ナゼ、なぜ、何故橙愛

第4話

「んーっ!」
目が覚めた。
なんだか気持ちがいい。
今日は休日だし、いつもはここでもう一眠りしてしまうところだが、今日は寝ない。
起きていく。
「おはよー」
リビングへのドアを開けると、母が驚いたような顔で見つめてきた。
「あら翔愛(とあ)! どうしたの? 朝ちゃんと起きてくるなんて珍しいじゃない。それに、今日は休みだし」
「うん、なんか今日は……二度寝する気にはなれなくって。勉強も頑張りたいしね?」
「まぁ、そうなの? なんか変わったわね。んふ、でもそれが毎日続いてくれたらいいのにね」
 休日なのに翔愛がちゃんと1人で起きてきたからか、母はなんか嬉しそうだ。
 すでに朝食が並べられているテーブルについた翔愛は、あと1品2品、並べられるまでの時間に考えた。
 なんで、今朝はこんなに清々しいのだろうか。
 ……それはきっと、昨夜頑張ったからだ。
 昨日は目標時間ピッタリと勉強をやって、落書きは1つも増えなかった。
「んふふ」
 つい笑みがこぼれる。
 すると、母が不思議そうに首を傾げながらおかずを運んできた。
「急に笑ってどうしたの? なんか可笑しい! でも、今日の翔愛はいつもより顔がスッキリしてるわ。いいわね。それでこそ中学3年生よ」
 褒められた。
 母に褒められたことなんて、何ヶ月ぶりだろう?
 最近は「勉強、勉強」で怒られてばかりで、褒められてない。
 ……勉強をたくさんやると、こんなにいいことがあるんだ。
 勉強をして起こる“いいこと”って、ただ“頭が良くなる”ってことだけかと思ってた。
 それだけじゃないんだ。
 朝、こんなにも気持ちいいとは知らなかった。
 久しぶりに母に褒めてもらえた。
 大変だけど、こんなにたっくさんのものが返ってくるなんて勉強も楽しくなる。
「今日も頑張ろうっ」
 また母に聴かれて首を傾げられちゃわないように、小さくガッツポーズをしながら呟いた。

「ごちそうさまでしたー!」
朝食を食べ終え、食器を片づけながら翔愛は考える。
「今日は何の勉強しようかなー?」
目標時間10時間。
国、数、理、社、英を2時間ずつやって、やっと10時間。
でもそれでは10時間を超すことはできないから、ひとまず何も考えずやって、10時間以上ぶっちぎろう!

教科書などを机の上に置いて、椅子に座る。
そして。
昨日の女子3人組の会話を思い出す。

――あ、『クエスチョンズ』だっ!
――ほんとだぁ
――でも、最近『クエスチョンズ』、かっこよくないよねー?
――なんか大原くん、まつげ長くってオカマみたいだし! あたし1番好きだったんだけどなぁ?
――あたしも、梅井くん好きだったんだけど、なんか鼻毛出てるし、もう好きじゃなくなった!
――あたしもだよっ。最近、すっかり変になっちゃったから!
――三井くんだって今朝観たら変なヒゲ生やしちゃってるし!

変なんかには、なってない。
かっこよくなくたって、『クエスチョンズ』は『クエスチョンズ』だ。
思い出すたび、怒りが湧き起こってくる。
その怒りを、勉強へのやる気に変える。
勉強を頑張って落書きを消して、あの女子3人組を見返してやるんだ!
翔愛は教科書を開く。
シャーペンをノックして芯を2、3mm出し、勉強を始めた。

「翔愛ぁー! 昼ご飯できたよーっ?」
母の声が聞こえた。
ふと時計を見る。
勉強を始めたのが7:30くらい。
今はPM0:30。
5時間できた。
やった、目標時間の半分をクリアできた。
「んふふ、やった」
今日やった分のノートをペラペラめくってみる。
「頑張ったなぁ、あたし」
自分を褒めてあげたい。
本当に嬉しかった。

