三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2025.10.07

未来に向けて絶えず挑戦を

株式会社 JCAS Airways(ジェイキャスエアウェイズ)
代表取締役
梅本祐紀
民間主導の次世代航空スタートアップ


ONE MORNING「 The Starters 」
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして
そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。

今週と来週のゲストは、株式会社JCAS Airways代表取締役の梅本祐紀さんです。梅本祐紀さんは、兵庫県のご出身。大学卒業後、様々な企業やITスタートアップを経て、2023年、航空スタートアップのJCAS Airwaysの代表取締役に就任されています。先週は主な事業内容をうかがいました。JCAS Airwaysは関西空港を拠点に運航開始の準備を進めている航空スタートアップで、関西から富山・米子 線の2つの路線が2026年秋に就航を予定です。その後、段階的に路線を拡大していき、空白地帯となっている地域間に航空ネットワークを再構築することを目指しています。同時に地域創生の事業も手掛ける予定ということで、夢が広がります。
今週は創業前後のお話をうかがいます。実は、高校生の頃の夢はパイロットだったそうですね。

「そうなんです。思い返せば高校生の時はパイロットになりたいなということで、航空大学校に行くか悩んだ時期があったんですが、数学や物理など決定的に足りない要素があって諦めました。」

パイロットってそういった必要な要素が結構あるんですね。

「大学受験で考えるとありますね。 結果的には、経営者の道を選ぶ形にはなったんですが、このタイミングで航空会社立ち上げの話になった時、昔の夢を思い出しまして、「そういえば俺はパイロットになりたかったな」と思って、じゃあ航空会社を作ろうということで今チャレンジしています。」

経営者という入口から結果的にパイロットに関わるというのは面白いですね。この経営者の道はどうして進むことになったんですか?

「高校まで振り返ると、何か漠然とした憧れやかっこよさがあって、「やっぱり会社経営するってかっこいいな」とか、「お金儲かりそうだな」といった、若かりし時の青臭い思いがあったんですね。 そして、大学に行って、卒業してからは一般の会社に入ったんですけれども、やはり普通に生きていてはなんとなく満足感が得られなくて、やっぱり経営やってみたいと自分で会社経営事業を起こしたいという思いが高校の時からずっとあって、それを実現してきたという感じですね。」

育ったご家庭はどういうご家庭だったんですか?

「ごく一般的な普通のサラリーマン家系で、親にしっかり育ててもらいましたが、特段裕福な家ではなかったです。父親は、メーカー勤めで夜2時ぐらいまで働いて、朝6時に家また出ていく。そういう背中見ていたので、一生懸命働くのは当たり前だろうというふうに思って、自分も自然とそういう生き方になっていますね。」

大学行かれた後に就職されたということなんですけども、そこではどういったお仕事されたんですか?

「私は神戸出身なんですけど、神戸にある今の「デンソーテン」という名前の会社に新卒で入りまして、海外営業から入り、その後はメーカーの花形となる商品企画とかマーケティングなどをやらせてくれとで直談判し、その部署で働いておりました。」

そちらでのお仕事はどうでしたか?

「とても楽しかったし、上司もいい人で自由に働かせてもらったんですが、当たり前ですけど、なかなか自分が考えた商品やマーケティングの全部が通せるわけじゃないというところで、悩みも同時にありましたね。」

他の会社でも働いていたとお聞きしたのですが、他にはどんな会社で働いていたんですか?

「最初のメーカーを辞めたきっかけは、実はiPhoneが出たことなんです。カーナビの会社だったので「iPhone とカーナビは絶対につながる」とその当時、確信を持っていたんです。それを会社に商品企画で提案したら、「カーナビはカーナビでこの座は奪われないよ」と却下されたんです。僕はスマートフォンにすごい大きな可能性を感じていたので-、スタートアップに行って、スマートフォンの世界で事業をやろうというところで、当時ものすごく元気のあったソーシャルゲームの「GREE」という会社に転職し、神戸から東京に出てきました。」

GREEでのお仕事はいかがでしたか?

「刺激的すぎて、最初、なんで自分はここに入れたんだろうって思うぐらいの環境でした。」

どうやってGREEに入ったんですか?

「人材エージェントが、「それだけ野望があるんだったら、一回グリーさんとかに行ってきたらどうですか」ということで推薦してくれました。何回も面接を受けて最終面接で、「今そういう事業はやってないけど面白いこと考えているから、グリーで一度頑張ってみないか?」ということで内定をいただきました。」

そちらではすごく楽しくて充実した日々だったにもかかわらず、独立されたということで、独立するきっかけというのは何だったんでしょうか?

その後もいくつかのスタートアップに関わり、上場経験のあるところもやっていたんですが、やはりナンバーツー以下になってしまうと、結局自分のやりたい世界を100%実現できないということに気づき、自ら会社を起こさないと、本当の意味での自分のキャリアって作れないんだなと思ったので、独立の道を選びました。」

それが現在のジェイキャスエアウェイズにつながるわけですが、そのきっかけは何だったんですか?

「きっかけは、現在弊社の役員として入ってくれているとある投資家が、面白い会社に投資をしたんだということで話を聞きまして、当時私は独立して事業もうまくいっていて、順風満帆だったんです。しかし、10年後、20年後、日本の社会に必要な事業や産業を作りたいという思いがふつふつと湧いていて、そういう気持ちをその彼に話したら、面白い会社あるよということでJCAS Airwaysを紹介されました。」

会社に対して不安を感じた点や心配な点はありませんでしたか?

「日本の航空業は他の事業と圧倒的に違うのは、安全であることを最初に求められますので、人命を預か事業を自分が航空のプロでもないのにやっていいんだろうかというところは、やはりすごく悩みました。」

そこは一歩踏み込むのに躊躇した部分だったんですね。

「躊躇しましたね。私を誘った共同代表の白根にそういう部分も含めて、赤裸々に相談をして、白根からは「自分一人じゃ新しい航空会社作れない」、「安全に飛ばすための仕組みは自分がしっかりと作るから、経営や仲間集めの部分を一緒にやってほしい」、「自分にはその力がないけど、梅本さんにはあると思う」ということで、熱烈に誘ってもらって、じゃあやりましょうと始めた形です。」

ご自身が元々やっていた会社はどうなるんですか?

「それは事業を止めました。」

すごい決断ですね。完全に人生をかけてのチャレンジだったんですね。
普段からチャレンジされていると思うんですけれども、独立や起業するときに大切だと思うことは何でしょうか?

「取れる限りのリスクを取ることだと思います。無謀なリスクテイクはただの無茶なんですけど、キャリア上、これはと迷ったときは取れる限りのリスクの大きい方を取ってチャレンジをするというのはモットーにしていますね。」

リスク取ったものしかその先の美味しい蜜は吸えないということですね。
最後に、これからの夢を教えてください。

「我々JCAS AIRWAYSが飛んできた地域っていうのは、すごく元気になるよねと、言ってもらえるようなエアラインでありたいですし、地域創生事業を起こしていこうと、そういうふうに思っています。」

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