2017年12月6日

12月5日 岩手県山田町の漁師集団「第八開運丸」(2)

今週は引き続き、岩手県山田町の「山田の海賊」こと、第八開運丸、柏谷智康さんのインタビューをお届けします。

養殖事業には目もくれず、多少海が荒れようが船を出し、その時季の最高のものを獲り消費者に直接売る・・・というシンプルなスタイルを貫く、山田の海賊、柏谷智康さん。震災直後、とうぜん漁に出る人もいない海を見て“いまがチャンス!”と思った方です。

現在、母港にしている山田町の大沢地区は、防潮堤の建設が進み、「第八開運丸」の番屋(漁師の作業小屋)も移転をしなければならないんだそう。そんな山田の港の現状についてお話しを伺いました。

◆海が見えないのが一番怖い
まずはじめに防潮堤が出来てからの話しだと思うんだけど、たぶん9メートルくらいの防潮堤になると思うんで、今までは歩いて、ここらではリヤカーを引っ張って道具とかも持って行ったんだけど、この防潮堤が出来てどうなんですかね、車ではたしかに物は運べるけど、歩いて高齢者の人たちとかも大変になってくるから、たぶん海岸に降りる数も少なくなってくると思うんですよね。となれば浜の状況も分からなくなってくる。出来てみないとわからないけど、海が遠くなるより、海が見えなくなるのがおっかないんですよね。建物の2階からは海は見えると思うんですけど、下に居れば海の状況が分からなくなって、9メートルの防潮堤、またあの津波が来れば、そこまで上がってるはずなのに誰も気づかないはずなんですよね。だから漁師的には確かに防潮堤も必要だけど、海が見えないのがいちばん怖いっつーとこなんだけど。


海が見えなくなる防潮堤の是非については、震災後、各地で議論を呼びましたが、建てることが決まった場所でも、“今もなお建設途中”という地域は少なくありません。山田町もそのうちの一つ。間もなく6年8カ月が経ちますが、今なお毎日のように重機の音が響く山田町の復興状況について、柏谷さんはどう思っているのでしょうか。

◆後継者不足の中、二十歳の息子を仕込み中
遅いですね。宮古とか見てくるとやっぱり山田町は遅いですよね。離れてる人は結構います。今まで漁師だった人も、船も道具も流されて、また一からってなれば(残された)年も無いっていう人たちは、やっぱりもう海のところに住んでても仕方ないから、内陸のほうとかに行ってます。で、漁業の担い手、後継者不足っつーのは、どこでもあることなんだけども、やっぱり漁師でメシを食っていけるかっていうと、ちょっと厳しいところがあって、いろいろ手をつけなきゃ食べていけないから、そうなるといろいろな漁をするってことは、いろいろな経費がかかるってことだから、そのリスクを背負ってまでやるって後継人は居ないと思います。今の不景気の中、ましてや獲れるか獲れないか分らないとこさ。でもまあ俺の息子は東京に居ましたけど、帰ってきていま漁師やらせてます。なんでか?って言ったら、まあ漁師いま高齢者ですがね、高齢者がもう獲れなくなって、いなくなって、どんどんどんどん若い人が減ってますが、そうなると今度、いま息子ハタチなんですけど、ハタチの息子が30代になった時は、もう誰もいないと思うんです。そうすると・・・獲り放題だと思うんですよね。そこでいま修行させてますけどね。やっぱり海に食べられないものはほとんどないんでね。それがちょっと取っただけで、このぐらいの値段になる。でそれを今の若い奴らに教えてますけどね。


柏谷さん、“稼げる漁師の姿”を自分で体現して、若い担い手を増やしたり、山田の漁師文化を守りたい、という思いが根底にあるのではないでしょうか。

明日は柏谷さんたちが仕掛けている、“美味しいイベント”についての話題です

パーソナリティ:中西哲生・高橋万里恵

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