PM1:30。
勉強再開。
でもそのとき翔愛は、朝に勉強を始めたときとは違う不思議な感覚を覚えた。
「なんか……勢いが出ない?」
 頑張ることができない。
 やろう、とは思えてくるのだが、ノートを開く手が重い。
「……ダメだーっ」
 なんでだろう?
 椅子の背もたれに寄りかかって伸びをする。
 まだ午後になって勉強は1秒もしていないのに、疲れている体がここにはあった。
「でも、勉強はしたいんだよ……」
 翔愛は誰かに相談するように呟いた。
 というか実際、誰かに相談したかった。
 聞いてもらいたかった。
「和羽(かずは)っ」
 電話をかける。
 お願い、出て……。
 翔愛は手を握りしめる。
 プルルルル__。
『はい、もしもし』
 出たっ!
「もしもし、和羽っ!?」
『うん、何?』
 なんか、和羽の声がいつもより優しく聞こえる。
「和羽ーっ! 助けて」
『何!? どうしたの?』
「勉強が……できないのっ」
 気が付けば、涙が溢れている。
 勉強、やりたいのにやれない。
 なんでかはわからない。
 悔しさから今にも叫びだしたい。
 でも、その気持ちを和羽の優しい声が抑えてくれる。
『翔愛、大丈夫。ちょっと今は溜まった疲れが出ちゃってるだけ。少しだけ、ベッドに横になるとか、休んでみな』
「うん......」
『で……ごめんね、答えたくなければ良いんだけど……、なんで急に勉強やりたくなったの?』
「それは……」
 和羽の優しい声に誘われ、翔愛の口からは昨日のできごと、そして思いが溢れだした。
 和羽はそれを静かに聞いている。
「ってわけなのっ」
『……そっか。……じゃあさ、翔愛は一体、『クエスチョンズ』のどこが好きなの?』
「え?」
『ううん……じゃぁ、頑張ってね?』
「あ……うん。ありがとう」
『うん。ばいばい』

 翔愛は布団に潜り、考えた……私が『クエスチョンズ』を好きな理由?
 それはたくさんある。
 まずは……。
 そりゃ、もちろん顔。
 すごくカッコよくて、文句の付け所は全くない。
 それはあの女子3人組と同じだ。
 でも、それだけじゃないんだよ。
 メンバーひとりひとりのキャラ。
 すっごくいいんだ。
 重なってなくって、それですごく良いバランスになってるの。
 それに。
 5人が集まって1つになってる。
 そこで力が×5にとどまらない。×10にも、×100にもなってる。
 他にも。
 顔だけでなく、人としてもかっこいい。
 それに、いっつも笑顔でキラキラしている。
 どんな辛いときも、ファンの前では笑顔を絶やさない。
 言い出せば止まらないほど、『クエスチョンズ』のいいところはすごくある。
 それなのにそんなことにも気付かないで、ただ“顔”だけで判断するあんな人たちに『クエスチョンズ』が笑われてたまるか!
「……よしっ!」
 布団を思いっきり投げ上げると、ベッドから降りた。
 その顔は、和羽に電話をする前とは全然違っていた。

ドリルが全ページ終わった。
今日、全てのページをやったわけではないが。
教科書の問題も解き終えた。
さて、次は。
……何をやろう?
やるものが全てなくなってしまった気がする。
何をやっていいのかわからない。
今はPM10:00。
参考書を今から買いに行くことも難しい。
「どうしよっかなー?」
もう10時間を過ぎているのだから、ここで終わりにしてもいい。
でも、落書きをどうしても1つ以上消したかった。
どうしよう、何しよう。
ふと翔愛は思い出した。
ちょっと前に耳に入ってきた友達同士の会話。

――ほら見て! 昨夜の勉強、途中で飽きてきちゃったから、こんなことしてみたの!
――うわ、いいね! ワタシもこないだ、ドリルが終わっちゃったから、こんなことしてみたー。
――あ、それもいいね! あたしも真似していい?
――いいよ、いいよ、お互い頑張ろうね。

翔愛は早速、電話の子機を片手に電話番号を調べ、その子のうちへ電話をかけた。

いいこと教えてもらった。
よかった、嬉しかった。
友達は優しく丁寧に教えてくれた。
ついでに解らない問題の解き方も教えてもらった。
本当に得しちゃった。
その時は「ありがとう」をちゃんと言えなかったから、あとでしっかり伝えなきゃ。
「ありがとう」って。

今日は12時間も頑張った。
ポスターの落書きは2個消える。
終わった。
残りは2個しか残っていない。
頑張らなくっちゃ。
でもそうやって無理をすると、また疲れちゃう。
でもそれで無理をしないと、自分の為にならない。
そこが難しくって。
疲れてしまえばそれ以上勉強できなくなってしまう。
けれど、それで加減してしまえば今度は自分のためにもならない。
『クエスチョンズ』も救えない。
結局、あの女子3人組に笑われる一方だ。
いい加減、というのはどこなんだろうか。
本当に謎だ。

