2013年6月20日
6月20日 宮城県亘理郡山元町「一苺一笑(いちごいちえ)」(1)
宮城県亘理郡山元町は宮城県の一番南、福島県との県境にある、人口およそ1万4000人の町。町全体が沿岸に面していることから、東日本大震災の津波で大きな被害を受けて、630名を超える町民が犠牲者になりました。
そんな山元町の復興を支える柱の一つが、「いちごづくり」。いま、20代〜30代の若い世代が、新たに「いちごづくり」に取り組んでいます。
今回スタッフがお邪魔したのは、「一苺一笑」という農園です。ここは、地元の幼馴染み3人が、共同で立ち上げたいちご農園。役員の一人、土生哲也さんも、実家は代々、いちご農家でした。
◆土耕から水耕に。新たなチャレンジ
以前のいちご農地は津波の被害で、流されてしまって。土に植えるとなると、土に塩分があったり、ガレキなどが残っていた。土耕栽培といのは昔からのやりかただが、いまからやる人はいないと思う。
−いまは溶液栽培(水耕栽培)が主流。全部自動で、収穫も手入れも管理も楽になった。
土耕栽培とは、従来型の「土植え」のいちご栽培の方法です。一方、いま土生さんたちが取り組んでいるのは、水耕栽培のいちご。苺のポットが大人の胸の高さくらいにあって、そこに水と栄養を自動で送る仕組み。収穫も、地面まで腰をかがめる必要がなくなって、だいぶ楽になったといいます。
震災前、山元町には90軒を超えるいちご農家がありましたが、津波で農地が流されたり、塩害の被害を受けたりして、みな廃業を余儀なくされました。
◆みんな一度はあきらめかけた。
山元町自体、もとは一軒一軒バラバラのいちご農家で共同でやっている人はいなかった。「一苺一笑」も役員3人いるが、実家がそれぞれいちご農家だった。早くいちごの栽培を始めたかったので、(3人で)協同して始めた。
山元町からいちごをなくしたくなかったし。俺んちの親も昔から、何代になるかわからないけど、いちごをやってきたから。なくして始めて、大事なもんだったのかな〜と思った。父親はもういちごは止めて、違う仕事をしている。無理に父ちゃんにやれと強要はしないけど、やってくれたらうれしい。
社長自身もあきらめかけたときはあったんじゃないかな。というか、みんなそうじゃないかな、あんな津波になって。こんなふうに(いちごづくりを再開できるなんて)みんな考えてなかったんじゃないか。震災後はじめていちごが収穫できたときは、「できちゃった!」と。感動した。まさかここまでできるとは思わなかったから。水耕栽培は初めてだったから。いまも苦労しているし、勉強している最中です。
土生さんたちは、震災の年の夏にいちはやく会社を設立。昨年12月に初めての収穫を行い、いま最初のシーズンを終えるところです。栽培しているのは「もういっこ」というオリジナルの品種。「もういっこ食べたくなる」から「もういっこ」。来季は栽培面積をおよそ1.5倍に拡張する予定です。
山元町「一苺一笑」