NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest岡村孝子さん

岡村孝子さん

愛知県出身。
1982年5月第23回ポップコーンつま恋本選会で「待つわ」がグランプリを受賞、それをきっかけに女性デュオ”あみん”のメンバーとして1982年7月にメジャーデビュー。
1983年12月カバーアルバム「メモリアル」をリリース後、活動を休止。
1985年10月、「夢の樹」でソロデビュー。
結婚、出産を経て2000年には、4年半ぶりとなるアルバム「Reborn」をリリース。
2007年、“あみん”として音楽活動を再開。また、2009年からは岡村孝子名義でのソロ活動も再スタート。
2019年に急性白血病と診断されるも、2021年には、2年2ヶ月ぶりにステージに立つ。
今年でソロデビュー40周年を迎える

40周年を前に語る「今とこれから」

2025/05/31
今月1ヶ月に渡ってお話を伺ってきたシンガーソングライターの岡村孝子さん。
ラストの今回は、音楽活動や私生活について。デビューから40周年を迎える岡村さんが大切にしていること、そしてこれからについてお話しいただきました。

◆ 喉と体のケアは「本番に向けて」
「ずぼらな性格」とご自身の性格を分析する岡村さん。コンサートが近づくと本番に向けて喉の吸入や加湿器の使用、飲み物・食べ物への注意など、徹底した体調管理を行っているそう。免疫を意識したケアを欠かさないようにしているんだとか。

◆ 引っ越しと「ゼロスタート」の想い
これまでに9回の引っ越し経験があるという岡村さん。デビュー直後は「作品の気が宿るような気がして」、新しい創作のためにゼロからスタートする気持ちで引っ越していたそうです。家族ができてからは引っ越しの回数も減りましたが、環境の変化は創作に刺激を与えてくれるため、時には必要だと感じているのだとか、

◆ 愛犬との別れと癒しの時間
岡村さんの人生に大きな影響を与えたというのが、愛犬の存在。ですが、最近、お別れを経験し、「言葉にできないほどのダメージだった」と静かに語ります。その存在は、「家族そのものでした」と振り返る岡村さん。現在は自然の中での散歩や温泉旅行など、心と体を癒す時間を大切にしているそうです。

◆ 「私はここにいる」という言葉の進化
最新曲『未来の扉』のサビに登場する「私はここにいる」という言葉は、過去のアルバム『リベルテ』にも登場したフレーズ。当時は「救いようのないほどの響き」を持っていた言葉を、今回は「未来へつながる明るい意味に浄化させたかった」と振り返ります。

◆ 曲作りのリアル:「できたて」が完成ではない
デビュー初期には「締切に追われて、朝4時に1曲、10時にもう1曲」というようなハードな制作を行っていたそうですが、「ライブを通じて曲は完成する」と考えている岡村さん。実際にライブを重ねてから歌い直した楽曲もあるそうで、音楽はその場で完成するものではなく、時間と共に育っていくものだと感じているのだとか。

◆ 40周年を超えて、さらにその先へ
「デビューから3年歌えたらいいなと思っていた」と語る岡村さん。40年という年月を経てなお音楽活動を続けていられることを「奇跡」と表現します。これからの10年については「元気に笑っていられたらいい」と語り、「コンサート会場でファンの皆さんと“今年もがんばって良かったね”と生存確認できたら嬉しいです」と、温かい気持ちで、未来を見据えています。

歌と共に育まれていくリスナーとの絆。これからもその気持ちは強くなっていきそうです。
  • この記事をポストする

子育て、闘病、そして歌に込めた想い

2025/05/24
今週も、シンガーソングライターの岡村孝子さんをお迎えしたNOEVIR Color of Life。
今回は、母として、アーティストとして、そして一人の女性として歩んできた日々についてのお話。

◆子育てと音楽活動の両立、そして娘との日々
音楽活動と並行して1人娘の子育てもされてきた岡村さん、ツアーなどで家を離れるたびに「心がちぎれるような思いをした」と語りつつも、ご自身のお母様のサポートに支えられて安心して仕事に臨めたと当時を振り返ります。
子育てに集中するため、7年ほどライブ活動を休止した時期もあったり、幼い娘さんの小さな手を引いて、スタジオに入ったことも。幼い娘さんと共に過ごす濃密な時間は、「一瞬一瞬が宝物だった」と振り返ります。

