が出来ず入学式もなく、制服もない学校生活の始まりでした。農業高校なので実習の授業も、当初は満足に出来なかったと言います。
◆亀田翔平くん 学んだ事〜生産の喜び
本来なら田んぼで稲の栽培をやるんですけど、震災で田んぼが使えなかったので主にじゃがいもやサツマイモ、枝豆などのマメ科の植物などを栽培していました。どんどんハウスの中や路地で育っていくのを観ていて、それを収穫して食べて、ああ自分で作ったものがこんなに美味しくできるんだなっていう・・・。
亀田翔平さんは、実家が南相馬市小高区で農家を営んでいらっしゃいました。今はそこで、農業をする事は出来ませんが、農業を継ぎたい、とこの相馬農業高校をめざしたそうです。
卒業後、翔平さんは、地元のJAふくしま そうま農業組合に次の進路が決まっています。
◆福島の農業への想い
地域農業の復興に貢献したいなと思っていて、最初は進学してからそういうこともしようかなと思っていたんですけど、すぐにでも貢献できるのだったら農業の関係できるかなと思って、農業協同組合に就職しようと思いました。福島の放射性物質の影響で他の県の人達は「あぶない」というイメージがあるので、そういうイメージを壊したいというか、無くしたいです。
翔平さんは、「進学」ではなく、今すぐ地元に貢献する道を選びました。
翔平さんは現在、南相馬市・鹿島区で暮らしています。小高区の実家に、一時帰宅をした際、実家の畑が荒れ放題になっているのを見てショックを受けたと言います。そして、「いつかまた、小高区で農業を再開したい」と語っていました。
これから、未来をつくっていくのは次の世代。そのための準備や、いま、わたしたちが出来る事、そこに力を注いでいく事も重要な事ではないでしょうか。
ふくしまFMから、矢野真未さんがお伝えしました。
福島県内では、公立高校を中心に、3月1日(土)に卒業式が行われました。県立高校では全日制87校、定時制6校で、卒業生が学び舎を巣立ちました。今回の卒業生は、東日本大震災後に入学しています。東京電力福島第1原発事故で学校も避難を余儀なくされ、サテライト校で学んだ3年生は一度も本校舎で授業を受けず節目を迎えました。
今回取材にお邪魔したのは「相馬農業高等学校」です。
相馬農業高校も避難区域だったため、校舎を使う事が出来ず入学式もなく、制服もない学校生活の始まりでした。農業高校なので実習の授業も、当初は満足に出来なかったと言います。
◆亀田翔平くん 学んだ事〜生産の喜び
本来なら田んぼで稲の栽培をやるんですけど、震災で田んぼが使えなかったので主にじゃがいもやサツマイモ、枝豆などのマメ科の植物などを栽培していました。どんどんハウスの中や路地で育っていくのを観ていて、それを収穫して食べて、ああ自分で作ったものがこんなに美味しくできるんだなっていう・・・。
亀田翔平さんは、実家が南相馬市小高区で農家を営んでいらっしゃいました。今はそこで、農業をする事は出来ませんが、農業を継ぎたい、とこの相馬農業高校をめざしたそうです。
卒業後、翔平さんは、地元のJAふくしま そうま農業組合に次の進路が決まっています。
◆福島の農業への想い
地域農業の復興に貢献したいなと思っていて、最初は進学してからそういうこともしようかなと思っていたんですけど、すぐにでも貢献できるのだったら農業の関係できるかなと思って、農業協同組合に就職しようと思いました。福島の放射性物質の影響で他の県の人達は「あぶない」というイメージがあるので、そういうイメージを壊したいというか、無くしたいです。
翔平さんは、「進学」ではなく、今すぐ地元に貢献する道を選びました。
翔平さんは現在、南相馬市・鹿島区で暮らしています。小高区の実家に、一時帰宅をした際、実家の畑が荒れ放題になっているのを見てショックを受けたと言います。そして、「いつかまた、小高区で農業を再開したい」と語っていました。
これから、未来をつくっていくのは次の世代。そのための準備や、いま、わたしたちが出来る事、そこに力を注いでいく事も重要な事ではないでしょうか。
ふくしまFMから、矢野真未さんがお伝えしました。