2018年2月16日

2月16日 我妻和樹監督「願いと揺らぎ」3

東京・東中野の映画館などで まもなく公開がはじまる、映画『願いと揺らぎ』の我妻和樹監督のインタビューです。

宮城県南三陸町、戸倉半島の北側にある小さな漁村「波伝谷(はでんや)」に2005年から通い続け、撮影を続けてきた我妻監督。映画『願いと揺らぎ』は、東日本大震災から1年後の2012年を中心に、被災後の住民の方々の不安や葛藤、リアルな心境も丁寧に伝えています。完成した映画、当事者である波伝谷の方々はどんな風に見たのでしょうか。

◆波伝谷の人たちに見せるのは怖かった
これは結構、波伝谷で上映するのが怖かったんですよね。結構デリケートな人間関係を描いていて、ただでさえ震災が起きた地域の人間関係のデリケートさがあるなかこの映画を上映することによって、地元の人に見せることによって悪影響与えたらどうしようという不安があったんです。ただ実際に見てもらったら、思っていた以上に皆さん、前の作品よりも良かったと受け取ってくださって、それは何故かと言うと、自分で言うのもなんですが波伝谷の人たちが抱えていたいろんなものと言うものを、それなりにちゃんとよかったことも大変だったことも含めてかけているからなのかなと言う気がするんですね。ちゃんと掘り下げられているというか。でも震災後っていろんなことがありすぎて、被災された方々も覚えていないことがたくさんあるんですよね。いろんなことが過ぎ去ってしまっていて。その中で改めて、当時の自分たちのことを振り返るとと言う意味では、皆さんには残してもらえて良かったと言う事は言われましたね。


ちなみに、我妻監督によれば、「これまで波伝谷のみなさんは僕のことを"あがつまくん"と呼んでいたがこの映画をさかいに、"監督"と呼ぶようになった」なんてことも話していました。一人前の映画監督として、町の人が尊敬の気持ちを込めた・・・ということかも!最後に、南三陸町 波伝谷の「いま」を教えていただきました。

◆高台移転後の波伝谷
2つの高台に団地を作って、そこに一軒一軒家を作り、個人の土地で家を作った人もいるんですけれども、今現在は37〜38軒くらいです。もともとは80軒弱だったのでちょうど半分以下くらいという感じですね。波伝谷の獅子舞の行事もそうなんですけれども、行事の時にちゃんと若い人や子どもたちが手伝うために帰ってくるんですよね。その中でお酒を飲みながら世代間の交流があって、震災前から見てきた"波伝谷らしさ"と言ったらすごく漠然としているんですけれども、ならではの地域のつながりが震災があってもちゃんと継承されている印象を受けますね。ただやっぱり高台に建った家ってみんな新しい家じゃないですか。今までの家と違ってインターホンがそれぞれ付いていて、扉で外と家の中が仕切られちゃっている感じがして、そういう意味ではだんだん、波伝谷も都会化してきていると言う話を地元の人たちからも聞いたりして、そこは大丈夫なのかなと心配するところもあります。



映画「願いと揺らぎ」は、東京・東中野「ポレポレ東中野」で2月24日(土)から公開。全国でも順次公開が始まるということです。
詳しくは「願いと揺らぎ」公式サイトをご覧ください。

パーソナリティ 鈴村健一

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