◆郊外での新しい生活と「母」としての発見
娘さんと共に郊外で暮らした日々は、岡村さんにとって「人生の転機」だったといいます。
自然豊かな環境や、近所付き合いの温かさが心を支えてくれたのだとか。地域のママ友たちの存在にも助けられ、醤油の貸し借りをするような身近で、楽しいご近所づきあいで、孤独を感じることは少なかったそう。また、四季の移ろいや庭に咲く花々に癒され、自然から大きなインスピレーションを得て、多くの楽曲制作にもつながったそうで、この時期の生活は『Drops』や『Sanctuary』といったアルバムに反映され、日常の中にある小さな発見や感情がそのまま歌詞に載せられています。

◆娘は偉大なアドバイザー
小さな頃からコンサートにも来てくれたり、「ママの曲好き」と言ってくれるという娘さんは、時には厳しい言葉もくれる適切なアドバイザーなのだとか。「今日のステージの表情は固かった」など、家族として、一番近い存在だからこそ言える言葉をかけてくれると言います。「娘には本当に助けてもらってきました」と語る岡村さん。その言葉からは家族の深い絆が感じられました。

◆急性白血病との闘い、そして音楽への復帰
2019年、急性白血病と診断され、長期の入院生活を余儀なくされた岡村さん。入院期間は約5ヶ月。公表には葛藤もありましたが、全国植樹祭で歌う予定があったことや、関係者への配慮から発表を決断されました。
闘病中は、ファンからの手紙や千羽鶴、SNSでの励ましの声が大きな支えになったそうで、夜の病室では不安と孤独の中でファンの存在が光のように感じられ、「ありがとうの歌を書きたい」という思いが芽生えたのだとか。
退院後に書き上げた新曲「女神の微笑み」には、支えてくれた全ての人への感謝が込められています。臍帯血移植を受けた際には、「提供者の方が音楽嫌いだったらどうしよう」と不安を感じたこともあったそうですが、無事に回復し、音楽活動へと戻ることができました。

◆今を生きる─ 一瞬一瞬を大切に
病気を経験してからは、時間の有限さをより強く感じるようになったと語る岡村さん。「今この瞬間を大切に」という思いが、曲作りにも反映され、「今を大切にしたい」というような言葉が歌詞の中にも増えたと言います。
「このまま瞬間瞬間を繋げていって、いつか遠い未来から今日を振り返れたらいいなと思う」とその想いをお話くださいました。

来週も、岡村孝子さんのライフストーリー、お届けします。
  • この記事をポストする

曲作りの原点、そしてライブに込める思い

2025/05/13
今日も、シンガーソングライターの岡村孝子さんのライフストーリーをお届け!
今回は、曲づくりの原点や影響を受けたアーティスト、そして恒例のコンサート「クリスマスピクニック」への思いについて伺いました。

◆曲づくりは「日記」のように
高校生の頃から曲づくりを始めた岡村さんは、まずメロディーを作り、そこに歌詞をはめ込んでいくスタイル。「まるで日記のよう」と語る曲作りは、そのときの空の色や、雨の匂いまでも思い出すほどなんだとか。当時の楽曲を振り返ると、照れくささを感じることもあるそうですが、それもまた愛おしい思い出だといいます。
そんな岡村さんが初めて買ったレコードは森田健作さんの「友達よ泣くんじゃない」。実際に森田さんにお会いした時には、まるでご褒美のような感じだったとか。また、フィル・コリンズやエルトン・ジョンなど、洋楽からも大きな影響を受けたという岡村さん。「今でも落ち着きたいときは、80年代の洋楽を聴いています」とお話しくださいました。

