三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2022.08.30

ミュージシャンから東大、起業に至るまで

キャディ株式会
社代表取締役
加藤 勇志郎さん
モノづくり産業のポテンシャルを解放する



ONE MORNING「 The Starters 」。
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。



今週のゲストは先週に引き続き、キャディ株式会社代表取締役の加藤 勇志郎さんです。
加藤勇志郎さんは、東京大学卒業後マッキンゼーアンドカンパニーへ入社、そして2011年にキャディ株式会社を創業されています。



先週は主な事業内容について伺いました。


メーカーとか加工会社の関係性を外から変えていく。
受発注サービスキャディやメーカー内部のデジタル化を支援するキャディドロアーを運営されているという話を伺って、
本当に製造業のこれまでの課題っていうのがたくさんあると思うんですけど、これを解決する画期的なサービスだなと思いました。


発注するメーカー側にも、作る町工場側にもメリットが大きいと感じて、
これから日本だけじゃなくても世界の架け橋となるような可能性を感じたんですけども、
今週は加藤さんのこれまでについてと、
あとキャディを創業したときのお話について伺いたいんですが、
何でも中学校高校時代は音楽活動をされていたというふうに伺いましたけど。


「最初バンドから始めて3年間やって、
その後ソロでアコギでやってたんですけれども、もうライブハウスに入り浸って、CDを作ったりずっとしてました。」


レーベルにも所属されてたと伺いました。


「そうですね、大したことではないんすけど、個人の活動ほとんどですけど、ちょっとそういう話もありました。」


結構本気でやってたんですね。


「本気でやってましたね。1日学校に行くか行かないかで、もう16時間とかやってました。ボーカルとギターをやってました。」


先ほども紹介したそのキャリアについてですけど、
東京大学卒業されてその後、マッキンゼーアンドカンパニーに入社されて、ご自身で創業って経歴だけ聞くとすごいなと。
その間に僕らの知らなかったのプロミュージシャンを目指す期間というのは含まれて、もう全てがすごいと思うんすけど、
まずこの東大に進学することになったのはなぜなんですか。


「私はそのままミュージシャンでやろうと思っていたんですけれども、高3の5月か6月ぐらいに、親が急に来て、とにかく大学だけ行ってくれという、」


え?高3の5月から受験勉強して東大ですか?


「そこまで本当に何もやれてないというか、本当にミュージシャンしか考えてなかったので、
でももう行かざるを得ないということで、本当にそこからは半年以上一日18時間勉強していました。」


元々頭が良かったのですか?


「いや、、でもどうですかね、本当にその時は多分世界で一番勉強したぐらいでした。」


自分でそれ言えるぐらい勉強してたんですね。
ご自身の中では一旦音楽目指してるけど、ちょっと1回勉強に熱量を切り替えて、東大目指すって決めたからちょっと頑張るぞって世界一勉強した。


「そうですね。はい。」


結果として東大に受かるわけじゃないですか。
これ素晴らしいことなんすけど、受かったからじゃ音楽再開しようかなみたいにはならなかったんですか。


「いや、もちろん思ってたんですけれど、
もう受かった日に、本当ギターを弾いて歌を歌うっていうのを1人でやってみたら一切心に響かなくてですね、その瞬間にやめました。」


ギターを置いたわけですね。

学生時代に既に起業を経験されてるんですか。


「元々は学校入ったときに、家庭教師のアルバイトをやろうと思ってたんですけども、
家庭教師のアルバイト受けるときに、社長の人に君は家庭教師じゃなくて、
一緒にちょっと考えてる事業があるからそっちを一緒にやろうって言われて、
何だ何だと思ってそっちを一緒に始めて、事業作ることにどんどんのめり込んでいって、自分でも事業を始めました。」


どんな会社だったんですか?


「治験という薬を作るプロセスがあるんですけど、日本って結構治験のプロセスが遅いんですね、
そこは結構課題になっていて、なので医療機関向けに、治験を受ける人を集めてくるあのサービスをやってまして、
治験を受ける人ってやっぱ学生か土建屋さんみたいな人がすごい多いんですね。
とにかく金稼ぎたいという人が多いので、そういう人をネットで集めてくるようなビジネスをやってました。」


どうですか実際にそこで企業の経験を社長と一緒にされて、それは今のキャディの立ち上げには活きてますか。


「活きてますね、やっぱり、ただそのときのスキルというよりは、
そのときにやっぱいろいろやってみたときに、もちろん治験もすごく大事なんですけど、
やっぱりせっかくこの後60年とか70年間生きて人生やるんだったら、
本当に大きな世の中を変えるようなことをやりたいなと思い始めて、それがただ思いつかなかったんですね。
その時学生なんで、そんなにわからないということで、
世界的にいろんな経営支援をしてるような会社に行って、そういったことを学んだ上でやりたいなと思ってマッキンゼーという会社を選ぶことに至ったのはその事業やってみて、やっぱ自分は小さいなと思ったというきっかけです。」


