2020年3月12日

東京2020オリンピック競技大会 聖火ランナー 鈴木典行さん?

今週は、いよいよ3月26日にスタート、「東京2020オリンピック競技大会」の「聖火リレー」に参加する、ふたりの聖火ランナーの声をお届けしています。

今日ご紹介したのは、6月20日に石巻市を走る、鈴木典行さん。



東日本大震災による津波で、74人の児童と10人の教職員が犠牲になった石巻市大川小学校。鈴木さんは、当時6年生だった次女の真衣ちゃんを亡くし、現在、児童の遺族らでつくる「大川伝承の会」共同代表をつとめています。

その「大川伝承の会」、鈴木さんは、震災当時のままの姿を遺す大川小を訪れる人たちに向けて、本当は思い出すのが辛いはずの自らの体験を語り、“二度と子供たちが犠牲になることはあってはならない”という思いを伝え続けています。

「何回目でしょ。もう3年なので、まあ年9回。何度も来てくれる方もいますし、そこからのお声かけで、たくさんの方、来てくれてますね。「大川伝承の会」としても発信はFacebookでしかやってないので、それでもこれだけの方が来てくださるというのは、やっぱりここには“学びに行く”。そういった場でもあると思うので、そういった目的で来てくれるんだなと思います。」



年に9回ほど開催される「大川伝承の会」には、一般の方はもちろん、教職に就く人や、地域の防災に携わる人などが、全国から訪れます。

その大川小の校舎の、“遺構としての保存”を巡っても、賛成と反対の意見が分かれるなど、揺れていた時期がありましたが、現在はどうなっているんでしょうか?


◆「存置保存」

「震災遺構としては学校はこのまま遺ります。石巻市の市長は「存置保存」という手段を選んだんですね。ですからこのまま手をかけないで遺ります。周辺いま工事始まってますけど、周辺、学校を囲むように公園になるんですね。その公園のための準備ですね。でも残念ながら“手をつけない”ということは、人が入れるように整備が出来ないので、中にいろんなものを展示して、たくさんの方が中に入るということは出来ないんですね。このまま「存置保存」として遺します。何十年経ってもこのまま遺るとは思うんですけど、やっぱり壊れていく、そういった姿も見ていかなくてはいけないのかなと思うとちょっと悲しいところがありますね。この花はボランティアの方が・・・今日も高校生の方がたくさん来てもらって、茨城から来てくれているんですね。そういった方が花を植えてくださって、ここをいつもきれいにしてくださってるんです。やっぱりたくさんの桜が咲いて・・・ちょうどこういう角度ですね、桜が咲いて、桜の下で子供たちが「お花見給食」をする・・・やっぱこう目を閉じるとそういう光景が思い浮かべられますね。」




思い出深い学び舎の保存。じつは集落があった学校の周辺は、いま更地だけが広がり、遺っているのはこの校舎だけなんです。教訓を記憶に留めて、悲劇を繰り返さない、鈴木さんたち「伝承の会」の取り組みは続きます。

2020年3月11日

東京2020オリンピック競技大会 聖火ランナー 鈴木典行さん?

今週は、いよいよ3月26日にスタート、「東京2020オリンピック競技大会」の「聖火リレー」に参加する、ふたりの聖火ランナーの声をお届けしています。

今日ご紹介したのは、6月20日に石巻市を走る、鈴木典行さんです。



東日本大震災による津波で、74人の児童と10人の教職員が犠牲になった石巻市大川小学校。鈴木さんはその児童の遺族らでつくる「大川伝承の会」共同代表をつとめています。

鈴木さんも当時大川小の6年生だった次女の真衣ちゃんを亡くしました。

どんな思いで、聖火リレーに参加しようと思ったんでしょうか。


◆「また娘と一緒に走れる」

「まず聖火ランナーがこちらに来るということで、大川小学校の前を・・・ここを走って欲しかったなというふうに思うんですけど、そういったスケジュールになってないので、ここに来ないんだったら、自分が行って、聖火を持って走ろうかと。真衣もバスケットをしていまして・・・ミニバスですね。で私がバスケットのコーチをしていたもので、一緒にいつも走ってたんですね。ですからまた真衣と走りたいなって、そういった強い思いから応募しました。最初は「内定通知」がメールできまして、12月の初旬でしたね。ああ良かった、ホッとしましたね。まあこれで娘と一緒に走れるんだなという気持ちで、まずホッとしたなと。写真はたぶん持てないですね。決まった格好で走らないといけないので。ただ「名札」。「大川小学校・鈴木真衣」の名札をここ(胸)に着けて走りたいなって思います。だから当日は、走ったらここに来ようかなって思いますね。トーチを持って。」




鈴木さんにお話しを伺ったのは、震災遺構としての保存が決まっている大川小学校。6月20日は市内のどこを走ろうとも、鈴木さんはトーチをかかげてここへ戻ってくるといいます。地元のバスケットボールチームに所属していた真衣ちゃんと、コーチをしていた鈴木さん。ふたりはよく一緒にランニングをしていたという仲良し親子でした。

真衣ちゃんは避難が遅れて命を落とした大川小の74人の児童のうちの一人。震災の2日後、学校の裏山の斜面に積もる泥の中から、捜索をしていた鈴木さんが自ら掘り起こしたといいます。

いまも震災当時のままの姿を遺す大川小には各地から見学者が絶えません。鈴木さんはここで「大川伝承の会」という語り部活動を定期的に実施。十分な時間があったにも関わらず、校庭に留まりつづけた当時の状況や学校側の対応、また教育現場における行政の事前防災の不備などを伝え続けています。

“二度と子供たちが犠牲になることはあってはならない”。そんな思いも、走ることを通じて伝えたいという鈴木さんのお話し、明日もお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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