◆誰かのため、自分のために書く歌
歌詞は、ときに亡きお父様への想いや、病気と闘う友人へのエールとして書いたこともあるそうですが、一方で、自分自身への戒めや慰めとして書くことも。「鉛筆が勝手に書いたようにできた曲もあります」と話すように、インスピレーションに導かれる瞬間も大切にされています。
また曲作りの際には、キーボードに触れず、鼻歌でメロディーを思いつくことも。記録は一晩寝て覚えていたら録音するスタイル。「縁がなかったと思って諦める曲もあるけれど、今はスマホで簡単に録音できる時代なので助かってます」と笑顔でお答えくださいました。

◆恒例の「クリスマスピクニック」
1988年から続く恒例コンサート「クリスマスピクニック」が、今年もBlu-rayでリリースされました。最初は「おもちゃ箱をひっくり返したような楽しいコンサートにしたい」との思いで始めたこのイベントも、今では「生存確認」のような温かな時間になっているのだとか。
「お互い痛いところもあるけれど、今年も元気に会えたねって伝え合える場なんです」という岡村さん。アンコールでは被り物を身につけて「世界中メリークリスマス」を披露するのが恒例となっています。

現在は、全国を回るコンサート「T's GARDEN」のツアー中の岡本さん。
「お庭に遊びに来るような気持ちで、ふだん着で気軽に来てほしい」というコンセプトのもと、毎回日替わり曲も取り入れた構成となっています。

★岡村孝子コンサート 2025「T’ s GARDEN」★
・5 月 17 日(土)  千葉県・松戸 森のホール 21
・5 月 30 日(金)  神奈川県・相模女子大学グリーンホール
・6 月 29 日(日)  兵庫県・ポートピアホール
・7 月 20 日(日)  広島県・東広島芸術文化ホールくらら大ホール

岡村孝子さんの最新Blu-ray『ENCORE X 岡村孝子Special Live 2024 Christmas Picinic』や、
全国ツアー「T's Garden」についての詳細は、岡村さんの公式ホームページおよびSNSをチェック!
  • この記事をポストする

ソロデビューから「夢をあきらめないで」まで──歌にこめた“等身大”の想い

2025/05/10
今日もシンガーソングライターの岡村孝子さんに、”あみん”としての活動を経て、ソロアーティストとして歩み始めた経緯、代表曲「夢をあきらめないで」の誕生秘話までお話を伺いました。

ソロへ──新たな一歩の始まり
あみんの活動休止後、一度アマチュアとして地元に戻りながら曲作りを続けていた岡村さん、そんな中、レコード会社からソロデビューの声がかかり、東京へ。「両親は心配していたと思いますが、『好きなことをさせてあげたい』と送り出してくれました」と振り返ります。
23歳でのソロデビュー以降、丁寧にアルバムを重ね、ライブを通して“岡村孝子”という名前を少しずつ広めていくことに。

“拳を入れて歌う”から“淡々と届ける”へ──変わる歌い方
あみん時代の歌い方には、粘り気のある“拳が入った”スタイルが残っていたと語る岡村さん。しかし、2枚目のアルバム『私の中の微風』からは、より淡々と語るような歌い方へと変化します。
そして、リリースした3枚目のシングル「はぐれそうな天使」は、来生たかおさんから提供された楽曲で、自動車のCMソングとして起用されました。当時、自身の作詞作曲による活動にこだわっていた岡村さんにとっては少し複雑な想いも。ですが、「自分の声を選んでくれた」と聞いたときには、素直に嬉しかったそう、
音域の広い楽曲に挑むのは大変だったものの、レコーディングで自分の可能性が広がったことに気づかされた経験でもあったと語ります。

名曲「夢をあきらめないで」は、失恋ソングだった?
今や代表曲となった「夢をあきらめないで」は、意外にも“自分への叱咤”として書かれた失恋ソングだったと明かします。「しっかりしなきゃっていう気持ちで書いたんですけど、CMに使われたら応援ソングとして響いたみたいで」と語るように、曲の意味は聴く人によって変わっていくことを実感したといいます。
また、「リベルテ」というアルバムは「こんなに暗くていいの?」と周囲が心配するほど、自分の弱さや恥ずかしさをさらけ出した作品でしたが、女性スタッフたちから「わかる」と共感の声をもらえたことが、大きな励みになったのだとか。