マッキンゼーってもう本当の一流企業ですから、実際にどうですかマッキンゼーに入られてそれを学べたのですか。


「それもスキルというよりは、やっぱりいろんな産業のいろんな大手の名だたる会社さんをサポートする中で、
やっぱ製造業って、これだけ泥臭いともたくさんありますけど、
本当に大きくて、この日本で一番大きな産業なんで、課題もたくさんあってすごくがやりがいがあるなと思ったので、
この産業で何ができるかってのを考えていって、今の事業にたどり着いたっていうとこですね。」


マッキンゼーの中でどういうことやってたか伺ってもいいですか。


「基本的にやっぱりいろんな国に行ったんですけども、
大手のメーカーさんの例えば新規事業作りたいっていうときに一緒に新規事業を考えていったりとか、社内のスタートアップみたいのを作っていきたいとか、
あとは海外の戦略を作っていきたいみたいな会社さんに対して、海外の調査をして一緒に戦略を作っていったりとか、
あとは今の事業に繋がる調達コストを下げたい、もう売り上げの6割が調達コストなんで、
これを下げたいっての経営者みんな思っていて、そのコストダウンどうやってやるかっていうの一緒にやったりとかしてました。」


そこは結構今のキャディに大きく影響してそうですね。


「ものすごく影響しますね。
そこでいろんな課題を知って、じゃあこれってもっとプラットフォームで解決できないかと思って今の事業に繋がったということですね。」


それからキャディ株式会社起業に至るわけなんですけども、
今の課題についてはご自身の中で明確なビジョンが見え始めて、
会社を作っていく上で必要なものだと思うんですけど、もう一つ会社を作る上で必要なものってやっぱ仲間ですよね。

特にテクノロジーとかも酷使をされてる、町工場というあまりテクノロジーと距離があるというか、
そういったところにテクノロジーを持ち込まなきゃいけないわけですから、そういう意味ではご自身たちも必要な知識がたくさんいるわけですよね。


そういう仲間ってどうやって集めたんですか。


「一番最初2人で始めようとなって、私とそのテクノロジーの今CTO、テクノロジーのトップをやっているような人間と一緒に始めたんすけど、
元々Appleのアメリカの本社にいてiPhoneとかAirPodsとかを作っていたので、
たまたま私がシリコンバレーに遊びに行ったとき、そ
こで友人の紹介であって、もうすごい技術力は当然高いのと、人間性もよくて一緒にやりたいなと思って、そ
こから3年か4年ぐらい口説いていって学生のときだったので、マッキンゼー入って3年後に創業しました。」


東大の話があって、その後マッキンゼー入って、
その後キャディ株式会社立ち上げたって話を今この順を追って聞いてたんすけど、
その方を口説くのはもう東大のときから口説いてたのですね。未来を見据えてたのですね。


あと資金調達とかも、やっぱ最初ってどうしても必要なってくると思うんですが、どうされたのですか?


「最後一番最初私とCTOのお金でやって、そっから個人の投資家とか、
ベンチャーキャピタルとかに入ってもらって、結構継続的に資金調達をして、
去年100億ぐらいまた資金調達をして、
これはグローバルの結構海外のファンドとかも入ってもらって、徐々に本当最初小さいところから始めました。」


苦労したことって何かございますか。


「先週の品質の話もそうなんですけれども、
それに加えて言うとやっぱり製造業ってもう今までの何十年の付き合いの中で成り立っている業界なんで、
私がもうその時起業した26歳だったんで、
26歳の何もない人間が工場に行って、
キャディですって、まず横文字の会社付き合わないって言われ、やっぱり信頼を築いていくのが最初一番大変でしたね。」


町工場の信頼も得なきゃいけないし、町工場がじゃあいいやってやるよって言って付き合ってくれたとしても、
今度そこに依頼してくれる会社さんを今度見つけてこなきゃいけないという、大変でしたね。


ミュージシャン時代の経験ってどっかに活かされてないですか?プロ目指すほどですから、ギターを置いて今の仕事を選んでるわけで。


「泥臭くひたすらやるっていうとこですね、
やっぱりミュージシャンも泥臭い事がほとんどじゃないですか、最初はもう立ちアポって言って、中に入れてくれないんですよ。
なので業者用倉庫の前で、中に一歩も踏み入れられずにそこで10分だけあげるって言われてそこで話すとか、そこはちょっと共通してますね。」


2週にわたってありがとうございました。
キャディ株式会社代表取締役の加藤 勇志郎さんでした。



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