今日は、私が見てきた映画をご紹介します。
『夕凪の街 桜の国』。
原爆が落とされた広島の街を舞台に、2つの時代に生きる女性を軸に繰り広げられる、
哀しくも暖かい人間模様が描かれています。
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8月15日の終戦記念日を前に、戦争とはなんだったんだろう?と考える機会が増えますよね。
私は戦争を直接知らない世代だけれど、やはり世界で唯一原爆を落とされた国、ということで、
感じることはたくさんあるのです。
この『夕凪の街 桜の国』は、映像もとても美しく、
原爆の生々しい映像はほとんど出てきません。(少しだけ出てきますが。)
それでも、被爆しながらも生きながらえた人々の心の葛藤などが静かに描かれていて、
やはり流れる涙を止めることは出来ませんでした。
そして、大きく学んだこと。
それは、まだ決して戦争は終わっていない、ということです。
当事者の方、また被爆者の子孫の方たちにとっては、
ずっと抱えて、ともに生きていかなければいけない問題なのだ、ということを痛感しました。


ひるがえって、私が青年海外協力隊でミクロネシアに赴任していたときのこと。
私がいた島には、第2次世界大戦中にたくさんの日本兵が上陸し、
島を統治していました。
「コスラエ島」という、日本人はほとんど知ることのない島なのに、
そのコスラエの住民は、私たち日本人より深く、昔の日本のことを知っていました。
島の人の名前も、私と同じキョウコさん、ユキコさん、サチコさん、シンペイさん、タケオさん・・・。
お年寄りだけでなく、生まれてきたばかりの赤ちゃんにも、
いまだに日本名をつける風習が残っています。
島の人たちがはいているビーチサンダルは「ゾーリ」、クルマは「ストーシャ」、
人を励ますときには「ガンパレ」と声をかける人々。
味付けの基本はお醤油なのに、
日本人でその島を日本人が戦時中統治していたことを知っている人は、
ほとんどいませんよね。
60歳以上の方は、日本語もしゃべれるので、当時のことをうかがったこともあります。
でもその方たちによると、日本人は戦争中、コスラエにやってきて、
ダムを作ったり橋を作ったり、お米の作り方を教えてくれたりしたそうなのです。
だから、島の人たちは基本的に、日本人をとても尊敬し、中には憧れすら抱いている人もいます。
だけどそんな扱いを受けるたびに、私はいつも、少し面映い思いをしていました。
まさかコスラエの人たちは、現代の日本人ほとんどが、
コスラエという名前すら聞いたことがないなんて、思ってもみないでしょうから・・・。

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(私がいた、コスラエ島です。青い海と青い空。哀しい歴史が信じられないような、美しい島です。)

島では年に1回、島を挙げての盛大なお祭りがあります。
1週間を通して、会社もお店も全部休み。
人々はひたすら、教会でお祈りをし、パーティーを開き、おいしいモノを食べ、踊り、歌い、
島はまさに、お祭り一色となります。
『Libaration Day(解放記念日)』と呼ばれるこのお祭り、
実は、日本軍からの解放の日を祝って、いまだに行われているのです。
私もホストファミリーと一緒に、もちろんこのお祭りに全力で参加しましたが、
「日本人から解放されたこと」を、これほど盛大に祝う人たちを前に、
とても複雑な気持ちでした。


折りしも、昨日はペルセウス座流星群の日。
家に帰ってから、ベランダに出て、しばらく夜空を眺めていました。
かなり長いこと眺めていたのですが、流星はおろか、
星すらもほとんど見ることが出来ませんでした。
コスラエにいたときには、毎晩、飽きるほどの星が夜空を埋め尽くして、
当たり前のように流れ星がバンバン見えていたのになぁ。。。
あまりにも流れ星が多すぎて、もう願い事をするのすら忘れてしまっていました。昨日のペルセウス座流星群を見上げながら、どれだけの人が「平和」を願ったのでしょう。
東京では、流れ星がなかなか見えないけれど、だからといって、
流れ星が流れていないわけではないのです。
一晩に、いくつもいくつも、流れているはずなのです。
見えないからといって、その「見えないもの」を忘れてしまってはいけない、と思う。
それは、戦争の傷跡も同じなのではないか、と思います。
見えなくなったからといって、なくなったわけではない。忘れてはいけないのだと思います。


終戦記念日を前に、この『夕凪の街 桜の国』を見て、
そんなことを感じたハチドリ高柳だったのでした。