世代を超えて届く歌
「夢をあきらめないで」は、高校野球の吹奏楽演奏や学校の卒業式などでも使われ、今では世代を越えて愛される一曲。
「若い人たちは、きっと私のことを知らない。でも歌を通じてつながってくれるのが嬉しいですね」と、語ります。
同世代の女性たちからは、「歌に救われた」「寄り添ってくれた」という声も多く届いている岡村さんの曲たち。
「一緒に年齢を重ねていってる実感があります」と話す言葉には、音楽に向き合い、一曲一曲大切に歌ってきた岡村さんの思いが感じられました。

来週も岡村孝子さんのお話、伺います。
  • この記事をポストする

”あみん”結成から、名曲「待つわ」に込められた思い

2025/05/03
今月は、シンガーソングライターの岡村孝子さんをお迎え!
女性デュオ”あみん”としてデビューし、ソロアーティストとしても40周年を迎えた岡村さんが、自身の原点や音楽との出会い、ヒット曲「待つわ」に込めた思いなど、お話ししてくださいました。

音楽の原風景は、父のレコードと母の子守唄
岡村さんが初めて音楽に触れたのは、父が家でかけていたインストゥルメンタルのレコード。そして母親が毎晩歌ってくれた童謡。「マイナー調の童謡が多かったので、自然と感情に訴えるメロディに惹かれていったのかもしれません」と振り返ります。
さらに、保育園時代からヤマハの音楽教室に通っていた岡村さん。先生からピアノを勧められたことが大きな転機となりました。「家にピアノがなかったので、近所の滑り台の上から毎日『ピアノが欲しい!』と叫び続けたんです」と、微笑ましいエピソードも。その願いが両親に届き、念願のピアノを買ってもらったことが届いたことが、音楽の道への第一歩になりました。

シンガーソングライターとの出会いは深夜ラジオ
高校2年生のとき、深夜ラジオで偶然耳にしたさだまさしさんの「雨やどり」に衝撃を受けた岡村さん。「作詞作曲、歌唱まで一人で手がける“シンガーソングライター”という存在をそのとき初めて知ったんです」。その影響で、自分でもこっそり曲を書き始めるようになったといいます。

あみん結成、そして「待つわ」誕生の裏側
大学進学後、履修登録で出会った加藤晴子さんとの友情をきっかけに、あみんが誕生します。「たまたま話しかけたのが加藤さんで、すぐに意気投合しました。三河弁で通じ合えたのも大きかったですね」。
岡村さんが作った曲に加藤さんがハモリをつけ、大学の裏庭で歌う日々がスタート。
グループ名の「あみん」は、さだまさしさんの楽曲に登場する喫茶店の名前から拝借したもの。のちに本人にもそのことを伝えたところ、「とても喜んでくださった」といいます。

参加したポプコン(ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト)でグランプリを受賞した曲が、今も愛され続けている「待つわ」。「遠距離恋愛をしていた相手に思いを届けたくて書いた渾身の一曲でした」と当時を振り返ります。楽曲は予選通過後にラジオで流れ、想いが届くことを願いながら、ステージに立ったといいます。

華やかなデビューと戸惑いの日々
「待つわ」のヒットによって、あみんは一躍人気グループに。とはいえ、岡村さん自身は当初、音楽と学業を両立しながらの活動を条件にデビューしていたため、授業が終わると新幹線で東京へ向かい、歌番組に出演、また名古屋へ戻るという多忙な毎日を過ごしていたそうです。「どこにいて、何をしているのか分からなくなるような感覚でした」と当時の戸惑いも語ってくれました。

解散と新たな歩みへ
約1年半の活動の後、あみんは活動を休止。再結成の話もあったものの、「あみんは加藤さんと私の2人だから」と岡村さんはきっぱりと答えました。その後、いったんアマチュアに戻り、地元のライブハウスでの演奏や作曲活動に戻ったそうですが、「音楽をやめる選択肢はなかったですね」と、静かに、力強く語る岡村さんの姿が印象的でした。
  • この記事をポストする
Page Top
|| 1 | 2 | 3 | 4 ||