AM9:00。
勢いよく鳴る電話。
すでに勉強を始めていた翔愛は、電話を取った。
「はい、もしもし?」
すると相手の声は聞き慣れた声だった。
『あ、翔愛?』
そう、和羽だ。
「あ、和羽! どうしたの?」
『いやあのね、翔愛、昨日勉強を目標よりも2時間多くやったでしょ? だから落書きを消そうと思ったんだけどね?』
「うん」
『誰の落書きを消す?』
「え、あ……」
 どうしよっかな、それをまだ考えてなかったっけ。
 梅井くんの鼻毛、
 大原くんのまつげ、
 柳葉くんの太い眉毛、
 三井くんの無精ヒゲ。
 どれも消してあげたい。
 でも、それはできないから……。
「じゃあ……とりあえず、梅井くんと柳葉くんのを……」
梅井くんはアイドルらしくなくなっちゃって清潔さに欠けているし、柳葉くんのは……なんでだろう?
でも今日も頑張って勉強をして、残りの2人も消すのだから、順番なんてどうでもいい!
『わかったよ、ちゃんと消すからね! じゃあ今日も、頑張ってね!』
「あ……あのさ、」
『ん? なに?』
「目標時間、増やしてもいい?」
『いいけど?』
「これで勉強癖がついたら、このあとも頑張れるのかなぁって」
『うん……そうだね!』
「だから……1時間だけだけど、目標時間に足してもらってもいいかな?」
『……いいよ』
「じゃあ、お願いします!」
『うん、わかった』

頑張ろう。
今はAM9:00だけど、今日は8時から勉強を始めてるから、今までやったのは1時間。
でもこのまま12時まで頑張ってやって、そしたら午後も6時間くらい。
夜は出来る限りやれば、11時間なんて、越えてしまう。
これで、落書きは全部消える!

だが――。
PM2:00。
勉強の午後の部を始めて1時間経ったときだった。
ドアがノックされる音がして振り向くと、そこには母が顔を出していた。
「翔愛、ちょっと来て!」
「え……なに?」
 せっかく勉強を始めていたところだったのに。
 渋々部屋を出てリビングへ行くと、そこには久しぶりに見る顔があった。
 北海道の……叔父さん?
「やぁ、翔愛ちゃん。久しぶりだね」
「あ……お久しぶりです。」
「翔愛ちゃん、学校はどうだい?」
「あ……特に、なにも変わりなく……」
 翔愛は苦笑した。
 母は隣で笑っている。
 そして北海道から何年かぶりに遊びに来た叔父は、その会えなかった何年分を取り戻すかのように喋りたいことを一気に話した。
「そう……ですか……」
 翔愛は久しぶりに来てくれた叔父さんには悪いけど、逃げたい気持ちでいっぱいだった。
和羽に「目標時間を上げてくれ」と言ったのに、こんなところで足止め食らっている場合ではない。
それが本音だった。
でも、話は終わる様子がなかった。

PM5:00。
「じゃあ、今日はありがとなぁ。楽しかったよ」
 母が叔父を見送っている。
「またいらして下さい!」
「あぁ、また来るよ」
 勉強時間を3時間もロスしてしまった。
 3時間も。3時間も!
 正直言うと舌打ちをしたい気分だ。
「翔愛ちゃんも、私のつまらない話に付き合ってくれてありがとな」
「あ、いえ……」
 確かに勉強が気になって、何1つ面白いことはなかったよ。
「受験勉強頑張ってくれ、応援してるぞ」
「あ……ありがとうございます……」
 叔父は車に乗り込むと北海道に向けて帰って行った。
「ごめんね、翔愛、付き合わせちゃって……」
 母が申し訳なさそうに謝っている。
「いや……いいんだけどさ……」
 悪いのはお母さんじゃないし。
 申し訳ないけど、今日、初めて知ったかも。
“遠くから久々に来た客”と書いて“受験の敵”と読むことを……。

結局その日は……。
午前は8:00から12:00。
午後は1:00から2:00。
そして5:00から7:00。
夜は8:30から11:30。
計10時間。
1時間足りなかった。
せっかく昨夜頑張って2つ消したのに、結局ダメだった。
また1つ増えてしまった。
でも、それは翔愛がだらけたわけではなくて、ロスしてしまった時間が多かったから。
どうなっちゃうんだろう、これから。
ちゃんと消していけるかな?
少し、不安だけど。
でも、だいぶ勉強癖が付いてきたから頑張れる。
自信が出てきた。
もう、前のあたしとは違う。
これからも、きっとやっていける。

その頃、和羽は……。
「さて、どうなるのかなー?」
 笑顔でポスターに落書きをしていた。

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第4話ナゼ、なぜ、何故

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